ちゃんこの鍋の中

お鍋の季節がやってきました♪
さまざまな鍋料理のなかでも「ちゃんこ鍋」は、肉、魚、野菜たっぷりの具材の多さ、豊富さ、豪快さで人気です。「ちゃんこ鍋」のはじまりは、明治時代末、横綱であった常陸山(ひたちやま)が所属する出羽海部屋で作られていた力士の食事といわれています。

そう、ちゃんこ鍋は力士の料理。

今回は、先代が創業してもうすぐ40年、大阪府茨木市で「ちゃんこ鍋 春日」を営む2代目大将・傍嶋 博信さんにインタビュー!元力士がつくる春日の「ちゃんこ鍋」は、地元ファンだけでなく、角界や球界のスポーツ選手からも愛されてきました。
「ちゃんこ鍋 春日」の魅力とともに、長く角界や球界から愛されてきた理由、地域のなかでの役割などを傍嶋さんにお聞きしました。

※傍嶋 博信さんは、リレーインタビュー「「社長もニートもここでは同じ」開店1ヶ月後に誰も来なくなった個人店が、今“お一人さま”から愛される店に【リレーインタビューVol.28】」の宮藤 浩さんからのご紹介です。

<プロフィール>
傍嶋 博信(そばじま ひろのぶ)さん
1972年生まれ。大阪府茨木市出身。小学生の頃から野球を始める。島根県の江の川高校(現・石見智翠館高等学校)、東京六大学野球連盟のひとつ法政大学の野球部でナンバーワンスラッガーとして活躍。1991年に外野手としてドラフト候補となったが、肩を痛め引退。父である先代より、春日山部屋の後援会として慕われていた「ちゃんこ鍋 春日」を受け継ぐ。以降、「ちゃんこ鍋 春日」店主として、角界、球界はじめさまざまな若手スポーツ選手の拠り所として支える。また中学生の硬式野球クラブチームの総監督も務めている。

力士や野球選手など有名人が通ってきた40年

クルマで中でインタビューを受ける傍嶋さん

「ちゃんこ鍋 春日」店主の傍嶋 博信さん。

編集部:傍嶋さんは「ちゃんこ鍋 春日」の2代目ですが、先代のお父様は1985年に開業されているのでもう40年近くになりますね。

傍嶋さん:父はもともとはトラックに商品を載せて路上で売る移動販売というかたちの八百屋をやっていました。

僕が中学に上がる頃に、実店舗を持ちたいと、元力士だった母の甥っ子とちゃんこ屋を始めたんです。地元には「春日」という地名があって、それと元力士のいとこが春日山部屋の春日峰という“しこ名”だったので、店名を春日にしました。それが「ちゃんこ鍋 春日」の始まりです。

編集部:かつては大阪の茨木市に相撲部屋があったんですね。東本願寺茨木別院が宿舎だったとか。

傍嶋さん:そうですね。相撲は国技、神事といった側面もあるので、お寺、神社にゆかりもあって。タニマチ(相撲部屋の後援会のこと)を茨木の商店街がしていたんです。その関係で父も後援をしていたんですが、うちの店には、どちらかというと若い力士たちが出入りしていました。

まだ自分自身に後援がついていない力士、たとえば付き人をやっている子、先輩と遊びに行かない子は部屋でゴロゴロしているだけなので、そういう子たちの遊び場所として面倒をみていたんです。

編集部:「ちゃんこ 春日」は力士たちを後援して支えていたんですね。

傍嶋さん:相撲の歴史では江戸時代より以前に、初代横綱といわれる方たちが登場します。かつては力士ってその国の殿様のお抱えで、国の威信をかけて闘う闘士だったんですね。そういう名残もあって今も相撲は、自分たちで地方巡業してイベントを行なっていく興行イベントの世界です。だから相撲部屋を支える存在として後援会というのがあるんです。

