子供の頃からの夢を叶えた、最初の独立。数ヶ月後に迎えた韓国での転機

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藪ノ:ところで社長の経歴としては、「ベジテジや」が飲食として初めてだったとお聞きしました。

勝山氏:そうなんです。元々24歳の時に起業したんですが、子供のころから抱いていたビジョンは既に「社長になること」でした。自分のビジョンに近づくためには、そこまでの「近道」を探すこと。これは小学生の頃からずっと変わらない発想で、今現在も私たちのビジネスの基本になっています。

社長になりたいという思いが強かった小学生の私は、当時流行っていたファミリーコンピュータでゲームを楽しむだけでなくて、「流通の基本的な部分」を学んでいました。
題材となったのはゲームの中身ではなく、カセットでした。男の子ばかり3人兄弟の末っ子だった私の家では当時、使わなくなったファミリーコンピュータのカセットの山が、日に日に溜まっていく一方だったのです。まだ中古のリサイクルなどはなかった時代。だったらこの使わないカセットを、試しに通販で売ってみよう、と。

もちろん親には内緒。結果的に計5,000円程、手にしたでしょうか、子供にしては結構な大金ですよね。その後も、身の回りのものを見ては、これは幾らで売れそうだな、と思いめぐらすことが楽しくて仕方なかったのを覚えています。

藪ノ:小学生から売れるものを探していたとは、生粋の経営者ですね!しばらく続けていたのですか?

勝山氏:そうなんです。ただ、そうこうするうち、近所にファミコンショップができて、「あ、この商売はもう成り立たないな」と、判断してやめました。もちろん、その後も父親の建築資材の仕事を手伝いながら、自分で工夫しながら、人にものを売ったりはしていました。周りが進学を考えているときにも、僕には社長になる選択肢しかないなあと。高校卒業したら、社長になるために頑張るぞ!と卒業前から既に意気込んでいましたね。

藪ノ:ファミコンショップが近くに出来てやめる、という引き際もまた的確ですね!小学生のセンスとは思えません・・・。

勝山氏:そんなことばっかりやってた学生時代でした(笑)。高校を卒業するときも、社長になれる一番の近道は何かなと考えたら、父親がやっている仕事だった。建築関係だったら親に教えてもらったり、仕事をもらったりできるかなと思って勤め始めたのです。社会人5年目で独立。いろんな会社のつながりで、営業をせずとも仕事も順調に増えていき、なんの不満もなかった毎日でした。

ただ、しばらく経ったときにふと「なんで好きで社長やってるのに、毎日楽しくないんだろう」と、疑問を抱くようになったのです。自分が求めた一番の幸せ、社長業をやってるのになんでなんだろう、と。おそらく当時はまだ若かったからでしょう、まわりの友人もまだ学生や新入社員ばっかりで、なんだか自分だけが違ってた。決まった仕事をして収入もあって安定はしているけど、なんだか「楽しくない」。そこに違和感を感じ始めたんです。

藪ノ:確かにその年齢ならではの疑問かもしれませんね。

勝山氏:それまでは、一生この仕事で終わりだと勝手に決めていたフシがあったんです、“だいたいこんな仕事、だいたいこんな毎日”という風に。今思えばまだまだ若いのですが、当時は「今さらこの年になって仕事を変える事もできないし・・・」と、自分の人生すら決めつけていたんですね。

そんな私が自らの決めつけに疑問を抱く大きなキッカケとなったのは、はじめて行った韓国への一人旅でした。たった10日間だったのですが、ここでわたしの人生が大きく変わったのです。言葉もわからないのに、もう一回韓国に行きたいと思うような仲間ができたし、とにかくめちゃくちゃ楽しい10日間だった。それまでは毎日毎日休みもなくて、翌日の仕事のことを考えて嫌になったり、朝、目が覚めることが嫌だったり、でもそう思うことが“普通”だと思っていたりして。とにかく、これまでの日本で過ごした日々とはまったく違ったのです。

その時「しんどいことはやめて、楽しいことをしよう」と吹っ切れたのですね。独立してやっていたことを全部手離して、一緒にやっていた人に買った車とか、資材とか、もろもろ全部渡して。もちろんお金もまったくなくなって、たった20万円だけ持って、また韓国行くわ、と。当時はそれくらいもう、何かに追われるのが嫌になっていたのです。

自分の世界一は「サムギョプサル」という気づき。内装業、高級ゴルフクラブの中古販売を経て、初の飲食業界へ。

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藪ノ:実際に韓国ではどうやってお仕事を探したのですか?

勝山氏:もともとの商売っ気が体にしみついていたんでしょうね、仕事はないんですけど、歩きながら「自分が日本人として役に立つことって何かないかな」とずっと考えていました。
当時は携帯電話とか、カメラとか車とか、日本の電化製品が人気。歩いている僕が日本人だと分かれば、こんなカメラは知ってるか?とか、プレイステーションはいくらだ?とか、たくさんの人たちが聞いてきたのです。

そんな交流の中で知り合ったとある富裕層の方はちょっと違っていて、私にこう話したのです「日本のゴルフクラブは、とても素晴らしいんだよ」。彼の話題は、いつも私が耳にするカメラや電化製品のことじゃなかった。いわゆるお金持ちの人と、一般の庶民が欲しがるものは全然違ったのです。

調べてみると、日本ではゴルフの中古ショップ市場が広がっていて、新品が売れない状況になっていた。一方、韓国ではゴルフはまだまだ、お金持ちの人しかやらないスポーツだった。
これは商機だと感じたことがきっかけで、韓国で高級クラブの中古販売をはじめました。もちろん最初はコネもないし商品を手にするにも苦労しました。ただ頑張って動くうち、どんどん知識がついてきて、その中にもまた出会いがあったり。社長としてはこの時が、最初の成功といえるかもしれません。

藪ノ:何年くらいされていたのですか?

