収穫したぶどうと美濃和さん

“子どもたち”が好き勝手に走り回るジュリオ・アルマーニの醸造の神髄

編集部:「ラ・ストッパ」の当主エレナさんとはチリで知り合ったんですね。

美濃和さん:彼女の母親がチリに住んでいて。エレナはチリでワインを作れないかと視察で来ていたんです。
それで初めて、「ラ・ストッパ」のワインを知り、衝撃を受けたんです。すぐに「働かせてもらえないですか」と頼みました。

でも一番最初の答えは「ノー」でした。スタッフはすでにたくさんいるから無理だと。でもそのあともずっと粘ってて、じゃあ収穫の時の研修生みたいな感じのお手伝いだったらいいよ、と。

ただチリで安定した仕事にやっとつけたのに、イタリアに行けばまた研修生か…というのもあったんですが、でもそれでも「ラ・ストッパ」で働く価値はあると思ったので、チリでの仕事を辞めて、研修生として行きました。

編集部:2016年ですね。「ラ・ストッパ」に赴かれて、かの醸造家ジュリオ・アルマーニさんとも出会われたんですね?

美濃和さん:そうです。「ラ・ストッパ」のワインの情報収集は事前にしていたので、当主のエレナと醸造責任者のジュリオのワインがどういう風に作られて、どういう風に収穫しているか、彼らのフィロソフィーやコンセプトも知っていたんですけれども、実際に見てみるともう…。

正直にいって、最初はすごくストレスフルでした(笑)。というのも、今まで収穫期を体験してきて、醸造学のベーシックな知識もある上では、ジュリオ・アルマーニの醸造は、危なっかしく見えたんです。

あまりにもぶどうたちに好きなようにふるまわせている!
子どもたち(ぶどう)が好き勝手に走り回ってる!虫を口にくわえてたりする!(笑)

彼らも研修生が来たら、毎回言うんですよ。「あなたたちが昨日まで仕入れてきた知識は全部忘れなさい」と。

でも放任主義的な一面がある一方で、彼ほどワインのタンクを試飲して回る人もいません。放任していてもワインは彼のアンダーコントロールにあるんです。

そこがジュリオ・アルマーニが他の醸造家とは違う点かもしれませんね。

「ラ・ストッパ」でのボトリングにて、ジュリオ・アルマーニさんと美濃和さんの2ショット

「ラ・ストッパ」の醸造責任者ジュリオ・アルマーニさんと美濃和さん。「ラ・ストッパ」でのボトリングにて。

編集部:そんなアルマーニさんから美濃和さんは3年間学んだと。

美濃和さん:くっついて勉強させてもらいました。ジュリオ・アルマーニと一緒に、僕は3年間勤めさせてもらったけれど、3年間も一緒に仕事した人はほかにいなかったんじゃないですかね。

彼は一見、こわもてといいますか(笑)、難しそうに見えるというか。イタリア人はおしゃべりな人が多いイメージがあったんですが、彼は、全くしゃべらないんですよ(笑)。

でもそれでたぶん、馬が合ったんです。

編集部:美濃和さんとは相性が良かったんですね。

美濃和さん:そうなんです。だから僕としても彼といるのは、とても快適でした。たぶん、日本人の僕がイタリア人ほどしゃべらないので、彼としても悪くないコンビだったんではと思います。

編集部:2人で黙々と仕事する感じですか。

美濃和さん:1日中オフィスに2人でいて、“おはよう”と“さようなら”以外に全くしゃべらずにいましたね(笑)。でもそれが苦じゃないんです。

編集部:そんなイタリアの過ごし方があるんですね(笑)。

美濃和さん:あのラボだけだと思いますけどね(笑)。

僕も「ラ・ストッパ」で続けられるのであれば、もっと続けたくもあったんです。ジュリオ・アルマーニはナチュラルワインの世界では、一流のマエストロと呼ばれている存在です。彼がワイン作りの工程でどういうジャッジメントを下しているのかというのは、3年間勤めても、よくつかめないところもありました。

もし彼のワザを完全に盗むのであれば、さらに10年とか20年が必要だったと思います。

でも、何人かの生産者といろんな話をしていくうちに、これは早く自分のプロジェクトを始めた方がいいと思い始めました。

ズバッと言い合う生産者仲間と自分たちに合った家族のかたち

大きな容器のなかでブドウを踏むこどもの足

2021年の収穫では、美濃和さんの友人たちの子どももヘルプに来てくれた。

編集部:どうしてですか?

