大阪は北摂に位置する吹田市。御堂筋線「江坂駅」から歩いて15分ほどの閑静な住宅街の一角に「旬彩天 つちや」はある。2010年より5年連続でミシュラン2ツ星を獲得。店主の土阪氏が旬の食材で彩る天ぷらと日本料理には、贅沢な驚きと、あたかもその人柄が伝わるような“やすらぎ”さえ感じる。若いスタッフたちと一緒に店に立つ姿が印象的な土阪氏。料理人としてどのように成長され、いま、どのようなお店づくりに取り組んでいるのか、語っていただいた。

インタビューのポイント

point.1 料理人人生の節目に必ず現れた、恩人となる人の存在
point.2 料理も経営も、「不」からの発想で考えるのが土阪流
point.3 メンバーの教育は、「半クラッチ型」、その上で仲間にパスのできるチームを目指す

 

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寿司職人の魚さばきに憧れて料理の世界へ

この世界に入られたきっかけは?

土阪氏:
僕の父親は大工の棟梁で、滋賀の田舎で工務店を営んでいました。ただ僕には兄がいて、父のあとを継ぐわけでもなかったんです。高校に入っても、将来何をしたいというのが全くなくて、クラブ活動したりアルバイトしたり、普通の学生でした。2年生の夏休みに、小さなスーパーでアルバイトを始めました。その時にたまたま配属されたのが、魚売り場だったんです。ラップして重さを計ってテープを貼って陳列するという簡単なアルバイトでした。

ある時、お造りの盛り合わせのオーダーがあり、近くのお寿司屋さんがヘルプで来たんですね。そこの職人さんが重さ10キロを超える鰤(ブリ)をものの見事に、うろこをかいて、腹を開けて、内臓を取って、水洗いして、おろして、お造りに敷いて、あっという間に仕上げていったんです。その姿に僕は圧倒されました。

「魚をさばくってカッコいい。料理ができるってカッコいい」という本当に単純な感動です。毎日の食事を作ってくれる母親にも「これ何が入ってるの?」「これどうやって作ったん?」なんて聞きはじめて。卒業後は大阪にある調理師学校の寮に入り、料理人をめざして1年間勉強しました。

18歳、生涯を通しての師匠に出会う

最初に店に入ったのはいつでしょう?

土阪氏:
調理師学校に在学中、寮で斡旋してもらったアルバイトで、いわゆる高級串揚げ店に入ったのが最初です。店主は日本料理で腕をみがいた方で、串揚げと日本料理のお店でした。この方が、僕の生涯を通した師匠となる牟田(むた)さん、「おやっさん」です。今は京町堀(西区)で「鮨 む田」という寿司店をされています。

 

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