西方さんがパリで働いていた『メゾン・ランドゥメンヌ』のさまざまなパン

パリ、ベルリン、ミラノでパン職人として活躍してきた西方 健さん。現在はミラノで“日本のパン”を焼きながら、その土地に根付いた小麦、天然酵母、伝統的製法を探求しています。

“日本のパン”は果たしてミラノで受け入れられるのか?なぜ伝統製法にこだわるのか?ヨーロッパ各国でパンを焼いてきたパン職人だからこその「パンとは何か」に迫ります!
(取材:2022年4月11日)

※西方 健さんは、リレーインタビュー「イタリアにイタリア料理はない!?食文化を豊かにする郷土料理の魅力とは【リレーインタビューVol.19】」の尾倉 智樹さんさんからのご紹介です。

<プロフィール>
西方 健(にしかた けん)さん

1993年9月生まれの28歳。「国際調理製菓専門学校」卒業後、ブーランジェ・石川 芳美さんが代表を務めるパリの名店『メゾン・ランドゥメンヌ』へ。『メゾン・ランドゥメンヌ』日本初出店でシェフ就任。その後ベルリンに渡り、現在はミラノ在住。天然酵母のパン作りで知られる『ダビデ・ロンゴーニ』で経験後、徳吉 洋二シェフの『ベントウテカ』やフードセレクトショップ向けに日本のパンを焼きながら、ミラノで新しいベーカリーオープンに向けて準備中。

人気はメロンパンや食パン!日本のパンをミラノっ子たちに食べてほしい

オンラインインタビューを受けるミラノのパン職人、西方 健さん

オンラインインタビューにて西方 健さん。

編集部:西方さんは現在ミラノに住んでいて、日本人料理人としてミシュラン一つ星レストランを経営していた徳吉 洋二シェフがコロナ禍で新たにスタートさせたテイクアウト専門の『BENTŌTECA (ベントウテカ)』で日本のパンを作っているんですよね。ミラノで日本のパンって、どんなパンを作られているんですか?

西方さん:日本スタイルのお弁当を売る『ベントウテカ』では、パンを使ったメニューとしてはカツサンドが主力商品なので、カツサンドに合う食パン、あとレストラン用にサイズを小さくした肉まんを作っています。

肉まんはブタの顔を模したかわいい肉まんです。アニメ映画の『紅の豚』ってイタリアが舞台じゃないですか。だからイタリアでも知られていて、それに絡めてSNSでも取り上げられたりしてるんです。

それと日本のパンは、ミラノのセレクトフードショップでも販売しています。そこで売っているのは、日本のいわゆる高級食パンをイメージしたリッチな、味の濃い、甘い食パンで、形を変えた3種類。それにメロンパン、あんパン、クリームパン、抹茶のあんパン、コロッケパン、肉まんですね。

編集部:メロンパンやあんパンって、イタリアの人に食べられているんですか?

西方さん:メロンパンは人気です。あんパンはやっぱりちょっと不評なんですが、ミラノで暮らす日本人の方は買ってくれますね。

ミラノではメロンパンが一番、日本のパンとして認知度が高いです。日本のパンを作っていると言うと、イタリア人からは「メロンパンでしょ」と言われるんですよ。クッキーとパンの組み合わせや、形がメロンというのがユニークなんでしょうね。でも僕が扱っているメインは食パンですね。定番でよく出るのは食パンです。

編集部:イタリアって食パンを日常的に食べるんですか?

西方さん:実はフランスやドイツと比べても、イタリアでは食パンは、かなり食べられています。特にベネツィアとトリノでとてもよく見るんですが、ハムとレタスを挟んだようなサンドイッチが多いです。

ただ味は…というと、日本とは全然違っていて、硬くてパサパサしています。食材もバターや卵は使っていなくて、フランスパンを四角くしただけというか。彼らにとっては四角い形であればそれが食パンという感覚かな。

編集部:日本の食パンとは違うんですね。イタリア人にとってはそれが美味しいんでしょうか?

