料理だけ、じゃない。国を超えて届けたいのは、料理と人が交流できる場所。/有限会社アジアンテイブル 代表取締役社長 東山周平氏インタビュー

今回お話を伺ったのは、「大連餃子基地 DALIAN」「横浜蒸籠」「南国食堂 首里」等を展開する有限会社アジアンテイブル 東山 周平社長。

以前インタビューさせて頂いた株式会社イートウォーク 渡邉明氏がご推薦人です。今年3月にはタイ・バンコクにも出店。グローバルに活躍の場を広げる有限会社アジアンテイブルの代表取締役社長 東山氏の展望に、クックビズ藪ノが迫ります。

セントラルキッチン立ち上げに、不採算店2店舗の運営。 独立直後の波乱を乗り越えたのは、大胆な業態変更。

藪ノ:「アジアンテイブル」を設立した経緯を教えて下さいますか?

東山氏:私の祖父は台湾人で戦後、横浜でずっと事業を手がけていました。父も祖父から継ぎ、事業を行っていましたが、僕は次男でしたのでその後を継ぐ予定はありませんでした。家業とは違う形で事業展開しようと考えていたんです。

独立前は、同ブランドで多店舗展開していた父の仕事をサポートしていたんですが、実際に店を間近で見ていると、【レシピはあるのに、店によって全く味が違う】、そんな状況に少し違和感を感じたのです。同ブランドである以上、味の均一化が必要、そのためにはセントラルキッチンが必要だ。その考えに、私自身の独立思考も重なって約11年前、現在の会社を立ち上げたのです。

藪ノ:独立のスタートがセントラルキッチン立ち上げ、というのは非常に面白いですね。

東山氏:正直大変でした(笑)。バラバラだった商品を均一化することが目的だったので。しかしその後まもなく、父の手がけていた事業のうち、不採算店舗だった2店舗を私が買い取り、運営することになったのです。これが私が経営した最初の店舗。実は両方とも中華料理店だったんですよ、しかも隣同士の2店舗で(笑)。片方は餃子屋、片方は小籠包屋さんでした。中華の設備を使いつつ、互いにバッティングせずに何が出来るんだろうかとずっと考えてたんです。

そんな時に沖縄料理店をてがけていた方と知り合うキッカケがあり、お店を見に行ったら「これだ!」とひらめいて。ちょうどその頃、沖縄料理ブームが起きかけてたこともあり、すぐに沖縄に飛んだんです。沖縄で首里城に行き、首里が元々琉球王国で、祖父の祖国でもある台湾からの流れを汲んでいることを知り、より一層縁を感じたのです。根拠はないんですけどね、その縁を信じたのです。その後、小籠包屋さんから沖縄料理店に変え、以来ずっと続いているのが現在の「首里」というお店です。

藪ノ:沖縄料理は中華料理と異なる部分が多いのではと思われますが、実際に業態を変化させていかがでしたか?

東山氏:実は、沖縄料理と中華料理には、通ずる部分がたくさんあったのです。むしろ同じ部分が多いほど。例えば沖縄料理のラフテーは、中国でいうと東坡肉(トンポーロー)という角煮とほぼ一緒なのです。ただ沖縄では材料に黒糖を使っていたり、泡盛を使ったりする違いはありますが、調理方法はほとんど同じなのです。

だったら、自店の中国人スタッフが十分調理出来るんじゃないかと。むしろ、ゴーヤチャンプルなどは中華鍋で炒めていますし、もしかしたらもっと美味しいものが出来るんじゃないか、その発想が当たったんです。炒めるコトに関して優れたノウハウを持った彼らの作る沖縄料理は素晴らしかった。業態を確立しながら、軌道に乗せて行くことが出来たのは、おそらく「首里」の業態変更が最初だったように記憶しています。

藪ノ:中国に縁がおありなんですね。アジアンテイブルという名前の由来も「中国」に?

