『うなぎ四代目菊川』京都祇園 店内


料理人として将来に迷うことはありませんか。料理が好きだから飲食業界に入ったのに「この会社は料理に専念できる環境ではなかった」「昇進するほど現場から遠ざかる」。そんなジレンマに悩む料理人は少なくありません。
今回、株式会社パッションギークス・西平 篤史さんにインタビュー。老舗の鰻専門店からスタートし、寿司割烹店と2つの店舗で料理人としての心髄を学んだ西平さん。料理を天職と思いながら、会社の成長とともに営業部長として、また全店の総料理長としてマネジメント中心の毎日へと変化。そんな日々に迷いながらも、チャレンジ精神で、よりスケールの大きな舞台に立ち、多くの業態、全店の味を守る要としてキャリアに磨きをかけてきました。悩みや葛藤はなかったのでしょうか。ご自身を振り返っていただきながら、料理人のキャリアステップについてお話を伺いました。
(取材:2024年9月5日)

西平 篤史さん

株式会社パッションギークス 第3営業部 部長 兼 総料理長/西平 篤史さん

<プロフィール>
西平 篤史(にしひら あつふみ)さん 
1987年生まれ・愛知県出身。株式会社パッションギークス 第3営業部 部長 兼 総料理長。
高校卒業後、ひつまぶしで全国にその名を知られる鰻の老舗に入社。修業を積む。その後、寿司割烹店を経て、2015年に、阿部翔悟氏(現:株式会社パッションギークス代表)、菊川雄平氏(現:同母体企業mum Holdings代表)とともに独立。すっぽん料理店を立ち上げる。
その後、店舗を増やしながら、2017年に鰻専門店「うなぎ四代目菊川」をオープン。法人化し、株式会社パッションギークスを創業。立ち上げメンバーとして携わる。現在、鰻業態、和牛業態「しゃぶしゃぶと焼肉わにく」ほか、居酒屋業態など国内外に30店舗以上を展開中。和牛業態の営業部部長として活躍しながら全店の味を守る要人として総料理長を務める。

料理人として修業で得たものは今も財産

──料理人からスタートして、今では営業部長という全く異なる部門の管理職を担っていらっしゃいます。今日はキャリアの広がりやご自身の想いなどをお聞きしたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
こちらこそ、どうぞよろしくお願いいたします。

──いつから飲食業界に?
高校卒業後です。愛知県にあるひつまぶしで有名な鰻の老舗店に入社しました。下働きから始め、3年目にようやく鰻に触らせてもらえるようになりました。当時のことでしたから修業は厳しかったですね。ここでの下積み時代で料理の心構えを、次の寿司割烹店では、料理の楽しさと同時に料理を探求し続ける心を学びました。

──修業の是非が問われる昨今ですが、料理人としての土台を培われたんですね
はい。当時、私は20~21歳ぐらい。「料理がやりたい」「自分がやりたい」という気持ちが強かったんですよね(苦笑)。
例えば、2店舗目の寿司割烹店では、包丁で繊細に細工した野菜の飾り切りを添えたお刺身を先輩にチェックしてもらったところ、「西平君、この刺し盛りの主役はなに?」と言われたり。要は、メインのお刺身が輝いていない。トータルで調和がとれているか、お客様の目の前に出されたときに「感動させる一皿」になっているか。それを機に常に考えるようになりました。

西平さんと料理人が話している様子

鰻の老舗店での修業時代、先輩からの「下積みが長いほど、大きなピラミッドが建つ」という言葉が深く心に刻まれたと話す西平さん。その人の言葉がなければ、今、ここまでくることはできなかったと振り返る。

──上達する時期だからこその失敗談ですね。どんな仕事にもあてはまりそうです
実は、その先輩の調理ノートを見て驚いたことがあります。「煮こごり」のレシピのページに、お客様の人数、提供時間を計算に入れたゼラチンの分量の詳細が、グラム単位でびっしりと書いてあるんです。
これがお客様のために創る本物の料理なんだと思いました。それからです。それまで好きで楽しくやっていた料理に、探求心をもって向き合うようになりました。