「ちゃんこ鍋 春日」の店内。座敷の様子

「ちゃんこ鍋 春日」の店内には、力士の写真や手形、有名人のサインなどがずらりと並ぶ。

編集部:若い力士たちが集まったり、つながりを作っていたんですね。しかも「ちゃんこ鍋」自体を力士が作るという。

傍嶋さん:そうです。当店のちゃんこは、父といとこが試行錯誤しながら1年かけて完成させたそうです。商才もあったんでしょうね。店はおかげさまで繁盛しました。

編集部:お店には力士の手形や写真が、たくさん飾られています。さらに相撲だけでなく、傍嶋さんご自身は島根県の強豪・江の川高校、大学野球はいわゆる「六大学」のひとつ法政大学で野球をされていたので、球界のお知り合いも多いんですね。

傍嶋さん:そうなんですよ。僕自身は、小学生の頃から野球をやっていました。子供の頃は身体が弱かったので、鍛えるために両親が「野球をさせよう」ということで、地元のリトルリーグに入ったのがきっかけです。

バッターボックスでバットをふる傍嶋博信さん

大将の傍嶋さんは島根県の江の川高校、法政大学の野球部ではナンバーワンスラッガーとして活躍。

それから高校、大学と野球を続けて、そのときの先輩や同期などにプロ選手がいるので、そのご縁があったり、有名な野球選手や相撲の力士、スポーツ選手、芸能関係の方も、店にいらしてくださっています。

しかもプロになる前やデビュー前に来てもらっている方も多いんですよ。なので「(運気を)上げるお店」として、ひいきにしていただいてきたんです。

編集部:なるほど。「春日」に通っていたプロの卵たちが後にプロとして活躍されていったんですね。傍嶋さんご自身も高校生の時にプロ野球のドラフトのスカウトがきたとか。

傍嶋さん:お声をかけていただきました。スカウトの方が法政大学への進学などでも親身になってくれる方でした。

私が大学在学中の20歳のとき、父が倒れて、そのタイミングで私も肩を壊してしまったんです。手術もしたんですが、元には戻らなくて。その時にもスカウトの方には就職まで見越して相談に乗っていただきました。本当にありがたかったですね。

編集部:料理の道に入られたきっかけは?

傍嶋さん:大学では野球部に籍は残していたんですが、社会人野球で続けるのは難しいと判断しました。それで和食店の板場に修業に入ったんです。新横浜の活け魚料理を扱う海鮮居酒屋に皿洗いで入っていたのですが、身の上話を板長にしたときに、「じゃあ包丁を持ってみるか」と言われ、それからいろいろ指導していただきました。

「ちゃんこ鍋」はムダのない料理

鍋の具材の魚

4種類の出汁のうちの味噌ちゃんこ鍋。どの鍋にも22種類の具材が入る。

編集部:やっぱり先代の「ちゃんこ鍋 春日」を受け継いでいきたいと?

傍嶋さん:接客が嫌いではなかったですし、何より「ちゃんこ鍋」という業態はとても良いなとは思っていました。“ムダのない商売”だなと。

編集部:ムダのない商売?

傍嶋さん:鍋料理って、食材のムダがないんです。お鍋で提供するということは、野菜、肉、魚介、うどん、餅など具材を加工したり調理したりするのではなく、分量だけ提供しているんですね。量り売りの感覚です。

その分、仕入れた食材のいい部位だけを使うということをしません。「食材をムダなく使いきる」という店の方針もあるので、普通の飲食店より各段に廃棄するごみの量が少ないんですよ。

編集部:なるほど。ムダをなくす店の方針としてはどんなことを?

傍嶋さん:なるべくロスがでないような野菜の切り方を工夫しています。

「ちゃんこ鍋 春日」を40年やってきたなかで、正直儲けを考えると、他の業態もやった方がいいと思ったこともありました。鍋料理を食べない夏場に別の商売を考えたり、他の業態も試みてはきたんです。

でもやっぱり他の業態はちゃんこより食材のロスが出ます。だから夏場もお鍋でいこうと「チゲ」を加えました。
今は「ちゃんこ鍋」という業態一筋でやってきたことに、大きな価値があるんじゃないかと思っています。

