歴史深く、日本が世界に誇るお酒「日本酒」。
全国にはさまざまな酒蔵で美味しい日本酒が造られていて、そのバリエーションは実に豊かです。
美味しいお酒を楽しむ時間は本当に幸せな時間。
とはいえ日本酒って、何をどう選べばいいか、楽しく飲めるのか、よく知らない…という方もいるのではないでしょうか。
和歌山県岩出市にある酒蔵でお酒造りに取り組む藤田晶子さんは、酒造り歴20年。男性が多い酒造りの世界で活躍する、女性の杜氏(とうじ)です。
なかでも山廃(やまはい)造りにこだわる藤田さんは「現代の名工」(※)として知られる能登の農口(のぐち)尚彦杜氏のもとで酒造りを学び、2013年からは吉村秀雄商店で杜氏として「車坂」「日本城」などを手がけてきました。
紀の川の恵みのもと仕込む山廃は、海外でも高い評価を受けています。そんな藤田さんのお酒造りにはどんなこだわりがあるのでしょうか?酒造りの魅力、海外を含めて日本酒がどう楽しまれているかなど、オンラインインタビューしました。(取材:2023年1月11日)
※現代の名工:厚生労働大臣によって表彰された卓越した技能者のこと。
※藤田 晶子さんは、リレーインタビュー「美味しいワインの選び方は、店選びと自分の味覚を信じること~ボージョレ・ヌーヴォー直前情報も【リレーインタビューVol.27】」の細谷 志朗さんからのご紹介です。
<プロフィール>
藤田 晶子(ふじた あきこ)さん
「車坂」「日本城」を掲げる吉村秀雄商店の杜氏。東京都出身。東京農業大学醸造科学科を卒業後、石川県の鹿野酒造に入蔵。「現代の名工」として知られる杜氏・農口尚彦氏に師事する。10年間の修業を経て、2013年より和歌山県の吉村秀雄商店にて杜氏に就く。以降すべてのラインナップにて杜氏を務める。
能登で学び、和歌山で杜氏に
編集部:藤田さんは東京農業大学の醸造科学科出身です。大学で醸造を学んだことで酒造りをしようと?
藤田さん:入学当時はそこまで日本酒に興味があったわけではなかったんです。醸造科学科といっても、日本酒学、ビール学、ワイン学、醤油学などいろいろあって。
私の場合は、なかでも発酵学や食文化論で知られる小泉武夫先生の授業が面白くて、たとえば、弥生時代が始まりとされている稲作が、実は縄文時代から始まっていて、穀物を発酵させたお酒のようなものも作られていた…というような。
また、酒造りのなかでも日本酒はたくさんの微生物が関わっていて、造るプロセスも非常に複雑だということを学ぶなかで、日本酒に興味がだんだん湧いてきた感じです。
編集部:なるほど。卒業と同時に酒造りの道に?
藤田さん:そろそろ就職活動をしなくちゃという時に、酒造メーカーではなく酒蔵で働きたかったので蔵人の求人を探したんですが、大学の就職課にしろ、どこにしろ、酒蔵の求人はほとんどないんですよね(笑)。
なので自分で探すことにしたんです。酒造りの全体を覚えられるような「2000石以下」という規模に絞って、それで当時よく通っていた酒屋のご主人に酒蔵を紹介してもらいました。いろんな酒蔵に見学と称して電話をかけて、あわよくば蔵人を募集していないかと(笑)。
いろいろ行ったなかで石川県の「常きげん」の酒蔵、鹿野酒造に行ったんですが、瞬時に「ここしかない!」と思いました。本気で酒造りをやりたいと覚悟が決まった瞬間ですね。
編集部:農口杜氏のいた鹿野酒造ですね。すぐに来ていいよと?
藤田さん:来ていいといってくれました。当時の鹿野酒造の社長や専務が東京農大出身だったこともあって、ラッキーだったとは思います。
編集部:酒造りの世界は体力的にきつい仕事ではあるし、男性中心のイメージがあり、女性の蔵人も多くはありません。藤田さんが女性という点では何も言われることはなかったんですか?
藤田さん:まったくなかったですね。鹿野酒造では当時から若い蔵人が多くて、おやっさん(農口杜氏)の酒造りを本気で学びたくて働いている方たちばかりでした。なのでそういったことを気にする方は一人もいなかったですし、ハラスメントのようなこともまったくなかったです。
編集部:和歌山の吉村秀雄商店に杜氏として入ったきっかけは?
藤田さん:吉村秀雄商店で杜氏が引退したから新しい杜氏を探しているということで、農口杜氏に相談が来まして、私に白羽の矢が立ったんです。
編集部:藤田さんは快く行こうと?
藤田さん:私もちょうどその冬の造りで退社しようと思っていたのでタイミングが合いました。杜氏じゃなくてもいいから、他の蔵を経験したいと思っていたので。
編集部:杜氏になるのではなくても、他の蔵で学びたかったということですか?
