「MyS (マイス)」の入り口の前で立つ菱田さんと奥様

イタリアのミシュラン星付きレストランにて数々の経験を持ち、帰国後もミシュラン三つ星レストランの日本出店をスーシェフとして任されるなど最前線で活躍し続けてきた料理人・菱田 雅己(ひしだ まさき)さん。

そんな菱田さんが、21年7月、大阪北摂の小さな町・島本町にイノベーティブイタリアンレストラン「MyS(マイス)」をオープン。海外での華やかで刺激的な日々の先にたどり着いた、菱田さんの今の思いに迫りました。

(取材:2021年9月2日)

※菱田さんは、リレーインタビュー「割烹の“わくわく”に制限なし。宮下 司さんの「おもしろい」は、まかない作りで磨かれてきた【リレーインタビューVol.12】」の宮下 司さんからのご紹介です。

<プロフィール>
菱田 雅己(ひしだ まさき)さん
調理師専門学校卒業後、26歳でイタリアに渡り、ミシュラン一つ星から三つ星まで名店で修業を重ねる。2014年に「ハインツベック東京」のスーシェフとして帰国。2018年に「THE THOUSAND KYOTO(ザ・サウザンド キョウト)」内イタリアンレストラン 「SCALAE(スカーラエ)」シェフ就任。2021年7月、大阪府島本町にて自店「MyS(マイス)」をオープン。

オンラインインタビューの風景

オンラインインタビュー風景。

ミシュラン星付きに手紙を出しまくる!

編集部:本日はよろしくお願いします。まず、菱田さんが最初に料理の道に進もうと思われたのはいつだったんですか?

菱田さん:僕は大阪の茨木市で育ち、隣の高槻市の高校の出身なんですが、卒業したら同級生たちと離れるのが悲しくて、みんなが集まれる場所を作りたいと思って「居酒屋をやろう」と思ったのがきっかけといえばきっかけです。

居酒屋といっても「かっこいい居酒屋がいい」と思ってイタリアンを出す居酒屋にしようと思ったんです。

笑顔で受け答えする菱田さん

「MyS(マイス)」オーナーシェフの菱田 雅己さん。

編集部:それでイタリア料理の世界に。

菱田さん:そうですね。京都にあるイタリア料理店に就職したんですが、本場の料理がどんなんだろうという興味が出て、20歳のときからイタリアには何度か行って独自に勉強はしていました。

編集部:日本では調理学校で学ばれたそうですが、イタリアでも学校で学ばれたんでしょうか?

菱田さん:旅費を稼ぐために日本ではイタリア料理店や居酒屋でバイトはしていましたが、学校に通うお金までは稼げなかったですね。でもイタリアで正式に働くには、労働許可証が必要なんです。それで25歳のときにやっと、イタリアの北西部、リグーリア海北岸にある「バイアヴェニアミン」というレストランで労働許可証を申請してもらえて、働き始めたんです。

編集部:よかったですね。労働許可証はすぐに取れるものなんですか?

菱田さん:そうでもないんです。その国の就職先できちんと申請してもらうことが必要です。国によって違いはあるんでしょうけど、毎年どれくらいの労働者を自国に受け入れるかというのは決まっているので、誰でもいいという訳にはいかないようです。

それで僕はイタリアに渡る前に、ミシュランの一つ星から三つ星まで、あらゆるイタリア料理店に、手紙を出したんです。全部イタリア語で書いて。

編集部:なんと。すごいです。

菱田さん:返事をくれたのは4通でした。で、3通は「まずは調理学校にいきなさい」と。でも1通だけ「来ていいよ」と返事がきました。それが「バイアヴェニアミン」でした。今はもう閉店してしまったんですが、アラン・デュカスが食べにきたこともありましたよ。この店でいろいろ学びましたね。

リグーリアのシェフにもらったユニフォーム

リグーリア時代、菱田さんが写真嫌いのシェフからもらったユニフォーム。26歳からは妻のさくらさんと共に渡伊。

編集部:フレンチの巨匠アラン・デュカス氏ですね。「バイアヴェニアミン」ではどんなことを?

