
「本格フレンチは難しい」と言われた大阪ミナミで、“野菜の美食”をコンセプトに掲げてお客様に愛され、2016年には10年目を迎える人気フレンチレストラン『リュミエール』。
ミシュランガイドで7年連続星を獲得。高島屋大阪店や阪急うめだ本店、グランフロント大阪にも多店舗展開するレストラン企業でもあります。オーナーシェフとして、そして経営者として手腕を奮っているのが唐渡泰さんです。
高級ホテルで当時最年少の料理長へ抜擢、超人気レストランの立ち上げを経て、独立開業へ・・・。順風満帆に見える経歴の中で、どんな苦労や気付きを経て現在に至るのか。一流シェフが考える料理界の魅力を伺いました。
目次
やりたくないと思った仕事が、人生の中で貴重な経験になった。
本日はよろしくお願いいたします。まずは、料理界を目指したきっかけから教えて頂けますか?
唐渡氏:小学生の頃から「自分のお店をしたい」という夢がありました。アルバイトなどで触れてきた飲食業、料理を作ることに面白みを感じていたので、自然と料理人の道を選びましたね。
調理師学校を卒業して、進路を決める時に、まずやめておこうと思ったのが、フランス料理だったんです。フレンチは「難しそう。修行が長そう」といイメージが強くて…。
最初に入ったのは、心斎橋の洋食屋さんですね。当時は、「そこで2,3年やれば、自分でカフェでもオープン出来るくらいにはなるかな」という甘い考えでいました。
洋食屋の先輩たちから料理を教えてもらう中で、出てくるのは、「本当はこのソースはね…」「本当はこれはフランスではね…」という言葉・・・。毎日のように聞くうちに、「フレンチをやってみたい」「フレンチではどうやって作るんだろう?」というモヤモヤとした気持ちが湧いてきて、フランス料理の道に入っていくことにしたんです。
若くして有名ホテルの料理長になり、大人気レストランの立ち上げに関わられるなど、輝かしい経歴のように見えますが、ご自身で思い描かれた通りのキャリアだったのでしょうか。
唐渡氏:もともとホテルに行ったのは、そこの最上階のフランス三ツ星レストランの日本店で働くためです。ホテルの中でも、フレンチ以外やるつもりもありませんでした。
しかし、神戸の震災でホテルも被害を受けてしまい、そのレストランがなくなってしまった。次に、任されたのはメインダイニングの料理長。いわゆる宴会料理を出すところでした。
辞令だったのでひとまず受けることにはしましたが、やはりレストランで働きたかったので、1年で辞めますと、辞令と同時に辞表も出していたんです。
でもいざやってみると、すごく新しい発見や勉強の連続だった。お皿の中だけを見ているのと、大勢の料理人たちを使って、大量の料理を提供する・・・というのは全然違いました。
私の戦略や指示の出し方次第で、お客様にお出しする料理のクオリティが変わってきます。スタッフをどう動かすか?どうすれば温かいお料理を温かいまま、お客様に提供できるか?料理の手順、スタッフのオペレーションはどうするか?
マネジメントの難しさに、当時、コンクールで優勝したり、賞なども獲って少し天狗になっていた鼻を見事に打ち砕かれました。1年では到底、自分の仕事に全く納得がいかず、結局4年間料理長を務めることになりました。
この時の経験が、ティーサロンやホテルのプロデュースなどビジネス戦略や多店舗経営の礎になっていますね。今思えばとても貴重な経験をさせていただきました。
嫌な事ややりたくないと思った事が、意外と人生の中で貴重な経験になることがある。私はこの時の事を通して、身をもってそう感じているので、今の子たちにも伝えるようにしています。