美濃和さん:ワインの世界では、ぶどうを作り始めて、ワイナリーに届くまでに1年、それが発酵してワインになるまでにさらに1年かかり、熟成するまでにまたさらにかかります。

それを考えたときに、自分がある程度のスキルまで到達するのを待っていると、動き始めがすごく遅くなる可能性があると考えたんです。

もう一つは、ピアチェンツァのワインが特別時間がかかるワインだということです。
これは土地の特性のひとつなんですが、ぶどうをつぶしてからワインに出来上がるまでに、ものすごい時間がかかるんですよ。

ピアチェンツァの土の特徴、ぶどうの品種。どうしても時間を要する条件ばかりがそろっているんですよね。たとえば「ラ・ストッパ」が今現在売り始めている最新のヴィンテージの赤ワインは、2011年のものなんですよ。

編集部:えええ!

美濃和さん:それを考えると、ジュリオとベタっと一緒にいることはできなくはなっても、「ラ・ストッパ」をやめて、早めに自分のワイン作りをスタートさせた方がいいかなと思って。同じ地域ですし、ジュリオとは情報交換はできますし。

編集部:美濃和さんの今やっていることを見て、アルマーニさんはなんとおっしゃっているんですか?

美濃和さん:仕事のプロセスとしては彼は何も言ってこないので、特に可もなく不可もなくと考えているとは思います。でも出来上がったワインを飲んだ時は、「もうちょっとこうした方がいいんじゃないの?」とアドバイスはくれますね。

編集部:それは美濃和さんとしては嬉しいことですよね?

美濃和さん:もちろんです!ピアチェンツァ県にはナチュラルワインの生産者が5~6人ほどいるんですが、みんなすごく仲がいいんです。だから自分たちのワインを開けては、よく話をします。
ただ僕はここでは新人なので、みんなズバズバ意見を言ってくるんです(笑)。僕も先輩たちにズバズバ言ってますけれどもね(笑)。

編集部:ナチュラルワインの生産者は地域ごとに、それくらいの人数はいるんでしょうか。

美濃和さん:おそらくですが、ナチュラルワインの生産者がこれだけ密にいるのはピアチェンツァ含めてもそんなに多くはないと思いますよ。ほかはみんな地域がばらけていると思います。

編集部:大変ですものね。

美濃和さん:ナチュラルワインは、哲学としても仕事の内容としても、特殊な一面があります。生産地には必ず指導者のような存在がいて、その弟子が広げていっているという感じでしょうか。

ピアチェンツァでも、ジュリオ・アルマーニという人がいて、その考え方に賛同する人や学んだ人が、じわじわと増えていったというか。

編集部:いま美濃和さんはお一人暮らしなんですか?

美濃和さん:そうなんですよ。妻はパルマで弁護士をしていて、別居婚ですね(笑)。

彼女は僕の仕事に興味と理解を持ってくれています。彼女自身はオフィスワークですし、法律的な問題を扱うストレスフルな仕事なので、土日は体を動かしたいと言ってワイナリーに来て手伝ってくれます。とても助かっていますね。

B級ワインの産地だったピアチェンツァでのワイン革命

春のぶどう畑に立つ美濃和さん

芽吹きが始まった春の畑にて(photo by Federica Calzi)

編集部:美濃和さんは今後、どんなワイナリーをめざしていますか。

美濃和さん:ピアチェンツァ県では、古いぶどう畑の木がどんどん抜かれているんです。これは、ここのワイン文化を守るという意味において、ひとつ大きな課題なんですね。

考えてみてください。ワインの産地ってどこを思い浮かべますか。イタリアだとピエモンテ、トスカーナでしょと言われます。

じゃあピアチェンツァは?というと、イタリアではこれまで、安ワインのイメージしかなかったし、今もまだそのイメージが根強くあるんです。

もともとピアチェンツァは、ひどい話だとボトル1本が200~300円程度の蔵出し価格で売っているような有様で、ワインの産地として認識はされていませんでした。

じゃあその安ワインが、エチケットに50円、ボトルに50円、コルクに100円かかって箱に入れて輸送してと考えると、どうやって利益が出ているのか。とにかくたくさん作ってたくさん売るしかない。

それで「味はいいけれども、たくさん作れないぶどう畑なんか邪魔だ」ということで古い畑は売られてしまうんです。古い畑は品質的にいいものが作れるので高く売れますし。

ただそれをずっと続けていっても、ずっと安ワインしか作れない負のスパイラルです。どうしても生産者の経営状態は火の車でしょうし、もっと良くないのは、若手がそんな仕事をしたくないと出てっちゃうんですよ。

若手自身が自分の親が作っている大量生産のワインを飲んだ時に、「美味しい!」とぐっとくるものがない。

なのでここで流れを変えないといけないんですね。

編集部:ナチュラルワインのブームの一方で、大量生産のマーケットがあって、そういう問題もあるんですね。

美濃和さん:ナチュラルワインはそれ自体に付加価値をつけられるので、大量生産して1本200円で売らないといけないマーケットとは違う場所で勝負ができます。

僕は、ピアチェンツァの古いぶどう畑が、バローロ(※)やトスカーナと遜色がないポテンシャルがあると思っています。
※バローロはピエモンテ州で造られる、最高位格付けD.O.C.G.に認定されている長期熟成型の赤ワイン。

今200円、300円のワインを火の車で作っている生産者たちが、どういう風にストラテジー(戦略)を変えていくのか。価格を1度落としてしまうと、生産者自身が自分たちのプロダクトを卑下したり、それ以上の価値を見出さないようになっていくことがあるんですよ。

編集部:若い人がやりたいと思えるような誇りある仕事ができないと。

美濃和さん:少なくとも若手が逃げていかないようなものを作るべきですし、若手が逃げていかないようなマーケティング方法でワインを作るべきだと思います。

編集部:じゃあ美濃和さんもゆくゆくは若い人を雇う可能性も?