西方さん:挟んである食材が美味しいんですよ。イタリアはハムがとても美味しいじゃないですか。だから食パンは、具材を挟めて手が汚れなくて四角ければいいという感覚じゃないでしょうか。

編集部:利便性重視なんですね。

西方さん:だから逆に僕が作っているような、日本人が大好きな、ふわふわ、もちもちの食感の食パンは、 何もつけずにそのままでも美味しく食べられるので、イタリアでは見られないパンです。

編集部:面白いですね。徳吉さんとは、どういう流れで知り合ったんですか?

西方さん:僕は2014年からフランス、ドイツをまわって、2019年にミラノに来たんですが、当時は『ダビデ・ロンゴーニ』というパン屋さんで働いていて、その時に、徳吉さんからお話をいただいたんです。『ダビデ・ロンゴーニ』では、日本料理店に向けて日本の食パンを作っていたんですね。そしたら徳吉さんから自分と一緒にパン屋を出さないかとお声をかけていただいて。現在は『ベントウテカ』で提供されるメニューのパンを作りながら、出店の準備をしています。

イタリアには日本人のパン職人も何人かいるんですけど、みんなイタリアのパンを作っていて、日本の食パンを作っているのが僕だけだったみたいで。

でもちょうどコロナが起きてしまって…。パン屋さんの物件を探すにも飲食店には貸す条件が厳しいんです。ゼロからスタートの新店はなおのこと、失敗のリスクが高いって貸し渋られることもあって。だから未だに物件が見つからずに準備中です。

編集部:今のミラノの飲食店の状況はどうですか。

西方さん:イタリアは最初にコロナの影響を受けた国なので、ヨーロッパの中では慎重な方でマスク着用なども厳しいんですが、かなり戻りつつありますよ。飲食店もこれから!という感じです。

故郷の新潟からパリに修業へ。1年後にはシェフに抜擢

西方さんがパリで働いていた『メゾン・ランドゥメンヌ』のさまざまなパン

西方さんがパリで働いていた『メゾン・ランドゥメンヌ』。お昼前には、バゲットはもちろん、大きいパンが切り売りでどんどん売れていきます。

編集部:ミラノでパン屋さんの出店をめざし奮闘中の西方さんですが、パン職人をめざしたきっかけは?

西方さん:母が管理栄養士で、学校や老人ホームで調理の仕事をしていたんですが、家では趣味でパンやお菓子を作ってくれることがあって。それを手伝うなかで、興味を持ちました。

もともと図工が好きだったんで、粘土細工の感覚でした。こねたり形を作って、焼きあがったらこんなになるんだというのが面白かったです。

そのうちに料理全般にはまって、暇があればパスタを生地から作ったり、パテを作ったり。キッチンで何かを作るのが楽しかったんですよ。夕ご飯の調理も手伝っていました。僕は新潟の出身なんですが、8人の大家族で、リクエストも多いし、趣味嗜好も違うので、いろいろ考えてフレンチ、イタリアン、中華、日本料理といろいろ作っていました。

編集部:ご家族はみんな美味しいと言ってくれていたんですか?

西方さん:それがそうでもなくて(笑)。僕が当時やりたかったのは、材料を沢山使って盛り付けがきれいなフランス料理とかで。でもじいちゃん、ばあちゃん、親父なんかが食べたいのは、普通にから揚げとか煮つけとかなんで、食い違っていましたね(笑)。でも食べてはくれていましたよ。

編集部:それだけ料理が好きだったら調理学校に行っておいでよ、という感じですか。

西方さん:はい、みんな応援してくれました。それで高校を卒業して進学したのが新潟市にある国際調理製菓専門学校です。あらゆる料理が学べる学校なんですが、そこで僕が選んだのはお菓子コース。で、2年目に専門技術としてお菓子かパンを選べて、パンを選びました。

