塩おでんのアップ

お笑い芸人めざしていたという異色の居酒屋店主・小田 哲也さんが今日のゲストです。現在、地元では良く知られた「塩おでん」を看板メニューに「芦屋 塩おでん たのしや」を経営。TVなどメディアにも取り上げられています。

これまで店をオープンして繁盛店に導いては若手に譲り、現在3店舗目。「笑ってその日を終えること」がモットーとの小田さんならではの店づくり、若手育成の哲学をお聞きしました。
(取材:2021年9月9日)

※小田さんは、リレーインタビュー「あの“小籠包”の「楽関記」店主に聞いた。脱サラから開業までの道のり【リレーインタビューVol.13】」の城野 肇さんからのご紹介です。

<プロフィール>
小田 哲也(おだ てつや)さん
1969年、神戸市で生まれる。高校卒業後、自動車整備・販売会社に入社。その後、かねてより希望していたお笑い芸人をめざして松竹芸能養成所に入門。お笑いコンビ「おだきた」としてネタ見せライブに数々出演。阪神淡路大震災を機に生計をたてるため徐々に飲食業界にシフト。25歳でコンビ解消。28歳で独立し、和食居酒屋「唐辛子」をオープン。32歳で2店舗目「楽舎(たのしや)」、41歳で3店舗目「芦屋 塩おでん たのしや」を開店。現在、看板メニューの「塩おでん」のECサイトも運営。

オンライン座談会の画面キャプチャー

オンラインインタビュー風景(右下が小田 哲也さん)

お笑い芸人をめざし松竹芸能養成所へ

編集部:本日はよろしくお願いします。前回ご登場いただいた城野さんから小田さんをご紹介いただいた時に、お笑い芸人を目指していたとお聞きしました。そのあたりからお聞きしてよいでしょうか。

小田さん:そうなんですよ。高校卒業してすぐにお笑いの道に行きたかったんですが、家族から「それなら家を出て自活しなさい」と。それでまずは自活資金を貯めるために車の整備・販売会社に就職しました。

編集部:サラリーマンとして社会人生活のスタートをきったんですね。

小田さん:はい。整備士です。それが1年ぐらいで車のセールス職に異動になりました。僕のキャラクターが認められての大抜擢だと思っていたんですが…。実は僕が修理した車、整備不良で返品されてたんですよ(笑)。

編集部一同:(笑)。

小田さんの顔写真とおでんとお店の提灯のコラージュ写真

小田さん:1年半ほど勤めて資金が貯まったので、実家を出て神戸市内で自活スタート。車の販売会社も退職し、松竹芸能養成所に入門しました。しかし念願叶って、やっとお笑いの道に進んだのに大阪の養成所に一人でいくのが淋しいというか。

編集部:えっ?神戸から電車で30分ぐらいです。そんなに遠方でもないかと。

小田さん:それまでは自分が面白い人間と思って生きてきたけど、大阪ってごっつい人が多いし、なんか大阪アレルギーみたいなんになって、養成所まで行くけど門には入らずに帰るという日々が2年ほど続きました。

編集部:そうだったんですね、でも入学金も払ってるんですよね…。

小田さん:そうです。で、21歳になった頃、このままではあかんと。地元・神戸の友人に「一緒にお笑いやろう」と誘って、やっと行けるように(苦笑)。養成所でも、ある程度評価してもらって「おだきた」というコンビ名でライブに出たり、「ABCお笑いグランプリ」に出させてもらえるようになったんですよ。

小田さんの芸人時代。手を広げておどけている

芸人時代の小田さん。

編集部:それはすごいです!

