日本から直線距離にして5095キロメートル。ヒマラヤ山脈に抱かれたネパール。首都カトマンズからさらに東に車で約10時間かかるコタン県。ここに現地の女性がピーナッツバターを手作りする工場があります。経営するのは日本人女性。「SANCHAI(サンチャイ)」代表の仲 琴舞貴(なか ことぶき)さんです。
山が連なるこの村には働く場所がありません。
壮大で美しいこの地を愛しながらも、若者が職を求めて故郷を離れていく現状を目に、ここで穫れるピーナッツで「雇用」を生み出そうと工場を立ち上げました。
2022年には、このピーナッツバターの美味しさを多くの人に知ってほしいと手軽に味わえるキャンディを開発。同11月にクラウドファンディングを行ったところ、1日で目標額を達成。多くの反響を呼びました。そんな仲さんにインタビューしました。
(取材:2023年2月2日)
※リレーインタビュー「旅する料理家 桑折 敦子さんがイチオシの食べ物とは?そして世界の中の日本“食事情”のゆくえ【リレーインタビューVol.29】の桑折 敦子さんからのご紹介です。
<プロフィール>
仲 琴舞貴(なか ことぶき)さん SANCHAI代表
1978年生まれ・福岡県出身。家業の美容院経営に携わった後、2009年大手コンビニでマーケティングに携わる。その後、IoTサービスを提供するベンチャー企業に入社。2016年、子供の学びを寄付で支援するIoTプロジェクトのためネパール東部コタンへ。現地視察後「寄付よりも親の経済的基盤作りが必要」と一念発起。2017年、ピーナッツバター工場を立ち上げる。2017年ネパールで『Bipana Inc.』、2019年、日本法人「SANCHAIInc.」を設立。ネパール、日本での販売を開始。2023年、世界への販路開拓をいよいよ始動。
極小×極上のピーナッツから生まれる美味しさ
編集部:まずは2022年11月にスタートした「ヒマラヤ産ピーナッツバターキャンディ」販売のクラウドファンディング。達成おめでとうございます。あっという間に目標額に届きましたよね。
仲さん:ありがとうございます。初めての挑戦だったので控えめに設定しようと、目標額を30万円にしてみたら1日で達成して(笑)。最終日には200万円を超え、達成率700%以上という嬉しい結果となりました。
メッセージもたくさんいただき、「応援できるのが嬉しい」という方や「美味しいピーナッツバターをありがとうございます!大好きになってしまいました。」という方もいて、私自身とても力をもらいました。
※クラウドファンディングの詳細はこちら→「濃厚なおいしさと幸せが口の中に広がる、ヒマラヤ産ピーナッツバターキャンディ」
編集部:「SANCHAIピーナッツバター」は、ピーナッツの圧倒的な香りと濃厚な口どけが特徴的ですね。レストランシェフのファンも多いとのことですが、あらためて仲さんが思う美味しさの理由は?
仲さん:理由は2つあります。
一つは原料となっているピーナッツ自体のポテンシャルの高さです。私が美味しいピーナッツをネパールで見つけて、それで事業化したと思っている方も多いようなんですけど、そうではなくて(笑)。
※「SANCHAI」誕生秘話はこちら→「SANCHAIピーナッツバターができるまで」
私が事業をはじめようとしたきっかけは、もともと雇用創出が目的です。しかもコタンではリソースがピーナッツしかなく、その唯一のピーナッツもうまく活用できていないという状況でした。そこで一軒一軒、農家さんから品種・収穫量・農期など情報を収集。そしたらどの農家さんも大体2種類のピーナッツを作っていて、小さい方が美味しいと言うんです。
編集部:どれぐらいの大きさですか?