普通は卒業したら、みんな地元のパン屋さんに就職したり、東京の有名店なんかに就職するんですよ。で、僕も東京の有名なパン屋さんで働こうと『ドンク』を受けたんですが2次面接で落ちちゃったんです。それでどうしよう…と思っていたら、進路指導の先生が、「パリに行きたいと言っていたよね。募集があるよ」と声をかけてくれて。

ヨーロッパには専門学校の姉妹校があるんです。ちょうど修学旅行もパリで、そのタイミングに合わせて、すぐにパリのその募集店に連絡を取りました。『メゾン・ランドゥメンヌ』という当時パリに10店舗くらいあるブーランジェリーです。「ワーキングホリデーのビザを取れたら来ていいよ」ということで、夏にすぐに行きました。住む家も自分で探して決めて、とりあえず1年はがんばろうと。

フランス・シャンパーニュ地方の小さな町トレパイユでのぶどうの収穫した人たちと休憩する西方さん

フランス・シャンパーニュ地方の小さな町トレパイユでのぶどうの収穫。パンと同じく発酵というプロセスを経て作られるワインにも魅せられたという西方さん(右から5番目)。自然派ワインを知るとても良い経験に。

編集部:『メゾン・ランドゥメンヌ』ではどんなことを?

西方さん:店はパリの18区にあって、シェフも同僚もみんなフランス人でした。その中で1年間、片言だったフランス語も含めてとても勉強になりましたね。

実は『メゾン・ランドゥメンヌ』の社長は、石川 芳美さんという日本人で、僕は一番パンの世界ではお世話になっている方ですね。

編集部:石川 芳美さんは、パン職人であり実業家としても日本のメディアによく取り上げられている方ですね。

西方さん:そうです。芳美さんは新しいお店をパリに出されて活躍されていますね。グルテンフリー、植物性だけのパンやお菓子を扱うお店です。
僕はパンの世界では、芳美さんの影響を一番受けていると思います。

それで、僕がパリの『メゾン・ランドゥメンヌ』にいた時に、日本で初出店するという話があって、芳美さんから言われて、僕はその新店のシェフとして日本に戻ったんです。

編集部:いきなり日本でシェフ!かなりの大抜擢ですよね。

西方さん:やってみてと言われてという感じなんですが、そうは言っても日本のパン屋で働くのは初めてだし、カフェやレストラン、パティスリーも併設した大きなお店だったので、大変でしたね。

ただ、抜擢された以上はちゃんとやろうとは思っていましたし、チームの中でパリでの経験があるのは僕だけだったんです。フランスと日本の小麦粉は全然違うので、フランスのレシピに日本の小麦粉が合うようにアレンジし、日本のパンを作っている友達や先輩に相談したりして、勉強しました。

でも結局、1年でパリに戻ったんですよ。仕事もですが、食べ物、生活、カルチャー含めて、やっぱり「パリにいたい」と思ったんです。それでまた、パリのお店にスーシェフとして戻らせていただき、そこには2年いました。

編集部:大抜擢の貴重な経験になったとは思いますが、西方さんはやっぱりまだパリにいたかったと。

ドイツで長時間の夜勤!?ライ麦パンを焼く

ドイツパンの要であるsauer teig=ザワータイク(天然酵母)

ドイツパンの要であるsauer teig=ザワータイク(天然酵母)。ライ麦粉を発酵させたパン種を使ってライ麦パンを焼きます。100kgほど用意しておいて、全てのパンに混ぜて使います。

西方さん:またその頃ですね、別の国のパンも気になってきたんです(笑)。デンマーク、スペイン、イギリス、ドイツ、オーストリア、チェコ、あちこち旅行して、パンを食べ歩きました。そして「次はドイツのパンだな」と。

編集部:なぜドイツのパンだったんですか?

西方さん:やっぱり歴史がありますよね。日本でもドイツ系のパン屋さんは多いですし。
で、いろんな国を旅行していろんなパン屋さんを訪れた時に、自分の履歴書をばらまいておいたんですよ。それでベルリンで採用OKの返事をもらっていた店に行きました。

ドイツって現地でビザを取得できるんですよ。それですぐビザを取って、パリから直接ベルリンに引越ししました。だからもう引越しした翌日から働き始めたんです。

編集部:履歴書をばらまく!海外の履歴書って、日本の履歴書とはまた違いますよね。

西方さん:学歴と職歴を書いて、おまけで趣味を書くような、日本よりはシンプルなものです。顔写真も貼ります。

編集部:ドイツ語で書いたんですよね?

