“調理師”はたくさんいるが、ストーリーを描ける“料理人”はそんなにいない

藪ノ:和食の世界でも、チェーン店がたくさんあり、料理人のいらない状態が増えてきていると思うんです。

栗栖氏:工場で作ったものを安全に流通させて、切って盛り付ける。それでお客様が喜んでくれる居酒屋など、それはそれでいいと思います。缶詰のソースを温めて、焼いた肉にかけたらできる、というのはアメリカのスタイルです。それだとどこで食べても同じ味、いわゆるファーストフードですよね。ただ、それは調理師の仕事であって、料理人の仕事ではないのです。

料理人というのは食材を自分で選んで、どう料理して、器を選んで、どのタイミングでお客様にお出しするか、ストーリーを描ける人のことです。僕は、料理人が求められることは、コピーではない自分の美学を持って自分の世界を作り上げることだと思っています。

そのためには料理技術だけではなくて、文化的な勉強をしないと乗り越えられない。茶の湯でもいい、能でもいい、世界の景色を見に旅をするでもいい、そういうところから自分の美学が生まれます。そうすると、この器にこの食材を、ものすごくレアやけど火を通った状態で盛り付けてみようか、などと発想が広がり、オリジナルの料理が生まれるのです。

焚合わせ

藪ノ:昔から料理人の方は、料理に打ち込むというよりも、文化的なものも取り入れられていたんですか?

栗栖氏:いえ、昔も今も、基本的な技術を身につけることが大事です。でも、文化的な知識を学ぶことで世界が広がっていくのです。だから、好奇心は必要ですよね。行き詰まった時に料理本ばかり見るのではなく、昔の小説を読んでみるとかね。

視野を広げたら、ヒントはいっぱい転がっているんですけれども、何を自分のテーマにするかをまず決める。和食の場合は、源氏物語や伊勢物語でもいいんですよ。
レベルの高い料理人が一般常識的に頭に入っているものを料理で表現すると、感動が深いのはそういった部分があるからです。具体的にあげると湯木貞一さんだったり、招福楼の中村さんであったり、瓢亭の高橋さんなどは、その勉強をすごくされています。

藪ノ:厨房以外で学びが必要なんですね。

栗栖氏:そうですね。厨房の中にずーっといると、技術的な情報に偏ってしまう。「東北物語」でもいいんですよ。東北の食材を追いかけていくと、街の景色や祭りを見ていくことになります。

その時に、どの季節にどんな祭りがあってどんな料理を食べているのかを知る。そうすると、芋煮会の季節に東北の方が来た時に芋煮を出せる。そうすると、お客様はびっくりしますよね。「京都の人なのに、なんで知ってるんだ」と。

そのささやかなサプライズをもたらすには、予約の段階で接待の相手がどんな方なのかを知る必要があります。そして接待する方のイメージを料理にした方が喜ばれるというのは、もてなしの基本です。

ダシは昆布とカツオだけじゃない。論理的な発想が新しい日本料理を生み出す

藪ノ:来日される外国人が、日本で最も楽しみにするひとつが「食」だと思うのですが、和食そのものの、海外展開含めた可能性をどのように見られていますか?

栗栖氏:まず既成概念を一回外さないと、海外での日本料理は美味しいものはつくれませんね。昆布とカツオがなかったらダシがとれないといっていては、海外では通用しない。

藪ノ:和食の場合、海外では手に入りにくい食材もありますね。

栗栖氏:そうです。日本では安い居酒屋で出てくるお吸い物でも、海を渡れば、高価になってしまいます。だから既成概念をはずして、「昆布だしの代わりに何を使うの?」と発想の転換が必要です。

トマトからでも、旨み成分であるグルタミン酸はとれるという発想などが必要です。もやしやブロッコリーも旨みがある。カツオの代わりにイノシン酸を出せるものなら、豚や鶏でもできないことはない。いかに近づけるか、型をやぶるか、という発想をしてくのです。

藪ノ:なるほど、発想とはいっても、かなり論理的な手法ですね。

栗栖氏:国内でも、そうです。最近の日本料理はノンオイリーじゃないんですよ。昔は白和えに油はいれなかった。白和えというのは、豆腐をすりおろしてそこに調味液をいれて、野菜を入れて盛り付ける。それが美味しいんですが、現代の人は、だんだんそれでは物足りなくなってきたんですね。そこにゴマ油を入れると、若い人も「美味しい」となる。

海老真蒸(しんじょう)にしても、本来は油を使わないですが、今は卵の中にわずかに油を入れたりします。マヨネーズの酢が入ってないようなものを混ぜていくことで、プラスアルファの旨みが感じられる。そうするとフレンチやイタリアンに負けないコクのある日本料理が生まれるんです。

対談2

藪ノ:日本料理は変わってきているんですね。

栗栖氏:ただ、テクニック的なことだけでなく、「なぜ、それをするのか?」という目的を理解することが重要です。理解があるから、今日のゲストは外国の方やから、お吸い物に油を浮かせるといったアレンジができるのです。

藪ノ:お客様に合わせて味を変えることや、現地でカスタマイズしていくことは悪いことではないのですね。

栗栖氏:もちろんです。「同じやり方ではないと日本料理ではない」という既成概念を守っていることの方がおかしいです。だって室町時代の日本料理なんて、今、誰も作れないでしょう?
日本料理はずっと変わってきた。平安時代の料理なんて、文献を読むと何も味はついていないです。蒸した野菜に塩や酒を混ぜた調味液をつけて食べていたんですね。味をつけるということは、禅寺の精進料理がもたらしたんです。

禅宗は肉と魚を食べませんから、野菜だけを食べて美味しい味を含ませないといけない。それを教えてくれたのは中国の禅寺なのです。昔から日本料理は外国からの知識を吸収して進化しているんです。これからも自然の流れとして変化はしていくでしょう。

藪ノ:今後、どのように変化していくと思われますか?

栗栖氏:今海外で求められているのは、健康食です。ただ少し油を入れてあげないと、世界中の人に満足できない。そのバランスが難しいのです。アメリカで和食を新しいスタイルに挑戦している方もいます。
カリフォルニアロールのようにマヨネーズを使ったり極端なことをすると、「日本料理じゃない」と批判的な人もいますが、そうじゃない。異文化の人に、日本人の好む和食は理解しにくい。はじめは、カリフォルニアロールに興味を持ってもらって、海外の人が和食の舌に慣れていくと、もっと軽いものを求められていく。

私たちも海外の食文化を、現地そのままには輸入していないですよね。日本人が油を加えていくのと、アメリカ人が油を減らしていくのと、合体するところがくると思うんです。それは新しい日本料理ですよね。

栗栖氏

日本料理は変化が必要です。世界の料理人が日本料理のシェフになりたいと思えるような、料理の技術だったりサーブの仕方に変わるべきです。正座のできない人が大半のなかで、お座敷だけでは、もう駄目なのですよ。

藪ノ:僕も正座できないです。今日は正座を覚悟してきたのですが(笑)

栗栖氏:「たん熊 北店」のグループは半分は椅子席です。お座敷にだって椅子を置いてます。芸子さん遊びをしようと思ったら座布団になりますけどね。普通に会席料理なら椅子ですね。

本膳料理という日本料理の豪華なおもてなしが行き届いたものを簡略化したのが会席料理です。本来、かしこまったルールはないんです。気楽にみんなが食べられるために生まれたのです。フランス料理をワインを飲みながら楽しむのと同じです。ナイフフォークのようなマナーは日本料理もありますけれども。

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