勝山氏:6~7年くらいでしょうか。店も増えましたし、業績もあがりました。しかしそのうち、マーケットの流れも変わってきて。

当時、韓国の女子プロでパクセリという選手がいたのですが、彼女がアメリカのメジャーな大会で優勝したんです。それをきっかけにゴルフが一般の人に広がり始めた。一般にゴルフ市場が広がると、そこを目当てにアメリカの大手が参入してきたんです。ゴルフ市場は広がったけれど、あぁもうこれは商売出来ないな、と。

商売って中身も大事ですが、時代の流れをしっかり読み取る力も大事。自分たちの力ではどうしようもなくなる流れだって起きる。その時に「これ以上やっても仕方ないな」と考えて、つぎは日本に帰って20代のうちに何かやろうと決めたのです。

藪ノ:そこから、いよいよサムギョプサル店のチェーン展開へと繋がるのですか。

勝山氏:そうなんです。ただ、サムギョプサルにいたるまでには、実はもう少しいろんな失敗をしてるんですよ(笑)。服屋さんをやったり、スポーツメーカーをやったり。そういう失敗を繰り返して、20代の最後は貯金も借金もなく、ちょうど最初に韓国へ渡った時に持っていた20万円くらいで終わった(笑)。そんな20代でした、いい経験だけはさせてもらいました。

藪ノ:なるほど!振り出しに戻る、ですね。

勝山氏:振り出しに戻ったところ、お金がないところからさあ、次になにをするか・・・。いろいろ考えました。たくさんビジネス書も読みました。するとその中で出てきた答えが、「いまはまだ無いもの」が売れるんだ、ということです。例えば私がゴルフ用品を販売した時、ある程度うまくいった、その原因はやはり当時の韓国マーケットには、ないものを持っていたからなんです。もともと日本の高級クラブの中古がなかったから売れたんだと。当時私たちがうたっていたのは、世界で一番安い日本のクラブ、というキャッチフレーズでした。

じゃあ今の私が「世界で一番と言えるもの」は何なのかと、考えた時に出てきた答えが意外かもしれませんが、実は「サムギョプサル」だったのです。韓国にいた5年以上、私は世界で一番といってもいいくらい、頻繁にサムギョプサルを食べていました。事務所のそばにあったサムギョプサルやさんが、一人前150円。日本人とか従業員とか知り合いを連れて行っては、サムギョプサルの食べ方を語っていました。もしかしたら、韓国人に負けないくらいサムギョプサルのこと知ってるな、世界で一番じゃないかな、と。それが「ベジテジや」誕生の背景です。

藪ノ:意外でした!!しかも当時はまだブームじゃなかったんですよね。

勝山氏:そうです。日本ではまだサムギョプサルは、ほとんどなかった頃です。東京でも1~2店舗だったかな。今は大人気になっている「とんちゃん」というお店がありましたが、まだまだ創生期。しかもサムギョプサルのイメージといえば、焼肉屋さんで食べるメニューの一品、そんな感じではなかったでしょうか。専門店でうまくいってるお店はひとつもなかったんですよ。

藪ノ:確かに当時はやっていた店は、記憶にはありませんね。

勝山氏:韓国では3ケタ台のチェーン店もあって、一般的にみんな当然知っている国民食なのに、一時間で来れるここ日本では業態として根付いていないのはなぜだろう。京都ではひとつもない、大阪でもほとんどない、なんでなんだろう?その理由のひとつは「焼肉」という市場があるからなんですね。

日本で焼肉といえば、鉄板の上で牛肉を焼く料理。ただ、韓国では焼肉=サムギョプサルなんですね。韓国で鉄板があれば、牛よりむしろ豚肉を焼くんです。日本人が牛肉で焼肉を食べるのは、日本人が作った新しい文化のひとつ。だから、サムギョプサルをそのまま持ってきたら、日本でいう焼肉の豚バージョンになってしまうんです。

藪ノ:そうなると日本文化の中では勝てないですよね。

勝山氏:そう。最初は面白がってもらえるかもしれないんですが、日本では豚の「焼肉」だと勝てない。でも、韓国から来た方は、「焼肉屋」として商売をしてしまう。焼肉の中に豚があるよ、みたいなイメージを抜けられないんです。それでも僕の中では「世界で一番」なのがサムギョプサルだった。勝負に勝つためには新しい「価値」が必要だったんです。

そうして見出したのが、「包む」というコンセプト。極端に言ったら、豚じゃなくてもいい。包み専門店を作ろう、サムギョプサルは包むものだという価値を提示したのです。もちろん本場韓国でもサムギョプサルは包むもの。一般的に韓国はメインの料理の周りに、小さなおかずがあって何でも包んで食べたりします。「包む」というコンセプトは「焼肉」より遥かに面白いなと。サムギョプサルは包むものなんだよ、という新しいストーリーを作りました。

藪ノ:なるほど。新しい価値観として、社長の強みを提案出来たことは大きいですね。

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