米田肇

美しく磨かれた大きなガラスの扉をひらくと、そこにはレストランというよりもむしろ画廊のような凛とした空間が広がっている。黒と白のコントラストから目を奪われるのは、壁に飾られた躍動する赤。

ここからいったい何が生み出されているのか。これから始まる未知との出会いに向けて、期待が膨らむ。

このレストランを率いているのは、オーナーシェフである米田氏。大学卒業後、エンジニアを経て料理の世界へと足を踏み入れた、異色の経歴を持つ人物。

独立後、わずか1年5か月というミシュラン史上最速で三ツ星を獲得。合わせてアジアのレストランベスト50に選ばれ続けるなど、海外からも高い支持を集めている。

同氏が創り上げるのは“常識”に一石を投じ、革新的で心に訴えかける一皿。ミリ単位まで計算され尽された料理の数々は、もはや料理の粋を超えたひとつの芸術と呼べる。言うなれば、“絵画を味わう”ことができるという快感。

自然が育んだ生命の美を全身で体感できる世界が、そこにはある。そんな、世界の創り手であり、料理界の新たな扉を開かんとする次世代の導き手、米田氏に話を伺った。

語る米田肇

エンジニアになっても忘れなかった、子どもの頃から憧れつづけた料理の世界

この世界に入ったきっかけは?

米田氏:父が仕事でヨーロッパによく出張していたため、その度にチョコレートなどのお土産をくれて。日本とは違う西洋文化への憧れのようなものを、子どもの頃から感じていました。

それに、母が料理上手な人でしたね。旬の食材をつかった料理、季節感のある料理へ日常的に触れる中で、食に対する興味が自然と育まれた気がします。遊んで家に帰ると、食卓に美味しい食事が用意してある。その当たり前にある“あたたかい風景”が好きでしたね。

単純に食べることが好きだった、また当時テレビで見た料理人の世界に憧れるなど、さまざまな要因が複合的に重なりあって「料理人になりたい」という夢が育まれました。

そこから、そのまま料理人になる道を歩まれたんですか?

米田氏:いえ、最初は調理の専門学校を希望していたのですが、両親からは反対されて。高校時代に好きだった数学が活かせる大学の電子工学科へ進学して、コンピューター設計に携わる仕事に就きました。

当時はPHSから携帯電話へ移行、DVDが普及し始めるなど、コンピューター関連のニーズが高まっていた時代でした。とにかくすごく仕事が多くて、忙しかったですね。

就職してすぐに「これは自分のやりたい仕事ではない」と感じましたが、まだ社会人になったばかりだったので。新人らしい一時的なものか、本当に料理の道をめざしたいのか。

専門学校へ通うための費用を貯蓄しながら、自分を試そうと思いました。そのために、2年で学費の600万を貯めようというゴールを決めました。月20万円貯めるために、一日300円くらいで過ごしていました(笑)。

なんとか目標金額が貯まり、改めて自分の気持ちも確認することができました。そこから、反対する両親を何度も説得して、辻調理師専門学校へ入学しました。

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