菱田さん:僕はこの店ではなんでもやってました。家族経営のこじんまりした店だったので、料理人は、料理だけでなくサービスも担当していました。

お客様にオーダーを取りに行って、オーダーを通して、そのオーダーを自分で作るんです(笑)。でもこの時にサービスを経験したおかげでイタリア語を早く覚えることができたというのはありますね。

で、お会計も僕がするので、その時にチップをもらうんですね。リグーリアって、フランスとの国境に近くて、モナコからのお客様が多いんです。だからか上流階級の方も多くて、チップが1万円くらいなんですよ(笑)。

編集部:1万円のチップ!

菱田さん:おかげでアパートを借りるだけじゃなく、車も買えたし、生活の基盤が出来ましたね。

編集部:良かったですね。

ミシュラン星付き店で伝統と最新の両方を学ぶ

菱田さん:そこには2年ほどいたんですが、僕の最初の目標は、「イタリアで普通に生活する」というのだったんです。それが達成できたので、じゃあ次に何をしようかなと思ったときに、やっぱり高級レストランで働いてみたいと。

それで、ブレシアにある「Ristorante gualtiero marchesi(リストランテ・グアルティエロ・マルケージ)」に雇ってくれないかと電話したんですね。

編集部:マルケージ氏(※1)といえばイタリア料理の父と言われている方です。
(※1)グアルティエロ・マルケージ氏は2017年、逝去

菱田さん:そうですね。伝説的な大人物から伝統料理をきちんと学びたい、イタリア料理の歴史に触れてみたいという思いがありました。

最初は断られたんですよ。でも熱意が伝わったのか、その後にマルケージ氏本人から電話がかかってきて、「お前はここで働く運命だったんだな」と言われたんですね。

マルケージ氏から伝統料理を学ぶ菱田さん

マルケージ氏から伝統料理を学ぶ菱田さん。

編集部:マルケージさんから直接電話がくるっていうのは普通にあることなんですか?

菱田さん:いや、ないと思います(笑)。僕にとっても一生忘れられない言葉ですね。それで春夏秋冬の料理は体験しようとは思っていたので、結局1年半いました。

その次に、ヴィチェンツァという街の「エルコック」というお店に入ったんです。

編集部:ミシュランの一つ星ですね。

菱田さん:なぜ「エルコック」を選んだかというと、そこのシェフは、ロンドンの「ファットダック」という科学調理で有名なレストランと、デンマークにある「ノーマ」、そして東京の「龍吟」で働いていた人物だったんです。

だから今度は、伝統料理とは180度違う、そういった最新の料理を見てみたいなと。そこでも1年半ほど経験して、確かにすごかったんですが、自分はちょっと違うかもなとも思ったんです。

マルケージ氏と菱田さん

マルケージ氏と菱田さん。

編集部:どのあたりが?

菱田さん:あくまで僕個人の考えなんですが僕はやっぱり伝統料理をベースにしています。

その人の考え方によりますが、最新の料理というのは伝統を無視する場合もあって、たとえば今は、フランス料理でもフォン・ド・ヴォーを作らない人もいます。

フォン・ド・ヴォーって肉を使った出汁(だし)の一種ですが、肉を使う重いものが今の時代には合わない、という考え方もあるんです。

しかも、市販でも質の高いフォン・ド・ヴォーが普通に手に入る。だから、フォン・ド・ヴォーは作る必要がないという考え方もあるんですね。ただ僕は、若い料理人がフォン・ド・ヴォーを作ったことがないというようになってしまうと、それはちょっと違うなあ、と思うんです。

編集部:なるほど。そういった「自分の料理」がだんだんと菱田さんのなかでも確立されていったんですね。

ローマの三つ星レストラン「ラ ペルゴラ」でのハードな日々

菱田さん:そのころ、ちょうど年齢も30歳という節目で、そろそろ帰国しようかなとも考え始めました。それで帰国の前に、三つ星のレストランで、もう一度働きたいと思いました。

