男性3人が囲炉裏を囲って座っている写真

長野県南部、中央アルプスと南アルプスの山々に挟まれ、天竜川に沿って南北に伸びる伊那谷。この地にある「ざんざ亭」は、伊那の豊かな自然が育む山の幸をおいしく食べられる宿として人気です。

宿泊客のお目当ては、店主・長谷部晃さんのジビエ料理。長谷部さんは地元の食材をもっと広く知ってもらおうと、この冬、東京にポップアップ店舗を出店しました。チャレンジを続ける長谷部さんに、伊那の食材への思いと東京で実現したいことをお聞きします。(写真提供「ざんざ亭」)

「山が好き」その気持ちが原動力―山小屋スタッフ、林業から料理の道へ

長野県長野市出身の長谷部さんは、身近に山がある環境で育ち、自然に囲まれて過ごしました。生物学を学んでいた学生時代に北アルプスの「槍ヶ岳山荘」でアルバイトを経験すると、それまで以上に山の魅力を感じるように。「僕は山が好きだな、と思いました」と長谷部さん。

青空に山の緑が映えた写真

「ざんざ亭」周辺の山々。鹿、猪などの野生動物や山菜など、豊かな自然に育まれた山の幸の宝庫だ。(写真提供「ざんざ亭」)

山荘で宿泊施設や食堂の仕事をしながら料理に興味を持ち始め、厨房を預かる和食の料理人に料理を教わります。その後しばらく、林業や猟師など山にかかわる仕事に携わり、大自然や野生動物の命に寄り添った生活を送っているうちに、野生動物の肉を使った料理を振る舞う店を開きたいと思うようになりました。

34歳の時に地元で鹿肉のカレーを看板料理とする居酒屋を開業。居酒屋経営と林業を兼業しながら過ごしていた頃、長谷部さんは、古くから宿泊施設として利用されてきた旧長谷村の「ざんざ亭」が、管理する人手のないまま放置されていることを知ります。偶然にも、自身の苗字と村名にかぶるところがあり縁を感じて、長谷部さんは自ら「ざんざ亭」主人になることを申し出ました。2010年8月、長谷部さんの「ざんざ亭」がスタートします。

長野の山の幸を使った「山師料理」―ざんざ亭のひと皿

■鹿1頭、丸ごと使うことから始まった「鹿ジビエコース」

長谷部さんは、自分の料理を「山師料理」と銘打っています。山師は、山を育む職人。林業の経験や山とともにありたいという思いからこの言葉を使っています。

「ざんざ亭」オープン当初、長谷部さんは地元で獲れた鹿を一頭もらい受けると、特定の部位だけを調理して内臓など調理の難しい部分は捨てていました。山からいただいた素材を無駄にしているような後ろめたさを抱えたまま調理を続けていましたが、それを打破するために「とにかく鹿を丸ごと使ってイベントをやってみようと。きっかけがないと動かないタチなもんで」と、鹿一頭を丸ごと使うイベントを企画。2013年4月の開催日まで鹿肉について勉強し、試行錯誤を繰り返しました。

独学でシャルキュトリ(加工肉)の料理本などを読みあさって研究し、イベント当日は鹿の脳みそをソースに、肺はスープに、頭はフロマージュドテットに、血液はブーダンノワールにしてすべて使い切りました。
「案外やれるもんだなと思って。それから『ざんざ亭』で、ジビエのあらゆる部位を食べ尽くすコース料理を出すようになったんです」

ざんざ亭のコースには、「山師」としての長谷部さんの山に対する思い、いただいた命をできる限り有効に扱いたいという意思がこめられています。
コース料理には、付け合わせやソースとして、長野産の野菜や長野の生産者が手掛けた酢、醤油などの調味料が使われ、お客様は地元産のワインや日本酒を飲みながら、囲炉裏を囲んでジビエのコースを楽しみます。

ざんざ亭の外観写真と、料理の写真と囲炉裏に火がともっている写真

写真左:南アルプス仙丈ヶ岳の麓にある「ざんざ亭」。
右上:「ざんざ亭」の名物料理の1つ、「鹿ローメン」。ローメンは伊那市の郷土料理。羊肉で作るのが定番だが、長谷部さんは鹿肉でアレンジ。「郷土の味をベースにした料理を提供していきたい」と長谷部さん。
右下:肉は囲炉裏の炭火で焼く。煙で燻すことで、鹿の赤身肉の旨味が強調されるという。

■地元産のジビエを地元で提供することの意義

ジビエは野生の動物の肉。育った環境や、食べているもの、年齢など、家畜に比べて素材の個体差が大きいのは当たり前のこと。狩猟の状況や季節、しめ方、さばき方によっても肉の状態は大きく変わります。