藤田さん:そうです。杜氏になるには酒蔵の蔵元から「杜氏をやってください」と言われないとなれないんですよ。
たとえば私は能登の杜氏組合に入っていますが、南部杜氏組合のような杜氏になるための試験は行われていません。そのため、杜氏を募集している酒蔵があって、さらに推薦してくれる親方からの後ろ盾が必要です。
編集部:狭き門ですね。でも石川から和歌山の酒蔵に入るとなると気候も違うし、米も違えば、酒造りを行なうには大変だったのではないですか。
藤田さん:吉村秀雄商店の店主(代表)である安村は、もともと「山廃をやりたい」という思いがあったのと、「正直なお酒を造りたい」ということを言ってくれたので、それだったら酒蔵を一緒にやっていけると思いました。
海外での受賞と、日本酒に求められる最大のテーマとは
編集部:「車坂」の山廃は2018年、ベルギーのブリュッセルで行なわれた日本酒品評会でプラチナメダルを受賞、また2021年はフランスのボルドー酒チャレンジで金賞を受賞。海外での評価が高まっていますが、海外の方からはどのような反響がありますか?
藤田さん:賞にはあまり興味はなかったんですが(笑)、プロモーションではドイツとフランスに行って、とても楽しかったです。
ヨーロッパはワイン文化が土台にあるので、お酒の飲み方をよく知っています。だからバイヤーの方も、日本酒に興味も知識も持っていらっしゃるんです。話していて質問のポイントが面白かったり、お酒をどう楽しめるかで、よく話が盛り上がります。お酒は熟成している方が価値がある、ということもよく分かっていらっしゃるなあと思いますね。
編集部:日本とはまたちょっと違う楽しみ方というか?
藤田さん:そうですね。私が山廃にこだわっていることにもつながるんですが、海外では「料理とお酒を合わせる」という点が大きいですね。料理の内容に合わせてお酒を変えるというのはもちろんですが、さらに「料理に負けない」ということを大事にしているんです。
だから料理に負けない味わいがある「山廃」であること、さらに熟成していることも大事です。香り、脂質の量、旨味の強さ、スパイス。それらが強い料理に日本酒を合わせようと思ったら、ある程度熟成していないと負けてしまいます。
編集部:熟成させると、どう変わっていくんでしょう。
藤田さん:レイヤーがかかって奥行きがでてきます。苦味・渋みが消えて、ドットが詰まってまとまって密になっていくような感じですね。熟成させて美味しくなるお酒は、キレイで骨格がしっかりしていなければなりません。
編集部:なるほど。熟成させた山廃なら、食事がより楽しめると。
藤田さん:私自身、「料理、食事をどのように楽しむか」というのが酒造りの最大のテーマなんです。「食」というものがどれだけ人生を左右するか。お酒とともにした食事に感動した経験が私にもあるので。
皆さんが飲んだ時に「美味しいわ~」と楽しい時間になる。そういうお酒を造りたいと心の底から思います。そのキーワードとして「山廃」があるんじゃないかと思っています。
編集部:藤田さんの蔵だと、どのお酒が食事に合いますか?
藤田さん:全部ですね(笑)。洋食でも、和食のお出汁の味でも楽しめることを意識して造っています。
また、フレッシュではなくて熟成しているものが食事には合いやすいと思うので、たとえば「車坂」の山廃シリーズはどれも3~5年寝かせてから出荷しています。現在発売中のヴィンテージは山廃純米が2016、山廃純米吟醸が2018、山廃純米大吟醸が2019です(※)。また山廃以外のお酒もそれぞれの酒質に合わせた熟成期間を設けています。うちのお酒を大事に扱って販売していただいている特約店が全国にありますのでぜひ(笑)。
※2023年1月現在
「山廃造り」の魅力とは何か
編集部:藤田さんが「山廃」にこだわるようになったきっかけは?
藤田さん:私が師事した農口杜氏は山廃の神様といわれている方で、農口杜氏のもとでずっと山廃での酒造りを学んできました。
私自身は、最初に日本酒に興味を持った時に、東北の吟醸酒の割と端麗なタイプから入っていったんですが、段々幅が広がっていって、北陸方面の味わいのしっかりした濃醇なタイプを飲むようになっていきました。それが非常に美味しくて「こんなお酒が世の中にあるんだ」と感銘を受けたんです。
編集部:濃醇で辛口なのが山廃ですね。藤田さんは「山廃」だけでなく「生酛」(きもと)も造りはじめたと聞きました。
藤田さん:生酛は数年前に造り始めたところなんです。そもそも速醸酛と山廃の造りの違いが、何がどう作用して味わいに関わるのかという疑問があって、山廃の原型は生酛なので、じゃあ山廃以前の生酛を作ってみようと思ったんです。
山廃は最初から酒母タンクに仕込むんですが、生酛の場合は半切り桶で分割して仕込みます。それと同時に水の量も違います。それらの違いがどう作用していくかを研究しているところですね。
編集部:正直、造りの違いって難しいです…。生酛や山廃は非常に手間ひまがかかるのは分かるのですが。
藤田さん:生酛と速醸酛の最も大きな違いは、酒母造りのための乳酸です。自然界の乳酸菌を使って造るのが「生酛」。人工的に造られた乳酸を添加して造るのが「速醸酛」です。
生酛の手法のひとつで、米をすりつぶす「山おろし」という工程を廃止したのが「山廃」です。
ただ、生酛も山廃も微生物の作用という意味ではほとんど一緒です。造りは杜氏によっても違うので、あいまいな部分もあって。
編集部:山廃も生酛も昔ながらの手法ですよね。
藤田さん:歴史的な背景でいえば、現代の「速醸酛」と呼ばれる乳酸そのものを添加する作り方は、安定した生産をするために“酵母を培養する”技法として、明治以降に生まれたものなんです。それ以前でいうと、奈良県に残っている菩提酛(ぼだいもと)という、奈良時代の清酒発祥といわれる造りがあります。その後、江戸時代に「生酛」の手法が生まれて、さらに「山廃」にたどり着くわけです。
編集部:酒造りは自然科学と人の知恵ですね。藤田さんとしては、より美味しいお酒を求めていったら生酛にたどり着いたと。
藤田さん:そうですね。飲む人に美味しいと思ってもらいたい、いいものを造りたいというのが一番です。そのためにはやっぱり自分の知らない技術を採り入れて、試行錯誤が必要です。生酛もそうですし、いいのか悪いのかはやってみないと分からないので。
蔵人はエッセンシャルワーカー。未来はどうなる?