独立を機に料理以外の接客、数値管理にもトライ

──料理以外の仕事をするようになったきっかけは?
約10年前(2015年)に、菊川雄平(現:mumホールディングス代表)と、阿部翔悟(現:株式会社パッションギークス代表)と一緒に独立。店を立ち上げたんです。が、たった3人だったので、全員がなんでもできなければ店がまわらなかったんですよ。簡単に言うと人がいなかったというのが正直なところです(笑)。
菊川の実家が、鰻やすっぽんなどの食材を扱う卸問屋だったこともあり、最初の店はすっぽん料理専門店。京都では名店もありますが、名古屋にはまだなかったため可能性があると判断しました。

すっぽん料理

すっぽん料理専門店では、すっぽんを使った鍋料理をはじめ多彩に提供。

──独立に際して、店長、料理長、接客など役割はなかったんですか
一応、“料理長”ではありましたが、3人とも、すっぽんの捌き(さばき)をして、ホール業務をして、数値管理をして…と全員が横並びでした。それまで全くホールもマネジメント業務もしたことがなかった私にとっては、それは大変でした。それに私自身、すっぽん料理をしたことがなかったんですよ。だから京都で修業もしました。不安だらけのスタートです。

──数値管理やマネジメントはどうやって学んだのですか
それまでシフトすら作ったことがなかったし、PLだの損益計算書だの見たこともありませんでした。でも気が進まなくても率先してやりました。
私の場合、失敗しても周りがカバーしてくれたので、それもありがたかったです。もちろん失敗したら怒られるんですけど、やらない方が怒られますしね。わからないことは素直に「教えてほしい」ということを伝えていいんですよ。

新たな業務をモノにすれば、次の舞台がみえる

──役割分担せず、一人の業務の幅を広げるメリットは何でしょう
菊川が当時から、「強い組織にするためには、一人一人がビジネスパーソンでなければならない」とよく口にしていました。
調理、接客、数値管理、全てを各スタッフができ、店舗を運営する能力がつけば、次の店の立ち上げが可能になります。数値管理はどこにいてもついてまわるので、そこは特に重要です。
実際にその後、「天ぷら酒場NAKASHO」「板バ酒バ魚」をオープンさせ、2017年には鰻専門店「うなぎ四代目菊川」をオープン。独立からわずか2年で法人化して、株式会社パッションギークスを創業することができました。
代表の菊川は、すっぽん料理専門店での業務をこなしながら、実家の卸問屋の仕事もしていました。相当ハードだったと思いますね。それを見ているので、慣れない業務でも「自分もやらないと」と奮闘しました。

料理人の仕事の様子

西平さんが営業部部長として切り盛りする和肉業態「しゃぶしゃぶと焼肉 わにく」ミッドランドスクエア店では、若手料理人が活躍する。

全店が自分の店だと思えば、スケールの大きさが料理人としてのやりがいに

──店舗が増えれば、管理者のウェイトが増えていき、料理をする機会が減るのでは。料理人として現場の最前線にいたいという気持ちはありませんか?
あります、あります。もともと現場の最前線で働きたいという気持ちが強いので、お客様に一番近いところで、目の前で調理して、会話しながら料理ができたらそれがいいです。でも管理する側に立てば、こちらの楽しさもあるんですよ。
というのも、自分が現場に入っても1店舗のお客様しか満足させることはできないですが、管理する側になると多くの店舗をみることができます。
そのうえ関わる人も、お客様だけでなく、全スタッフや業者さんだったり、つながりがどんどん増えていくので店を良くする施策がしやすくなります。

──1店舗だけでなく全店の満足度を高められる。スケール感も違いますね
要は全店舗、自分の店だと思ってやっているんです(笑)。現場に立っていた時よりも、スケールが大きく、そこは楽しいですね。