西方さん:フランスにいた時に、ドイツ語ができる人に翻訳してもらいました。フランス語はもう結構しゃべれるようにはなっていたんです。

僕は言葉を覚えるのが好きなんですよ。ドイツ語も覚えるのが楽しみでした。

言葉を覚えるのは、大事だと思っています。職場の同僚はもちろん現地の人たちだし、パン作りの理論や専門用語を理解しようと思ったら、文法をしっかり覚えないと理解するのは難しいです。その国の言葉でしか書かれていないパン作りの本も多いんです。大事な理論を学べる本は、なかなか日本語のものが見つからないんですよ。

その国の昔から伝わる技術を理解しようと思ったら、言葉は勉強したほうがいいとずっと思っていましたね。

でも座って勉強するのは2割くらいで、ほとんどは人と会ってコミュニケーションを取るという方法です。僕は日本ではそこまで社交的な方ではないんですが、外国だとその国の雰囲気で割と誰とでも話せるんです(笑)。

編集部:でもフランスとドイツも、同じヨーロッパでも気質としては違いますよね。パン作りも違ってくる感じですか。

西方さん:全然違いますね。パンも同様で、ドイツは寒くて白い小麦粉が育たないので、生命力の強いライ麦パンが主流です。ベルリンで働いていたお店も、伝統的な手法でライ麦パンをどかどか焼いていました。

使用している食材はすべて有機食材で、健康にもこだわっていて、すごい人気店でした。
ドイツって他のヨーロッパの国より健康志向が強くて、オーガニック食材がいっぱいあって、パン屋さんもビオ小麦を使った店が多いんです。

ライ麦パンは、小麦のパンみたいに伸びなくて、だれるんです。形を長時間保っておくことができなくて、寝かせておくことができないんです。たとえばフランスで小麦のパンを作る場合は、長時間発酵として、前日に作っておいて、翌朝焼くことができるんですが、ドイツのライ麦パンだとこれが通用しなくて、もっと早くから作りはじめないといけないんです。

編集部:ライ麦パンって、そんなに大変なんですね。

西方さん:大変ですね。それで、どうしても夜の20時から翌朝の6~7時まで、ほぼ夜勤の状態で長時間労働になるんです。フランスだと朝の3時より早く働いてはいけないと法律で決まっているんですが、ドイツは、夜勤が当たり前でしたね。休みも週に1日でした。ドイツにも白いパンがあるんですが、ライ麦の黒いパンを好む文化があるんですよね。そうすると長時間労働になるんです。

しかもベルリンには1年いたんですが、店に入って1ヶ月ですぐにシェフが辞めたんですよ。それでその後に誰もシェフとして入ってこないから、ずっと僕が一人でパンを作ってました(笑)。

四角く成形されているパン

写真はひまわりの種がたくさん入った西方さんお気に入りのドイツのパン。発酵させたパン生地を成形。「ユニークな形で美味しい!」(西方さん)。

ひまわりの種のパンの焼きあがり。

上の写真の焼き上がり。

編集部:ええ!ベルリンでもまたいきなりシェフを?

西方さん:そうなんですよ。一応、店に代々あるレシピで作ってはいて、ドイツ人の料理人の女の子が見習いで入って来て、その子に教えていました。いい経験にはなったとは思います(笑)。

編集部:ドイツに来て1ヶ月で、ドイツ人の女の子に教える…でも入って1ヶ月の日本人に任せるというのもすごい話ですよね。

西方さん:まあ前のシェフも仕事が辛かったんでしょうね…。お給料の面でも。僕としては十分、食べていける程度にはもらっていたと思っていたんですけどね。

ただ僕自身がやっぱり半年くらいたって他の国も見てみたくなり、また旅行をし始めました。それでビザの切れる1年後に、次はミラノに行くことになったんです。

ミラノのパンは「美味しい」よりも、もっと人間の根源にある

編集部:次にミラノを選んだ理由は?