編集部:吉村秀雄商店では、どのような蔵人たちが一緒に働いているのでしょうか。
藤田さん:うちでは未経験からやってきた人間も多いんですが、二人三脚でやっています。もう今年の造りで10年になるので、一緒に年を重ねてきて「かつて20代だった人」が多いですが(笑)。幸いなことにここ数年はメンバーも変わっていないですし、非常にやりやすいですね。
編集部:蔵のみなさんは社員になるんですか?酒造りは基本冬なので、夏場はどのように過ごすんでしょう?
藤田さん:私ともう2人の蔵人は正社員で、あとの2名は季節雇用です。造りが終わったら蔵のメンテナンス、出荷作業などをしながら、休みを取りつつでしょうか。
編集部:お休みはどのように過ごすんですか?
藤田さん:酒造りは半年は働きづめみたいな状態なので、お休みの時期は丸々1ヶ月休みを取ったりします。
20代の時は海外や沖縄などに旅もしていたんですが、年を追うごとに肉体的にも、気持ちとしても、しっかり休むことが必要になってきて(笑)。もう何もせずに身体も心もすべてを空っぽにしないと、次の造りの準備に入れないですね。
でも遠くに行かなくても、温泉に行ったり、和歌山はいい場所がたくさんあるのが幸いですね。
編集部:蔵の仲間とでかけたりは?
藤田さん:半年間、誰よりも一緒にいるので、休みのときはもういいかなと(笑)。
編集部:藤田さんから見て蔵人、ひいては日本酒の未来はどのように感じますか?
藤田さん:酒造りは大変ですが、いい仕事です。面白いです。お酒ができた時の喜びというのは格別なものがあります。社会に必要不可欠な「エッセンシャルワーク」ともいえる、非常に価値ある仕事だと思っています。
ただ、日本酒業界だけの問題ではないとは思うんですが、もっと若い人が入りたいと思えるような業界にしないといけないとは思いますね。
まず専門技術を持つ職人として、もっと安心して働ける仕組みにならないといけません。結婚したり子供ができたりしても、ゆとりをもって生活できるようにしないと。そこが大事なんじゃないかと思います。
日本が世界に誇れる残すべき文化として日本酒に携わる職人の地位が見合ったものかというと、まだまだそうではないのが現状です。そういった意味で、日本酒により高い価値をつける取り組みも行なっていく必要があると思いますね。
編集部:そうですね。欧米に比べても日本は、専門技術を持つマイスターの地位や報酬が決して高いとはいえません。大事な問題だと思います。藤田さん、今日はありがとうございました。
まとめ
インタビュー時期はちょうど真冬。造りのお忙しい時期にインタビューを受けてくださった藤田さん。
そんな藤田さんの日々の暮らしも気になり、ご家族のこともお伺いしました。お父様は現在、東京から和歌山に呼び、すぐそばで暮らしていて、酒造りの仕事をとても応援してくれているそうです。
数年前に他界されたお母様は、かつては自治体の研究機関で働く研究員だったそうで、藤田さんが杜氏の道を選んだのも、「母の仕事に取り組む姿に影響を受けた面が大きい」と語ってくれました。
国税庁のデータによると、1970年に全国で3533軒あった酒蔵は、2021年には1164軒となっています(※)。海外でも日本でも「美味しい日本酒が飲めなくなる」そんな未来が決して来ないように、若い世代にもやりがいある業界にしていかねばなりません。
<取材:2023年1月11日、インタビュー:峯林 晶子・杉谷 淳子、記事作成:峯林 晶子>
<取材協力>
店名 | 吉村秀雄商店 |
住所 | 〒649-6244 和歌山県岩出市畑毛72番地 |
電話 | 0736-62-2121 |
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<写真提供>吉村秀雄商店