窯で焼かれたピッツア

本日のゲストは、2021年夏に大阪・島本町でレストラン「FORNISTA(フォルニスタ)」をオープンした髙山夫妻です。一郎さんの前職はなんとレーサー!そして一冊の雑誌の記事が、ピッツァ職人への道を決定づけることになったそう。現在、オーナーとして店の運営を行う妻のみどりさんと二人三脚で新店を切り盛りしています。
年令、経験に関係なく挑戦し続けてきた一郎さんとそれを支えるみどりさん。飲食人として、人として人生を豊かに生きるヒントをご紹介します。(取材:2021年11月10日)

※リレーインタビュー「ミシュラン星付きのその先へ。菱田さんがたどり着いたレストランの“もてなし”とは【リレーインタビューVol.15】」の菱田 雅己さんからのご紹介です。

<プロフィール>
髙山 一郎さん・みどりさん
1971年生まれ・大阪府出身。16歳から30歳までバイクレーサーとして活動。ロードレースで国内A級ライセンスを取得。その後モトクロスに転向し国際B級ライセンス取得を機に30歳でレース人生に終止符を打つ。34歳でパン職人として再スタート。雑誌で見つけた記事をきっかけにピッツァ職人として独学でナポリピッツァについて学ぶ。2014年、43歳で1店舗目となるピッツェリア「Cj std(シージェイ スタンダード)」をオープン。その後、イタリア料理を学ぶため店を閉めて再び修業。2021年7月、50歳で「FORNISTA(フォルニスタ)」(大阪・島本町)をオープン。

オンラインインタビューの様子

オンラインインタビュー風景(髙山 一郎さん:下段左、みどりさん:下段右)。

30歳までレーサー、そして大好きなパンの職人へ

編集部:本日はよろしくお願いします。この夏に大阪・島本町で店をオープンしたとのことでしたが、コロナ禍で状況はいかがですか。

一郎さん:2021年7月にオープンし、すぐ緊急事態宣言が出て…という厳しい状況ではありましたが、開店後は当初の予定を上回る来店数で感謝しています。

みどりさん:融資を受けるために相談した銀行側からは「かなり強気の計画書ですね」と言われたんです。それで下方修正したのですが、結果はそれをはるかに上回る売り上げになっていました。本当にありがたい限りです。

編集部:それは良かったですね。そもそもなぜ一郎さんはピッツァ職人になろうと思ったのですか?

一郎さん:私はもともとパンが好きだったんですよ。それでパン職人になろうと。

店内でインタビューを受ける一郎さん

「FORNISTA (フォルニスタ)」シェフの髙山 一郎さん。

編集部:パン屋をめざしたのはいつ頃?高校卒業時に…ということでしょうか?

一郎さん:いや、それが30歳過ぎてからなんです。

編集部:えっ、そうなんですね。ではそれまで何をされていたんですか?

一郎さん:それまではオートバイのレーサーとして競技に出場していたんです。ジャンルは土の上を走るオフロードのモトクロスです。

編集部:全く未知の世界です。階級などあるんですか?

一郎さん:モトクロスのライセンスは当時、上から国際A級、B級、国内A級、B級とあるんですが、国際B級まで取得しました。

店内でインタビューを受けるみどりさん

「FORNISTA (フォルニスタ)」オーナーの髙山 みどりさん。

みどりさん:世界のレースに出る権利を得たところまでですね。世界を目指していたんですよ。ねっ?(笑)。

一郎さん:そうそう、目指すのは誰でも目指せるんで(笑)。レース人生は16歳から30歳までですね。

編集部:レーサーからパン屋さんですか。なぜレースを辞めようと?

みどりさん:子どもが3人もいて資金もそろそろ尽きてきたなと(苦笑)。

一郎さん:国際B級ライセンス取得したのを目途にレース界から離れました。それで街のパン屋さんに勤めたんです。

編集部:地元・大阪のパン屋さんですか?

一郎さん:最初は宮崎県の…。

編集部:宮崎県にご実家があるとか?

みどりさん:「また話がとんだな~」って思ってはるよ。

笑顔の髙山さん夫婦

一同:(大笑い)。

みどりさん:バイクを辞めて次の生きがいとしてサーフィンを始めたんですよ。そのメッカが宮崎県だったんです。私も働いていたし、子どもも学校にあがっていたので単身で宮崎に行ってもらったんです。
「そんなにしたいなら、お一人でどうぞ」と(苦笑)。

編集部:肝が据わってらっしゃいますね(笑)。

一冊の本との出会いからナポリピッツァの道へ

一郎さん:サーフィンをしながら、パン屋で5~6年勤め、ひと通り工程が身についた頃に、本屋でたまたま見つけた雑誌に心惹かれて手に取りました。食の専門誌「dancyu(だんちゅう)」のナポリピッツァの特集記事です。読んで衝撃を受けました。「すごい、これや!」と。

編集部:記事の何に惹かれたんですか?

