大好きな飲食業界で、「経営のプロ」の道を極めたい/株式会社ワンダーテーブル 秋元巳智雄氏

設立は1946年。海運事業約50年を経たのち、約20年もの間、外食産業で新たなる歴史を重ねてきた業界の老舗企業「株式会社ワンダーテーブル」。その代表取締役社長に今年6月に就任した秋元氏はグループ内で初めて、創業者一族以外から選出された生え抜きの経営者。今、何を重んじ、これから経営者としてどんな役割を果たされようとしているのか、またその目線の先にはどんな展開を見据えているのか。独自の経営ポリシーをクックビズ藪ノが紐解きます。

ノウハウは身に付いたけど、人脈もお金もまだまだ少なかった20代。さらに大きな力をつけるため、選んだのはゼロからのスタート。

藪ノ:非常に歴史が長い会社ですよね。元は、海運事業の会社だったと伺いました。秋元さんがご入社されたのはいまから何年前なのですか?

秋元氏:16年前の1996年の入社です。元々は別の会社に勤めていて、今の会社は当時のクライアントだったのです。当社の前身は、富士汽船という会社で、商船三井の関連会社で海運事業を営む東証二部上場企業。

海運業をルーツに1946年から続いて来た老舗企業に、総合レジャーのグループ「ヒューマックスグループ」が資本参入。経営の厳しかった二部上場の海運会社を、総合レジャーの会社が大株主としてグループ内に吸収するカタチとなった。

グループの方針で飲食事業に本格参入した当時は、“商船会社がイタリアンを出店”という、何とも不思議な形態で事業を推進していたのですが、2000年の規制緩和で社名も「株式会社ワンダーテーブル」に変更。飲食業らしい名前に変え、海運業からも撤退しました。いわば2000年こそが私たちワンダーテーブルのスタートライン。2年後の2002年には、前代表の林が代表就任、私は役員に。以後ふたりで経営を手がけること10年。今年の6月、林に代わり私が代表取締役社長へと就任。現在に至る、という訳です。

藪ノ:一般的に飲食では、「自分がオーナーになって独立開業しよう」という人は多いですが、外食企業の取締役になってキャリアを積む、というスタイルは珍しいですよね?
初めからそう心に決めてたのですか?

秋元氏:いいえ。実際に20代の頃は、飲食で独立開業するのが夢でした。学生時代から、スーパーバイザーとか店長とか、飲食業界でいろんな仕事をしていましたから。もっと飲食業を学ぼうと、まずはコンサルティングの会社に入社したのです。当時、仲間でお金を出し合って、お店も3軒くらいやっていました。20代半ばのことです。自分たちで店もしたし、コンサルティング会社にも勤め、事業計画やプロデュースのノウハウは身に付きました。ただ若さゆえまだまだ人脈もなく、自分で動かすお金も限られていた。当時の自分の実力でそのまま独立しても、出来る事は限られていると感じたのです。

このまま一生懸命はたらいてコツコツと大きな事業にするより、もう一度ゼロからスタートしてより確かな独立を目指そう、と決心。より力をつけるため、より大きな仕事をするため、より人脈をつくるため、コンサルティング会社を退職し、この会社に入社したのです。

独立を考えた始めた矢先、仲間が一足先に独立。「じゃあ、経営のプロになろう」と決めた瞬間

藪ノ:ご入社直後はどのような役割だったのですか?

