今回お話を伺ったのは、「AWキッチン」「やさい家めい」等、計23店舗を展開する株式会社イートウォーク 渡邉 明社長
前回インタビューさせて頂いた株式会社ダイヤモンドダイニング 松村 厚久氏がご推薦人です。先日、株式会社クリエイト・レストラツ・ホールディングスのグループ入りを表明されたばかりですが、その発表直前の貴重なインタビューです。自らが先頭に立ち、経営者として、食のクリエイターとして組織を牽引し続けた10年に、クックビズ藪ノが切り込みます。

料理人に憧れたのは子供の時に読んだ漫画の影響。一度、電機メーカーに就職してから飲食の道へ。

藪ノ:まずは料理人からキャリアをスタートされた渡邉社長ですが、なぜ料理人を志そうと思ったのか、最初のきっかけから教えてくださいますか?

渡邉氏:子供の頃から料理は好きでした。当時「包丁人味平」という料理マンガがありまして、その主人公にあこがれていたのですね。ところが、現実的には、高校の電気科を卒業し、情報処理の専門学校に進学。社会人のスタートはパイオニアというオーディオ機器の会社に入社したのです。

子供の時から料理人にはあこがれていましたが、当時は、今と違って、本当に料理人で食べていけるの?という感覚でしたし、もっと単純に料理人がカッコいいという時代ではなかったのです。ところが、料理は好きなので、サラリーマンをしながら、土日休みを利用して飲食店でアルバイトを始めるわけです。並行して仕事をしているうちに、周囲の人からも「こっちの方が向いているんじゃない?」と言われるようになり、実際には飲食店の社員の方が給料が高かった。そんな理由から、結局、最初から憧れを抱いていた料理の世界で生きることに決めたのです。

藪ノ:かなり違った方向からスタートされたのですね。その当時から、いつかは独立開業をしようという意識はあったということでしょうか。

渡邉氏:いえいえ、全然でした。例のマンガの延長で、いわゆる“スーパーシェフ”になって、最後は船に乗って海外に行くという、主人公と同じようなオチを思い描いていました(笑)。

藪ノ:では、キャリアを積む中で独立に対する意識を抱くようになっていったのですね。様々な企業で経験を積まれてきた渡邉さんですが、どの時点で明確になっていったのでしょうか。

渡邉氏:明確に意識したのはレインズインターナショナルに在籍していた時でしょう。それ以前にお世話になっていたグローバルダイニングでは、一切考えていませんでした。グローバルダイニングの中でナンバーワンになりたいと思って入社し、結果的にそのようなポジションとなり、居心地も良かったですし、収入にも満足していた。ところが、社内でも自分で新しい業態を作ったりするミッションが与えられるようになり、徐々にそれが面白くなってきたのですね。そのタイミングでレインズから声が掛かってきて、自分がやりたいと考えていた業態の立ち上げからすべてを任せてもらえるという。そこで、グローバルを卒業してレインズにお世話になることに決めたのです。

藪ノ:渡邉さんの実力が買われてスカウトされることとなったわけですね。そこでレインズさんに移籍し、今度は明確に独立を意識するようになったと。

渡邉氏:レインズの代表と一緒に事業を展開していく中で、やはり本当の独立とは、自分で事業資金を借りて、リスクを負ってやるものだと。経営のプロを間近に見ていて、そういう意識を持つようになりました。もちろん、性格的に自分でやるからには周囲のサポートは一切うけず、すべて自分でやってみたいという気持ちもあり、独立に踏み切りました。

藪ノ:実際に独立されていかがだったでしょうか。

渡邉氏:最初の半年は苦労しましたが、やはり楽しかったですね。金銭的に苦しくても、人間切り詰めれば何とでもなりますし、楽しい気持ちの方が先行しました。店舗数を増やしながら、徐々に事業を拡大していきました。しかし、そんな折に、東日本大震災を経験し、個人経営の弱さが露呈したのです。やはり、バックにホールディングス等が付いているわけでもないので、資本に限りがあるとキャッシュフローが追い付かなくなります。そこが私の人生のターニングポイントとなったのは確かです。

3.11を経験して学んだこと。それはお客さんの喜びと経営のバランス。

藪ノ:メディアを通じて拝見している限りでは、3.11以前も以降も変わらず活躍されているように映っていたのですが。かなり大きなダメージを感じられていたのですね。

渡邉氏:そうですね。当時は大型の商業施設への出店を中心に展開し、六本木ヒルズ、表参道ヒルズ、新丸の内ビルディングという3本柱における売り上げのウエイトも大きかったのですが、震災以降、節電の影響もあり、施設自体が20時や21時で閉店するという状況が続きました。会社に潤沢な留保金があるわけではないですから、この状態が3ヵ月も続いたら人件費・固定費すらまかなえなくなる。これが1、2店舗だったら、切り詰めさえすれば何とかなるわけですが、個人経営ではありましたが、すでに多店舗展開していたわけですからね。かなり大きな危機感を感じたものです。

