葉っぱの上にカカオが置かれている画像

毎年冬に行われている日本最大のチョコレートの祭典「サロン・デュ・ショコラ」。1995年、フランス・パリに始まったチョコレートの見本市は、世界各地で形を変えて開催され、日本では株式会社三越伊勢丹が主催しています。世界中からさまざまなチョコレートが集まり、有名ショコラティエも続々来日するとあって、連日多くの人が訪れ、ちょっとした社会現象となっています。チョコレートの販売はもちろん、イートインが充実していることも特徴の一つ。その一角で、今年は世界初の一風変わった試みが行われていました。

アマゾン料理人が作る、カカオ料理

そこに漂っていたのは甘いチョコレートの香りではなく、食欲をそそる、肉の香ばしい匂い。「AMAZON CACAO(アマゾンカカオ)」と書かれたブースで提供されていたのは、スイーツのチョコレートデザートではなく、カカオで煮込んだ肉の塊でした。
作っているのは、アマゾン料理人との異名を持つ、太田哲雄シェフ。10年以上海外で料理人として活躍し、スペインのエル・ブジやペルーのアストリッド・ガストンなど一流レストランにも在籍の経験があります。その後、本物の南米料理を求めてアマゾンの奥地へ向かい、現地の人たちと共に生活しながら、ウミガメを狩ったり、地蜂を採取したり、というリアルなアマゾンの原始的食文化を経験。

そんなユニークな経歴を持つ太田シェフがある時出会ったのが、カカオを主産業としている、ペルーのとある村でした。現地で実際にカカオを味見してみて、その品質の高さにすぐ気付いた太田シェフは、いい素材があるのに生かし切れていない、世界では高値で売れて行くチョコレートがたくさんあるのに、彼らの生活には全く反映されていない現状に疑問を持ちました。彼らの未来を考えたとき、カカオという素材に大きな魅力と可能性を感じた太田シェフは、以後地道なカカオ活動を続けることを決心。自身でカカオを輸入し、料理人の視点で新しい使い方を開発しています。また、この人こそ、と思うシェフや企業へ自身の考えを伝え、さまざまなかたちでカカオの輪を広げています。
これは以後、太田シェフのライフワークとなり、興味を持った料理人達を次々とアマゾンへ案内し、スパルタな「太田塾」を開講して、恐れられて(?)いるという噂も!驚異のアマゾンムーブメントが料理界で巻き起っているのです。

バナナの葉と同じ大きさと形をしたお菓子の包み紙を持った太田シェフの写真

太田哲雄シェフ。手に持っているのは、バナナの葉と同じ大きさと形をしたお菓子の包み紙。共同開発している、うなぎパイで有名な「春華堂」で発売するアマゾンカカオのお菓子に使われます。隣にいるのは代々木八幡のレストラン「path」の後藤裕一シェフ。助っ人の一人として活躍。

サロン・デュ・ショコラに出現したアマゾンカカオのブースでは、「アマゾンカカオと赤ワインで煮込んだ牛頰肉」「アマゾンカカオと玉ねぎのグラタン」の主に2品が料理として提供されました。
10席あるカウンターには現地から持って来た本物のバナナの葉をテーブルクロスのように広げ、「カカオニブ」やカカオの親戚と呼ばれる植物の実「マカンボ」をディスプレイ。そして何より印象的だったのが、太田シェフが自ら、続々と食べに来る客一人一人に、ペルーのカカオ村の現状や今回の料理についての説明を丁寧にされていたことでした。

牛頬肉の煮込みは、カカオの果肉で一晩マリネした後、赤ワインと一緒に約3時間煮込み、また一晩置いて、カカオの果肉をさらに加えて煮詰めたものです。その場で削りたてのカカオマス(カカオ豆を発酵、乾燥、焙煎、磨砕した、チョコレートの原材料)をたっぷり振りかけて食べて頂いています。一皿でカカオの実一個分を食べたようなイメージです。カカオは肉料理とすごく相性がいい。煮込み料理は一般的に、温度が下がると味が劣化することが多いのですが、カカオを入れて煮込むことによって、味の持続時間が長くなります。冷めてもおいしく食べられることが特徴。実は熱々より、少し冷めて落ち着いたくらいの温度帯が一番おいしいんです

アマゾンカカオと赤ワインで煮込んだ牛頰肉の写真

アマゾンカカオと赤ワインで煮込んだ牛頰肉。とろけるようなほろほろの食感、複雑な甘み旨みが多重層で押し寄せ、パワーがありながらも想像以上に繊細な味わいでした。

アマゾンカカオと玉ねぎのグラタンの写真

アマゾンカカオと玉ねぎのグラタン。太田シェフのスペシャリテとも言える料理。カカオニブと黒トリュフ入り。セモリナ粉のムースに、カカオの果肉を煮詰めたキャラメルのようなソースをかけ、さらにカカオを削りがけしたもの。

