
「仕事が面白い」
そんな単純なことが、なんだかむずかしい日本社会。もちろん「仕事」なのだから、大変なこともあって当然ですが、飲食業界のなかには“面白い仕事”で成長している会社があります。
株式会社ゼットンは、ハワイアン・カフェダイニング『アロハテーブル』はじめ、和洋問わず個性的なダイニングを多数手がけ、現在は名古屋にある徳川園や横浜の山下公園などをはじめとした「公園再生事業」など、飲食店運営の枠を超えた事業で躍進。
ワイキキを舞台にハワイのダイニングシーンをも席巻し、アメリカ本土でも高い評価を獲得しています。
その根底にあるのは“人々のライフスタイルを変える”飲食店のあり方。
ゼットンという会社はどんな会社なのか?「食べる」を超えたフードビジネスの魅力とは?
代表取締役社長、鈴木 伸典さんにインタビューしました。
ゼットン代表がアツく語る!インタビュー・ダイジェスト動画
鈴木代表へのインタビューをダイジェスト動画でご覧いただけます。
これを見れば「ゼットン」のすごさが分かる!?
鈴木代表から発せられる熱いコトバがあなたの胸にいくつ響いてきますか。
▼プロフィール
鈴木伸典(すずき しんすけ)さん
愛知大学在学中に、株式会社ゼットンの創業者と知り合う。1996年、株式会社ゼットンに入社。2004年に副社長に就任、2016年より代表取締役社長に就任。
ゼットンは、何をめざしている会社ですか?
──日本国内に限らずハワイを始めとする海外でも多数のジャンルの飲食店を展開する株式会社ゼットン。めざすものは?
ゼットンにはたくさんの飲食店ブランドがあります。エリアでいうと、大きく分けて東海、関東、ハワイの3つのエリアがあり、現在の売上は、それぞれ30億~40億円ほどを保っています。
ただ僕たちの仕事は、“飲食ブランドをつくる・増やす”ことではないんです。
もちろん美味しい料理を出したり、楽しいお酒の時間を提供していくということは大事なことです。けれども僕たちはその先に、たとえば店づくりをしながら、街にいる人々の流れを変えていく。もっと広い意味では、人々のライフスタイルを変える。それが僕たちのやりがいであり、意義なんです。
企業理念として「店づくりは、人づくり。店づくりは、街づくり。」というものを掲げています。つまり僕たちは、“飲食”という得意な分野を使って、文化をお届けしたり、街づくりをしたり、その過程で生まれる“人づくり”を大事にしているんです。
──この企業理念からどういった店舗展開や事業活動につながっていますか?
たとえばゼットンには、ハワイアンカルチャーをコンセプトにしたカフェダイニング『アロハテーブル』という主力ブランドがあって、フォーカスされることが多いです。
じゃあこの『アロハテーブル』の店舗数を増やしていくことに執着しているかというと、まったくそんなことはなくて。それよりも『アロハテーブル』を通してハワイの文化をどれだけ広くお届けできているかを大事にしているんですね。
街づくりでいえば、我々のフラッグシップになりつつある「公園再生事業」があります。ひとつの街のなかに、これらの事業を機能的に存在させ、街にいる人々のライフスタイルに合うもの、生活に密着するものを、僕たちは事業としてつくり続けてきているんです。
ハワイのシーサイドストリートは、ゼットンのお店ばかり!?
──ゼットンのハワイの店舗は人気店がたくさんあります。ハワイを拠点とした店舗展開は、どのように始まりましたか。
2005年にハワイアン・カフェダイニング『アロハテーブル』1号店を名古屋の金山に出店しました。ですが、日本人がハワイをコンセプトにブランドをつくっても、どうしてもバックボーンが見えてこない。僕たちが『アロハテーブル』の“ストーリー”を伝えるためには、まずはハワイの地で『アロハテーブル』を繁盛させるしかなかったんですね。
2009年にそのチャンスがめぐってきました。ハワイでどのようなものが求められているかをしっかりと考えてワイキキに初出店した『アロハテーブル』は、おかげさまで大繁盛したんです。
今では、ワイキキにあるシーサイドストリートという通り(ワイキキの中心地であるカラカウア通りとクヒオ通りを南北に走る道)の飲食店は、ほとんどがゼットンのお店です。
そもそも限られたエリアに集中出店するというドミナント戦略は、街づくりを通してライフスタイルを提案しやすい形であり、これまで国内でも行なってきました。
ですがハワイほど“スーパー・ドミナント”を体現している場所は他にありません。数歩歩けば僕たちの店、そこから数歩歩けばまた僕たちの違う店がある。そんな類いまれな特徴を持っているのがハワイなんです。
──ワイキキの『アロハテーブル』以外の『Goofy Cafe & Dine』などのブランドは、どのように生まれたんでしょうか?