編集部:スポーツ選手の拠り所というだけでなく、春日の「ちゃんこ鍋」への高い評価もあってのことですね。

「ちゃんこ鍋 春日」にはダシもいろいろあって、とても美味しそうです。

傍嶋さん:醤油と味噌、イカわたを入れた「いか味噌」、チゲの4種ですね。

いか味噌出汁のちゃんこ鍋

いか味噌出汁のちゃんこ鍋。いかワタを使用した味噌ダシの深いコクが格別。

味噌は信州の白味噌、イカ味噌はいかワタを北海道から取り寄せています。具材は22種類が入るんですが、たとえばイワシのつみれは、岩手のヤマサ興商さんから仕入れています。最初は、東日本の震災の時に支援も兼ねて仕入れてみたんですが、それからずっと取引させていただいています。イワシは足が早いのもあって無添加のすり身ってなかなか良いものが入手できないんですよ。でもヤマサ興商さんの無添加のつみれは臭みがまったくなくて、美味しいんです。

それから、馬刺しは会津若松から仕入れています。あまり知られていませんが福島県は馬の産地なんです。うどんは塩・水・小麦粉のみを使った手打ちです。でも現在はコロナ禍で打つ量が減ってしまったのでいったん休止。宴会が増えたら、また再開する予定です。

盛り付けられた馬刺し

福島県会津若松産の馬刺しは、3種盛で楽しめる。

調味料にもこだわっています。ポン酢のゆず果汁は高知県安芸市の黒瀬という集落のものを仕入れています。栽培ではなくて自生の柚子を使っているんで、風味と酸味が全然違うんです。

「ちゃんこ鍋」のお取り寄せを考案中

編集部:コロナ禍での経営はどうされていたんですか?

傍嶋さん:多数あった宴会需要は減りました。そういうこともあって最初の緊急事態宣言が出された2020年5月から「ちゃんこ鍋セット」のテイクアウトを始めました。以前から持ち帰りたいという要望が多くて構想はしていたんです。

具材は折に詰めて、出汁はボトル、薬味もつけて販売する形です。デリバリーもやりたかったんですが、「ちゃんこ鍋」は火を通さずに具材を生で扱うので法律上、宅配ができないんですよ。だからデリバリーは断念しました。

テイクアウト用のちゃんこ鍋セット

22種類の具材と調味料、そして出汁をセットにしたテイクアウト用のちゃんこ鍋セット(5,400円税込)。

それで今めざしているのは「お取り寄せ」の通信販売です。ただ具材のなかには冷凍できない生モノもあって、それをどうしようかと試行錯誤中です。ちゃんこは本来、具材の定義がないので何を入れても自由なんですが、その自由が逆に困るなと(笑)。

「地域の世話役」という役目を買って

編集部:現在傍嶋さんは、中学生の硬式野球クラブチームの総監督もされています。どのようなきっかけで関わっているんですか?

傍嶋さん:もともとは大学卒業後に地元に帰ってきて、自分が所属していた摂津リトルシニアというクラブチームの監督を3年間していたんです。現在は、高槻ボーイズというクラブチームの総監督を引き受けています。

編集部:ご自身の所属していたチームがきっかけなんですね。これまでの経験を活かして関わろうと?

傍嶋さん:そうです。今の高校野球にも、いろんな問題があります。全国にある強豪校に入る場合も、球児たちからしてみれば、地元を離れて寮に入ることになります。多感な時代を過ごす3年間としても、また保護者からしても、できるだけ安心できる学校や地域に行ってほしいという思いがあるので、そこで私自身のこれまでの経験や人脈が役に立てればと思ってやっています。相談や報告に来る人も多いですね。

「ちゃんこ鍋 春日」外観

「ちゃんこ鍋 春日」外観。子供連れのファミリー層にも人気。

編集部:相談というと?

傍嶋さん:子供さんのスポーツ推薦による進路の相談だったり、どんなチームがいいだろうとか、高校の推薦入学の際の相談などです。学校の進路相談に同席することもありますよ。スポーツ推薦の進路に知識のない先生もいらっしゃるんで。

編集部:野球部の総監督ってそんなことまでされるんですね!地域の世話役という感じですね。

傍嶋さん:世話好きな父の影響もあると思いますね。

父と野球から学んだ「真摯に向き合う」こと

編集部:傍嶋さんにとって先代、お父様の存在ってどんな存在だったのでしょう。

傍嶋さん:子供の頃はとくに親にも反発せずに素直に従ってきました。でも半面、「こうさせて欲しかった」「こういうことを許してくれていたら」と思うこともありました。野球に関しても、私は本当はバレーボールがやりたかったんですよ(笑)。

