社員の平均年齢27歳。コロナ禍で離職率ゼロ。居酒屋業態にも関わらずスタッフの6割が女性。InstagramやTicTokで人気に火が付き、出店する韓国居酒屋の人気はとどまることを知らず連日満席に。
これらのヒミツを探るべく、これまで「表に出るのはどうも…」と取材に及び腰だった株式会社ANF 代表・柴田さんにインタビュー。今後、韓国居酒屋、イタリアンをステップに、和食など多彩な業態出店を計画中です。30歳の誕生日を迎えたばかりのその素顔に迫ります。(取材:2022年11月25日)
柴田 仁(しばた じん)氏/株式会社ANF 代表取締役
1992年生まれ、大阪府出身。大阪府立咲くやこの花高校 食物文化科に進学し、卒業と同時に調理師資格を取得。居酒屋、焼肉店など3社で経験を積み、2014年、21歳で独立しダイニングバーを開業。2016年に株式会社ANFを設立。現在、大阪市内に「OKOGE」や「コギソウル」などの韓国居酒屋3ブランド5店舗、イタリアン1店舗を展開中。食べログ「大阪 韓国料理 予約人気ランキング20」(2022年12月1日時点)で軒並みランクインするなど人気店を次々に生み出す。2023年以降、和食など新たな業態へのチャレンジにむけて準備中。
大阪で韓国グルメブームをリード!
──なぜ韓国料理店にこだわって出店を?
韓国料理はすごく美味しいのに、開業した4~5年前はまだお洒落な店が少なかったんです。至ってシンプルな理由です。
現在、韓国居酒屋を5店舗運営していて、創業ブランドの「OKOGE」、牛サムギョプサルをメインにした「SOM」、そして2022年春にオープンした「コギソウル」の3ブランドを運営しています。特に「コギソウル」は、これまで韓国居酒屋にこだわって出店してきたANFならではの集大成にしたくてディティールにも凝って2022年春にオープンしました。
──食べログ「大阪 韓国料理 予約人気ランキング」で20位中4店舗がランクインしてますね。繁盛店を生み出すには何か秘訣があるんですか。
繁盛店を狙って作ろうと思っているわけではないんです。僕はもともと食べることが大好きで、美味しい店があると聞いては出かけています。今は特に飲食店を経営する先輩方からお話を聞きたくて、365日の内360日は会食や他店視察のため外食しています。料理の出し方、盛り付け方…どうやったら食べる人の心に残るのか、常日頃から自分がお客様目線で見ているので、そのイメージを形にしていく感じです。
出店に際しては、場所、コンセプト、どんな内装にし、それらに合う料理…と何もないところから形を作る“0→1(ゼロイチ)”の工程が好きですね。
──出店はどの様に進めるんですか。
立ち上げに際するコアメンバーは僕を含めて3人。料理開発は同い年の30歳男性スタッフ。あとは企画デザイン系の24歳の女性スタッフで1年半前から加わりました。
──みなさん、若いですね!平均年齢は20代?
平均27歳ぐらいかな。スタッフについては、店舗スタッフ、本部スタッフとも、経験、年齢、性別、まったく気になりません。要はその人の感性・センスがあれば、その人に合った分野でいくらでも伸びしろがあると思っているんです。今、デスクにいる女性スタッフも、1カ月半前に入社したばかりですが、早速メニュー表を作成してもらってます。デザインの経験は一切なしですが、好きな子はどんどん自分で成長していきます。
人材のことは創業当時から活躍してくれている幹部がしっかりみてくれていて、彼が1を100にしてくれています。といっても彼も30歳ですが(笑)。
──集客について工夫はあるんですか?
集客の仕方は色々あるんですけど、Google、食べログ、Instagramなどいろんな方法がある中で、どれが一番、費用対効果がいいか分析します。正解なんてないんですよ。日々アンテナを張って、時代の移り変わりに合わせていくだけです。今の方法で調子がよくても、新しい手法は常に積極的に取り入れて数値をとって検証し、また微調整をしていくという感じですね。こまめなリスクヘッジをしてるので、費用対効果で大きく落ち込むことはありません。
ただ新しいことはSNSで取り上げられやすいので、日本ではまだメニューになっていない料理を新作としてどんどん出しています。そのためにも韓国発信のInstagramは欠かさずチェックして、現地リサーチのため多い時は2カ月に1回訪れています。要するに自分が行きたくなるような楽しい店を出しているんです。
始まりは少年時代。3つの「好き」が高じて飲食業界まっしぐら!
──そもそも飲食業界をめざしたきっかけは?