初出店の『アロハテーブル』が成功した時、メニュー、グラフィック、インテリアのまとめ方など、ハワイで僕たちが学んだものを、今度は逆に日本の『アロハテーブル』に活かしました。
そんな手法を取りはじめるなか、ハワイでは新たにどんなものが求められて、どんなものが受け入れられるのかを考えて出店したのが、『Goofy Cafe & Dine』です。ブレックファーストからバーまで、朝から夜中まで営業するオールデイダイニングのレストランです。
この『Goofy Cafe & Dine』が、アメリカ人を中心とした外国人観光客に広く受け入れられ、アメリカで人気のグルメサイトの評価では、ナンバーワンを獲るようになりました。
“日本人がつくったレストラン”という位置づけではなく、完全にハワイのなかにある“一レストラン“として、現地でリスペクトしてもらえたのです。
そういうなかで、徐々にハワイに来る観光客の気持ち、求めるものが見えてきて、さまざまな業態での店舗が増えていきました。
ドミナント戦略による街づくりの裏側にあるのは、まさに僕たちの『店づくりは街づくり』の理念です。街に溢れている人たちをレストランというフィルタを通してどのようにマネタイズするか、さらに人を集め商売を拡大させていくかを追求してきた僕たちの本領が、そうやってハワイの地においても発揮されるようになりました。
パブリックスペースへの挑戦
──東京湾に面した都立公園であり、バーベキューやピクニックが楽しめる葛西臨海公園が人気です。公園再生事業が生まれたきっかけは?
公園再生事業は、僕たちのパブリックスペースをデザインをする力、オペレーションを駆使する力を合わせた“プロデュース会社”としての能力を発揮している事業です。
そもそものきっかけは2016年、ゼットンの創業者から事業承継したときです。僕自身が未来に向けてどのように仲間たちと価値観を共有し、ゼットンを成長させていくストーリーをつくったらいいかを考えていました。
当時はまだサステナブルやSDGsという言葉が今ほど一般的ではなかったんですが、僕たちの「店をつくりながら街をつくっていく」という理念には、SDGsにつながりやすい側面があるのではないかと考えたんですね。
僕たちがやってきたハワイのアイデンティティを表現するシーサイドライフも、環境、ヘルスケアにおいて、SDGsとは切っても切りはなせないものです。僕たちがつくっているものと、SDGsで謳われている“脱炭素”をどのようにリンクさせ、解消、成長させていくのか。強いてはそれをどう会社の価値につなげていくのか。
これはもう「どんなお店をつくりましょう」という話ではなくて、僕たちの能力を駆使して新しい事業を生み出す必要があったんです。
そこでまず、2019年に「サステナブル・ストラテジー」という憲章をリリースしました。ここでは持続可能な低炭素・脱炭素社会、資源利用、ジェンダーを含めた人権・労働に配慮した社会、地域づくりへの貢献を掲げました。
そしてこれらに対して、街の人々の“食“を含めた「時間の使い方」を提供できるような公共の場所のリプロダクト=モノづくりなら、僕たちにできると考えたんです。
そして一番シンプルで分かりやすかったのが、都市公園をつくり変えることでした。
かつて公園という場所は、所有する行政の意向で運営され、たくさんの人々を受け入れるために特色がない方が望ましい、むしろ色があっちゃいけない無味無臭の存在でした。
ところが2017年、民間企業が公園ビジネスを通して自治体に収益を還元するPark-PFI(公募設置管理制度)という法令の規制緩和が行なわれました。僕たちは、この法規制の緩和を利用して公園再生事業に着手することになったのです。そのきっかけになったのが、2019年に初めてチャレンジした葛西臨海公園の再生事業でした。
僕たちの事業では「葛西という街はこんな街、だからこんな公園をつくる」というコンセプトが必要だと考えました。公園がひとつの特徴を持つことで、街の色になり、公園の価値と街自体のブランド価値を上げることになるからです。
“建物を建て替える”という発想ではなく、そこに暮らす人々や遊びに来た人々の満足度を上げていく、さらに今までは公園に来なかった人々も集まるような仕掛けを、コンテンツとして落とし込むようにしたのです。
──公園再生事業では、横浜市の山下公園が今年4月14日に新しく開園しました。
葛西臨海公園の成功を受けて、僕たちは今回、山下公園の再生事業の代表企業に選ばれました。横浜という街に僕たちが貢献できることは何かというと、公園に集まった人たちに「横浜」を感じてもらうことでした。
横浜は元町、山下町といった古い歴史を持った街と、近年開発された「みなとみらい」のような新しい街が混在しています。各々の良さがあるんですが、何故か「みなとみらい」に遊びに行く人には、元町や山下町にも行ってみようという人が少なかったんです。
