千日前の本店前にたたずむ古田氏の写真

古田 暁人(ふるた あきと)氏/株式会社珉珉本店 代表取締役社長
1983年、東京生まれ。慶應義塾大学・大学院在学中にプログラマーとして起業。その後、祖父・古田 安氏が大阪・千日前に創業した「珉珉」の経営立て直しを図るため2010年、「株式会社珉珉本店」入社。2015年、代表取締役社長に就任。「珉珉」は現在、大阪、東京、兵庫、京都をあわせ全19店舗を直営。ほか、全国にのれん分け店舗がある。

1953年に祖父が大阪で創業した「珉珉」を2015年、専務から代表取締役への就任というかたちで受け継いだ古田 暁人氏。現在35歳。すでに京都、兵庫、東京と進出していた「珉珉」はその後、リーマンショック、東日本大震災のあおりをうけて、あわや東京撤退にまで追い込まれていました。

古田さんが再起をかけて取り組んだのは、徹底した「店の改革」。着実な売上増のなかで2018年には、目標だった総売上20億円を達成します。古田さんにとって、珉珉の改革のモチベーションはどこにあるのか。直撃インタビューしました!

古田さんが描いたご自身のクロニクル(年代記)も記事の最後にあります!

若手起業家から、老舗企業の3代目へ

──古田さんは学生時代に、起業されたんですよね。
大学院生のときに、プログラミングの法人を立ち上げました。でも実は、最初に起業したのは中学生の時なんです。当時、まだ国内で販売されていなかったアメリカで人気のトレーディングカードのネット販売をしていました。

──予想を超えたかなり早いスタートアップですね!
ははは、そうですね。当時、中学校でトレカが大流行していたんです。当時は海外のものが主流で、国内では割高で売られていたのにみんな買っていました。じゃあ海外から直接個人輸入したら儲かるんじゃないかと思ったんです。
結構稼いでいたんですが、高校生になった時、国内の大手が参入して価格が下がり、うま味がなくなってやめました。

ダミー

中学生の時、全国中学生選抜将棋選手権大会で2位に

──その後、大学院時代に改めて起業したと。
大学院生のときにプログラミングの会社を先輩と一緒に立ち上げました。ただこの時にリーマンショックが起こってしまった。努力はしたんですが、メイン事業は収益が出ず、一時休業しました。僕はそのあと「珉珉」に入りましたが、先輩は順調に経営を続けられています。

──家業を継がれるよりもプログラマーを続けたいという思いはあったんでしょうか?
大学生のころから「珉珉」には出入りしていたんです。メニューの写真を撮ったり、ホームページを作ったり。店員さんとも顔見知りになっていました。抵抗感はまったくありませんでしたね。

──正式に仕事として始めたのは2010年ということは、すぐに東日本大震災が起きてしまいましたよね。
ちょうど2代目である父親からの代替わりでした。正直にいうと、いろいろ考える間もなかったというか(笑)。本格的に始めたのが東日本大震災の直前で、すでに東京の経営は危うかった時ですね。

リーマンショック、震災・・・危機からのスタート

──まさに「立て直し」が本格始動だったんですね。
僕が入った頃は東京には採算が取れない店もあり、さらにリーマンショックも尾を引いていて、経営はすでにぼろぼろでした。そんな折に震災が起こりました。

「珉珉」は本格中華料理の店でもあるので、中国人のスタッフも在籍しています。その中で震災の風評を信じて「日本は危険だ」と翌日には中国へ帰る人がいたんです。料理人が7人辞めて、アルバイトを含めると20名くらいが急にいなくなりました。

笑顔で受け答えをする古田氏の写真

大阪本社にてインタビュー

──経営自体が危ない状況ですね。
本当にそうです。そこで急きょ、六本木店の店長、彼は古くからいるメンバーの一人なんですが、彼に相談して、まず六本木店をいったん閉めました。

で、六本木店のスタッフに他の店に入ってもらって。同時に不採算店舗を閉め、求人をかけました。東京は10店舗あったんですが、6店舗に減りました。

現場の仲間とぶつかり合って見えた“気づき”

──その後は?
まずは、店に行って、みんなと話をしました。仕事のこと、料理のこと、メンバーのこと、なんでも話しました。店長や正社員だけじゃなくて、アルバイト含めて全員と話すんです。

そうしていると、東京の「珉珉」の問題が“店”自身にあることに気づきました。「珉珉」では料理長が店長を兼任しています。お店というのは、繁盛するもしないも店長の手腕で決まります。

──何が問題だったんですか?
「珉珉」の東京進出は、70年近い歴史をもつ大阪とは違って、18年前です。生え抜きの料理人が根付いていなくて、それでいて昔ながらの料理人気質を引きずっている雰囲気がありました。たとえば、店長はレシピとメニューだけ決めて、「あとはやっとけ」という感じです。

ソファーに腰掛ける古田氏の写真

なかには自分の店を他の人間に任せっきり、店長が遊びに行って店にいないということもありました。これでは誰もやる気にならない。それは違うよね、と。

──どのような対策を取ったんですか。
店長の下の従業員たちは、店長が怖くてなかなか本音を言いません。それでも店に何度も足を運び、話しました。問題のある店長とも何度も時間をかけて話しました。僕のことが嫌いだった人もいたと思いますが(笑)、分かってもらえることもありましたし、結局辞めた人もいます。

20~30代たちとの改革

お店の前に立っている古田氏の写真

2018年の台風で飛ばされ、提灯も代替わり

何より僕がいちばん心を動かされたのは、店長の下で働く多くの若い従業員たちが「真面目にちゃんとやりたい」と思っていたことです。当時は震災直後で転職先もすぐには見つからない状況です。やる気をもって店に入ってきたのに「一体どうなるんだろう」そんな気持ちのなかでも、毎日頑張ってくれていました。

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