暖簾をかけたら、かけ続ける覚悟を。レストランで育った人材・ノウハウで、新しい業態を生み出す。

生田:かめいあんじゅ様は、ビストロからスタートし、イタリアン・製パン・製菓と事業を拡大されてきておりますが、どのような背景で成長されてきたのでしょうか。

真鍋氏:かめいあんじゅは41年前、日本にはまだなかった、ビストロをオープンしました。創業オーナーの杉山は、もともと東京の高級フレンチレストランに勤めていたのですが、高級店だと富裕層のお客様がターゲットとなり、若い年齢層のお客様が来れば、財布の中身が空になってしまう・・・そんな状況に違和感を感じ、自分が飲食店をやるなら、庶民的なお店にしたいと決意。杉山自身、フランスへ渡った時、安くておいしいビストロが繁盛している様子を見て、日本でもビストロをやっていこうと強く感じたそうです。

そんな経緯から、かめいあんじゅでは、「よいものをより安く提供する」という想いのもと、創業以来、フレンチならビストロ、イタリアンならトラットリア、ピッツェリアなど、日本で言えば、蕎麦屋や食堂、居酒屋といったような、大衆食カテゴリーを中心に事業を展開してきました。

生田:現在、約20店舗を展開されています。ここまでの店舗数拡大というのは、昔から念頭にあったのでしょうか。

真鍋氏:当社は「拡大」を目指していません。「継続」というのが最適かと思います。暖簾をかけた以上、かけ続ける責任がある。オープンした場所にお店があり続けるというのが、最大のお客様サービスだと考えています。

「継続」をする中で、レストランには人が育ってきて、ノウハウがたまっていきました。そうすると、いろんな新しい方向性が出てくる。フレンチビストロを運営する中で、イタリアンにも挑戦したいというスタッフがいたから、イタリアンをはじめたり。また、ケーキが得意なスタッフがいたのがきっかけで、そのスタッフを2年間フランスで修行してもらい、半年で製菓部門を立ち上げ、「アルション」をオープンさせたり。お客様のニーズはもちろん前提としてありますが、レストランで育った人やたまったノウハウを融合させ、時代のニーズにあった業態を生み出してきました。

当社にとって、レストランは人材育成の要、人を育てる場所であり、ノウハウを蓄積する場所。伝統を続けていくところです。そこから出てきた人材が、自分のアイデアや感性を活かし、新しい事業を作っていく。そんな流れができていますね。あくまで、職人としての価値観、「よりよいものをより安く」という根っこは同じ。その流れの中で、「バルマル」のように多店舗展開を目指したビジネスモデルも生まれました。

大ヒット業態・バルマル。スペイン×NY×ワインバーを掛け合わせた、業態開発秘話。

生田:近年では、スペイン居酒屋「バルマル」の業態が大ヒットされており、こちらはライセンス店が30店舗を突破したと伺っております。バルマルはどういった経緯で生まれたのでしょうか?

真鍋氏:「スペイン料理で独立したい」という社員が出てきたことがきっかけです。また会社として、社員に対して「独立」という一つの出口を用意したいということも考えていました。「レストランほど投資がかからず、確実に利益を創出できる業態とは?」を考えて生まれたのが、バルマルです。

バルマルが生まれた2006年当時、バルが流行っていたから作ったわけではありません。「よいものを安く提供する」というかめいあんじゅの観点からすれば、スペイン料理で言えば、やはり手がけるならバルになってくる。当時の日本では、大阪にスペインバルは数軒ありましたが、客単価5000円くらいで敷居が高い店ばかりでした。そこで、「バルの本質は何か」を調べるために、スペイン現地へ視察に出かけました。スペインは近代史において、日本が経験したことのない大不況を経験してきた国。大不況を乗り越え、残っている飲食店は何か?それがバルだったんです。バルは比較的狭く、スタッフの数が少なく、経営効率がいい。また、飲料比率が高く、「ここのバルはエビがうまい」「こっちはカタツムリ」など、各店ごとにウリがはっきりしていることが分かりました。

