
京都・祇園。八坂神社の南門からまっすぐと伸びた路の西側に町家を改装した一軒のフレンチレストランがある。外観からはそれとわからない、和の情緒にあふれた佇まいにまず魅了された。鮮やかな紫の暖簾をくぐり坪庭を抜けた先には、温かみのある心地よい和洋折衷の空間が広がっている。
祇園町に本店を置き、東京・銀座にも展開している「レストランよねむら」は、いずれの地でもミシュランガイドで星を獲得し続けている、人気のフレンチレストランだ。
多くの美食家を唸らせ、同店を率いるオーナーシェフの米村氏とは一体どのような人物なのか。
「お客さんに関わる部分には、一切妥協しないですよ」と明快に言い切るその姿勢が格好良い。明るく頼りがいのある兄貴分、といった親しみやすい雰囲気をもったオーナーシェフ、米村氏に語っていただいた。
思い込みやイメージから閉ざされていた“料理人”という選択肢
当初から料理人をめざしていたのですか?
米村氏:もともとは洋服が好きだったので、実はスタイリストになりたいと思っていました。高校3年生の時です。当時はスタイリストという職業はあまり知られていなかったので、先生に相談しても理解してもらえず、薦められはしなかったですね。
先生の紹介で、気がつけば呉服屋に就職していたのですが、洋服は好きでも和服は好きではなかった。結局、長続きすることなくすぐに辞めてしまいました。
辞めた後はスタイリストになるため、東京へ行って勉強しようと思っていました。
ただ、いざ上京してみると時期が6月だったため、願書の受付が締め切られていて。
とりあえず生活する必要がありますから、昼は京風とんかつのお店、夜はカフェでアルバイトを始めたんです。
スタイリスト志望から料理人へ。どのような転機が?
米村氏:当時、原宿に「クックドレ」というイタリアンカフェレストランがあったのですが、そこで田口シェフと出会ったことが大きなきっかけですね。
その頃、料理人といえば“ヨレヨレのおじさん”という印象があったのですが、田口さんはおしゃれなパスタの説明をしてくれたりして。偏見があった私から見ても、すごくかっこいい料理人だなと思ったんです。アルバイト中も、厨房で料理を作っている時がとても楽しかった。徐々に“自分も料理の道に進んでみよう”と思うようになりましたね。
料理人に対する印象が大きく変わったし、行き当たりばったりでも、とりあえず東京へ行ってみて良かったですよ。翌年、地元に戻って調理の専門学校へ入学しました。
卒業後の進路では、すごくフランスに行きたかったのですが、行き方もなにもわからない。とりあえず学校が勧めてきた東京の「レジャンス」というフレンチレストランから内定をもらったのですが、2月になって急に取り消されて。
どうしようかと困っていた時、アルバイト先の店長が大阪にあるレストランの総料理長を紹介してくれたんです。フランス料理の古典を学べるとうかがったので、そこに就職を決めました。