事実上の無職から私を救ったのは、あたたかい人のご縁。

interview12-1藪ノ:イタリアから帰国後は、どんなお仕事を?

橘氏:帰国後は、大小さまざまなレストランの立ち上げとかに携わらせていただきました。
運営が上手くいっていないお店のメニュー改良、新規店舗の立ち上げ等にも多数携わらせていただきました。

イタリア料理に限らずいろいろ出来た事が何よりの財産ですね。
ただ2009年の3月、大口で契約していたクライアントの仕事が無くなってしまう事態が起きて、事実上、無職になってしまったのです。

藪ノ:そこからはどう立て直したのですか?

橘氏:以前、立て直しの依頼を相談を受けていた、静岡県浜松市の「ベッラビスタ」というリストランテのことを思い出したんです。

ここはかなりの不採算店だったのですが、私も無職となった以上、もう藁にもすがる思いで(笑)。必死でその店を立て直しにかかりました。
それが2009年4月のこと。

しかし一生懸命やっていると、仕事って繋がるものですね、同じようなメニュー開発のご依頼が徐々に増えていったのです。
名鉄さんが手がけているレストラン部門のメニュー開発も一部させて頂いたのですが、そのご縁で名鉄さんの子会社もご紹介して頂いて。実は、その出会いから生まれたのが居酒屋「鉄」でもあるのです。

藪ノ:どうして「鉄」が生まれたのですか?

橘氏:「名鉄レジャック」というビルのリーシングを相談された事がキッカケです。

依頼当時は、空き物件等もいっぱいあるビルで、大きいスペースを使ってシミュレーションゴルフや、フットサルをいれようとか、ゲームセンターと飲食の部分の融合した空間をつくろうとか、そんなお話でした。

初めはその中の飲食スペースはウチで、というお話だけだったんですが、ちょうど30坪くらいの小さな居抜き物件がありまして、そこもなにか考えてよ、というお話しに。いろいろ考えた末に居酒屋「鉄」を提案したのです。ただ、当時はまだまだ資金が無かった頃。
正直にそのことを話すと、資金面は名鉄さんが全面サポートしてくれることになったのです。

こうして生まれたのが「ベッラビスタ」と「鉄」。
さらに、別の不採算店も新店舗でプロデュースを頼まれて、そこが「ヴォーノ・イタリア」一号店となったのです。

藪ノ:不思議なのは、名鉄さんとのネットワークですよね。
ホテルのご出身ということもあるのでしょうが、海外留学した、という実績だけで、一料理人が大手企業と密な関係性を築くのはなかなか難しいのではないでしょうか?

橘氏:ここも運が良かった、としかいいようがないんですが、ありがたいことに当時取引があった珈琲メーカーさんがたまたま「こんな面白い料理人がいるよ」と名鉄の役員さんに、私の事をお話して下さったのです。

社交辞令的だったかも知れない出会いも、その役員の方に気に入っていただけたことをキッカケに、他の会社の役員の方もご紹介くださったり、どんどん輪が広がっていきました。
私が携わってるメニューを見て、「あのメニュー面白いから、ここの店のメニューも変えてよ」みたいな感じで、次々と任せてくださったんです。

藪ノ:メニュー改良・開発という小さなところから、店舗丸ごと委託、っていう大きな話になっていくんですね。
やはり、ホテル時代に体当たりで積み重ねてきた着実な力がなせる技、なのでしょうね。

資金がなかったから工夫した。いたってシンプルな発想です。

interview12-4

藪ノ:最初から「ヴォーノ・イタリア」は食べ放題だったのですか?

橘氏:そうです。最初にコンセプトを考えたとき、「お金もなければ、人もいない」という状態でどうしようか、と。結果、やはりビュッフェだなという答えになったのです。

とはいえ、料理人としては、いろいろこだわりが出てきます。
まず第一に、あたたかいものを食べて欲しいですよね。そこがゆずれないのなら、お客さんが頼んだものをこちらが運ぶ食べ放題にしようか、ということに。

次に、食べ放題ならいろいろ食べたいですよね。ではサイズはハーフポーションにしようか、ということに。
「お金がない」から選んだビュッフェというスタイル、でも料理人として「譲れない部分」、このふたつを両立するためは、最初からコンセプトでガチガチに固めるのではなく、自分たちのこだわりも主張させながら、効率化をはかることに注力しました。

店舗も居抜きで入る以外の選択肢は無し。あるものをなるべく最大限利用してやる。お客様にお出しする料理に集中するための手段でもありました。

藪ノ:そのころ経営的には順調、といってもよかったのでしょうか?

橘氏:いいえまだまだですね。PLで利益が残るか、っていうと残らない。それくらい厳しい業態だった。

なぜなら当時は、街場のリストランテと同じくらいの仕込みをしていたんです。
売り上げはあってもパワーがすごくかかっていたんですね。でも唯一の救いが、お客様。
ランチのオープン前も、夕方からのオープンも、いつでも席数よりも多くのお客様が並んでくれてる。

それはすごく励みになりました。だって、一度は無職の瀕死状態だったわけですから。
わらにもすがる状態での「ベッラビスタ」、続いて「鉄」、そして「ヴォーノ・イタリア」。

その1年の間に3店舗もオープン出来て、でもギブアップしたら会社をつぶさないといけない状態で。でもたくさんのウエイティングかかっていたり、それをみると「わーよかった、今日もお客さんたくさんきてくれて」っていう気持ちが上回った。

藪ノ:やっぱりお客様がきてくれないのが一番辛い?

橘氏:そうですね。お客様が来て苦しむのは、ポジティブな苦しみ。よりよく改善するための苦しみ、いわば嬉しい悲鳴です。でもお客様が来ないと苦痛だけ。ただ待つだけしかないのですから。

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