仲さん:小さいのは小指の爪ほどの大きさです。でもそれは市場で流通している品種ではなく、コタンの人たちがローカルピーナッツと呼ぶ家庭用に食べるために栽培していたものでした。それで友人であり、料理家の桑折 敦子さんにも試食してもらったら「確かに小さい方が味が濃い」というし、ならそれでピーナッツバターを作ろうと。
当初、ここは電力の送電がないエリアで、ピーナッツバターの製品化までは前途多難でしたね。手作業ですりつぶしても上手くいかず…。それがたまたま工場開業の3ヶ月前に送電がスタートされることになり、急いでミキサーを入手して擦ったらすごいトロトロになったんです。ピーナッツ本来の油分がたっぷり含まれたピーナッツバターができ、その時に初めて美味しさに気づいたというわけなんですよ(笑)。
編集部:ピーナッツバターを作るって先に決めて、あとで予想以上に美味しいことに気づいたというわけですね。
仲さん:そう、しかも私はもともとピーナッツバターがあんまり好きじゃなかった。なのになんでこんなに美味しいんだろうって。
(一同:笑)
この美味しさの由来を農家さんに尋ねると「品種改良されていないから」とのことでした。それで千葉大学農学部に赴き、ピーナッツ専門の博士にお伺いすると
「種は土地に合わせてうまく育つように品種改良されることが多く、逆に美味しさが損なわれる場合がある」とのことでした。ピーナッツはもともとペルー原産で、アメリカや中国にわたり、大量生産・販売するために改良されていったそうです。
小粒の方が作物として美味しいのはよくあることで、野菜や果物も小さい方が味が濃いのと同じだと。もちろん現代は美味しさを追求するために、改良されることもあるとは思いますが。
人の手作業によって生まれる美味しさ
仲さん:もうひとつは人の手によって生まれる美味しさです。この事業の一番の目的は「雇用を生み出す」こと。でもたくさん雇いすぎて赤字になったり、することがなくて暇を持て余すような会社にしてしまっては、幸せにはなれないと考えていました。
私は、人の労力として「良い粒を選別する作業」が重要なポイントだと考えていました。ピーナッツバターはシンプルな工程で作られています。しかし細かい作業が多く、特に薄皮とピーナツの実を別々にする作業って、手に皮がまとわりつくので結構大変なんですよ。
現地のスタッフは働いたことがない女性ばかりでしたから、効率的に働いてくれるかは業務をすすめながら調整しようと思っていたんです。そしたら想像以上に彼女たちの手際が良かったんです!
薄皮を外して行く作業なんて、彼女たちがザルに入れて「チャッチャッ」とふるだけで皮が飛んでいくんです。私もやってみたけど全くできない。彼女たちは日常でピーナッツを食べているし、粟・蕎麦など現地の小さな粒状の農作物を乾燥させ下処理するということに慣れているので、みんな上手いんですね。
ピーナッツは傷から酸化するんですが、機械で皮むきをすると傷がつきやすいんです。人の手で行うことで傷つけずにフレッシュなピーナッツのまま製品化されるんです。
「食」を地域全体でブランディングしていくことの大切さ
編集部:農家さんも今まで売り物にならなかったローカルピーナッツの買い手ができて喜んでいるのでは?
仲さん:そうですね。「ローカルピーナッツは美味しい」とはわかっていたけど、嵩(かさ)がないから売り物としてベストではなかったんですよ。それでもほかに産物のないコタンの農家さんにとっては誇れるピーナッツです。でもコタンのピーナッツは、首都・カトマンズに行けば「へぇ~、コタンで作ってるんだ」という程度の認識です。私にはそれが面白かった。そりゃそうですよね、多くの人に認知されていなければ価値にならないでしょう。
例えばネパールでブランディングされているのはイラムの紅茶、イラムティーなんです。インドのダージリン地方と隣接する紅茶の産地でネパール人は「イラムティーはネパールが誇るお茶だ」とみんな認識しています。
だからイラムに行って、どうやってブランディングできたのか紅茶農家さんに話を聞きに行きました。そしたら紅茶の製造会社だけでなく、農家さんもオーガニックの勉強をしたり、地域全体で目標に向かって学んでいたんですよ。街にはごみも落ちていないし、協力して良いものを作るという意識があるからこそ見識があがると感じました。
編集部:イラムティーのブランディングが成功したのは、関わる人と地域が一体となって取り組んだからなんですね。
仲さん:それをコタンの農家さんに伝えたんです。
「いくらコタンで良いピーナッツを栽培していても、それを伝えていく手段を持たないとブランディングは成り立たない。そしてその役割は私がやる。だからみなさんは私たちと共に良いピーナッツを作る勉強をしてほしい」と。
編集部:農家さんはなんと?