スペインでバルといえば、日常の中の息抜き。気軽に使えるのはもちろん、楽しさもプラスアルファしたいと考え、ヒントを探しに、ニューヨークへ視察に行きました。NYの飲食店は、他国の文化をデフォルメして分かりやすく紹介していることが多いためです。NYのスペインバルでは、大きな音楽でワイワイにぎやかとした空間を演出していました。大きな音楽を流すことで、あえてワイワイ大きな声でしゃべれる空間にする。そうしたらお客様の会話も自然とテンションが高くなり、にぎやかな雰囲気を演出できると、バルマルでも採用することにしました。今ではスペインバル=赤というイメージが多いですが、それを作ったのもバルマル。スペインに真っ赤なバルなんてないんですよね。テンションの上がる赤をイメージカラーにして、さらに来店時の緊張感を和らげ、話しやすい空間になるようにと、円卓を採用しました。

また、26種類のワインを2500円の均一価格にしたことも大きな特徴ですね。たとえば、ワインの価格表が1500~1万円だったら、もし彼女とデートで来ていて1500円のものは頼めないし、かといってどの値段を頼めばいいか分からない。ワインに手が伸びない・・・というのが現状のワインバーの問題点ではないかと考えました。ワインは本来楽しい飲み物なのに、頼みづらいという現実がある、それなら均一価格にしてしまおうということになったんです。スペイン×NY、さらに現状のワインバーが抱える問題を取り除いてつくったのがバルマルということになりますね。

生田:バルマルの直営店は2店舗、あとはライセンス展開になります。初めてのライセンス展開ということで社内から反対意見は出なかったのですか?

真鍋氏:もちろんありましたね。ですから、バルマルを作った社員に代表取締役社長になってもらい、分社化して別会社(株)アプレシアで展開しています。分社化しているから、ライセンスとして店舗展開が広がったのだと思います。

生田:そういった柔軟な組織風土も、かめいあんじゅ様の強みですね。

25歳で挫折。「残ろう」と決めたら、自分が変わるしかなかった。逃げない選択。

生田:次は、真鍋様の仕事観や労働観について伺いたいと思っております。現在、かめいあんじゅ様の社長として活躍されていますが、挫折の経験というのはあったのでしょうか。

真鍋氏:それは何度もありましたよ。初めての大きな挫折は、25歳のときですね。もともと小器用で、人より負けず嫌いだし、自分勝手なタイプ。それまでは調理やサービスも何とかこなしており、お店のリーダーとして、経営面も任せられるようになっていました。ですがスタッフとの信頼関係が築けておらず、あるとき、スタッフみんながドッと離れてしまったんです。誰も私のことをわかってくれず、人がどんどんやめていく。リーダーシップというより、人をひっぱっていくのが強かっただけ。コミュニケーションも一方的で、ひっぱられている人間を見ていなかったんですね。そして、リーダーの業務からはずれ、ピザ場専任になりました。日々、喪失感を感じながら過ごしていましたね。

生田:そんな状況をどうして打開できたのですか?

真鍋氏:環境から逃げなかっただけ、ですね。そのとき辞めてしまって、職場を変わっていたら、他の場所でえらそうにしてたと思います。ただ「辞めない」と決めたら、自分を変えるしかなかった。

ピザ場に入った当初は、「何でうまくいかなかったんだ」と現状を受け入れられずにいました。そんなある時、オーナーの杉山が店に来て「残っている人間のことしか、見れないしな」と、ぽつりと言ったんです。「残っている人間って自分のことか・・・」そう思ったら、涙が出てきて。こんな自分でも見捨てずに見てくれていた杉山の想いを知り、ここにいると決めたなら、自分を変えよう、変わっていこうと決意したんです。

そこからは何が悪かったのかを冷静に振り返るようになっていました。以前の自分は、人の話を聞く姿勢や誠実さがなかった。人を引っ張るだけで、モチベーションを上げるのができていなかったんだと思って。自分のやり方をかえてみようと、何か言う前に一息おいて話してみたり、すぐに怒るのではなく、「どうしたの?」と理由を聞いてみたり。当初は本当に恥ずかかったし、かっこわるいと思いましたね。けれどそういう姿勢を続けることで、周りの反応がだんだんと変わっていったんです。

生田:「変わろう」ではなく、「残ろう」という選択肢だったんですね。残るためには、自分を変えるしかないと。飲食業界は離職率の高さがいつも注目されていますが、環境をかえるのではなく、環境を変えないからこそ成長できたという真鍋様の話は、飲食人の方々には非常に参考になるのではないでしょうか。

料理人なら20代で料理バカになったかどうか。好きなことで自己実現をするのは幸せ。

生田:料理人として成功する人、しない人の違いは何だと思われますか?