山下公園は、古い街と新しい街のちょうど中心地に位置しているので、だったら公園に来てくつろげるような新しい仕掛けをつくって、どちらにも行ってもらおうと考えました。
その仕掛けが、のんびりくつろぎながら横浜港を真正面から感じてもらう『足湯』でした。そのほかにも、お土産屋さん、簡単なランニングステーションを設けて、地元で暮らしている人、海外からの観光客、周辺の関東圏に住んでいて小旅行で来る人、そんな人たち全てを受け止めるハブとしての機能を持たせました。
山下公園を基地にして、「みなとみらい」に歩いて遊びに行ったり、関内馬車道という特色のある街を散歩してもらったり、少し足をのばして元町や本牧で楽しんでもらったりする。そうすれば、横浜の楽しみ方がこれまでより一段も二段もグレードアップしていくんじゃないかと。
現在では、都市公園だけでなく、たとえば駅前の広場、美術館、博物館、海水浴場などパブリックスペースでの事業展開が広がっているんですが、そのすべてにおいて街のエリアを再生していこうという発想が根底にあります。
“血が通う”から価値が生まれる
──会社としてのカルチャーは?
ゼットンは「言ったもん勝ち」なんですね。だからやりたいことを「やりたい!」「やりたい!」と常に言っている人が、やりやすい組織かと思います。
それとゼットンには、文化度の高い人が多いと思います。絵を描いたり、音を奏でたり、いってみればちょっと前に多かった“仕事人間”じゃない人たち(笑)が、すごく多いと思いますし、スタッフにそれを求めているところもあります。
朝一にサーフィンをして出勤する人もいるし、公園の鉄棒で必ずパンプアップして出勤してくるスタッフもいるんですよ(笑)。
つまり、自分のスタイルを持っている人。身体づくりもですが、料理、インテリア、建築、アート、音楽、洋服、車…。ライフスタイルが一貫して自分のなかで整理整頓されているんですね。
流行っているからではないんです。僕たちのチームで大事なのは、「飲食店をやりたい」ではなくて、人をどうつくりたいのか、街をどうつくりたいのか、そして自分をどうつくりたいのか。それらの仕事が、ライフワークとして昇華できているんだと思います。
──部活動が盛んですね。
部活動はすごく推奨しています。『ツナグ』という社内SNSがあるんですが、「こんな部活をしたい」「こんな部を立ち上げます」という話が上がってこれば、賛同する人たちで部をつくっていくんです。会社で部として認定されると、活動に必要な経費をサポートする仕組みがあります。
ウクレレ、釣り、卓球、フラダンス、フットサル、バスケなど本当にいろいろありますよ。僕はトライアスロンが趣味ですが、部がないので、ランニング部に入れてもらっています(笑)。
──「リクエスト1on1」などスタッフ同士が交流する機会が多いのも特色ですね。
自分の上長ではない人と誰でもコミュニケーションが取れる「リクエスト1on1」は、日々疑問に思っていることであったり、不安に思っていることを解消したり、この先の自分というものを伝えたりする仕組みです。
会社というのは、「組織」というだけでマネージングできるほど甘くはなくて、集まる人のコミュニケーションが取れていて、そこに血が通うから機動力が高まるし、つくるべきものに価値をもたらしていくと思うんですね。
つながりが持てる土壌を会社がつくっていれば、コミュニケーションを取りやすいチームになってくるんじゃないかなあと思って始めました。なるべく平坦な組織で、できる限り皆が思っていることを拾いたいと思ったんです。
もちろん無機的に人を動かしてつくられたプロダクトが世に出て広まっていくことも、ごくまれにはあるかもしれませんが、僕たちの仕事はお客様と一対一で接したり、その声を受け止めたり、ある意味とても泥臭い人間的な商売です。
「街をつくる」にしても、どんな街だったら歩きたくなるかなあと、街に宝ものを探しに行くような感覚が必要です。たとえば写真に撮ったら美しく映えるキレイな夕陽だったり、真っ青な空のある場所を、街のなかで見つけたいとします。そこに人間的なつながりが持てていないと知識や情報も入らないし、アイデアを活かすこともできないんですよ。それを仕事として扱うとなれば、尚更です。
とはいえやっぱり会社なので、遠慮や忖度が全くないのかというと正直ある。でもこの取り組みを続けることによって、「こういうやり方でいいんだ」とコミュニケーションのコツをつかむことができます。
コミュニケーションのコツをつかんでもらうためにも、越境して自分の上長ではない人とできるだけたくさん話をしてもらいたいと思っています。
未来への取り組み
──2022年、『ニコアンド』『ローリーズファーム』など30以上のブランドを展開するアパレル・ファッション雑貨会社「株式会社アダストリア」とタッグを組むことになりました。ここに感じた可能性は?
