「大学に、料理人を育成する学部を創る」ということ

藪ノ:将来、「たん熊 北店」さんも海外展開は考えられているんですか?

栗栖氏:「たん熊 北店」では今は考えていませんが、和食自体が海外に出ていくのが大事です。「たん熊 北店」が海外に行くというよりも、我々が養成した料理人が海外で活躍して海外で学んで欲しい。それぞれの国で趣向は違うでしょうが、今はインターネットで、世界が繋がります。海外のトップシェフは英語でメールしています。パソコンができて英語ができる。これからはそれが必須です。それがあれば、どこの国でも仕事ができる。

和食は海外へ

私が子供の頃は「日本人やねんから日本語しゃべってたらいいねん」思っていましたが、今、通訳を通じて話していると、自分の語学力で自分の思いが海外で発表できれば、もっと楽しいやろうな、と思います。

藪ノ:栗栖氏が求められている英語力は、けっこう高いレベルですよね。日常会話ではないですよね。

栗栖氏:だから、料理の技術と英語が同時に学べる料理学部が必要です。アメリカにはCIA(Culinary Inetitute of America)というのが世界に通用する料理人を育成しています。西洋料理だけの勉強をしているので、必ずフランス語を学びます。

フランスのシェフが書いたメニューの意味がわからないといけないんですね。そしてテクニックも学ぶわけです。基本的には、イタリア、フランス、スペイン料理が中心です。文化的なこともヨーロッパの文化を勉強していると思いますね。

藪ノ:全部勉強するのは大変ですね。

栗栖氏:そうですね。ただ、すでに料理人の勉強することは多岐にわたっています。産地を追いかけていくとトレーサビリティ(流通追跡)も頭に入れておかないといけないですよね。以前なら「日本海のぶりです」でよかったものが、今はどこの港で捕れてどのルートを使ってホテルに来たものか、書いている証明書を料理長が管理しないといけない。

いいものを仕入れて料理すればいい、という時代ではないんですね。パソコンを使えないといけないし、法律的な勉強もしていかないと、料理長の責任を果たせません。ということは、大学レベルの学力が必要ではないかと思うんです。だから食の高等教育、料理人としての大学、経済学部じゃなくて料理人学部の創設を目指しているんです。

藪ノ:その最初が日本料理アカデミー、ということですか?

栗栖氏:いえ、日本料理アカデミーは日本料理をよくしていくために、何をしなければいけないかを探って、実現するために動いています。40歳過ぎた料理屋の若主人が、京都大学農学部の大学院生になっていたりします。

料理を追及していきたいんですね。もっと料理の核心に触れていきたいのです。食材の扱い方は本当にこれでよかったのか、いつも100度で蒸しているけれども、これで最高に美味しいんだろうか、低温で蒸したらどうなるんだろうか、とかを食材別に研究していたりするんです。

藪ノ:なるほど。文化も料理も語学も学べる学部を作ろうとされているんですね。そのアイデアは母校の立命館に持っていかれるんですか?

栗栖正博氏

栗栖氏:いや、まだそれは分かりません(笑)立命館の経営者の方は多少賛同してくれていますけれど。まずは国公立の大学に作らないといけない気もしています。ただ国立大学の壁はすごくあるみたいで、いまはまだ交渉の段階です。予想では平成28年か29年には、第一期生を入れることができるんじゃないかと。いまの計画段階では、ですが。

藪ノ:壁はあるとは思いますが、楽しみでもありますね。

栗栖氏:そうですね。学ぶ範囲が多岐にわたるので、教材も揃えないといけないし、理工学部や農学部、文学部の教授にも来てもらわないといけない。また史学も必要かもしれませんね。世界史の勉強がアウストラルピテクスからはじまるように、料理も、原点から勉強していかないと。一流の料理人にはそこから必要なんですよ。

藪ノ:最後にお聞きしたいのが、栗栖さんにとっての師匠やメンターになる方をご紹介いただきたいんですが。

対談風景2

栗栖氏:一番は父ですが、30歳で他界しましたので、その時点で私は師匠をうしなったんですよ。その時に支えになったのが、茶の湯です。裏千家の茶道。これをもてなしのベースにしてやっていこうと決めましたので、15代家元の汎叟宗室が二番目の師匠ですね。料理人ではなく、茶人ですが、心の持ち方を学びました。

料理の技術に対しては、瓢亭の高橋さん。日本料理研鑽会という会に入れていただきました。父も入っていた会ですが、第二世代の研鑽会のリーダーが高橋さんです。専門料理という本に毎月問いかけや提案を京料理から出さないといけないんですね。それをずっと続けておられる高橋さんに学びました。気づけば3人も出してしまいましたね(笑)。

藪ノ:本日はありがとうございました。