藪ノ:あれから2年経った今では、どんな状況でしょうか。

渡邉氏:リーマンショックの際もそうですし、3.11以降も深夜の時間帯の集客が思うように伸びなくなり、それ以前に比べれば、売り上げ自体は大きく落ち込んではいます。しかし、特に3.11の経験は大きな教訓になっています。それまでは全力で走ってきて、お客さんにとって魅力的な店づくりをするために、あまり利益を残すということなく、投資による拡大、クオリティのアップを進めてきました。要するに、売り上げをあげるためにこうしようと、様々な企画や販促を掛けてきたのですが、以降はそれを見直し、利益ベースの経営を意識するようになったということです。しかし、利益だけに目をやっていると、お客さんにとっては、つまらないレストランとなってしまいます。経営もしっかりやっていきながら、お客様にもちゃんと喜んでもらえるような、そのバランスが大切なのだという意識を持つようになりました。もちろん、簡単に答えは出ませんけれどもね。

藪ノ:超一等地の商業施設にテナントとして入られていますが、個人経営のお店ですと、そう簡単に入れるものではないのですよね。

渡邉氏:まあ、そうですね。たぶん、個人経営でやっているところでは、ウチとミヨシコーポレーションさんくらいではないですかね。私たちには、ブランド力というより、我々が商業施設に入ることで、商業施設自体の価値をあげる自信があります。テナントとして期待され、リーシングの候補として名前が挙がるのは大変うれしいことですね。

経営者としての魅力を若いスタッフたちにも与えていきたいし、旗振り役として社員を引っ張っていきたい。

藪ノ:少し話が戻るのですが、料理人としてスタートされ、それから“食のクリエイター”へとご自身の意識が変わっていったのはいつ頃からのことでしょうか。

渡邉氏:グローバルダイニングに在籍していたころからそう思っていました。レインズではクリエイターというより、経営の楽しさや苦しさを叩き込まれましたし、慣れない資料作りに時間を取られ(笑)、なかなかクリエイティブに意識はいかなかったのですが。その両社を経験したことで、クリエイティブと経営の両方が力をバランスよく獲得できたと思っています。飲食店を3店舗ほど持つというのは単なる“商売”という意識があって、独立してAWキッチンの一号店をオープンした時から、自分は店舗経営をしていくのだという意識を持っていました。当時から、8人のスタッフ全員で週一回のミーティングを行い、この場がいずれ“店長会議”となるようにしようと言ってきましたし、今では実際に全員が店長となりました。

藪ノ:最初から、組織を意識した人材育成を進めてこられたのですね。

渡邉氏:当社には「『食』を通じ、人々に活力をあたえるような事業を展開していくことを目的とする。」という企業理念があるのですが、これも一店舗しかないときから掲げてきました。個人経営の店では、なかなかやらないことだと思いますが、事業を拡大していくということは、すなわち自社の利益だけを考えるのではなく、ウチが大きくなれば、野菜を供給してくれる農家さんや取引先をはじめ、すべてのステークスホルダーがハッピーになれる。だから拡大していくのだという思いを、スタッフ全員で共有していたのです。

藪ノ:すでに経営者視点だったということですね。

渡邉氏:そうですね。料理人出身の経営者ってなかなかいないと思うのですね。グローバルダイニング出身者だって、ホール側の人間が経営者となるケースがほとんどでした。私は、グローバルダイニングの卒業生として、後輩たちに希望を与える存在であり続けたいと思っています。私が、グローバルダイニングに入社する際には、社長である長谷川耕造さんと面接をしたのですが、サングラス掛けてジャガーに乗って、面接会場として指定されたカフェバーに颯爽と彼が現れるわけです。「なんじゃこりゃ?」と思いますし、私も若かったですから、「こんなオヤジになりたい」と単純に憧れました。それで、この人についていきたいとか、この会社で天下を取りたいって思うようになったのです。当時の私が感じたような感覚というか、料理人として、経営者としての魅力を若いスタッフたちにも与えていきたいし、リーダーとして引っ張っていきたいという使命感を抱いているのです。

藪ノ:グローバルダイニングの時代に素地が出来上がっていたということですね。

渡邉氏:そうですね。今の経営スタイルのベースとなるものはグローバルで学びました。会社の構造としては、代表が常に旗振り役となり「俺について来い!」と引っ張っていく、“ナポレオンスタイル”であったと思います。他の会社では、若いスタッフに自ら考えさせながら、自分の役割を持たせてスキルを上げていくという手法もありますが、それはリーダー層が技術者じゃないからでしょう。私も、グローバルで学んだ“ナポレオンスタイル”が心地よかったので、現在もそれを継承しているのです。もちろん、最近では、私の下で育ってきたリーダーたちにも少しずつ仕事のやり方を考えてもらうようにはしていますが。

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