カウンターの中にかっぽう着姿の加藤さん(左)と白シャツに黒いエプロン姿のパートナーの女性(右)が並んで立っている写真

2016年3月、東京・三田に「焼鳥 嘉(か)とう」をオープンさせた店主の加藤太一さんは、飲食業未経験から5年の修行を経て独立開業した店がすぐに「ミシュランガイド東京2017」でビブグルマンに選出されました。
店主の加藤さんは「やるなら1番を目指しているので、認めていただけたのは嬉しいです」と答えていましたが、35歳異業種からの転身で迷いや苦労はなかったのでしょうか。
転身、修行、開店から今に至る話をお伺いしました。

「自分の店が持てたらきっと楽しいだろうな」という思いからスタート

以前は本当に自分が飲食店オーナーになれるとは思っていませんでした。美味しい物を食べるのが好きだったので、いつか自分の店を持てたらきっと楽しいだろうなという漠然とした思いはありました。飲食店には場としての魅力がありますよね。店主がおすすめの料理やお酒を出して、そこに人が集まってきて美味しい料理を話題に盛り上がって。飲食店はなんて面白い仕事なんだろう!と思っていました。現実の大変さを知らず甘く見ていましたね。

焼鳥は煙だらけの居酒屋で食べるイメージが強かったのですが、焼鳥の名店「バードランド」で出会った、レバーのパテの美味しさや焼鳥とワインを組み合わせる新鮮さ、何よりも奥久慈しゃもの美味しさに感動し、こんな世界もあるんだと衝撃を受けました。照明を落とした店内で、おしゃれな大人が楽しむ新しい焼鳥屋のスタイルと雰囲気にとても惹かれるものがありました。

木のテーブルの上に、赤ワインの入ったワイングラスとワインのボトル。手前には四角いお皿にレバーのパテとバゲットが盛られている写真

飲食業に飛び込む前は、web制作会社勤務を経て2003年にフリーランスとして活動していました。幸い仕事は順調でしたが、忙し過ぎて煮詰まり気味の期間が続き、モチベーションを保つのが辛くなっていました。そんな折、たまたま目にした飲食店の求人情報の中に「バードコート」の名前を見つけ、自分の店を持ちたいという思いが芽生えてきました。

当初から店を出すなら専門店と決めていました。35歳という年齢を考えた時に、会席料理やフランス料理など幅広い食材を扱う業態よりも、一つの素材と向き合う専門料理の方がより集中して修行に打ち込めると考えたからです。店を回りながら修行を積み上げる時間の余裕はないから、技術がしっかりしている店で学び、できるだけ早く独立したいと思っていました。

カウンターの中で炭を火箸で触っているかっぽう着姿の加藤さんの写真

弟子入り志願2度目で晴れて入店、何をしても怒られた修行時代

「バードコート」の求人に応募したところ、当時の住居から北千住の店までは片道1時間半。飲食業界でのバイト経験すらない、年齢も若くない、続かないだろうと門前払いです。それでも店を出したいという思いは日々強くなり、定期的に飲食の求人情報をチェックするようになりました。以前の応募から半年後、再び「バードコート」の求人情報を見つけました。

前回は電話のみで面接まで漕ぎ着けなかった経験から、採用の際には転居する覚悟があることなどを伝え、なんとか面接してもらえることになりました。面接では自分の店を持ちたいという熱意、修行をする覚悟を師匠に伝え、半ば強引に採用してもらうことができました。

実際に仕事を始めてみると、想像以上に何もできず、仕込み、接客、掃除、口の聞き方や歩き方に至るまで何をしても怒られました。急な話でしたので転居先がすぐには見つからず、早朝に家を出て、まだ兄弟子たちが片付けをしている最中に終電に駆け込み、深夜帰宅。しばらくは受注済みのweb制作の仕事も並行していたので、帰宅後に深夜作業をしたこともありました。確かにキツくて、心が折れそうでした。

仕事を始めて2〜3週間経った頃、偶然表参道駅で元同僚と会ったんです。「今、何をしているの?」と聞かれ、何も答えられませんでした。「店をやりたいから、焼鳥屋で修行をしているんだ」と堂々と言えなかった。情けない話ですが、その時は続くとは思えなかったんです。

