
一瀬 邦夫(いちのせ くにお)氏/株式会社ペッパーフードサービス 代表取締役社長CEO
1942年生まれ。ホテル料理人を経て、1970年に独立。1995年、株式会社ペッパーフードサービスを設立し、大規模なFC展開を経て急成長。2006年、東証マザーズ上場。2017年5月に東証二部、続く8月に東証一部上場へを経て、2018年、米国のナスダック株式市場に上場。著書「正笑―ペッパーランチの経営学」「いきなり!ステーキ」など多数。
(下部に詳細あり)
株式会社ペッパーフードサービスは、ステーキチェーン「ペッパーランチ」「いきなり!ステーキ」などを国内外で展開する企業。「いきなり!ステーキ」は、注文と同時に、料理人がお客様の目の前で塊肉を大胆にカット。グラム単位の量り売りとステーキの立ち食いという新しいスタイルを確立させて、たちまち人気に火がついたのはご存知のとおりです。
64歳で東証マザーズ上場、75歳で東証一部上場、76歳になる年に米国ナスダック市場に上場を果たすという一見、遅咲きにもみえる一瀬さん。
「今日はオシャレにダブルのスーツでめかしこんできちゃったよ」と茶目っ気たっぷりに笑いながらご登場いただきました。今回は、飲食業界の荒波を幾度となく突き破ってきた一瀬さんに、米国上場に至る経緯を含め、人生のターニングポイントについてお聞きしました。
日本の外食産業初!米国ナスダック市場に上場 米国でのさらなる展開をめざす
──このたびは米国市場への上場、まことにおめでとうございます。準備は大変だったのでは?
ありがとうございます。2年前から準備し始めて、1年9カ月で上場しました。スピーディーに上場できた理由は、前年8月に東証一部に上場できたことが大きいですね。
あとは上場企業としての自覚と誇り、全社一丸となって気を引き締めて取り組んできたからこそ。
例えば会計チームなどは、日本の今の監査法人では対応しきれない面もあり、米国の監査法人による特別チームを組みました。現在は、監査法人が2つありますよ。
──これまで米国市場に上場といえば、メーカーや金融機関のみ。貴社は外食産業で初という快挙。達成感は大きいでしょう。
そうですね。今回日本から上場申請したのは当社を含めて数社のみ。それだけチャレンジする企業が少ないってことですよ。チャレンジそのものが難しいのか、あるいは米国での上場に価値を見出せないからということでしょう。
──アメリカ進出の構想はいつ頃からでしょう?
私がアメリカ展開を意識し始めたのは、当社の売り上げをリードするステーキチェーン「いきなり!ステーキ」が、日本でまだ3店舗しか出店していなかったころです。ほどなく全社員に米国ナスダック市場上場をめざすことを宣言しました。
──「いきなり!ステーキ」が3店舗しかないときに、アメリカでの展開に動き出すとは、驚きです。
アメリカはフランチャイズの本場です。当社は、海の向こうからきたフランチャイズというビジネススタイルで伸びてきた。
だからアメリカで多店舗展開をめざそうしたとき、我々が米国ナスダックに上場しているか否かは、ずいぶん違うと思ったんですよ。
──上場後、アメリカのフランチャイジーの大手企業とは話をされましたか?
いや、まだしてない。ちょっと待ってる(笑)。いま当社は日本で1,000店を目指しています。目指せる範囲だと考えているんだけどね。
で、それに乗じて『日本で1,000店、アメリカで1,000店』って目標に掲げてるんだよ。勝負はこれから!思い切った数字かもしれませんが、語呂も良いからいいでしょ(笑)
アメリカンドリームの先駆者 ロッキー青木さんとの運命的な出会い
──ステーキチェーン「ペッパーランチ」の海外展開は、アジアからでしたが、「いきなり!ステーキ」は、なぜ“いきなり”アメリカからスタートを?
話せば長くなるけど、今から15~6年前、(社)日本フードサービス協会の会合で「ニューヨークの旅」が企画され、それに参加したんです。
たまたま朝、早起きして、セントラルパーク界隈をジョギングしてたらね。向こうから私が生涯を通して“心の師”と仰ぐ故ロッキー青木さん(2008年没)が、犬の散歩をしてらっしゃったんですよ!
──ロッキー青木さんというと…
ロッキー青木さんっていったら、鉄板焼き「BENIHANA of TOKYO」を立ち上げ、ニューヨークのレストランビジネスで、全米にチェーン展開して成功した方です。
今でこそ、プロ野球界の松井選手やイチロー選手も有名ですが、その昔、米国で有名な日本人といえば、ロッキー青木さんだった。日本人でアメリカンドリームを成功させた草分け的な人物です。
──そんな偶然の出会いがあるとは、信じられないラッキーですね。
彼の著書は、何度も何度も読みました。いわば私のバイブルです。その方が目の前にいる。私は、そのころアジアで海外展開を始めたばかりでしたが、当社の事業内容を語ったところ、「それなら、ここニューヨークでできるじゃない!」って。
それからロッキー青木さんと連絡を取り合うようになり、親交も深まりました。
もともと私は料理人からスタートしています。山王ホテルに勤務していたころは、米国の将校が集うパーティー料理なども担当していました。だから米国人好みのステーキを知り尽くしていた。味には自信があったんです。今もアメリカでの当社のステーキは評判いいですよ。
──今はアメリカではどんな展開を?
現在は、ニューヨークで「いきなり!ステーキ」の出店をすすめつつ、ロサンゼルスで「ペッパーランチ」の新店を増やしていこうと。テキサスにももう1軒できるんです。
アメリカの東西から「いきなり!ステーキ」と「ペッパーランチ」で攻めるつもりです。
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