カカオの果肉を使ったのは、カカオをチョコレートという加工品ではなく、農作物であることをリアルに体感してもらうためで、実際にその方が料理としての完成度も高くなるからです。通常チョコレートを作るには、カカオ豆を発酵させる必要がありますが、太田シェフは、発酵を行わない豆や果肉にも、食材としての可能性があると言います。プロの料理人ならではのユニークな視点です。

カカオには、チョコレート以外にもさまざまな使い道があると思っています。例えばビーン・トゥー・バーのチョコレートを作るときはカカオ豆をローストするけれど、自分はローストしないカカオもすごく面白い素材だと思うし、それを使ったさまざまな料理のアイデアがあります。カカオのハスク(豆の薄皮部分)も可能性の塊。パウダーにして、和三盆と一緒にお餅に和えたらおいしいお菓子になり、食べてもらった多くのペルー人たちにすごく喜ばれました。ポッド(実の殻部分)も煮詰めるとシロップが取れるなど、試したいことがまだまだたくさんあります

カカオの可能性を、今までにない方法で伝える

サロン・デュ・ショコラでのこの試みに関して、伊勢丹のバイヤー、真野重雄さんにもお話を伺いました。
真野さんは、同社で長年、生鮮食品の担当を務め、2年前からサロン・デュ・ショコラの担当に就任。素材の本質を見るという視点は生鮮食品時代より培ったもので、その経験からチョコレートを捉え、今までとは違う発想が生まれたのかもしれません。

カカオにはチョコレートの他にももっと可能性があるよね、という話は以前から出ていました。カカオという素材を、甘いお菓子としてのチョコレートとは違った目線で、クローズアップできないかと考えていたんです。そういうことを一緒にできる一流の人を探していました。ただそれは有名なシェフというよりも、カカオのことを深く理解し、科学的にアプローチできる人にやってもらうことに意味があると思っていました

そこで白羽の矢が立ったのが太田シェフ。この人しかいない、と真野さんは思ったそうです。2年越しのオファーで準備・調整し、実現に至りました。

この企画はすごい冒険でもありました。誰も来なくて閑古鳥だったらどうしよう、と心配もしましたが、そんな場合のことも本人と腹を割って話しました。カウンターだけの10席で、1品の単価も決して安いものではなかったですが(牛頬肉が2,916円、玉ねぎグラタンは1,620円)、実際は平均1日10回転で、牛頬肉だけでもトータル700食以上出ていました。太田シェフのファンも多く来てくれ、中には芸能人がお忍びで、なんてこともありましたが、シェフを全く知らない人がやはり大半ですし、カカオへの知識も人それぞれ。一人一人に、なぜカカオ料理なのか、その背景からきちんと説明したことで、納得してもらえることも多く、これは続けたいと改めて手応えを感じました

テーブルの真ん中には大きなカカオマスの塊がおかれたアマゾンカカオのブースの写真

アマゾンカカオのブース。大きなカカオマスの塊は、抱えて客の皿の上にかざし、グレーターで削ってふりかけるパフォーマンスをしながら、カカオの背景を説明。白い豆はマカンボ。カカオ以上のスーパーフードともいわれる注目食材。

カカオは単なるお菓子の素材だけではなく、世の中のさまざまな問題の縮図と捉えることもできる社会性のある素材、と真野さんはいいます。素材として優れ、魅力的である一方、明らかにされていない部分もも多々ある。カカオを通して世の中にメッセージを投げかける手段としたら、チョコレートからさらに一歩外に踏み出したほうが届くのではないか、という話を、太田シェフとディスカッションしたそうです。

環境汚染など生産地の現状やフードロスなど、食に関する問題に向き合って料理をするシェフは世界的にも増えていると感じます。その一方で、美味しくなければいけない、素材もいいものであるべきと考えます。そういった現代の中で、次の時代へ繋げていくためのサイクルを作るにはどうすればいいか。チョコレートも、お菓子以外の広がりを作っていくべきじゃないかと。デパートという立場で自分たちができることを模索しているところです

大鍋でカカオ料理が煮込まれている写真

会場では、大鍋でカカオ料理が煮込まれていました。ペルーのタラポト産、クリオロ種のカカオが使われています。

アマゾンカカオのブースに起こった珍しい現象として、サロン・デュ・ショコラのために集まった、国内外のトップショコラティエ、パティシエたちがカカオ料理に興味を持ち、皆こぞって食べに来たということです。
イベント開催中に他のシェフが気になってわざわざ食べに来る、という動きは今まであまりなかったそうで、シェフの中には、一緒にアマゾンへ行きたいと申し出る人もいたとか。それだけ影響力があったことは事実であり、この体験をきっかけに、何か新しいムーブメントが起こるかもしれない、と期待を感じさせる出来事でした。

もちろん、何かおかしなことやっているなと思った人も多くいると思います。そういう人にもしっかり説明できる、圧倒的にその道に精通した一流の料理人であればいいんです。カカオの可能性に向けてのトライは今後もできれば継続していきたい。以前は“日本初上陸”などが誘客の売り文句になっていましたが、今はネットで情報が飛び交い、お客様の方がたくさんの情報を持っていることも多い。そういう時代の中で、もっと本質を重視し、素材や風土、シェフの個性を伝える哲学が必要だと思っています