異業種からの参入、未経験者だからこそできたこと

飲食業界は厳しい縦社会なので、兄弟子を差し置いて新入りが割り込むのは本来簡単なことではありません。自分はそんなことも知らなかったので、遠慮せずに事ある毎に直接師匠に教わりに行きました。師匠自身も1年半という短期間の修行で独立した人なので、関係なく教えてくれました。ただし、聞くのは1度だけ。同じことを何度も聞いたら怒られました。だから必死に師匠や兄弟子の動きを見て覚え、本やネットの情報でも勉強し、自宅では鶏を買って捌く練習をしたり、店で余った串を持ち帰って焼く練習などもしました。

「バードコート」は連日盛況で修行時代は忙しく大変でしたが、考えられた理論のもと質の高い仕込みを大量にこなす作業、多くのお客さまにスムーズに提供するオペレーションなど、自分で店をやるのに必要な総合的な力が身につきました。また、優秀な兄弟子たちに刺激を受け、競いながら成長することができたのも良かったことのひとつです。
無我夢中で1年が過ぎた頃、ようやく続ける自信ができました。気づけば厳しかった師匠や兄弟子に認めてもらえるようになり、仕事を任せてもらえるようになってからは状況が好転し始めました。

3年の修行で独立するつもりが、5年目でようやく独立開業へ

修行を初めて3年目には、独立できる手応えを感じていましたが、兄弟子が一足早く独立することとなりすぐに辞めるとは言えなくなりました。師匠への恩返しの気持ちで兄弟子が担当していたポジションを引き継いだ経験は今の店でも役立っています。

最後の1年は自分が抜けても店に迷惑がかからないよう、後輩を育てました。独立には少し回り道をしましたが、5年の修行の後、師匠に独立の気持ちを告げた際には快く送り出してくれました。かけた時間は無駄ではなかったと思います。

開放感のある大きな窓にワインがずらりと並んでいる棚が見えているお店の外観の写真

物件は修業期間中も常に探していました。焼鳥のような煙が出る重飲食可の物件探しは苦労することがわかっていたので、自分が独立するタイミングで見つかった三田の物件で即決しました。もともと、港区か目黒区で探していたのも理由の一つです。

開業資金集めに必要な事業計画は、セミナーに参加したり、開業した友人の経験談を参考にしてすべて自分で作りました。事業計画書は専門業者に任せるなどの方法もありますが、自分で作り自分の言葉で説明したことで、熱意と具体性を面接時に伝えられたと思います。最終的に、政策金融公庫から希望額の1,000万円を融資してもらえました。

店づくりでこだわったのは、居心地の良い空間です。美味しい焼鳥だけではお客さまは来ないだろうと、内装費はかなりかけました。開店当時は、お金をかけすぎて失敗したかと思ったのですが…

全体的に木のぬくもりを感じる、L字型のカウンターの店内の写真

開店直後は備長炭(お金)を燃やすだけの苦労の日々

開店して3カ月は全くお客さまが来ませんでした(苦笑)。2階ですし、これといった宣伝もしなかったので当たり前ですが…。朝から仕込みをしても、来てくださるお客さまが1組か2組。ひどい時はゼロの日々が続いてしまうと…夜自分たちで残った串を寂しく食べることになるんです。高級な紀州備長炭を使用していることもあり、何も焼かれずに燃え尽きていく炭を見ているのは、まるでお金を燃やしているように思えて辛かったです。

三田駅や田町駅には人がたくさんいるのに、何でうちの店には10人すら来てくれないんだろうと。資金が尽きたら閉店せざるを得ない。そんなことが頭をよぎる頃、「ミシュランガイド東京2017」のビブグルマン掲載候補になったと連絡がありました。それならばミシュランガイドが発売される12月までは、何としてでも店を続けようと思い、励みになりました。

その後、雑誌の焼鳥特集の取材が舞い込みました。雰囲気が良さそうだと思っていただけたようで雑誌発売直後は反響がありました。

木箱に入った小鉢の料理や、サラダ、バゲット、四角いお皿に盛り付けられた6種類の串焼き、親子丼がテーブルに置かれており、中心にはワインが置かれている写真

目の前のことに必死でも、点と点が後から線でつながる

雑誌を見た方から多数の予約が入るようになり、満席の日が増えました。パートナーと2人だけ切り盛りしていたので、満席になるととても間に合わず、長時間お待たせしてしまいました。そんな状況ではお客さまは満足していただけず、二度と来ていただけません。