小田さん:松竹が主催するライブがあって、当時のMCにはよゐこさんが、レギュラー出演枠には、ますだおかださんやTKOさん、オセロさんがいて、新人は2枠のみ出演できるんです。そこに常時、70組~100組がエントリーして笑いを競い合います。新人2枠に3カ月通しで選ばれたら、レギュラー入りできるシステムです。

震災を機にお笑いの世界から飲食業界へ

編集部:順調だったお笑いをなぜ辞めたのでしょうか。

小田さん:大きなきっかけは阪神淡路大震災かなあ。
レギュラー入りめざして「おだきた」も2カ月は勝ち抜くけど3カ月はいかなくて悶々としてまして、そんな時に地震がありました。25歳の時です。

阪神間の交通網が閉ざされたので、車で大回りして大阪の養成所に通っていたんです。でも収入源だったアルバイト先の飲食店も地震で潰れて、仕事探しからしないといけなくて、それどころではなくなりました。

笑顔の小田さん

編集部:神戸は震災で本当に大変でしたから。でも大阪は北西部の一部をのぞいては、これまでと変わらない生活を送ることができていました。隣り合った都市圏なのに状況がまるで違って、遠い別世界の都市を行き来するような、そんな戸惑いを感じた人は多かったと思います。2つの都市を行き来するのは堪えたのではないでしょうか。

小田さん:変なメンタルになりますよね。大阪に行って普通に日常送って、神戸に帰ってきたらもうむちゃくちゃ悲惨な状態で。やる気をキープするのが難しかった。

自分も相方も気持ちが落ちていってるし、そこで腐りました。いろんな要因が合わさって「もうお笑いを辞めよう」と。

編集部:そうだったんですね。

小田さん:そこからは復興にむけて動き始めた神戸で、飲食店でのバイトを再スタート。僕も料理の仕事が楽しくなってきた頃で、もともと凝り性なんで美味しいと思ったらレシピを書き留めたり、他店の味が気になったらその店で働き始めたり。その店でほぼ吸収できたと感じたら、次の店へ転職。そうしているうちに料理も上達してジャンルや幅も広がっていきました。

店内に飾られた書画

「芦屋 塩おでん たのしや」店内。お店の「書画」は全て小田さん作。

清水の舞台から飛び込むつもりでエイヤッと独立へ

編集部:独立したきっかけは?

小田さん:友人から「店をやろう」と。それまではそういう発想がなかったんですが、ある時、バイト帰りに不動産屋がふと目に留まり思いつきで入りました。

家賃、敷金の相場を聞いたり、希望する広さや雰囲気とか説明したんです。そしたら「こういうのがあるよ」と、その日のうちに物件を見に行きまして。まぁ冷やかしですよね。でも結局、見に行った物件で店を開いたんです。

創業当初の「唐辛子」での集合写真

思い切って独立。創業した当初の「唐辛子」にて。

編集部:え~っ、思いきりがいいですね。

小田さん:三宮駅からすぐ。北野坂のあたりです。水道、ガス、電気も引いてこないといけなくて内装代も含めトータルで1,200万円。「えっ、これやる?ほんまに?どうする自分!」って自問自答ですよ。300万円ほどあった資金を敷金に充て、どんどん話がすすんでいって。

編集部:で、どうしたんですか?

小田さん:公庫で600万円借り入れるのに、10年ぶりに兄貴に連絡とって「保証人になってくれ」と。久しぶりの連絡でしかも借金の保証人の依頼。でも兄貴は了承してくれたんですよ。
「哲也、これ、ほんまに大丈夫やろな」ってボソボソ言いながら、小指ほどの小っさい小っさい印鑑もってきて、それが実印やって(笑)。

編集部:泣けてくるほどいい話です…でも面白いです(笑)。

小田さん:残り、内装代300万円が足りなくて、業者さんに相談して1年の分割払いにしてくれと。月25万円です。

編集部:でも出店直後は、利益を出すのも大変なのでは?

小田さんが描いた書

小田さんが描いた書。ポジティブなメッセージが見る人を温かい気持ちにさせる。

小田さん:業者さんも「そんなんできる?運営資金、生活費、公庫の返済金、そのうえにまだ月々25万円やで。きついぞ、止めとき」って。

で、とうとう不動産屋との本契約の日がやってきて、それでもまだ悩んで。30分後には約束の時間なのに、まだ悩んで。三宮の東公園のベンチに座りながら「どうしよ、どうしよ」「不動産屋の仮契約を解消したら違約金を支払うことになるし」と色んなことが頭をかけめぐるんです。その間も、不動産屋から「どうします?だいじょうぶです?」って電話があるし。

もう最後は「なんかもうええわ。死にはせんやろ、これでやらんかったら次ないな」と決心して不動産屋に行ったんですよ。

編集部:なんだか、こっちまでドキドキしました。

ヒットメニュー「塩おでん」誕生!そして3店舗目へ

編集部:その店が、前回インタビューの城野さんもバイトしていた和食居酒屋「唐辛子」なんですね。とても繁盛していたと聞いています。上手くいったポイントは?