秋元氏:当時は、アシスタントマネージャーという立場で入社しました。まずは店舗を管理する部門を担当しながら企画部門を創設。マネジメントを組織化していくことから着手しました。翌年にはマネージャーになり、その翌年には副部長、そのまた翌年には部長にと、年数を重ねるうち、会社も成長し知名度もずいぶん上がってきたのです。

入社当初よりも随分いい会社にもなってきた、じゃあそろそろ自分で会社をやろうか、と思い始めたちょうどその頃、一緒に経営の中核にいた仲間の数人が先に辞めてしまったのです。それまでは彼等と僕と、前社長の林と4人で、新規事業をつくったり会社を運営したりしていたので、途端に辞められなくなってしまって(笑)。

それまで私が担当していた営業とかサービス、マネジメントに加え、購入とか、調理スタッフのマネジメントとか、辞めた幹部の業務も私が一気に兼務。その後、林が代表に就任。時を同じくして私も役員に就任。そのタイミングで私の抱いていた「独立」という小さなビジョンは、いったん捨てよう、と考えが変わったのを覚えています。

藪ノ:「独立」のビジョンをいったん捨て、次に抱いたビジョンは何でしたか?

秋元氏:「外食企業の経営のプロ」になろう、ということです。その時感じていたのは、創業者の経営センスひとつで、売上100億や200億円にまで成長している企業は多いけれど、外食企業でいわゆる「経営のプロ」といえる人があんまりいないなあ、ということ。

創業者一族でない私がこの会社で役員にまでなれた以上、外食産業における「経営のプロ」になることこそが、私のミッションなんじゃないか、社会に貢献出来るポイントなんじゃないか、そう考えるようになりました。いわゆる「企業経営のプロフェッショナル」という職業、そこを目指すようになったのです。

藪ノ:確かにオーナーの魅力や人間力で、会社を大きくしている企業様は外食業界には多いですね。

秋元氏:もちろんそれが悪い、という意味ではありません。外食業界には「経営のプロ」という“職業”の人が少ない、というだけです。でも他の業界では割とよく見られますよね。例えば「銀行の頭取」という職業も同様。20人くらいいる役員の中で、「経営のプロ」にふさわしい人が組織のトップに選ばれる。日産もそう。国内にはいなかったから、国外の経営者(カルロス・ゴーン氏)を連れて来た。マクドナルドの原田氏も同じ。違う業界からやってきてマクドナルドを再生させた。まさに典型的な「経営のプロ」だと思います。

ただ、原田氏の手がけるフィールドと私たちが手がけているフィールドはまったく違う。原田氏が手がけるのはファストフードチェーン。私はレストランビジネス。だからこそ私は、当社が勝負しているこのフィールドで「経営のプロ」になり、自分がベンチマークになりたい。この業態でプロの経営者としての道を極める事が、私に課されたミッションだと認識しています。

藪ノ:日本そのものに「経営のプロ」が少ないのですか?

秋元氏:特に外食に限ってはそう言えると思います。なぜなら、オーナーのセンスだけで百億円単位までも成長できてしまうから。10店舗、20店舗出店できるいいコンテンツがつくれる企業は10億、20億円まではいける。但し、オーナーがいなくなると途端に困る、という大きなデメリットもあります。経営者が育つ土壌も少ない。つまり、企業をマネジメントするノウハウではなく、あくまでオーナーの力によるところが大きいのです。だからこそ私のような経験は、飲食業界全体にとっても大切になると思うのです。

藪ノ:役員から代表取締役になられて、何か大きな変化はありましたか?

秋元氏:やはり「責任」が違います。もちろん、出店や大きな方針は、親会社や前社長に聞く事もありますが、デイリーな事は自分たちで決める。いままで林とふたりで決めていたことも、私と部長を中心とした幹部社員で決める。前社長の林は、当社の会長ではあるが、親会社の社長としての立場が強いので、業績が悪ければ責任を追及する立場になった訳です。社長になってからは、厳しさが変わりましたね。

ただ、基本的には自分のミッション=外食企業の経営者のプロになる、だと思ってやっていますし、せっかくいただいた役割なのでシビアでもやり抜きたい。しっかりこの環境で後継者を育てること、事業をちゃんと推進することが、社長としてのミッションだと思っています。まずは5年から10年。そのあとの10年は、またその時になって考える、そのくらいの気持ちでやっています。

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