一郎さん:ナポリピッツァを日本に広めた立役者・サルヴァトーレ・クオモ氏のインタビュー記事です。パンの場合、計量は繊細さが不可欠でレシピ通りにきちんと計量しないと、全く異なる仕上がりになります。お菓子もそうです。

でもナポリピッツァで大事なのは“感覚”だと。温度計のない薪窯(まきがま)で焼き上げるなど、全ては職人の感覚による…そういうところに惹かれました。

それで独学でピッツァのことを学んだんです。パン職人ですからずっと小麦粉に触れていたし、小麦粉と仲良くなることは得意だったんです。試行錯誤して、いろいろ試しては失敗して…を繰り返しましたね。

焦がしぎみの焼き方にこだわった「FORNISTA」のピッツァ

「FORNISTA」では、Ben cotta(ベンコッタ)と呼ばれる焦がしぎみの焼き方にこだわり、焦げの強いコルニチョーネ(ピッツァの縁)は削ぎ落として仕上げます。※ピッツァの具材は仕入れ状況や季節により変わります。

編集部:小麦粉と仲良くなる…。新鮮な表現ですね。私には分かりえないです。

一郎さん:少し話がとびますが、美味しいパンを作る職人さんと話していると「この人たちは小麦粉の声が聞こえてる人たちやな」と感じるんです。

編集部:“声が聞こえる感じ”というのは、どういうことを感じ取るんでしょうか。

一郎さん:説明が難しいのですが、生地を発酵させる時の繊細に変化していく様子だったり、ミキシングしているときの音が微妙に変わったりね。

ミキシングというのは、生地をこねるためにミキサーに材料を入れて、パン生地を作りこむ最初の工程なんです。そのシュクッ、シュクッというこねる音が変化する瞬間があるんです。少し音が高くなるというか。それがこねあがりのタイミングです。

生地をこねる手元

一郎さんの愛情と手さばきによって、美味しい生地に仕上がっていきます。

編集部:熟練した方でないと感じ取れない気がします。

一郎さん:生地を触ったときの温度とか、そういうことの全てですね。「この子(生地)は、これから発酵までに、これぐらいの時間がかかりそうだな」とか、どうしてほしいのかを何となく感じるというかね。

編集部:職人だけがわかる…そういう世界があるんですね。生地って生きているということなんですね。

一郎さん:そうそう。とにかく美味しいといわれるパンを作る職人は繊細なレベルの仕事をしていると思います。パン職人の経験もある私から見るとピッツァ職人はもう少し感覚的な気がしますね。

でもピッツァを愛していない人が作るピッツァは、まちがいなく美味しくないです。レシピどおりに生地を作り、伸ばして焼けば、まぁピッツァは出来上がります。そういうふうに作っている店もいっぱいあります。でもそれは私が目指す「ナポリピッツァ」ではないんです。

独学で学びピッツェリアをOPENするも…

編集部:一郎さんは、パンもピッツァも生地が成長しているのを見守りながら作っているんですね。その後はどうされたんですか?

一郎さん:試行錯誤した後、納得できるピッツァが作れるようになり、大阪に戻ってピッツェリア「Cj std(シージェイ スタンダード)」という店を開いたんです。43歳の時です。

編集部:では誰にも教えを請わず、独学で技術を習得して店を持ったんですね。一郎さんのその頃のお店について書かれたブログ記事をいくつか拝見しました。お客様からの評判、とても良かったですよね。

一郎さん:ありがとうございます。ピッツァそのものには自信があったんですが、経営などそれ以外でつまずきましたね。確定申告や店の宣伝の方法などがわからなくて苦労しました。

寝かして発酵中の生地

こねた生地は、杉の番重(ばんじゅう)で寝かせて8〜10時間発酵させます。

編集部:みどりさんは、一緒に店の運営に携わったんですか? 

みどりさん:私は、その頃は会社員だったので週末だけ手伝いに行っていました。「こうしたほうがいいんじゃないかな」と思うところはあっても、彼の店だしなぁ…と遠慮もあり口出ししにくいなと思っていました。

一郎さん:私はみんなにナポリピッツァの美味しさを知ってほしいと専門店を出したのですが。そのうち「呑みたい」「ランチがしたい」という声も多くなり、そういう方のリクエストに応えているうちに自分の力不足を痛感するようになりました。それにお客様の要望に翻弄されているというジレンマもありました。

極端な例ですが、お酒を目当てにきたお客様から「冷奴とかないの?」とか言われたことも(笑)。それはそれで楽しかったんですけれどね。粉ものの知識はあっても料理の知識はない。だから改めてイタリア料理を学ぼうと、店を閉めて大阪・京都の店で修業を始めました。

編集部:せっかく開いたお店を、初心に帰って閉める決断をするなんて勇気がいりますよね。

みどりさん:スタートが遅かった分、しょうがないですね(笑)。

再び修業の毎日。尊敬すべきシェフと出会う

一郎さん:枚方のお店を閉めて、最初に働いたのが大阪・高槻市の上牧にあるリストランテ「Co.N.Te(コンテ)」です。今は島本町に移転しています。この店のオーナーシェフ・イチロウさん(宮井一郎さん)に、私はとても影響を受けました。

編集部:どんなことを学んだんですか?

