株式会社ノースオブジェクトの南さんがテーブルに座っている写真

南 大助(みなみ だいすけ)氏/株式会社ノースオブェクト 代表取締役社長
1961年生まれ。立命館大学卒業後。婦人服の卸売の会社に勤務、営業をしながら服の企画に携わる。1999年に37歳で独立し、株式会社ノースオブェクトを設立。アパレル卸売業を企業基盤とし、2014年には飲食事業に参入。食や体験を通じて北欧の文化や豊かさを発信するお店をオープン。大東市で2020年にまちびらきが行われる「北条まちづくりプロジェクト」も参画中。

子育てファミリーに向けて衣・食・住を彩るサービスを展開し、“手に届く豊かな暮らし”を発信している株式会社ノースオブジェクト。子供の成長に伴う変化や初めての出来事に一喜一憂しながら、子育てという大切な時間を一生懸命頑張るママたち。そんなママたちの役に立ちたい。そんな想いから、「ノースオブジェクトプチ」「ノーザントラック」「リラシク」3つのアパレルブランドを展開。「ノースオブジェクトプチ」は、北欧の国々を参考に、独自のブランドを創り上げています。北欧の自然をテーマにしたアパレル・飲食事業を通して、“本当の豊かさ”を提起しつづけている同社。

そして南さんが想い描く会社のあり方やこれまでをふり返りながらインタビュー。
ご自身のクロニクル(年代記)も最後にあります。

北欧の自然モチーフ、ナチュラル志向を徹底

──そもそも南さんはなぜ北欧好きに?
ノースオブェクトっていうと、北欧好きって思われるんですけどね(笑)。
僕が北欧に興味を持つようになったのは、起業後です。もともとスタートアップであるアパレルで、“自然”をコンセプトにしていました。北欧好きになってからは、まだ6~7年なんですよ。

──それは意外でした!
きっかけは「かもめ食堂」というフィンランドをテーマにした日本の映画ですね。
日本からフィンランドに移住して暮らす主人公たちのささやかで温かい生き方や空気感に惹かれました。鑑賞してから、すっかりフィンランドの虜です。

──映画をみてアパレルでのインスピレーションが湧いてきたのですか?
そうですね。あとはフィンランドのアパレルメーカー「marimekko(マリメッコ)」ですかね。鮮やかで大胆な色合いのプリント柄や花柄モチーフのデザインで、服や生活雑貨を手がける日本でも人気のブランドです。家の中で、こういうデザインのものがあるだけで気持ちが前向きになるのではないでしょうか。

北欧のロッジを彷彿とさせる画像

フィンランドでは、森に入り、森を自由に楽しむことが出来ます。森は心の安静を提供してくれる場所のようです。

──空気感やデザインに惹かれたと。
「かもめ食堂」も「マリメッコ」も、どちらも自然がモチーフでした。僕たちも創業時からナチュラルテイストでやってきていましたから、そういう自然志向な考えに、すんなり共感できました。

──北欧では暮らしの中の「デザイン」を大切にされているんですね。
北欧は冬の期間が長いため、その大半を家の中で過ごします。
1日5時間程しか日照時間がありません。お日様もほぼ見ない時期もある。
バケーションの時期は、各家庭に先祖代々からある別荘でアウトドアライフを楽しみます。そこで何をするわけでもなく、森でベリーを摘んだり、キノコ狩りをしたり、それぞれのリラックスを見つけるのが得意なんですよね。

──デザインや暮らしそのものが、自然と共存するのが北欧なんですね。
そうなんです。北欧は教育でも自然を取り入れ、子供たちをのびのびと育てるという考えを国が支えています。その考えにもとても共感できたし、僕たち会社のコンセプトにも通じるものがあったんです。日常の暮らしそのものを豊かにしたい。それは、ノースオブジェクトの根幹でもあります。
だから北欧のモノや人、文化、考え方から、たくさんのことを私たちノースオブジェクトは学び、発展しているんだと思います。

人生史上一番に面白さを感じた、アパレル業界での活躍

南さんの横顔の写真

──1999年に法人設立されていますが、ノースオブジェクトというと、“アパレル”がまず思い浮かびます。もともと服やデザインが好きだったんですか?
20代前半に、婦人服の卸売の会社でアルバイトをしていました。店頭に出て服を売るのではなく、服をたたんだり、商品の検品をするような裏方の業務を行なっていました。働く人たちの男女の垣根があまりなく、対等で自由な雰囲気に魅力を感じました。それからアパレル会社に営業として就職し、25歳くらいの時、服づくりに携わるチャンスをもらえたんです。

──服づくりのチャンスとは?
服の企画です。時代も良かったからか、ものすごく売れました。Tシャツのポケットにくまをつけたり、自分が面白いと思って服を作ったら、すぐに売れたんです。追加受注もあるし、売り上げは達成するし、店の人たちからは人気が出るし、人生史上こんなに面白いことがあるんだと感じた時期でした(笑)。
この頃から、将来は服づくりを通して人に喜ばれる仕事をしたいと思っていました。

実体験から生まれた“お母さんたちのために”という企業理念

──1996年に一人目のお子さんが生まれたんですね。
はい、初めの子育ては想像以上に大変でしたよ。妻からしてもお母さん初体験で頑張っているなか、社会はあまりにも冷たいと感じることが多くあったそうです。
例えば、子連れだと飲食店に入っただけで怪訝そうに見られることもあるし、お店によってはベビーカーの通れるスペースがなかったり。妻のみならず、世間のお母さんは大変な思いをしながら子育てしているんだと、親になってつくづく感じました。

──子どもが小さいうちは、何かと大変ですね。
二人目を授かると、妻もドンドン忙しくなっていきました。そんな日常の中で、癒しとなるのが家族で出かける、カフェでのひと時だったんです。でもね、子連れとなるとそれも一苦労でした。

ソファーに座り笑顔で語る南さんの写真

──その後、独立されたのが1999年と。そういった子育ての経験が会社設立のきっかけとなったのですか?
はい。子育てを頑張っているお母さんに役立つ会社なら作る意味があると思ったことがきっかけです。
ただ、会社を始めた当初は、お金も無いし、バブルはとうにはじけて、不況時代の真っ只中。子どもができたばかりの妻からしてみたら、不安でしかないですよね。

──それは…正直不安ですね。
僕は夢も希望も持っていたんですけどね。
会社を始めて数年は、早朝に出勤して最終電車で帰ってくるという日々。子育てに関しても非協力的でした。だから妻には迷惑がられていました。家庭には迷惑をかけていましたが、当時は現在の礎をつくっている時期でした。

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