小田さん:あの店は、もともと僕がかつてバイトしていた居酒屋がモデルとなっています。とっくに店は閉店していたけれど、店を出すならあんな雰囲気がいいなと常々思っていたんです。マスターに電話でお願いしたら快諾してくれ、店名の「唐辛子」もロゴごと受け継ぎました。

編集部:独立時の話はドキドキしましたが、繁盛して本当に良かったです。それで4年後に、2店舗目「楽舎(たのしや)」をオープンしたんですね。

和食居酒屋「楽舎(たのしや)」メンバーの集合写真

2店舗目にオープンした和食居酒屋「楽舎(たのしや)」メンバー。学生アルバイト、フリーター…と何人ものスタッフが小田さんのもとから巣立った。中には独立して店を持った人も。

小田さん:新しいことがしたかったので、次はテーマを「おでん」にしぼって、そこに「塩」ブームがきてたので、おでんも塩で食べられへんかなと。今でこそ、天ぷらや豆腐を塩だけで食べるって当たり前ですけど、当時はそれが新しかったんです。それで「塩おでん」を開発。お店の看板メニューにしました。

編集部:「塩おでん」はとても人気ですね。なぜ3店舗目は、神戸・三宮界隈から、郊外の芦屋に?

大きなトマトがゴロンと入った「トマト塩おでん」

大きなトマトがゴロンと入った「トマト塩おでん」。色も鮮やか。トマトのグルタミン酸がお鍋の中で溶け合い、旨味をさらにアップ。「芦屋 塩おでん たのしや」では多彩なおでんが楽しめる。

小田さん:また新しいことがやりたくなってきたんですよ。「唐辛子」「楽舎(たのしや)」は経営も順調でしたし、そこは後輩に譲って。まぁ自分が動きたくなる性分なんですね。

それで出店場所を探していたら、知人から「三宮で店を手放すっていう子がいるから、小田さんやらない?」と。
それでその店の店主と契約について話を進めている間に「私、もう1回頑張ってみてもいいですか」って。こっちは店をやろうとポジティブな状態でしたから、また飲食店をやりたくなったようなんです。僕はそんなつもりで話してた訳じゃないけど「やめるんちゃうんかい」と(笑)。

編集部一同:(笑)。

小田さん:僕は「唐辛子」も「楽舎(たのしや)」も後輩に譲るって言った後でしたし、これは自分の居場所がないゾと焦りました。それで、その店主が「申し訳ないから」と、今の芦屋の物件を紹介してくれたんです。物件みたら立地も雰囲気も良いし、一目で気に入ってここでやろうと。

「お客様が笑顔でお帰りになること」が自分たちの仕事

編集部:お話をお聞きしていると、一回もお店を潰さず繁盛店にし、後進が必ず育っています。すごいことですね。店を潰さずにうまく続けるポイントは?

小田さん:う~ん、そうかな。ただお客様が入店される時って、色んな表情をしていらっしゃるんですけど、大体は普通のテンション。だからお帰りの際は笑顔で帰ってほしいと思っています。そしてそれが僕らの役目かなと。お帰り時に笑顔でないなら、「僕らが自分たちの仕事をしてない」ってことだと思っています。

編集部:料理が美味しいだけでは足りない?

和食の献立が好評の「芦屋 塩おでん たのしや」の刺身やなべなどの料理

和食の献立が好評の「芦屋 塩おでん たのしや」。

小田さん:お客様が店につける100点って、頑張っても料理は7割。あとの3割は接客をはじめ、ライティングや室温など含めて店のトータルの雰囲気。100点に近づけようとすると、とことん考えないといけないと思うんですよ。ホールの子には「料理ではMAX70点しかとれんから、あとの30点頑張ってくれよ」と。

今の若い子はすごい。良い部分を出せるように応援し、笑って1日を終えることが大事

編集部:ホールスタッフは応えてくれますか?後進が育つポイントってなんでしょうか。

小田さん:どうかなぁ。よく気がつく子もいれば、そうでない子もいるし、「ここ気づいてほしいな」とか思う時も正直あるけれど、今の若い子ってみんなすごい「良い子」なんですよ。自分の若いころはもっとテキトーだったなと。

