絵本代わりに料理本を読み、休みの日には料理を楽しんだ幼少期

2012年のオープンから、1年と経たずにミシュラン一つ星を獲得されました。才ある料理人としてのベースが培われた、前田シェフの幼少期についてお聞かせください。

前田氏:私の両親は、この店からも近い河原町三条の中心街で古書店を営んでいました。学術書や料理本など専門誌を中心にあつかっていて、私は店の上に住んでいたのですが、壁一面に本がぎっしり並んでいるような生活空間で育ちました。そのため、幼稚園の頃から、絵本やマンガ代わりに、料理本を読んでいたんです。

中でも日本のフランス料理界を牽引してきた偉人である「帝国ホテル」の村上信夫シェフや「ホテルオークラ」の小野正吉シェフの料理に夢中になりました。

見よう見まねで、小学2年生ぐらいの時には簡単な料理を作っていましたね。遠足に自分で作っていった卵焼きを先生に褒められて喜んでいた記憶があります。

ずいぶん早い段階で料理に目覚めていたんですね。ご家庭の食育的なものも影響しているのでしょうか?

前田氏:もともと母親が料理好きで、京料理を食べて育ちました。ファミリーレストランや回転寿司にはほとんど行かず、外食費をおさえて、“3ヶ月に1度だけ、いいお店に行こう”というのが家庭の方針だったんです。カウンター寿司で、「アワビお願いします」とか言っていましたね(笑)。決してお金持ちの家ではなかったのですが、“食事を楽しもう”とする環境だったと思います。

そこから料理を“仕事”として意識したのはいつ頃ですか?

前田氏:小学6年生の時、兄の高校入学祝いにと、「京都ホテルオークラ」(当時の京都ホテル)で、初めてフランス料理を食べたんです。それまで料理本でさんざん目にしていたのに、口に入れた時の衝撃的な味わいに、「この道に進みたい!フランス料理を作りたい!」と直感的に思ったのが職業として料理人を意識したきっかけですね。シェフの白いコックコート姿も格好良くて、料理の衝撃とともに、今でも脳裏に焼き付いています。

その後、中学、高校と多感な時期を過ごされたと思いますが、フレンチシェフを目指す考えは変わらなかったのですか?

前田氏:そうですね。食に関するこだわりの強さが、小学生の頃から相当強かったのだと思います。給食をほぼ食べていなかったのがその最たる象徴ですね。

ぼくは、基本的に好き嫌いはないんですが、“おいしいものを作ろうと思ってないもの”がイヤなんです。給食は栄養価重視で、塩分もきっちり決められているから、まったくおいしくない。パンに煮物のおかずを合わせるという、ありえない献立。牛乳も紙パックで常温…飲めるわけがないじゃないですか。断固拒否して、食べなかったですね。

それはなかなか、クセの強い小学生ですね(笑)。

前田氏:さらに弁当になった中学生では、最後の登校日にフランス料理を作っていきました。お皿を持っていって、ナイフとフォークを机に並べて。スープジャーに具材を入れて、前菜やスープ、メインを盛りつけて…。職員室から先生たちがのぞきにきていました。変わったことをしたいタイプの人間だったんでしょうね。

フレンチを志してホテルに入店するも、中華部門へ配属

高校を卒業してからは専門学校に?

前田氏:本当は中学を出たらすぐにでも調理場に入りたかったんですが、両親から「高校は行っておきなさい」と地元の公立高校へ。それが、結果的にはとても良かったです。

監督が厳しいことで有名なハンドボール部に入ったんですが、そこで根本的に精神を叩き直されて。ぼくは3年生の時にキャプテンだったのですが、監督不在の時は練習メニューに沿って自分たちだけで取り組むんです。完了の報告に行った時に、「がんばったんか?」と聞かれて、「がんばりました」と言ったら、こってりしぼられました。

「自分でがんばったと言ったら終わりやぞ、そこで止まってまう」と。

そこからぼくは、「がんばってます」というのを言わなくなりましたね。仕事に入ってからもその考えは根付いていて、これからも言うつもりはないです。自分で自分にOKを出さない、というのを心がけていますね。

料理人は、自分との闘いがずっと続くわけですもんね。

前田氏:そうですね。あとは、体力的に鍛えられたのも大きかったです。水も飲めないし、しんどすぎて嘔吐する、朝練も早くて授業中に寝るしかないハードな練習量で、そのしんどさに比べたら体力的には今の方が余裕です。その高校に行って部活をしていなければ、料理の道はすぐにでも辞めていたかもしれないですね。

高校卒業後、まずは「リーガロイヤルホテル京都」へ。初の現場はいかがでしたか?

前田氏:最初はサービスからのスタートでした。シェフとお客さまの板挟みになるサービススタッフの立場も経験できたのは、今思えばとても良かったのですが、当時は焦りも大きかったです。まわりの専門学校出身の子たちはすぐに調理場入りしている中で、自分はなかなか回してもらえなくて…そうして1年経つか経たないかぐらいの時に、「中華に空きがあるから行かへんか?」と誘いがあって。フレンチ希望でしたが、まずは早く庖丁を握りたいと誘いに乗り、結果的にトータル10年ほど中華を学びました。

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