「都会のフランス料理店や飲食店でもジビエを出していますが、ちょっと良くない個体だと買い取りません。地元でジビエを出すなら、そこで〝ノー〟と言わないことが前提です。個体による違いや、血だまりが多いといったマイナス要素をカバーできるように、調理技術を磨いていく努力をし続けなければいけないと思っています」

さらに長谷部さんは「でも、ジビエの魅力はその個体差だとも言えるんです。ざんざ亭では、地元のどこで獲れたどんな動物で、誰がどうやって狩猟したのかわかった上で素材を扱っていますから、今日の肉はなぜ固めなのか、なぜ鉄分が強いのか、その味の背景やストーリーをお客様にお話できる。それは、産地でしか味わえない、ジビエ料理の醍醐味なんです」と、地元産のジビエを地元で提供することの意義について語ります。

伊那の山の豊かさを、もっとたくさんの人に伝えたい

「ざんざ亭」は、地元長野で各地からのお客様をもてなす一方で、積極的に外部のイベントに参加し、狩猟体験ツアーなども企画しています。
東京にも足を運び、2014年、15年には渋谷ヒカリエd47食堂で「鹿ローメン定食」「鹿のパテ」等を提供。ジビエ料理についての講演会も開催しました。西荻窪の街イベントや、高円寺のパン店「しげくに屋」、フランス料理店「葡庵」とのコラボディナー「パンとジビエと」も盛況でした。

そして2018年1月から3月までは伊那の「ざんざ亭」をクローズして東京に進出。西荻窪でポップアップ店舗をオープンさせました。

カウンターの中にバンダナ姿の男性2人が立っている写真

東京のポップアップ店舗「ジビエバルざんざ亭」。左が長谷部さん、右はスタッフの吉澤さん。地元産の新鮮な食材を使った料理を提供する。

西荻窪の「ジビエバルざんざ亭」では、ジビエを使った単品料理と長野県産のドリンクを中心に提供。「ジビエのシャルキュトリー盛り合わせ」は鹿や猪、熊を使った加工肉と地元の野菜を盛り付け。「ジビエのおでん」は、鰹節や昆布を使わず、野菜・アマゴの燻製・鹿・猪からとった出汁で、日によって違う具材を煮込みます。伊那市の果樹農家・白鳥農園さんが自然に近い栽培方法で作るリンゴのジュースやシードルなども提供し、伊那の豊かな食材を満喫できるメニューがそろっています。

ワインボトルと、丸皿に肉料理が盛り付けられ、日のさらにバゲットが盛り付けられている写真

「ジビエバルざんざ亭」で出している「ジビエのシャルキュトリー盛り合わせ」。浸し豆入り鹿のテリーヌ、鹿と駒ヶ岳山麓豚のソーセージ、猪ランプ肉のハム、熊すね肉のハムを盛りつけたひと皿。

バンダナ姿の男性がおでんをよそおうとしている写真と、ビンに入ったジュース3本の写真と、「春の信州七味」が3本置かれている写真

写真左:「ジビエのおでん」は、伊那の食材のみで出汁をとり、切り干しニンジン、凍み豆腐、猪のモツ、鹿肉の練り物などを煮込む。
右上:有機農法に取り組む伊那市白鳥農園のシードルとリンゴジュース。
右下:名物「鹿ローメン」に合うように、柑橘の風味を利かせてカスタマイズした特製七味。もちろん伊那産。

ジビエのハイシーズンである冬に、長谷部さんがあえて東京に出店したのはなぜでしょうか。
「伊那のジビエやそのほかの食材、地元で丁寧にモノづくりをしている生産者さんを知ってもらいたいんです。それで、できれば伊那に来てもらいたい。東京で勝負したいという気持ちはなくて、伊那に人を呼び込みたいんです」

長谷部さんは今後、ポップアップではないレギュラーの拠点を東京に作ってみたいと言います。それは、東京に拠点を移すということではなく、あくまでも軸足は伊那の「ざんざ亭」に置きながら、山と人々をつなぐ接点としてもっと力になりたいと考えているからです。

野生鳥獣の食肉を指す「ジビエ」というフランス語は、今でこそ一般的ですが、長谷部さんが鹿料理を作り始めたころにはまだ日本でなじみのない言葉でした。「ジビエ」という言葉が広まってくると、長谷部さんは積極的にこのワードを使うようにしました。調理や盛り付けにも、臆せずフランス料理などの技を導入しています。全ては、伊那の自然や山の魅力を多くの人に届けるため。地方のテロワールを全国に広める、そのモデルケースとも言えます。

長谷部さんのこだわりのジビエ料理を通じて、この冬、伊那の魅力を知る人が増えそうです。

取材協力

企業名 鹿ジビエと山師料理「ざんざ亭」
住所 長野県伊那市長谷杉島1127
TEL 0265(98)3053
URL http://www.zanzahotel.jp/

「ジビエバルざんざ亭」2018年1月~3月限定で東京出店中
https://www.facebook.com/西荻窪ジビエバルざんざ亭-309056902939046/