店内キッチンに置かれた大きな薪窯

ナポリから取り寄せた薪窯。赤い炎の中でピッツァをじっくり焼き上げます。

一郎さん:イチロウさんの料理はとてもシンプルなんです。でも食べると、とても複雑で繊細な味わいで美味しいんです。この味を生み出すのに何かいろいろ入れたのではないかと思うほどです。素朴なトマトパスタなのに最高に旨いんです。

横でパスタの調理をみてると「塩を入れすぎなんじゃないかな」と思ったりするんですよ。でも、たくさん入れてるようにみえるだけで、食べたらちっとも塩辛くない。素材の持ち味を引き出すということの大切さを学びました。

編集部:イチロウさんは害獣ハンターとしての肩書もある方ですよね。

一郎さん:そうです。島本町をジビエの街としてPRしていこうと、今、町内の料理人で町おこしを企んでいます(笑)。

編集部:ポンテベッキオでも勤務されたとか?大阪きってのイタリアンの名店ですね。

一郎さん:はい、ここが最後に修業したところです。でも料理ではなくピッツァ職人としての雇用です。今まで働いたどこよりもやっぱりレベルが高かったですね。

編集部:どういうところが?

朗らかに話す一郎さんと、笑顔のみどりさん

一郎さん:1日に焼くピッツァの数がとにかく一番多かった。平日でもランチ・ディナーで計200枚ほどオーダーが通ります。東京ではあるかもしれないけれど関西でその数はなかなかありません。クオリティもスピードも必要です。

通常の小さなレストランなら専任のピッツァ職人が1名いる程度ですが、5~6人は在籍していている上に、ピッツァ職人じゃない料理人でさえも遊び感覚でピッツァが焼けるぐらいなんです。基本レベルが高いんですよ。本当はもっとこの店で修業を続けたかったのですが、島本町にいい空き物件があるとのことで、あれよあれよという間に店を立ち上げることになり、独立のために退職しました。

若い料理人も集まりはじめジビエ料理で町おこし

編集部:それが今夏、オープンした大阪・島本町のお店なんですね。なぜこの郊外で店を開こうと思ったんですか?

一郎さん:本当にご縁です。ここが私の地元なんですが、最初は大阪や京都市内で探していて島本町は全く頭になかったんです。たまたま良さそうな物件があるよと妻が教えてくれました。

「FORNISTA 」の外観

阪急京都線「水無瀬駅」から徒歩3分に立地する「FORNISTA 」。周辺には天下分け目の天王山や、また大阪で唯一「名水百選」に選ばれた「離宮の水」で有名な水無瀬神宮があります。

みどりさん:駅からも家からも近いし。窓が多い事が希望という一郎さんの条件にも当てはまりました。私の前職の会社から1駅と近くて仲間たちにも来てほしいなと思っていたので、本当にいいところが見つかって良かったです。

編集部:今度はみどりさんも一緒に店の運営に携わったんですね。

みどりさん:次に独立するときは会社を辞めて私も一緒にお店をしようと思っていたんです。それは二人合意の上です。それで彼が料理に集中できるようシェフを、私がオーナー…といっても経営の知識があるわけではないのですが役割分担をしました。

実際にやってみると、これは一人でやるのは大変だなと痛感しましたね。店を始めたら営業の電話はかかってくるし、コロナ禍で行政の支援手続きなど書類の準備も大変でした。ひたすら雑用係です。資料作りや銀行との折衝など、会社員時代に培ったビジネススキルが役立っています。

編集部:今後、やってみたいことは?

一郎さん:先ほどお話したリストランテ「Co.N.Te(コンテ)」のイチロウさんがハンターなので、仕留めた鹿肉を仕入れてジビエ料理をメニューに加えたり、幼馴染が京都の市場に勤務していて美味しい魚…、特に鰻が手に入るので、ピッツァのメニューに「鰻」を入れていこうかなと。
「鹿と鰻のピッツァ」を出す店はなかなかないでしょ。だから今後それを看板料理にできないか思案中です。

編集部:鹿は島本町産ですよね?