仲さん:「もう僕たちは君たちの会社の一員だよ」と言ってくれました(笑)。
編集部:いいお話ですね。ところで農家さんとの取引額はどういうふうに決めているんですか?
仲さん:元の金額を聞いて、そのうえでプラス30~40%ぐらい上乗せしています。ネパールでビジネスしている方々からは「もっと安く仕入れられるよ」と言われますが、これは初めに決めたことだから「変えない」と思っています。
編集部:農家さんにとってはフェアトレードな取引ですし「SANCHAI」のためならと絆も深まりそうですね。
仲さん:そうですね、思ってくれてますね。コロナでやむなく農家さんに支払いを送金できない時期も「いいよ~、待つよ~」って。
ネパール山岳エリアで「働く」ということ
編集部:コタンの女性は初めて「自分で稼ぐ」という経験をしたと思うのですが、給与はどのように決めたんですか?
仲さん:悩みました。物価、暮らしも違うし、色んな人に相談しました。当社は、コタンで「雇用」を生み出すために立ち上げたので、たくさん人を雇用したい。だから多くの人を雇う代わりに労働時間を短めにして時給換算の日給月給制にしました。
というのもネパールはたくさんの民族が住んでいて、工場にもライ族、ラウト族という2つの民族が働いています。各民族ともお祭りが多くて、祭りの日は仕事はお休みになります。しょっちゅうスタッフが半分いなくなるのでは工場も運営できません。それで安定して運営でき不公平感が出ないように時給換算の日給月給制にしたんです。
それに、短めの勤務時間にすれば、家庭とのバランスもとりやすく、子育て中の女性も子どもを学校に送って家事を済ませて、工場に来て、子どもが帰る前に仕事を終えられます。
編集部:いいですね、日本もそうなればいいのに。こんなことをお伺いして失礼ですがスタッフの給与平均は?
仲さん:1万円程度でしょうか。以前、調べた時は、ネパールではホワイトカラーの初任給で1万円ぐらいでした。今は土地バブルも起きているので相場もあがっていると思います。
編集部:それでも都会に大きく遜色しているわけではないんですね。今までコタンの女性は収入を得る手段がなかったことを思えば、大きな変化だったでしょう。働く人の意識の変化を感じることはありますか?
仲さん:彼女たちを見ていると、ここで働くことが「お金を稼ぐ」以上のやりがいになっているとすごく思います。
というのも工場で働いている…中でも30~40代の女性たちは小学校もちゃんと行けず読み書きができない人も多いんです。だからたとえ都会に働きに行ったとしても、自分は何もできない人間だと思い込んでいました。
加えて山岳地帯は公立学校の先生が赴任したがらない地域なので、先生の確保がむずかしい。ネパールは教職員免許がなくても教師になれるんですが、そうなると地方の村などの教育の質は決して高くはなくて。子どもたちが片道3時間かけて登校しても「今日は先生がいない」という状況も珍しくありません。ネパールは就学率は低くはないんですが、教育環境の課題が多くて卒業率はかなり落ちるんです。
編集部:首都・カトマンズとは、学童期ですでに格差ができてますね。
仲さん:そうですね。これまで家族の世話と農作業に追われてきた彼女たちが、自分にも働く能力があって、そのお金で自分の家族を養うことができるようになった。それが何よりうれしいと話してくれました。そしてそれが自信につながっています。変わることがないと思い込んでいたけれど変われた。この変化は、経済的に豊かになること以上に、彼女たちの人生にとって価値があることだったんだと思います。
▲コタンの女性たちは「世界はどんどん変わっていくのに、私たちの毎日は同じだった。そんな人生が大きく変化した」と語っている。SANCHAI:HPより
編集部:イキイキと働くお母さんの姿を見るようになれば、子どもたちにも良い影響がありそうですね。
仲さん:コタンの子どもたちは、働き盛りの人がみんな都会に出ていくので、身近な人の働く姿といえば農業ぐらい。将来の夢を子どもたちに聞くと、みんなお医者さんか学校の先生…。なぜかとネパール人の知人に尋ねたら、そもそも仕事というものを想像することができないので、他の人や周りの大人がよく口にすることをそのまま言ってるだけなのではないかということでした。
ここでは想像することができないから、子供たちは夢を持っていない。それを聞いてすごく悲しい気持ちになったんですよ。
編集部:世の中には、こんなたくさんの職業があることを知らないってことなんですね。
仲さん:はい。でも少し前に工場で働く女性の5歳の息子が「将来、お母さんの会社で働きたい」と言っていると聞いたんです。だからこのピーナッツバター工場が、彼らの夢の中のひとつになったんだなと思ってうれしくなりました。
ヒマラヤで生まれた食品のストーリーと共に夢が広がる商品づくりを
編集部:今後の目標はなんですか?
