株式会社ライトハウスの巽益章氏が橋のたもとで笑顔で腕組みをして立っている写真

大阪でできる商売…食い倒れの街らしく飲食業界へ参入

──なぜ、順調なのに飲食業界へ?
ファッション業界はトレンドの移り変わりが早い業界です。自分の感性が鈍ってきたときに通用するかなと感じたんです。

またマーケティングは他社から請け負う仕事です。自社を輝かせる発信を自分でしてみたかったという思いもあります。

──もったいない気もしますが。
そうですね。マーケティング会社を続けるなら、中心地はやはり東京です。拠点を移して東京で続けるか、事業を興して生まれ育った大阪に貢献するか…。

悩んだ結果、やはり大阪にこだわろうと。そして商売するなら、食い倒れの街らしく「食」だなと。

──「食」を選んだのは実家の商売に通じるものがありますね。
それはあると思います。それで丁稚奉公時代に、あるご縁で知り合った松阪牛の生産者さんを頼って、「松阪牛」をブランディングした店を出したいと考えました。

隔月で発行しているフリーペーパー雑誌の写真

フリーペーパー雑誌も隔月で発行。「SIDE WAY STANCE(SWS)」

──しかし食肉業界は、生産流通が複雑です。繁殖、肥育、加工もありますし、良く切り込めましたね。
そうなんです。そんなことも知らない素人でした。店を立ち上げる際、その生産者に「松阪牛を売ってほしい」と頼んでいたら、「ほな売ったるわ、100万円持っておいで」と。

──えっ??
で現金をもって行ったら、牛を指さして「どれにする?」といわれました。
「いやいや、牛じゃなくて肉、肉がほしいんだけど…」と(爆笑)。

──おもしろいエピソードです(笑)。
あわや牛を連れて帰る羽目になるところでした。そんなことも知らなかった。それから牛肉の流通について学び、2004年に出店しました。それが「松阪牛焼肉M」です。

──これまでのマーケティングの経験が活きますね。
そうですね。2000年初めにはBSE問題、牛肉偽装事件などが起こっていたので、周囲から反対されつつの業界進出でした。

ですが、これまでにないオシャレな焼肉店、しかも気軽に利用できる店にしたかったので、店名や内装をカジュアルでライトなものにして打ち出しました。

──焼肉店「松阪牛焼肉M」はオープン時から話題でしたね。
松阪牛を一頭買いして、余すところなく使い切るというスタイルが当時は新しかった。価格も抑えられ、デートや商談にもよく利用いただいていました。キャッチコピーは“くどける焼肉屋”(笑)。

「松阪牛焼肉M」福島本店の外観の写真

1号店「松阪牛焼肉M」福島本店。近くにはテレビ局などもあり、国内の著名人や外国人タレントも数多く来店。

──“くどける焼肉屋”いいですね!
焼肉店に、ロース、ハラミ、カルビが主流の時代に、なじみのないモモ肉などの部位もメニューに入れました。

消費者にもわかりやすいように、脂身から赤身まで脂肪の多い順にズラリと表にしたり、肉には部位名の書いた木札を付けました。実は、私たちも肉を見て部位を判断できなかったんです(笑)。肉業界の素人だからこその発想が功を奏しました。

リーマンショック後に相次いで出店し、経営は下り坂に

──繁盛したんですね。
はい、それで相次いでミナミに出店しました。2009年のリーマンショック以降、ミナミは「低価格、B級、若年層」のお店ばかりで、ビジネスマンが落ち着いて食事できる店がなかった。

だから需要はあると考えたんです。しかしお客様はそうそう増えず…。

──リーマンショックの影響も大きかったのでは?
不景気の真っ只中。客単価7,000円の焼肉は、ビジネスマンには合わなかった。

店舗拡大が飲食業界で儲かるセオリーだと思っての出店でしたが、気づけば5億円の売り上げで3億円の借金がありました。

──借金3億円!
これは本当に私の怠慢です。経理担当者に任せきりにしていました。自分では経営していると思っていたけれど、経営とはいえなかった。店に投資してオーナー気分になっていただけだったんです。

──そうなんですね。
あれほどブランディングの仕事をしてきたのに、1店舗ごとの店の個性も考えずに、矢継ぎ早に店舗拡大したことでブランド力が落ちました。

炭火焼のお肉の写真

“おせっかい”から始まったインバウンド顧客へのおもてなし

──どのように回復したんでしょう。
店があまりにも暇なんで、当時、とあるスタッフが「キャッチ(呼び込み)をしたい」と言い出したんです。(※現在は規制されています)

──ミナミは呼び込みが多そうです。
そうなんです。しかしほかの店は、日本人にしか声をかけない。外国人は素通りです。そこでそのスタッフは、外国人にも積極的に声をかけはじめました。入店してくれたら、もうスタッフ総出でフルサービスです。なにせ暇なんで(苦笑)。

──訪日外国人が増え始めた頃ですね。
ちょうどその頃、ミナミにポツポツと外国人の姿が見られるようになりました。客単価7,000円の焼肉ですから、来店客は富裕層が多いのも幸いでした。

──フルサービスのおもてなしはうれしいですしね。
お客様の要望があれば、ホテルまでお迎えに上がります。そして歩きながらお話していると、店に到着する頃は“友達”です。

──たしかに。アテンドしてくれた人と一気に距離が縮まります。
でしょう。でお店に着き、お客様の食べたいものをていねいに聞いてあげると、中には食習慣や宗教上の理由で食べられないものがある人もいます。そしたらメニューにないものを作ったり、食材を買出しに行ったり。

お店の前でお客様と一緒に写真を撮っているマネージャーさんの写真

一番左が大阪流のおもてなしを始めたマネージャー。海外でも話題の人に!

──えっ!そんなサービスまで?
はい。ほかにも「当店で食事をした後、次はどこを観光するんですか」と聞いて、「決めてない」と言われたら、「じゃあ道頓堀のグリコの看板の前で写真を撮りに行きましょうか」と。

──退店したあともアテンドを?
で、名刺を渡して「大阪にいる間、何かお困りでしたらご連絡くださいね」と。実際に、体調を崩されて連絡が入ったこともあります。そんな時は「いまどこ?一緒に病院に行ってあげるわ」と、そんなおせっかいを始めたんです。

──すごいですね。旅先で頼れる人がいると安心です。
「こんなサービス受けたことがない」と、それがSNSを通じて海外で広まり、「大阪に行ったらMに行こう」「その人に会いに行こう」と言われるようになりました。

──大切な友人をもてなすようですね。
「大阪にいる間はうちのお客さん」というおもてなし。いわゆる“おせっかい”です。大阪らしいでしょ。これがトリップアドバイザーで評価を受けました。つまるところ「人」なんですね。

──インバウンド戦略の要は「人」だったんですね。
料理は何も変わっていない。「店:顧客」ではなく、「人:人」のおもてなしに変わっただけ。そして海外からの賞賛の声は、何よりスタッフに勇気と喜びを与えてくれました。

現場に立ち返り、社員といっしょに成長していくと決めてV字回復 >>