西方さん:イタリアを食べ歩いて、大きい街がいいなあと思って。ミラノでも、あちこちの店にイタリア語で書いた履歴書を送りました。

編集部:尾倉さん(前回インタビューのイタリア料理人)が「ミラノで暮らすのは他より大変だ」とおっしゃっていたんです。ミラノの暮らしはどうですか?

西方さん:僕もいろいろな場所に住んでみて、ミラノは一番生活が楽じゃないかもしれないですね(笑)。物価はそこまで高くもないんですが、お給料が低いです(笑)。あと家賃が高くて、税金も高いですね。イタリア人に「なんで?」と聞いても、「なんでかなあ」って(笑)。

ただパン作りでいうと、僕は古代小麦に興味があったんです。いわゆる品種改良がされていない小麦粉。大量生産ではない、出回っていない、ワインでいう“土着品種”のような、その土地でしか作っていない小麦が、特に南イタリアに多いんです。

カンパーニャの方に行けば行くほど、ミネラルが多くて体によくて、味が濃くて良い小麦がいっぱいあります。まだ発掘されていないものもあるんですよ。

編集部:イタリアの小麦粉ってそんなに種類があるんですね。

西方さん:パスタやピザなど小麦料理の国なので、小麦の種類はたくさんありますよ。何より僕は、パネットーネを勉強したかったんです。

パネットーネは、クリスマスや年越しに売り出される発酵菓子で、お菓子屋さんでもパン屋さんでも作られています。クリスマスの時期になると、イタリア全土からさまざまなパネットーネがミラノに集められて、試食と購入ができるイベントが開かれるんです。それでどこの誰が作ったものが一番美味しいかを競うんです。

編集部:楽しそう!クリスマスシーズンは本当にみんなパネットーネを食べるんですね。

西方さん:そうです。パネットーネは作るのが難しくて、イーストを使わずに天然酵母だけの伝統的な方法で作るとなると、経験と知識が必要なんです。僕がイタリアではじめに働いた『ダビデ・ロンゴーニ』は、パネットーネがイタリア全国でナンバーワンに選ばれている店です。『ダビデ』の技術は完全には盗めてないですけれど、とても勉強になりました。

パネットーネの天然酵母。丸くロールされている。

ミラノにて。パンやパネットーネを作る天然酵母。イタリア流の管理の仕方、理論、考え方は、フランスやドイツには無かったもの。

編集部:でも天然酵母を使ったり、“土着品種”の小麦は、品種改良されていない分、扱いづらいわけですよね。西方さんはあえて難しい方を選んでいるような。

西方さん:品種改良をしないというのは、確かにその通りです。効率を追求すれば大量生産ができるし、それも必要ですが、でもみんな一緒になっちゃうじゃないですか。誰が作っても同じになるんであれば、僕は職人になる意味がないというか。

たとえば僕自身もそもそも、パンは必ずイースト菌を使って作ると思いこんでいたんですが、ある時「イースト菌を使わなかった時代はどうやって作っていたんだ?」と疑問に思って、それから天然酵母に興味を持ったんですね。

料理人が自分で野菜畑を耕しだすのと同じ感覚というか、いろいろなことを探っていくと、時代をさかのぼっていっちゃうんだと思います。

編集部:でも天然酵母を勉強するって、具体的に何をするんですか?