来店人数が少なかった頃のお客さまは、何度も足を運んでくださる方も多かったのですが、リピート率が下がったことに気づきました。それからは仮に席が空いていても無理の無い予約の取り方をするようになりました。お客さまとコミュニケーションをとったり、ゆっくりくつろいでお食事を楽しんでいただけると、再度ご来店くださったり、ご紹介して頂ける方が増え、結果的には客単価もアップしました。

炭の上に6種類の串にささった焼鳥が並んでおり、煙が上がっている様子の写真

今思えば、その時に見えていることと、後になって振り返ってみると同じことでも見え方は異なることがあります。例えば内装に思い切ってお金をかけたことや、開店時に何も宣伝しなかったのも、その時は失敗だと思ったのですが、結果的に良い方向に繋がりました。

お店のオペレーションがうまくいっていない開店時に焦って宣伝をしていたら、今の常連さんも逃していたと思います。点と思えていたことが、後で線になってつながる。今見えていることが、将来どうなるかなんてわからないんです。振り返ってみると気づかされることばかりですね。

店を進化させていくための今後の課題

周りからは順調と言っていただけますが、課題や問題点はたくさんあります。一番の大きな問題は「人材の獲得」です。飲食業界の人材不足は深刻です。それは自分も含め、飲食業界自らが作り出している労働環境にあります。自分たちが率先して改善していかなければならない問題だと思います。

人材育成も難しいですね。自分は店を出すという強い思いがあったので、修行中も目標を見失うことはありませんでしたが、皆がそうとは限りません。モチベーションが低く目標設定ができないスタッフもめずらしくありません。人材育成をしないと店の拡張もできないので、とても大切なことですね。

今は常連さんやその紹介のお客さまも多いですが、少しずつ新規のお客さまが増えつつあります。お店が雑誌やインターネットで露出することで、良いことも悪いこともあります。自分たちが作った店ですが、お客さまに育てて頂いているという一面もあります。常連のお客さまと新規のお客さまのバランスを大事にしながら、焼鳥とお酒を楽しむことが好きな人が集まり、くつろげる環境を作っていくのが課題にもなっています。

カウンターの中でかっぽう着姿の加藤さんが両手をそろえてにこやかに立っている写真

独立志望の料理人へのアドバイス

「自分の店を持ちたい」という漠然とした思いではなく、具体的に目標とする出店時期の設定、テーマ(業態)やコンセプト(ターゲットと価格帯やサービス)を明確にし、その目標に対して逆算して行動することが独立出店への近道だと自分は考えます。

出店はゴールではなく新たなスタートです。集客や売り上げ、スタッフの育成などさまざまな課題があり、より良い店作りの為に次の目標を立て取り組む必要があります。そして何よりも料理人である自分は、お客様に満足していただける質の良い料理を常に提供するということを最も大切にしています。

当店の焼鳥は、茨城県の奥久慈しゃもに高知県の天日干し海水塩を振って紀州備長炭でじっくり火を入れ軍鶏特有の旨味を引き出します。最高の状態で焼き上げる為に毎日丸鶏を店内で捌き、均等に火が入るよう丁寧にカット串打ちをします。雄、雌による肉質の違い、季節毎に変わる脂のノリを見極めて日々仕込みをしています。シンプルなだけに全ての工程において手を抜かず、一串ごとにより良い方法を常に模索し実践していくことが店の成長にもつながっていると思います。
何年先になるかわかりませんが、焼鳥の名店と言っていただけるよう頑張ります。

画像提供:焼鳥嘉とう  ポートレート撮影:小林純子

取材協力

店舗名 焼鳥嘉とう
住所 東京都港区三田3-3-2豊田ビル2階
アクセス JR田町駅より徒歩6分、都営浅草線・三田線三田駅より徒歩3分
営業時間 17:30〜23:00 ※串がなくなり次第終了
休業日 日曜日、第3月曜日
電話番号 03-6722-0977