親の影響です。飲食店を営んでいたというわけではなく、母が料理好きで晩ごはんは毎日違うメニューが出てきたんです。幼心にそれが楽しみで。父は晩酌をし、家族でワイワイおしゃべりしながら食事をしていました。
物心つく頃には包丁を握っていて、いつのまにか家族に料理をふるまうように。「食べることが好き・料理をすることが好き・わいわいした雰囲気が好き」なんです。それが今の店づくりにも繋がっています。
中学生の頃にはすでに「お店を出したらきっと僕の天職になるな」と考えていたんです。だって料理して『美味しい、ありがとう』って言ってくれる人がいて、そのうえお酒も出したら話が弾んで、みんなでしゃべって…しかもそれがお金になるのですから。それで高校は、迷わず食物文化科に進学したんです。
──中学の進路決定時で、すでに飲食業界に進もうと決めていたんですね。
そうですね。咲くやこの花高校は卒業時に調理師免許が取得できるんです。高校卒業後は正社員として居酒屋、焼肉店などで勤務し、学びたい事が習得できたら次の店へと転職。日本ではそんな働き方はタブーかもしれませんが、自分の中の修業期間というか、そうやって出来ることを増やしていったんです。3社で経験を積み、資金を貯めて21歳の時に独立し、大阪・なんばでダイニングバーをスタートしました。
21歳で独立。23歳で会社設立。心がけているのは自分の店を客観視すること
──飲食店開業に向けて一直線ですね。
1つのことを究めてみたいという気持ちが強い性分なんですね。独立を決めたのは“経営”を知りたくて。高卒で社会に出て会計など専門的に学ぶこともなかったので、それなら実際に独立開業した方が早いと感じたんです。勤務した店では店長として売上アップの方法などは学べたのですが、経営する、利益を生み出すとはどういうことなのか経営の実態をつかみたかったんです。
創業店のダイニングバーは、今ひとつパッとせずに1年半で人に譲りました。「計画性をもって経営する」という本当の意味がわかってなかったんですよ。その反省をふまえて2店舗目に共同経営した焼鳥店では、アバウトさを排除し、売上アップの筋道を逆算しながら計画をたて、数値をとり、上手くいかなければ小刻みに軌道修正するようになりました。そしたらがっつり利益が出るお店になったんです。そこで蓄えた資金で会社を設立。同い年の仲間3人と始めました。23歳の時です。
──数値管理は大事ですね。
数字は客観的に判断できるので。経営面で必要と感じるときはコンサルティング会社に依頼。費用はかかりますが自分に足りないものについてお金を惜しむつもりはないです。20代と若かった僕らはお金より能力がほしかった。能力ってなくならないので。
そうやってプロにみてもらいつつ自分で勉強するうちに、ノウハウがついてきて、飲食コンサル事業、セールスプロモーション事業、デザイン事業、SNSコンサル事業など飲食店経営以外の事業も立ち上げることができました。
──コンサルタントから経営を学びつつも、自分で試行錯誤したという感じでしょうか?
そうですね。今は飲食店の経営者にお会いし、相談したりアドバイスをいただくことも多いですね。
自分が目標とするスケール…例えば10店舗を目指す場合、どんな壁があるのか、50店舗を想定する場合はどんな備えが必要なのか…、その規模を経営されている方のお話をお聞きします。店舗数の拡大とともに、会社の課題が変化していくので先輩方の話は本当に勉強になります。
──想定する規模感…リアルなアドバイスをいただけそうです。
飲食業界はほんとに楽しい人ばっかりなんで。
以前、「餃子酒場ダンダダン」を経営する株式会社NATTY SWANKYホールディングス・代表の井石 裕二さんとお話をさせていただく機会がありました。グロース市場にも上場している企業です。
その時に井石さんから言われた『1つのことを誰よりも究めたら、必ず強くなる』という言葉が心に刺さっています。同じようなスタイルの店が増えてきても自分の店と向き合いブラッシュアップし続ける姿勢が大事だということを教わりました。
──ANFさんも1つの業態を究めて強みにしたことで繁盛店になったのでは?
繁盛店を作っているといわれても、僕らとしてはそんなに実感もないんですよ。いつもどうやったら、その山の上にたどりつくのか、山道をもくもくと足元をみながら歩き続けたら、いつのまにかここまで来てたという感じです。だからこれからも井石代表の言葉にもあるように、ひたすら自分たちの店をブラッシュアップし続けるだけです。
あっ、でもそんなわけで僕はアイデアを思いついたら、どんどん変化させるので一緒に働いたら大変ですよ。昨日と今日で方針が変わったりするので(苦笑)。一時、自分でも自覚するぐらい“鬼のワンマン社長”だったんですけど。現在、スタッフはアルバイト含めて230人。役割分担しないとやっていけないので、だいぶん丸くなりました(苦笑)。
(取材班一同:爆笑)
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