「うなぎ四代目菊川」の看板メニュー「一本重」

「うなぎ四代目菊川」の看板メニュー「一本重」

後輩の「できるようになった」が嬉しい

──出店が加速するなかで、調理の効率化など料理人として譲れない部分などはありませんか
会社の規模が大きくなるにつれて、料理人として求める部分、妥協する部分の線引きは難しいなと感じることはあります。根が料理人なので。
でも当社は、食材の卸というベースがあり、会社の方針として「良いものをご提供する」という自負があります。その部分の妥協はしなくていいというスタンスです。高い水準で全店を運営できることは恵まれていると感じますね。

──悩みや、工夫していることはありますか
この業界は人材不足です。調理の水準をあげても、それをこなせる力量のある料理人がどんどん入社してくれるわけではありません。だからバランスをとりながら技術継承をしています。
例えば手間ひまかかる「鰻の蒲焼」の調理、和牛の高度なカット術など、守るべき技術はしっかり守って育成に力を入れています。
代わりにかつおぶしから取っていた出汁を、扱いやすい出汁パックにするなど、品質は下げずに生産性を高める工夫はしています。

──高度な調理技術は、次の料理人に受け継がれているんですね
メンバーを育成し信用して任せていくことを心がけています。 それに部下から「〇〇〇ができるようになりました」「これだけできるようになったので、次の新店に出せるようにしてください」などの要望をもらうと、自分のことのように嬉しくなります。人が成長すれば、会社の進化のスピードが速くなりますしね。
ただ料理一筋にやってきたので「創りたい」という気持ちはあるんですけどね。

ほうじ茶ティラミス

新卒の女性料理人が考案した「ほうじ茶ティラミス」も大好評

全国に展開しているメニューは、全て私が責任者としてOKを出したものです。店舗数が増えれば増えるほど、”私の味は認められているゾ”と秘かに思っています(笑)。メニューは誰でも考案できる仕組みにし、私が二人三脚で指導もします。

自分が納得するキャリアを積むために心がけることとは

──最後に、若い間にしておいたほうがいいことはありますか
1つは、時間があれば、料理について広く学ぶ時間を作ることでしょうか。本を読んだり、今はネット社会ですから情報や動画もいっぱいあります。ゲームを1時間するなら、そのうちの5分程度でもいいので料理の動画や情報をみてほしいなと思います。
2つめは、外食するなら、いつも違うお店に行ってみることです。私自身が今になって感じているんですよ。もっといろんな味を知っておけば良かったと。若い頃はお金もないし、「自分の料理が一番!」と思っていたので、あんまりよその店のことを気にしてなくて、いつも同じ店ばかり行っていました(苦笑)。
でも、いろんな食材を口にすることは、料理人にとって、とても大事なことなんです。どんなお店でもいいです。ファミリーレストランでも、ラーメン屋でも、中華、フレンチ、洋食、和食関係なく、
いろんな調理法を知って、いろんな味を知る。
いろんな食材を知って、いろんな盛り付けを知る。

たくさんの飲食店を知っていることは強みです。お金がない方は動画でも見れるので、ぜひ情報を取りにいってください。自分の肥やしになりますよ。

──本日はお忙しい中、お話を聞かせていただき、ありがとうございました。

「しゃぶしゃぶと焼肉 わにく」ミッドランドスクエア店

「しゃぶしゃぶと焼肉 わにく」ミッドランドスクエア店

まとめ

ピンチや悩みは、次の扉の一歩手前。新しいことに積極的にチャレンジすることで、次の展開を自分のものにしてきた西平さん。料理人として現場に立つ機会は減っても、よりスケールの大きなメニュー開発や業態を生み出すやりがい、後進を育てる楽しさなど、新たな挑戦しがいのある業務を創り出してきました。できることが広がれば、もちろん独立もしやすくなるはずです。
同社では、現在、海外に積極的に展開中で、実際に若手社員がどんどん海外で活躍しています。西平さんの背中を見て、チャレンジしている方も多数いることでしょう。
今回は、料理人の方だけでなく、さまざまな職種にも通じるお話、ありがとうございました。

<インタビュー・記事作成:杉谷 淳子、撮影:戎 聡平、取材・画像協力/株式会社パッションギークス>

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