東山氏:祖父が元々台湾人ですし、少なからず私自身は縁を感じています。ある時、中華街の中国人たちと話した際も、自分の中に祖父から受け継いだ「台湾の血」というものをスゴく感じさせられました。親近感というものでしょうか、それ以来、「台湾」を意識するようになったと思います。それと同時に、日本で働く中国人は出稼ぎのためだけに、来日している人が非常に多いという事実も知りました。

せっかく海を越えて日本にやってきた中国人。だったら彼らが故郷に戻った後も、日本での経験を生かして、また違うかたちで夢を表現できる、そんな事業スキームって作れないか、そう考えたのです。料理を提供するだけではなく、料理と人がひとつの【テーブル】で交流出来るような場を作りたい。それが「アジアンテイブル」という名前の由来です。

さまざまな業種に挑み続けて掴んだターニングポイント、あべのハルカスへの新規出店。

藪ノ:店舗数は10店舗程ですが、業態は非常に多岐に渡られていますね。

東山氏:父がやっていた業態を踏襲しなければならないいきさつもあり、結果的に今の業態数になったのです。ただいろんな縛りの中でも、自分なりに“どんなカタチで新たな提案が出来るのか”、それはいろいろ考えて挑んできました。もちろんそのスタンスは今も昔も同じ。有楽町「イトシア」でスタートした、イートインとテイクアウトの併設型のお店も、自分なりの新しい提案です。

また、私たちの大切なベースでもある餃子専門店の「DALIAN (ダリアン)」。現在は中華街や麻布十番店の路面店と、商業施設内の店舗、大きく2種類あるのですが、今後はそれぞれでメニューを変えていく予定です。

沖縄の「アグー豚」や「石垣牛」など、生産者の方との直接取引で安価にいいものを手に入れる体制が出来たので、より素材にスポットを当てて、価格帯も吟味しながら店作りをしていこうと思っているのです。さらにもっと新しいカタチを模索するなら、思い切って「DALIAN」を餃子の“バル”として駅前の路面店で展開したら面白いんじゃないか。このアイデアは先日、「イートウォーク」の渡邉さんともお話をしていたことです。現在の業態は、よりしっかり作り込みつつ、より新たなカタチを模索していきます。

藪ノ:「イートウォーク」の渡邊さんといえば、今回御社と同じく「あべのハルカス」に出店されますね。そのほか出店されるお名前を聞きましたが、かなり豪華な顔ぶれですよね(笑)。

東山氏:そうなんです。今回、あべのハルカスに出店するアジアンレストラン「ASiAN TABLE(アジアンテイブル)」。実はいろんなご縁と、普通じゃあり得ない程のありがたいストーリーがあり、この錚々たるメンバーの中、出店に至りました。本当に感謝の一言、まさに私たちにとっては大きなターニングポイントなのです。だからこそ店名も社名と同じに。これまで大切にしてきた考え方、<料理と人が交流する場>にしたいと思っています。

簡単に流行り廃りの影響を受けて作る料理ではなく、人々の生活に根付く程の「食」への知識やコミュニケーションも大事にしたい。もちろんビジネスなのでお金は儲けなければならないんですが、単に料理を売るだけじゃなくて、国を超えた人の交流も実現したい。今、弊社の“No.2”がタイに行き、実際に現地で料理の勉強をしているのもそのためです。日本でのビジネスと、グアムやタイでのビジネス、すべてにおいて食べ物と人を交流させながら、ブラッシュアップしていくサイクルを作っていきたい。

その昔、父が運営していた餃子屋さん。その餃子をもっと美味しく出来ないかと、渡邉さんはじめ、いろんな方にアドバイスを頂きながら出来上がってきた今の「DALIAN」。そしてその過程の中で、自分自身の考えで「やってみたい!」と想った業態「ASiAN TABLE」。大切なベースは変えずに新しいカタチをしっかりと築き上げて行きたい。ゆくゆくは、東京にも進出していきたいと考えています。

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