アパレルと飲食では全く違う分野と思われがちですが、ゼットンは“飲食”という方法を使って、アダストリアは洋服や雑貨を中心とした方法を使って、「ライフスタイルを創造する」という共通点があるんですね。
ただ何よりも、2,000億円以上の年商(※)を誇るアダストリアがゼットンを認めてくれたのは、自分たちと同じ“人を大事に思う企業文化“がゼットンに出来上がっていたことにあると思っています。
※2023年2月期売上242,552百万円(株式会社アダストリアIR情報より)
僕たちは、確立された“食”のオペレーションをアダストリアに提供し、僕たちの事業には、アダストリアの成功体験、失敗体験を落とし込んでもらい、血と血を通い合わせてつくる企業風土のなかで規模をどう伸ばしていくのかをレクチャーしてもらう。
そして利益を還元しながら、仲間が豊かになっていく未来をつくることができればすごくいいと思うし、いいリレーションが生まれるんじゃないかなと思っています。
──ゼットンがこれからめざす場所は?
まずは日本全国、北は北海道から南は沖縄まで拠点を持ってドミナント戦略を含めて各事業を展開します。そしてハワイという地からアメリカ本土に向けて、どのように飛んでいくのか。
ハワイのお客様の大半は、アメリカ本土、もしくはカナダからのお客様なんですね。ハワイに旅行に来てゼットンのお店を体験してもらったアメリカの方たちに、“地元に帰ってから”どのようにゼットンを体験してもらうか。つまりアメリカ本土でゼットンのコンテンツを再度体験してもらえる仕事をしていくのです。
この事業をしっかりと種を植えて根をはって成長させることができれば、おそらくゼットンという会社を知っている方たちからも、これまでと全く似て非なる会社に成長したねと言っていただけるゾーンに突入できるんじゃないかなと。
もうすでにその布石は打ってあるので、そこは達成できると思っています。そして次に僕たちがどういう会社になるか、という仕込みもしています。まだそこはお話できませんが、次のストーリーまでは描けているかな。
まとめ
「最高に優しい人が最高に強い」
インタビューのブレイクタイムで人生のモットーを聞いたとき、鈴木さんが発した言葉です。
「強いって人を守れるから強いんじゃないんですよ。人を受け入れることができるから強いんですよね。人を受け止めることができる人間になるというのは、一生僕が求めるものだと思います」
そんな鈴木さんを慕ってゼットンに入社する人も少なくありません。
「ゼットンの社長になったときは、本当に僕にはなんにもなかったんです。副社長としての実績や経験はありますが、そんなのなにも通用しない。
だからいい意味で諦めました。じたばたするのはやめて、すべて受け入れて、できることをしようと。だから“人を受け入れる”というのは、僕の“成功体験”なんですよ」
ゼットンの社内制度は、あくまで自主性を重んじるもので決して押し付けではありません。「やりたい」と言った人の声が埋もれないためのサポートに徹しています。
「大好きな仲間たちと一緒に仕事できることが、僕の最大の幸せ」と語る鈴木さん。
人が生きるために仕事をするのなら、仕事とは人生そのものともいえます。どんな場所で、誰と、どんな仕事をするのか。ゼットンには、自分を未来に導いてくれる強くて優しい“成功体験”があります。
(店舗・スタッフ写真提供:株式会社ゼットン)
▼株式会社ゼットン公式HP
https://www.zetton.co.jp/
クックビズ総研
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