仲さん:ネパールと言えばヒマラヤという世界の宝がある国だから、山をトレッキングする人たちの口にするものの1つになりたい。美味しいものって、体験を含めてだと思うから、「ヒマラヤの大自然を思い浮かべながら」「あの時のキャンディが美味しかったな」って。そんな思いを込めて「サンチャイピーナッツバターキャンディ」を作りました。
でもこの先、当社はどんどん新商品を開発したいわけではなく、発展していなかったネパールだからこそ残っていた素晴らしい食材・ピーナッツの美味しさと、製品を作るからこそ生まれる価値。そして働く女性たちのこと。そういうものをストーリーとして伝えたい。
今後、重要だと思っているのは、その仕組み作りだと思っています。私自身、大変なんですけど、この事業にトライするチャンスを与えてもらった事に大きな感謝と幸せを感じながら仕事をしています。
ピーナッツバターという1つの食品を通して、お客様にその背景や成り立ちを感じてもらえる機会をどれだけつくるか、それを構築したい。それが会社としての一番の目的であって、その手段のひとつが商品開発だと思っています。
編集部:今は日本とネパールでの販売のようですが、マーケットを広げるつもりは?
仲さん:実は最近やっと、海外で販路開拓するための複雑な手続きが完了したところなんです。現地で会社を立ち上げたので、それはややこしくて。4年越しでやっと終わりました。
はじめは、シンガポールを考えています。ネパールから輸出しやすいのは、あと香港、台湾、中東など。北米も視野にありますが競合が多いのでブランディングをしっかりしないと。まだまだ準備が必要です。
編集部:今後、グローバルに広がっていきそうですね。
仲さん:そうですね。私はネパールで、世の中、確実なことは一切ないということを学びました。初めてのコタン入りの時は、何もない山の中で行く手を崖崩れに阻まれたり、共同経営者だと信じていた人から裏切られたり…。
海外では自分の身は自分で守らなきゃいけないし、困難な状況をいかに受け止めて工夫して前に進めるかが本当に問われます。でも「世の中、確実なことは何一つない」ことが真実だと気づいたとき、それを「面白いな」と思ったんですよ。そしてそれが今もずっと繰り返されている感じです(苦笑)。
編集部:海外でチャレンジしたいと思っている人は、心して聞いた方がいいですね。
仲さん:もうずっと崖崩れ。で、ずっと遠回りの繰り返し(笑)。で、ちょっとずつ進んでいる感じ。でも、ありがたいことに幸せを生み出せてこれました!
編集部:はい、現地の女性たちも巻き込んで幸せを引き寄せてますよね。今日は帰国の忙しい合間に取材にご対応いただき、ありがとうございました。これからも応援してます。
まとめ
「SANCHAIピーナッツバター」は、インターネットでも購入できます。アマゾンカカオを使った料理で知られる太田哲雄シェフをはじめ、一流の料理人のファンも多いのだそうです。
どの国にも地域にも「食」はあり、暮らしとつながっています。「SANCHAI」の現地スタッフは製造が中心ですが、今後、子どもたちが成長し、会社のビジネスそのものを支えてくれる人材が出てくるかもしれません。
「未来の子どもたちを本当に変えていくには、大人たちも含めて変わっていく必要がある」という仲さん。そのきっかけを作り、彼女たちと共に変化を楽しむ仲さんの満面の笑顔が印象的な取材でした。
<インタビュー:峯林 晶子・杉谷 淳子、記事作成:杉谷 淳子>
<取材協力>
社名 | 株式会社SANCHAI |
住所 | 東京都港区南青山1丁目14-7 ベルメーゾン1F |
SNS | Instagram、Facebook |
<写真・動画提供>
株式会社SANCHAI
仲 琴舞貴
「NOÉ NO OMISE」
※インタビュー風景を除く