
「日本には素晴らしい食材、技術、食文化がある。それを世界に広めていくパイオニアになっていきたい。」
気さくな笑顔でそう語るのは、「株式会社中庄商店」の代表取締役を務める菊川 雄平さんです。
創業から90年以上にわたり鰻の卸業を行っていた「中庄商店」を両親から引き継ぎ、「株式会社中庄商店」として企業を立ち上げ、四代目となった現在は鰻の他に、和牛、マグロ、ジビエ等の卸業も手掛けています。
そして、飲食事業の「うなぎ四代目菊川」「うなぎの中庄」の2つのブランドを展開する「株式会社パッションギークス」を含むグループ全体を統括する「mum Holdings」の代表も務めています。
母を意味する”mum”の名をつけたのは、安心できる、変わらない味、ホッと心が落ち着く空間をグループ全体で表現していきたいという思いがあったから。
元々は家業だった事業をここまで大きく成長させた背景について、菊川さんの生い立ちや起業当時のお話を伺いました。
▼プロフィール
菊川 雄平(きくかわ ゆうへい)さん
1985年生まれ。鰻卸問屋を営んでいた両親の後を継ぐことを大学生の頃に決める。各所修業を経て、2012年に株式会社中庄商店に入社。2015年に個人事業主として飲食店を創業したのち、翌年2016年に株式会社中庄商店の四代目当主として代表取締役に就任する。培ってきた「目利き」の審美眼で食材を常に探求し、鰻の世界一を目指す。
忙しい両親の元で培ったのは、「自分で考え、仮説を立てる力」
──中庄商店の始まりと菊川さんの生い立ちを教えてください。
中庄商店は淡水魚専門の魚商を行っていた母方の家業になります。
淡水魚の中でもメインであった鰻の卸売りを家族で細々と経営していました。
市場にお店があったので、仕事が始まるのは夜中の2時。鰻問屋はその日に使う鰻をその日に納品する必要があるので、休みなく配達をする毎日です。
私は幼少期からそんな両親を見て育ちました。子どもながらに自分のことは自分でやらなくてはと思っているような、ませた小学生だったと思います。
──忙しいご両親を見て、どのように感じていましたか。
家族旅行も行ったことなく、寂しいと感じることもありました。
でも、今思えばそれが逆によかったと思っています。忙しい両親には相談してはいけないと。学生時代から自らの頭で考え、仮説を立てて実行するということを行ってきました。
実は、学生時代はサッカーに夢中でしたが、スポーツ選手は現役寿命が短いと思ったんですね。そこで、家業が長く続いていることもあり、「長く働ける経営者になろう」と決めていました。19歳の頃です。
この「自分で考え、仮説を立てる力」は今の経営にもしっかりと活かされています。
キャリア生計は大学生の時。家業から会社を立ち上げた思い
──大学を卒業されてからは、どのような経験をされたのですか。
大学2年生の時点で社長になることを考えた際に、当時成功している会社は生産から販売まで一気通貫で行っていることに気がついたんです。
この仮説の通り、鰻の仕事でも一連の仕事ができるように経験を積もうと考え、大学を出てからまずは鰻屋さんで修業をしました。その後、鰻の養殖場に転職をして、最後に貿易業務を5年経験して家業に戻りました。そこで業界の流れは勉強ができましたね。
──その後、家業から企業へ拡大されていったのですね。企業にするきっかけが何かあったのでしょうか。
大学生の時に父が入院したことがあり、母と従業員がとても大変そうだったんですね。
家業は臨機応変に動けるメリットもありますが、子供の頃は家族の時間がなかったことや、何かあった時に従業員や仕入れ業者、お客さまなど関わる全ての人にリスクがあることを考えました。
一人でできる仕事はたかが知れていると身をもって感じたことが、企業にしたきっかけです。
──会社を立ち上げたばかりの頃を振り返ってみていかがでしょうか。
最初は事業規模も小さかったので、鰻の選別、加工、配達、経理と全て行っていました。
その頃は、夜中の2時から働いて、夜8時、9時まで働くことが当たり前でしたね。
今はようやく数年後のことを考えられるようになったのですが、当時は考える時間もなく目の前の仕事に全力で向かっていました。今と違う楽しさはありましたけどね。
現在は従業員も増え、各部署で仕事を分担して働いています。従業員も安心して働けるようになったと思います。
日本の素晴らしい食文化を世界へ広めることが使命
──飲食店を経営する株式会社パッションギークスで目指しているものはありますか。
日本の伝統的な食材や独自の技術を世界に広めていくことです。世界的に鰻は食べられていますが、鰻の食文化が一番発展している日本から海外へ、複数の店舗を展開している会社はまだありません。
そこで、日本の選び抜かれた食材を扱い、飲食店を運営する僕らがやらなきゃ誰がやるんだと思いました。日本の食文化に触れることで、食材だけではなく、器の技術や、空間作りを通して日本の素晴らしさを伝えていく組織になりたいですね。
──日本の食文化を広めていくために、取り組んでいることはありますか。
特に海外の方の職人育成に力を入れています。
現在は台湾、ミャンマー、中国、インドネシア、モンゴルと5カ国の人が働いています。ミャンマー生まれのスタッフは、国に戻ったら鰻屋をやりたいと言っていて、とても素晴らしいことです。
この会社の強みは、卸部門も店舗も持っているため幅広い研修ができること。
今後も国内、国外ともに出店して社員が成長できる場所を作っていきたいと思います。
──最後に、菊川さんが仕事において大切にしていることはなんですか。
小さい頃から行っていた、自らの頭で考え、学び続けることですね。
自分で見ている範囲だけではなくて、幅広く興味を持って、自分を変えていく必要があると思っています。
いつも今の自分が正しいのか自問自答しているので、今のやり方が正しいとは1ミリも思っていませんし、自分を高めていくために行動をしています。
今年、鰻の店舗を香港に出店予定なのですが、私も香港に行こうと思っています。海外で鰻の素晴らしさを広めるために、厨房に立って一から学び現地のニーズを掴みたい。自分の考えている大切なことを人に伝えるためには、自分から行動して示していくためです。
まとめ
代表取締役としてグループ全体を統括するだけでなく、幼い頃からの信念を貫き、日々変化を厭わない菊川さん。多忙な毎日の中でも、社員と笑顔で会話する姿からは、会社で働いている一人一人を大切に思い、コミュニケーションをとっていることが伝わってきました。
広く店舗展開を続けていく「うなぎ四代目菊川」。今後も、老舗90年の“目利き”で選ばれた上質な鰻で国内、国外問わず多くの人を幸せにすることでしょう。