真鍋氏:料理って、今はたくさんのレシピも公開されていて、形だけは誰でもできる時代になっています。料理人として生きていくのなら、料理を馬鹿にしないこと、愛すること。ジャガイモの皮を丁寧にむいたりといった、ちょっとした手間を惜しまないことが大切だと思います。
名だたるシェフは、20代は料理とトコトン向き合っていると思います。料理を馬鹿にして20代を過ごしたら、大切なものがかけている料理人になってしまう。実力が100点ある人が作った簡略した料理と、70点しかない人が作った簡略した料理には、大きな差異があります。また、良い料理人は人を育てています。自分の料理を具現化してくれる人がいて初めて、レストランが成立するのですから、人を育てられないと独立もできません。

自信がなくなったとき、壁にぶつかったときは、勉強しかない。勉強で自分に自信が生まれる。

生田:困難を感じたとき、壁にぶつかったとき、乗り越えるためには何が必要だと思われますか?

真鍋氏:困難を乗り越えるきっかけを自分で作るには、勉強しかないと思います。少しでも壁にぶつかった時、自分で勉強してなにかひとつきっかけを作れたら、自分も今まで言えなかった一言が言えるようになるし、まわりの対応も変わってきます。くさらず、勝てなくても負けない小さな努力をしていくしかありません。

私自身の経験で言えば、25歳で挫折したとき、もう一度料理の勉強し直して、信用を回復するきっかけのひとつになりました。また30歳のとき、製菓部門へ異動し、何も解らず自分より若い子たちに教えてもらっていたとき、自分の一区切りとしてソムリエを取得して、少し自信を高めました。

生田:自信のない時こそ、勉強して自信を取り戻す、ということですね。最後に、これから成長を目指す若い飲食人材の方々に、何かメッセージをお願いします。

真鍋氏:職人の世界は、「料理が好き」「お菓子が好き」など、好きだから入ってくる人が多い世界です。けれど、好きな気持ちというのは、例えば仕事が厳しかったり、職場の人間関係がうまくいかなかったり、何かのきっかけで変わってしまうことも多いものです。ですから、最初の気持ちをしっかりと持ち続けること。好きな気持ちを紙に書いたり、腹に押し込んで忘れないようにしておくことが大事です。

好きなことで自己実現したら、人生は幸せだと思います。そこに行くまでは大変だけど、40代、50代で人生を振り返ったとき、好きなことを追求していれば、人生が一本の線になってつながる。好きで始めたものの、楽しさ、やりがいは測りしれません。レストランは、記念日や大切な人と過ごす、ハレの日を過ごしたいと考えるお客様が多く、そこでお客様を喜ばすと、本当に喜んでくれるんです。人に喜んでもらってお金をいただくという飲食の仕事は、精神上は非常にいいことだと思います。

経営者になった今、レストランは人を育てる場であるということを日々感じます。店舗に行けば、お客様に喜んでいただくために、料理や接客をしたり、リーダーシップをとっている人間がいる。あの手この手と、スタッフ同士アイデアを活かしている、臨場感あふれるお店の現状を見たとき、レストランって人が育つ場所だと実感します。自分が現場で働いていたとき以上に、レストランってかっこいいなと思いますね。

編集後記

小学校6年生の時、コックさんになりたいと思ったのがきっかけで、料理の世界を志したという真鍋氏。インタビューの中ではさらに、「かめいあんじゅには、料理、ワイン、お菓子などの分野で、私よりすごい人がいっぱいいる。今会社の中で私の役立つ職務として、社長という役割を任せられているんです」「中小企業は人が何より大事です。裏切るのも人ですが、支えるのも人ですから。今後も当社では、人を育てる風土であり続けたい」ともおっしゃっていました。

かめいあんじゅという企業の特徴から、真鍋氏の仕事観、労働観まで、たくさんのことをお伺いさせていただきました。飲食人の現場で従事する方はもちろん、経営に携わる方にも興味深い内容が多かったのではないでしょうか。真鍋社長、ロングインタビューにご出演いただき、ありがとうございました。

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