フランス料理界の巨匠ジョエル・ロブション氏のレストランの中でも最高峰のブランド「ガストロノミー “ジョエル・ロブション”を含むロブションブランドのレストラン全店」と、パンとお菓子の専門店「ラ ブティック ドゥ ジョエル・ロブション」のパティスリーを統括する久我倫朗氏。世界トップブランドの店のデザートを作るシェフに求められる資質とは何であり、久我氏はいかにしてその資質を磨いてきたのだろうか。

インタビューのポイント

point.1 新人時代からさまざまな仕事を任され、成長が促進された
point.2 能力を引き出してくれる先輩との出会いの重要性
point.3 最高のクオリティを求める環境に身を置いてこそ学べることがある

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「何でもやらせてもらえる」というより「やるしかなかった」

世界最高の料理人の一人と言われ、今も尚、世界の美食家からの賞賛を一身に受け、料理界をリードし続けているジョエル・ロブション氏が1994年に開業した「シャトーレストラン ジョエル・ロブション」はまさに“お城”。フランス・ルイ15世時代(18世紀)の建築様式を取り入れ、窓枠や扉などはルーブル美術館の補修工事を手がけるベロー社に特別注文。料理はもちろん空間デザインやサービスまで徹底して最高級を追求している。その“お城”の中でも最上ランクの「ガストロミー」で腕をふるうのがパティシエの久我氏だ。

 

幼稚園のころから「お菓子屋さんになりたい」とおっしゃっていたとか?

久我氏:
母がちょこちょことお菓子を作っているのを見て、面白そうだなと思ったんでしょうね。高校時代には当時人気の料理バラエティ番組『料理天国』もよく観ていましたし、食全般に関心はありました。現実的にお菓子の世界に入ろうと決めたのは、高校3年で進路を考える時期になってから。小さいころからものづくりが好きだったので、技術者になりたいと思いましたが、油まみれになって機械いじりをするタイプではなくて。食なら好きだし、続けていけるだろうと食関係の技術者を目指すことにしたんです。

 

料理人になることは考えなかったのですか?

久我氏:
料理人の世界は厳しくて、10年、20年でようやく一人前になれると思っていた。でも、「お菓子なら、数年でひと通りの技術が身につけられるよ」と人から聞き、お菓子の方が若いうちからいろいろなことに取り組めるんじゃないかと考えたんです。とにかく早く技術を身につけたいという気持ちがあったので、専門学校も座学よりも実習に力を入れているところをと選び、「エコール辻 東京」で1年間学びました。

 

最初の就職先は新潟県の「NASPAニューオータニ」。どんな職場でしたか?

久我氏:
「NASPAニューオータニ」はスキーリゾートホテルで、僕が就職した90年前半は全盛期。当時の地方ホテルには珍しく製菓部門が独立していました。独立した製菓部門がないレストランに入ると、パティシエが料理の下処理もするといったことは珍しくありません。僕の場合、製菓専門でキャリアのスタートを切ることができたのはとてもよかったと思います。

 

修業は厳しかったですか?

久我氏:
甘くはありませんでしたが、実は、来る日も来る日もグレープフルーツの皮むきをするというような、下働きのつらさを僕は経験していないんです。というのも、職場のパティシエ4人のうち3人は同期で、上司はシェフだけ。人手が足りないというのが大きかったんでしょうね。下働きももちろんしましたが、技術をシェフからすぐ教えてもらえ、1、2年でひと通りのことができるようになりました。

 

何でもやらせてもらえたんですね。

久我氏:
むしろ、「何でもやれ」というような状況で(笑)。何でもやるしかなかったんです。オフシーズンには東京のニューオータニにヘルプに行く機会もあり、規模や客層の違う職場を見られたのも勉強になりました。東京にはほかのパティシエと交代で行くので、NASPAニューオータニには僕ひとりがポツンと残され、菓子部門の仕事をひとりでやるというようなことも。早いうちにひと通りの業務を経験できたのは、後々すごく役に立ちました。

 

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