西方さん:本を読めば理解できるものでもないし、教えてくれる人も少ないので、働く中で経験を積んでいくしかないですね。僕はフランスでもドイツでもイタリアでも、天然酵母を扱っているお店に絞って働いてきたんです。

フランス、ドイツ、イタリアでは、それぞれ天然酵母が違うし、管理の仕方も違うんです。だからすごく勉強になりましたね。

編集部:イタリアのパンって、フランスやドイツと違って日本ではそこまで浸透していない気がします。フォカッチャやパニーニくらいしか知られていないというか。

西方さん:イタリアのパンは、地方ごとにいろんなパンがもう無限にあるんです。特にイタリアのパンは宗教との結びつきが強いと思います。どんなにお金がない人でも、“食べられるべき”であるのがパン。

たとえば、ミラノの教会には売れ残りのパンが集まってきて、誰でもパンを食べられるようになっているんです。教会だけでなく、恵まれない人にパンを配る施設があちこちにあって、パン屋さんで売れ残ったパンをトラックで回収して、そこに持っていくんです。スーパーのパン、野菜、果物もですし、ミラノにはそういう救済のための仕組みがあるんですね。

コロナ以降は、そういった施設の利用者が増えて、救済活動がより顕著になりましたね。だからイタリアのパンは、美味しいもの、というよりもっと簡素に「常にあるもの」。

編集部:逆に言うと「パンさえあればなんとか生きていける」と。

西方さん:そうそう。だからミラノがロックダウン中も、パン屋さんは営業しなければならなかったんですよ。スーパーや薬局と並んで、パン屋さんは生活必需品を売るお店に入っているんです。

13人の『Panificio Davide Longoni(ダビデ・ロンゴーニ)』チーム(右から4番目が西方さん)。

『Panificio Davide Longoni(ダビデ・ロンゴーニ)』チーム(右から4番目が西方さん)。ロックダウン中もミラノに住む人々の糧となるパンを焼き続けました。

編集部:スーパーマーケットには日常的に食べるパンは売っているんですか?

西方さん:スーパーでも売ってます。でも、日本みたいにいろんな味が楽しめて、彩りがキレイな総菜パンみたいなものはなくて、味付けも具もない本当にシンプルなパンですね。

それに量産されているパンは本当に安いんですよ。こぶしサイズのパンが5つくらい入って50~60円くらいでしょうか。でも本当に味気ないパンですよ。小麦粉の味もしないし、スカスカですぐ固くなるし。

編集部:きちんと手作りするパン屋さんのパンとは違うんですね。お値段も。

西方さん:僕が働いていた『ダビデ・ロンゴーニ』はイタリアでも一番高いと、テレビにも取り上げられたんです(笑)。パン1キロあたり36ユーロ(5,000円弱)くらいで、かなり高い方ですね。でも『ダビデ・ロンゴーニ』では、小麦の生産者さんをきちんとリスペクトして、イースト菌は一切使わず、昔からの製法で、自分たちの店で畑も作っています。本当にまじめにしっかり作っていますよと。

編集部:『ダビデ・ロンゴーニ』のパンも、トラックが来て回収されて、教会や配給施設などで配られているんですか?

西方さん:そうですよ。

編集部:じゃあ『ダビデ・ロンゴーニ』のパンが当たった人はラッキーですね?

西方さん:そうですね(笑)。でもスーパーのパンの味に慣れ親しんでいる人もいるから、こんなのパンじゃないって思う人もいるかもしれないです。

編集部:なるほど。パンって日常食だから、慣れ親しんだ味というのはあるのかもしれないですね。

僕にとってパンは“言語”。興味の先は紀元前のエジプトまで

休日にドイツの壮大なライ麦畑で佇む西方健さん

ドイツでの休日。ベルリンから電車で1時間ほどのTrebbin=トレッビンという小さな街にて。一面に広大なライ麦畑が広がります。

編集部:西方さんが作る日本のパンはミラノのパンの新しいムーブメントになるかもしれないですね。

西方さん:パリやリュッセルドルフには、日本のパンを売る店があるんですよ。でもまだイタリアにはあまりないので、パイオニアになれたらいいなあ、と思います。

編集部:ヨーロッパで経験を積んだ西方さんが日本のパンを作るというのはどんな感じなんですか?