美濃和さん:それもありますし、でもまず最初にしたいのは、イタリアに日本人がいきなりやってきてワインを作り始め、これまでの5倍くらいの値段で売って、ちゃんと売れている、という事実を作ることでしょうか。

「ワインを作りたい」と思っている人が、ピアチェンツァを選んでくれるくらいに。

編集部:「ラ・ストッパ」の当主のエレナさんは、そのピアチェンツァで「そんなの関係ない!」とガンガンやってきたということですね。

美濃和さん:エレナたちも最初は、地元のマーケットに出すものも作っていたんです。そこから思い切ってナチュラルワイン一筋に舵を切って、10年ほどは経営が大変だったと聞いています。

飲んだら美味しいけれども「ピアチェンツァ」と聞いたら、もう誰も買わない。試飲会のテーブルに寄ってこないという。

でもそういう状況が、また彼女たちに火をつけていたんですね。「このやろう!」という反骨の気持ちに。

エレナとジュリオがその流れを変えてくれて、そのあと弟子たちがさらにどれくらい大きく変えていけるか、だと思います。

編集部:美濃和さんとしては、ピアチェンツァでナチュラルワインの生産量を伸ばして、若い後継者につなげられたらと。

美濃和さん:そうですね。今も「なんでボルドーとかブルゴーニュ、カリフォルニアに行かなかったの?」と聞かれることもあるんですが、でもボルドーで美味しいワインが出来ましたといっても、僕にとっては面白味がないです(笑)。

それだったらひどい言われようだったこの場所で、面白いものができた方がいいなあと。

編集部:美濃和さんはイタリアに根を下ろすおつもりですか?

美濃和さん:妻にたたき出されない限りは、イタリアにずっといたいです(笑)。

突然現れた日本人料理人のパッションに魅了され

編集部:美濃和さんが紹介したいと思う方はいますか?

美濃和さん:尾倉 智樹(オクラ トモキ)さんです。彼はピアチェンツァにある「ラ・ファジョーラ」というお店で働いていたんです。ナチュラルワインのセレクションがすごくて、連日ミラノからお客さんが来るような店で、使っている食材も常に現地のものにこだわっています。

昨年かな。イタリアにスローフード協会というのがあるんですけれども、土地に根差した安全に作られた飲食店などを中心に、食文化を推奨していく協会なんですが、「ラ・ファジョーラ」はそのイタリアNO.1の賞を獲りました。

編集部:すごいですね。

美濃和さん:店のボスは僕と同い年でエレナとも非常に仲のいい人です。店には僕も足しげく通っていたんですが、突然そのボスから「日本人のコックを雇った」と聞いて、それが尾倉 智樹君でした。

彼はすぐにトップシェフとマンツーマンでキッチンを回すようになり、小倉君もすぐに自分のアイデアを出して、2人で皿を作っていくというような重要なポジションでした。

僕の友達も「智樹はすごい!」と言っていて、彼はふんわりした人なんですがパッションがあります。

数か月前にこのレストランを辞めて、彼のスタイルをさらに追求すべくリグーリア地方に行きました。連絡は取っていますよ。

編集部:楽しみにしています。美濃和さん、今日はありがとうございました。日本から応援しています。

まとめ

ワインに詳しくない私たちに、難しい言葉は極力使わず、分かりやすくお話してくださった美濃和さん。美濃和さんが「赤ちゃん」「ベイビー」と呼ぶ、収穫を終えて今まさに産声をあげたばかりのワイン作りのお話はもとより、チリワインの歴史、ピアチェンツァでのワインマーケットの実情、エレナさんやジュリオさんから受け継いできた反骨精神(もともと美濃和さんにもあったんだと思います)。時を忘れて聞き入りました。
手塩にかけて育てたワインは、美濃和さんにとってはまさに我が子。これは美濃和さんのワインを飲まないといけません。日本にも早くやってきますように!編集部みんなで待っています。

<インタビュー:峯林 晶子・杉谷 淳子、記事作成:峯林 晶子>

<取材協力>

ワイナリー名 Shun Minowa
SNS Instagram

<写真提供>

美濃和 駿
※インタビュー風景を除く


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