一郎さん:そうですよ。

みどりさん:島本町って大阪のはずれで、京都との境にあって、自然は豊かですが、観光地でもなく名産もない街です。でもイチロウさんがジビエで街を盛り上げていきたいというビジョンを持っていらして、私たちも何かできないかなと。

『島本ジビエ』が名産になったら、町外から人も呼べるし、1軒じゃ広まらないから、うちも、前回取材された「MyS(マイス)」さんも加わってみんなで島本を盛り上げていこうとしています。

一郎さん:野生の肉はにおいがキツイなど言われますが、においも一切ないですよ。仕留めてすぐに近くの川で血を抜いて、山から持っておりるそうです。

夫婦お互いの存在とは

編集部:みどりさんからみた一郎さんのピッツァの持ち味を教えてください。

みどりさん:難しいなぁ、漠然といえば「愛がある」ということかな。メニュー作りは試作を何度も重ねて、納得のいくまでとことんですね。夫婦でやっているので、職場でも家でもずっと四六時中、ピッツァや店の話になるんですよ。

窯の前で並ぶ高山夫妻

美味しいピッツァとホッと寛げるおもてなし。髙山夫妻の息の合ったコンビネーションでお客様も笑顔に。

一郎さん:私よりピッツァを食べてますよ(笑)。

編集部:みどりさんは良き理解者なんですね。会社を辞めて一緒に店をしていらっしゃいますし、やはり一郎さんを応援していこうと決めたんですね。

みどりさん:紆余曲折な生き様なんですけどね。私、子どもたちにも言っているんですけど「なりたい自分になる」という生き方がベストだと思っています。

人生の中で安定を求めたり、そのために違う道を選ぶことは多いと思うんです。でも、この人は純粋に自分のやりたいことを選ぶ人ですから、それはすごいなと思います。子どもたちにもそういう風に生きてほしいと思っています。

編集部:やりたいことをして生きるって、実はものすごいエネルギーが必要ですよね。みどりさんは、一郎さんがレーサーをしている時や、パン屋勤務から独学でピッツェリアをオープンすると決めたときに反対なさらなかったんですか?

みどりさん:う~ん、いや実はレースも私の方が「辞めるな」と言ってたくらいですから。

編集部:えっ!そうなんですか。

生ハムがたくさん載ったピッツァ

生ハムがこんもり! ※ピッツァの具材は仕入れ状況や季節により変わります。

一郎さん・みどりさん:そうそう(笑)。

編集部:すごい、家計を共にする身としてはなかなか言えないと思います。じゃあ一郎さんが辞めるっておっしゃったんですね。逆に一郎さんにみどりさんの魅力を聞いてみたいです。

一郎さん:いやぁ、こんな可愛い奥さん、なかなかいないでしよ。
いろんな人からよく褒められます。最初は妻ばっかり褒められるから複雑な心境でしたけど(苦笑)。最近はすごく嬉しいですね。

一同:(笑)。

ハンターであり料理人のイチロウさんを紹介します

編集部:では最後に、髙山さんから次の方をご紹介いただけますか?

一郎さん:先ほどお話したリストランテ「Co.N.Te(コンテ)」のイチロウさんです。一緒にジビエの街として大阪・島本町を盛り上げていきたいですね。

編集部:島本町は、大手不動産会社が発表した「『住み続けたい街(自治体)ランキング<関西版>』発表」で1位に輝いてましたしね。

一郎さん・みどりさん:そうなんですよ。最近は、私たちより若い世代の料理人がこの街で店を開くようになってきてます。これからどう街が変化していくのか楽しみです。

編集部:自然も豊かで子育てもしやすそうです。次回のイチロウさんはハンターという肩書を持っていらっしゃるんですよね。リレーインタビューではそういう経歴を持つ方はいなかったので、どんなお話になるのか期待でいっぱいです。今日はありがとうございました。

まとめ

「なりたい自分になる」「やりたいことに純粋に取り組む」。いくつになっても挑戦する気持ちを忘れない一郎さんと、陰になり日向になり支えるみどりさん。実はご子息の髙山 零央さんは、プロのスケートボーダーとして活躍中だそうです。今日のお話を伺って納得しました!

夫婦や家族で飲食店をする方は多いと思いますが、得意な事や強みを活かして、思い切って役割を分けることもお店の守備範囲を広げる上でメリットは大きいようです。

次はメディアにもたびたびご紹介されているプロハンターであり、料理人のイチロウさん。今からお話を聞くのが楽しみです。

<インタビュー:杉谷 淳子・峯林 晶子、記事作成:杉谷 淳子>

<取材協力>

店名 FORNISTA (フォルニスタ)
住所 〒618-0011
大阪府三島郡島本町広瀬4丁目23-2
TEL 075-555-8752
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<写真提供>

髙山 一郎・みどり
※インタビュー風景を除く

▼続いてのリレーインタビュー記事はこちら

プロハンター×シェフ宮井 一郎さんに聞く。ジビエで体験する「命をいただくこと」の意味【リレーインタビューVol.21】