すごく良い考えをもってるし、まったく思い浮かばない意見を出してくれるし尊敬してるんですよね。でも最終的には表現が大事で心に持っているだけでは相手に伝わらない。だから気持ちを表に出していくこと、行動や言葉にしていけるようにと思いますね。

調理風景のコラボ画像

食材も「美味しい」「面白い」と感じたものはどんどん取り入れる。上段はクエ。下段は猪肉。

編集部:小田さんがスタッフと接する時に心がけていることは?

小田さん:なんでしょうね。僕ね、まわりが笑ってるその瞬間、身体に幸せな何かががフワッと流れるような気分になるんですよ。だから一緒に笑って終わるということはしてるかもしれません。

よく説教する時に「お前のこと思ってゆうてんねんぞ」ってありますよね。そのセリフ、自分も使ったことがあるけど、なんかイマイチだと思っていて。「お前のため」と言いながら、実は自分が言ってスッキリしたいというか。

編集部:確かにそうかもしれません。

小田さん:ミスしても何してもこの場は楽しく終わらないとね。叱った後って相手もへこむでしょ。「そっちから立て直してこいよ」って思う時も確かにあるんやけど、まずは『笑って1小節1小節、終われるように』ということを心がけてますね。最後は笑顔でないと、1日終われへんなと思う。

夢は、進化し続ける「芦屋 塩おでん」を全国の人に食べてもらうこと

編集部:今はコロナ禍で大変な時ですが、今後についてお聞かせください。

小田さん:起業して20年ぐらい経つんですけど、「塩おでん」ほど改良を重ねてきたメニューはありません。もう20年も作り続けてきたら子どもみたいなものです。今後はこの「塩おでん」をもっと多くの人に食べてほしいと思っています。それで「芦屋 塩おでん」の通販も始めました。

「芦屋 塩おでん」の通販で売られている詰め合わせセット

「芦屋 塩おでん」の通販では、詰め合わせセットもあり、誕生日、母の日、お歳暮やお年賀などの贈り物として喜ばれている。

編集部:去年(2020年)からですよね。コロナ禍なので自宅で美味しいものが味わえるのはいいですね。

小田さん:売上もおかげさまで伸びています。今もこれで完成したとは思ってないので、これからも進化させていきますよ。

編集部:夢は全国の人に食べてもらえる「芦屋 塩おでん」ですね。

「焼鳥さかもと」店主・阪本 径さんを紹介します

編集部:では最後に紹介したい方を教えてください。

小田さん:同じ芦屋で焼鳥屋をやっている阪本くんです。まだ若いのですが非常にアクティブで行動力があってね。

編集部:そうなんですね。

小田さん:はい、めちゃめちゃいい方ですよ、何か思いついたらパッと動ける思い切りのいい方なんです。

編集部:お話をお聞きするのが楽しみになってきました。今日はお忙しい中、ありがとうございました。とっても楽しいインタビューになりました。

まとめ

インタビューは、終始、笑ってばかり。苦しい時のお話も、落ち込んでいる時のお話も、ちょっとした笑いとユーモアを添えてくださるので、こちらもほっこりと温かな気持ちになりました。

お客様、スタッフ、きっと周囲の人に対しても、気持ちをすくいとって「1日を笑って終えよう」とされていることが繁盛店へと導き、後進が育つヒミツだと感じました。小田さん、楽しいお話をありがとうございました。

<インタビュー:杉谷 淳子・峯林 晶子・方城 友子、記事作成:杉谷 淳子>

<取材協力>

「芦屋 塩おでん たのしや」の外観

店名 芦屋 塩おでん たのしや
住所 兵庫県芦屋市大桝町5-12
通販サイト 芦屋 塩おでん たのしや
SNS Facebook

<写真提供>

「芦屋 塩おでん たのしや」
※インタビュー風景を除く

▼続いてのリレーインタビュー記事はこちら

始まりは学生時代のアルバイト。「店をつぶさない」を人との縁でつないでいく【リレーインタビューVol.20】


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