父はとにかく何を提案しても、「なんでそんなもんがいるんや」と(笑)。仕入れの値段交渉でも、どれだけ価格を下げて仕入れても「よくやった」と言われたことはなくて、息子には本当に厳しいんです(笑)。ただ、慢心してはいけないという商売の根底は教えてもらったとは思いますね。

一方で父は周囲の人に対しては本当にお人好しでもありました。返してもらえそうにもないところにも資金援助してあげたりもたくさんあるんです(笑)。父は戦中生まれなので、厳しい時代を乗り越えてきていて、仲間との助け合いをとても大事にするんですね。そういうところを私も受け継いでいるかもしれないですね。

編集部:人を助けたいという先代の思いは、やっぱり今の傍嶋さんの地域や子供たちへの想いに受け継がれているように思います。

座敷に置かれたテーブルとその上のガスコンロ

1985年から続く「ちゃんこ鍋 春日」。店内はいつも温かい雰囲気。

傍嶋さん:影響を受けているという意味では、法政大学時代にお世話になった野球部の恩師で、現在は全日本野球協会の会長をされている山中 正竹さんの『六大学の人間はそれぞれの立場の中でリーダー的存在にならなければならない』という教えもずっと心に残っています。

よく野球部の同級生とこの話になるんですが、どんな関わりのなかでも当事者として行動する、というその教えが共通認識として染みついているんです。たとえば会社員であっても経営側の立場で考えるとか、自分の地域のコミュニティであればPTAの役員を買ってでるとかね。

編集部:野球の経験や仲間と培ったものが、地域での活動の根幹にあるんですね。今後の傍嶋さんの夢や、やってみたいことはありますか?

傍嶋さん:夢というよりは、自分に今できることは何か?どれだけのことができるのか?ということを追いかけている感じです。

今や「春日」も南茨木駅界隈きっての古株になりました。だからといってこれ以上商売を広げるつもりはないんですが、四国や沖縄など他の地方でフランチャイズで出店したいというお話をいただいているんですね。

ただ「春日」は、地域やご縁での結びつきの強いオリジナルな運営なので、同じことはなかなかできないとは思うんですが、商品としてノウハウを提供して、ご縁を広げていけたらとは思っています。

次に紹介したいのは31歳の焼肉店店主・渡邉 直紀さん!

編集部:最後に傍嶋さんが紹介したい方は、いらっしゃいますか?

傍嶋さん:茨木市駅にある『焼肉ちはら』の店主、渡邉 直紀さんです。彼はまだ31歳で、2022年8月に出店したんです。コロナ禍以降での新しいチャレンジにぜひとも応援してあげたいと思っています。

編集部:それは楽しみです。傍嶋さん、今日はお話を聞かせていただき、ありがとうございました。

まとめ

自分の暮らす地元に「この店がある」と思えることが、どれだけ多くの安心を与えてくれるでしょう。

地域に根付き、地元民に愛され、のれんを守るということはそうそう簡単ではありません。
景気に左右され、時代の波にのまれ、その中で生き抜いてきた飲食店は特別な存在です。
とりわけ「ちゃんこ鍋 春日」には、先代が力士を支えてきた精神、2代目である傍嶋さんが野球を通して培った精神、そのどちらも欠けてはならなかったでしょう。

街にあるいつもの店にも、さまざまなドラマがある。のれんをそっとくぐってみて、改めて想像を膨らませてみるのはいかがでしょうか。

<取材:2022年12月1日、インタビュー:杉谷 淳子・峯林 晶子、記事作成:峯林 晶子>

<取材協力>

店名 ちゃんこ鍋 春日
住所 大阪府茨木市天王2-4-12
阪急京都本線「南茨木駅」徒歩3分
営業時間 17:00~22:00
電話番号 072-626-9450
SNS ホットペッパー食べログ

<写真提供>

「ちゃんこ鍋 春日」
※インタビュー画像のぞく

▼続いてのリレーインタビュー記事はこちら

建設業界から飲食業界へ。僕が育った街で地元に根ざした飲食店をめざす【リレーインタビューVol.33】


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