カカオを調味料として日常に楽しむ

カカオという素材に興味と可能性を感じ、料理への展開を考える試みとして、比較的ポピュラーなのは調味料への応用です。特にビーン・トゥー・バー・メーカーは、自分たちで仕入れたカカオ豆をベースに、マスタード、ソース、ビネガー、スパイスソルトなど、独自のさまざまな商品を生み出しています。

その中で、日本の大手菓子メーカーである森永製菓が「タイチロウ モリナガ」ブランドの中で、2019年2月「Cacao Spice(カカオスパイス)」を発売しました。微粉化したカカオニブと、ブラックペッパー、オレガノ、クミン、塩をブレンドしたという、新しいスパイスです。発売前のプレス発表会では、白身魚のカルパッチョや、鶏肉ハム、パスタなどにかけ、試食を出して紹介。開発に関わった森永のチョコレートソムリエ、小野隆さんにお話を伺いました。

カカオは3千年(最新情報では5千年)も前からスパイス等と合わせて飲用され、その相性が良いことは歴史によって裏付けされています。メキシコ伝統料理のモレソースにはカカオが使われていますし、弊社でもカレーにチョコレートを入れてコクを出すという販促に力を入れていた時期がありました。自分自身でも、カカオを使った料理を食べに行ったり、カカオニブを料理に試してみたりしました。そんな中で職場からの後押しもあり、具体的に開発に着手することになりました

タイチロウ モリナガで限定販売したカカオスパイスの写真

タイチロウ モリナガで限定販売したカカオスパイス。スパイスの入ったパックと、保存用ガラス瓶、巾着袋が付いて1,000円。ギフトにも使えるよう考えられたデザイン。

具体的な開発期間は1ヶ月くらいだそうですが、小野さん自身は1年程前からアイデアを膨らませ、趣味として個人的に実験していたそうです。
開発で一番大変だったことは、カカオを微粒子化すること。カカオスパイスに使われているカカオは、カカオ豆の粒子(一般的な粉末のココアはカカオ豆からカカオバターを搾り取ったもの)。油脂分が多く、細かくしていくと通常は粒子にならず、ペースト状になってしまうそうです。それを粉末の状態に維持する技術が必要で、大きな設備投資をせずに対応することは困難を伴いました。

カカオニブではなく、粒子にする必要があったのは、用途を広げるためです。胡椒挽きのような容器にすると高価ですし、粉末の方が他のスパイスとブレンドしやすく、料理にも合わせやすい。例えば酢に粉末をふりかけて、餃子の付けだれにするなどの提案ができました。また、できるだけオールマイティーに使用でき、カカオの特性も活かせるよう、配合にも苦心しました。カカオの風味を全面に出すと料理との相性が悪くなったり、合う料理の幅が狭くなったりもします。オレガノやクミンを隠し味に加え、その丁度良いバランスを見つけることが大変でした

バレンタイン前の時期に数量300個限定で、JR東京駅構内にあるタイチロウ モリナガの店舗のみで発売。小野さん自身も店頭に立ち、チーズにかけたものを試食してもらいながら販売しました。
実際に食べてもらって説明すると、おいしさを理解して購入に繋がることが多かったそうですが、一見するとなんの商品か分からないため、ただ置いてあるだけでは手が出にくかったようだといいます。最初は全部売れるか心配だったそうですが、結果的には追加販売も行い、まずまずの売れ行きだったとのこと。

筆者自身も購入して家で使ってみましたが、肉料理はもちろん、カブやじゃがいもなど根菜類によく合い、アイスクリームなどのデザート、ミルクティーにも使え、幅広く活用できました。今回の分は完売で、今後の販売はまだ未定だそうです。

カカオスパイスを開発した森永のチョコレートソムリエ、小野さんの写真

カカオスパイスを開発した森永のチョコレートソムリエ、小野隆さん。自他共に認めるカカオマニアで、さまざまな素材を集めては、自宅でも日々研究を行っています。

ここ数年、カカオを利用した調味料やレストランでのカカオアイテムも時々見られるようになってきました。カカオには臭みを消したり、素材の風味を引き出したり、コクを出したりする作用があることを実感しています。カカオを料理に使用するシーンは、今後も増えてくると思っています。カカオが持つ不思議な力に自分自身が魅了されており、その面白さ、可能性をもっと広めていけたら嬉しいです

まとめ

チョコレートを使った料理や食品は以前からありましたが、カカオという素材の持つ特性や生産の背景を理解した上で、その道に精通したプロが本気を出して取り組んでいる例をとても興味深く感じました。
世界中で愛される魅力的な食品である一方、多くの闇を抱えるカカオ。一流のプロ達がカカオの新しい可能性を探り、疑問を呈することで、カカオという農作物の科学的解明や、カカオを取り巻く社会問題など、さまざまなメッセージを投げかけることができるのではないでしょうか。

■取材協力

企業名 株式会社三越伊勢丹 サロン・デュ・ショコラ
企業名 森永製菓 TAICHIRO MORINAGA