株式会社サクラブルーコーポレーション代表取締役・南垣 佳秀氏の店内での写真

南垣 佳秀(みなみがき よしひで)氏/株式会社サクラブルーコーポレーション 代表取締役
1970年大阪生まれ大阪育ち。2010年11月サクラブルーコーポレーション設立。2012年4月パンケーキカフェ「ELK(エルク)」心斎橋本店を出店。2015年4月、姉妹店となる「BURN SIDE ST CAFE(バーンサイドストリートカフェ)」を東京 原宿に出店。2016年4月、「ELK NEW YORK BRUNCH(エルクニューヨークブランチ)」を奈良イオンモール橿原に出店。
現在、直営13店舗・FC3店舗、さまざまなショッピングモールから出店オファーも多数。更なる事業拡大へ向け、国内をはじめ世界進出も視野に出店計画を進行中。

株式会社サクラブルーコーポレーションは、2012年に大阪アメリカ村にパンケーキ専門店の先駆けとしてオープンした「ELK(エルク)」を発端に、毎年新規出店を続けています。着実に力をつけ、行列のできるお店も多数。全くの素人から飲食の世界へ飛び込み、夢を追いかけて約10年でこの好業績にいたった要因とは?“会社に関わる全ての人々を幸せにしたい”という想いとは?
新卒で入社した会社を退職し、34歳から今なお飲食業界を走り続けている南垣社長に、経営に至った経緯やこれからのサクラブルーコーポレーションについてお伺いしました。

南垣社長が描いたご自身のクロニクル(年代記)も記事の最後にあります。

食堂を営んでいた父のもとで育った

──お父様が飲食店を営んでいたんですね。
はい。大阪・天満橋で父が飲食店を経営していました。ちょうど食堂を始めた頃に僕も生まれたので、生まれた時からずっと食堂で育ってきました。
小学生の頃から店の手伝いをしていて、お腹が空いたら食堂にある、ざるそばやうどんを食べることもありましたね。

──将来は飲食関係の仕事に就きたいと思っていたのですか?
高校卒業後は、調理の専門学校に進学したかったのですが、父に相談したところ反対されてしまい、大学へ進学することに。父自身、飲食の厳しさや苦労を知っているから、あえて同じ道へは進んでほしくなかったんだと思います。

眼鏡姿の南垣 佳秀氏の写真

好成績を収めた9年間の営業職

──大学へ進学されたんですね。卒業後の進路は考えていたのですか?
いえ、大学卒業時に就職活動は行っていなかったんです。なぜならプロスノーボーダーになりたいと思っていたから。アルバイトをしながら大会にもたくさん出場していました。200名ほどの大会規模で最高位が9位になったこともありました。

──プロスノーボーダーとはすごいですね!
とにかく本気でプロを目指していた2年間でしたね。でも当時24歳。僕より若い世代もドンドン活躍が目立ってきて、“プロへの道は厳しい”“このままでいいのか”と疑問を持つようになって、本格的に就職活動を始めることにしました。

──就職先は?
何社か受けた後、外資系のタバコ会社の営業職に就きました。人一倍負けず嫌いということもあって、好成績を残していました。月給50~60万の手取り、インセンティブも当時はかなりいただいてました。

──順調に成長なさっていたんですね。
でも、将来的にエリアマネージャーより上のポジションを目指すことができないと知ったんです。会社に入って、やりがいと社会の厳しさを知りましたが、将来のビジョンが見えなくなり、やっぱり飲食業界で仕事がしたいと、転職を思い立ちました。

店内のソファーに腰掛けて語る南垣氏の写真

こだわりのインテリアで統一された店内

今後のビジョンを考えたら、どうしても飲食がしたい

──飲食業界への挑戦が始まったんですね。
僕が34歳の時ですね。転職先は関西・関東に店舗を展開する飲食企業。これまでのキャリアを投げうっての転職でしたから、周囲からいろいろ言われました。給料に関しても、三分の一以下になりましたからね。

──色んな意味で環境が変わった時期だったんですね。
はい。さらに20代前半のスタッフが中心の現場。そこで30代が活躍するとなれば必死ですよ!皿の持ち方から、食材のこと、基本をイチから学びました。キツイなと感じる時もありましたが、”勉強したい”って想いが強かったですし、何より自分で決めたことですからね。この道で頑張っていこうと決めてました。

──日々の中で学ぶことはありましたか?
多くありましたよ。例えば立地が悪い店舗をどう集客するのか。そのためには何かカラクリがあるのでは?という疑問を持ちました。
お客さまにどのようにおもてなしをして、どんなパフォーマンスをしたらいいのか。お客さまに対する心構えなど、“お客さまを大事にする想い”ということを学び大変勉強になりました。

──お店の数、お客さまの数だけもてなし方があるということですね。
良い立地なら当たり前のようにお客さまも入ってきますが、悪い場所でもあれだけ精根こめてお客さまをおもてなしすれば、悪条件でもプラスに変えられるんだと思いました。
今になって思うのは、厳しい時期もありましたが、入社していろんなイズムを注入されたことが現在も活かされているので、結果的には良かったなと思います。

──当時の心境は?
時間が経つにつれて、現場での業務も一通りこなせるようになってきました。でも、飲食業界の仕事として、これで満足というワケでは全くありませんでした。「長く同じ場所にいるより、いろんなところで働きたい。」と、思ったんですよね。いろんな経験をすれば学ぶことも多くあるだろうし。今度はより企業として大きく、専門性の高い商品を扱う企業へ転職することにしました。

店頭でほほ笑む南垣氏の写真

『ELK』1号店前で微笑む南垣社長

視野を広げるべく新たな環境へ

──専門性といいますと?
何がやりたいのか考えたとき、僕はコーヒーが好きで、仕事の休憩時間や休日には、カフェに行ってコーヒーの研究をしていたんです。
それで僕はコーヒーの輸入・販売、カフェを手掛ける企業を見つけ、求人を見ると、たまたま店長を募集していました。店長経験はないけれど「出来るからやらせてほしい!」と頼み込み、採用してもらいました。

──新たに入社した会社では、どんなお仕事を?
入社後は、店舗開発やアルバイトの管理、メニュー改善などのマネジメント業務が中心でした。最終4店舗の統括を任されましたが、面白さややりがいを感じることができました。
自信もついてきたので、店舗の立ち上げにも携わってみたいと思うようになりました。
必死に勉強して、社長にプレゼンを行い、ついに初めて自分で手掛けたお店をオープンすることができました。

──オープンが決まってどんなお気持ちでしたか?
ここで満足というわけではなく、これからは”もっと大きいことをやってみたい”という、さらに大きな夢が沸いてきました。
僕の友人が他社で開発担当をしていたので、その紹介で、いろんな交流会に参加。そこで、商業施設に入るために必要なノウハウを学びました。そんなとき、某商業施設の担当者から声をかけていただきました。
企画プレゼンからオペレーションまで、自らが提案。名だたる企業を跳ねのけての採用でしたから、努力した甲斐がありました。

──大型商業施設内での出店。これは大きな自信につながりますね。
そうですね。ただ、立ち上げ含め、さまざまなことを経験してきましたが、僕も当時40歳くらい。いい年になってきたので、そろそろ自分のチカラを試してみたいという想いがふつふつと沸いてきました。そんな想いもあり満を持して起業を視野に入れて、退職を決めました。

『ELK(エルク)』オリジナルパンケーキの写真

『ELK(エルク)』オリジナルパンケーキ

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