西方さん:確かに、日本のパンを作ったのは学校からのインターンシップやアルバイトでしかないんですけど、でもフランスやドイツでのパン作りを経験した自分だからこその新しい日本のパン作りができるんじゃないかなと思っています。他にないユニークなものができるんじゃないかと。

西方さんがミラノで作って売っているブタの顔をしたかわいいbutaman

西方さんが作る「butaman」(PAN’ MILANO Instagramより)。

編集部:確かにすごく面白いものができそうですね!西方さんにとって、パン作りを一言でいうとなんですか?

西方さん:すごく悩みますね…。
「言語」ですね。パンがあれば、言葉がなくても働ける。知らない文化に入っていける。その国の人たちのことを知ることができる。

イタリアではパン屋さんって、その土地、街の、憩いの場所なんです。地域の人たちが集まるコミュニケーションの場所なので、パンはコミュニケーションそのものです。
同時に、フランス語も、イタリア語も、ちょっと苦手ですがドイツ語も、僕はパン作りを通して覚えてきたので、そのどちらもの意味で、僕にとってパンは「言語」かなと思います。

編集部:これから何をしたいですか?

西方さん:ニューヨークでパン屋さんを開くのがひとつの夢ですね!高校生の頃からずっと行きたくて、でもパンの勉強を優先してたからヨーロッパばかりで、まだ一度も行ったことがないんですよ。

でもその前に、エジプトに行きたいです。パンは古代文明のころに、エジプトで生まれたといわれています。水と小麦粉を混ぜて焼いていたのが、焼くのを忘れて翌日生地をみたら、発酵して膨らんでいて、それを焼いたら、ふかふかで美味しかったというのが始まりなんです。

パンの起源といわれる場所だけに、エジプトって品種改良されていない小麦の品種が、たくさんあるんじゃないかと予想しています。あっちの人がどんな風にパンを作っているのかも気になるし。主食はピタパンかなと思うんですが…、よく分からないんですよね。

編集部:紀元前までさかのぼるんですか…。

西方さん:興味が出てきて、しょうがないんです(笑)。行きたいところ、やりたいこと、いっぱいあって困ってます(笑)。

ヴィーガンを誰でも楽しく!早崎 文野さんを紹介

編集部:最後になりますが、西方さんが「面白い!」と思う方をご紹介いただけますか?

西方さん:ヴィーガン料理人であり、同時にフォトグラファー、ビデオグラファーでもある早崎 文野(はやさき あやの)さんです。ミラノの日本料理レストラン「Gastronomia Yamamoto」で料理人をされていた時に出会いました。現在は東京に拠点を移されていて、さまざまなヴィーガンの料理やお菓子を考案、提案されています。フードコーディネート技術がとても素晴らしい方です。

編集部:分かりました。ヴィーガンは日本でもますます注目を浴びていますね。SNSでのフードコーディネート術も気になる方も多いと思います!早崎さんのお話、楽しみにしています。

<インタビュー:峯林 晶子・杉谷 淳子、記事作成:峯林 晶子>

まとめ

ヨーロッパでパン作りの経験を経てたどり着いた西方さんの「日本のパン」。ミラノで新しい“日本のパン”ムーブメントが起きる気配を感じつつ、パンへのあくなき好奇心に、こちらもわくわく興味が尽きないインタビューでした。パンの長い変遷と世界的な広がりは、もはや世の中がパンを中心に、平和に豊かにつながっているような気さえします。
奥の深いパン作りの入り口をほんの少し垣間見せていただきましたが、でもこれだけは言える!取材陣含め、本当にみんな「パンが大好き!」

<取材協力>

PAN' MILANOで売っている食パン(東京シリーズ)

西方さんが製造する「PAN’ MILANO」でメインで売っている食パン~Tokyo~シリーズ。ミラノ近郊でとれた小麦をブレンド。

SNS Instagram「pan_milano」
店名 bentoteca milano
SNS Instagram「bentotecamilano」

YouTube にしけんパンチャンネル
※西方さんがパンの作り方や天然酵母の発酵などを動画で解説

<写真・動画提供>

西方 健 ※インタビュー風景を除く


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