でも実際、ミシュランの三つ星って、入りたい料理人が何十人も、半年や1年とか順番待ちをしている状態なんですね。

編集部:厳しいですね。

菱田さん:でも、入るのにコツがあるんですよ!三つ星の店に入るのは、ほかの三つ星のシェフから紹介してもらうんです。

その時も、僕はたまたま友人の知り合いからの紹介で、ベルガモの「ダ・ヴィットーリオ」という三つ星レストランで働くことになったんです。そこで、この店のオーナーシェフから、ほかの三つ星のお店を紹介してもらおうと。

編集部:ローマにあるヒルトンホテルの三つ星レストラン「ラ ペルゴラ」ですね。

菱田さん:そうです。「ダ・ヴィットーリオ」での僕の仕事はメニュー開発でした。週末にオーナーシェフの夕食を作って、その時に「美味しい」とお墨付きをもらったものがメニューに載る、というようなことをしていました。

その夕食の際に、オーナーに「また戻ってくるから、一度、別の店で勉強させてほしい」と伝えたんです。それで、オーナーが電話してくれたのが「ラ ペルゴラ」でした。

編集部:そうすると三つ星のお店2つで経験を積まれたと。

菱田さん:ほんとそうですね。「ラ ペルゴラ」は、20年以上満席で3つ星を維持しているというような、すごい店です。

ただ、イタリア料理といっても、シェフのハインツ・ベック氏はドイツ人で、家庭的な雰囲気で店を運営するイタリア人とは運営スタイルや気質がちがっていて、正直とても厳しかったんです。

まず名前を憶えてもらうまでが大変(笑)。それはもう朝から晩まで忙しいし、スパルタ教育という感じでした。でも最終的に、全部のセクションを経験させてもらいましたし、部門シェフも任され部下も持ちました。恵まれていたかもしれないですね。

編集部:並々ならぬ努力があったんですね。

「ラ ペルゴラ」にて、営業前に料理のチェックを受けている様子

「ラ ペルゴラ」にて、営業前のチェック。

菱田さん:スタッフは、イタリア人だけでなく、イギリス人やメキシコ人といった、さまざまな国から集まってきています。

部門料理長をしていた時は、同じセクションのスタッフに「なぜ三つ星のレストランに来て、日本人に教えてもらわなければならないのか」と言われたことも一度や二度ではなかったです。

その時に僕は「今日1日だけ僕の下で働いてほしい。もし僕より料理ができると思ったら、明日からシェフのポジションを代わってあげるよ」と。そう伝えて、実際にやって見せて、やっと納得してくれるんです。

編集部:見せるのが一番ということですね。

菱田さん:どんなことを言っても、言葉ではきっと納得してくれないので、それしか方法がない(笑)。

「ハインツ・ベック東京」でミシュラン星獲得を狙え!

編集部:その後、「ハインツ・ベック東京」の出店とともに、菱田さんは帰国されたと。

菱田さん:僕はスーシェフとして帰国しました。でもこの時も、ミシュランの星獲得の期待がかかっていたんですが、なかなか獲れなかったんです。それでシェフが代わったんですが、その代わった後のシェフであるジュゼッペ・モラーロが、僕がもっとも苦楽を共にしたというか、一番印象深い料理人ですね。

「ハインツベック東京」のスタッフたちと菱田さんの集合写真

「ハインツベック東京」で力を合わせたジュゼッペ・モラーロさん、スタッフたちと菱田さん。

編集部:どういった方ですか?

菱田さん:もともとイタリアにいた時から同僚として仲は良かったんです。彼が日本に来てからは、イタリアの本店とは違うことをやろうと2人で考えました。それまでは食材もイタリアのものを使っていたんですが、日本の食材を使うようにして、メニューもオリジナルに変えていきました。

あの時は、2人で頑張ったなあと思います。年上のベテランスタッフもたくさんいて、あんまり自分たちがああしなさい、こうしなさいとは言わずについてきてくれたことも、とても助けられたと思います。

ジュゼッペ・モラーロさんを抱き上げている菱田さん

ジュゼッペ・モラーロさんと菱田さん。

編集部:方向転換は自由にやっても大丈夫だったんですね。

菱田さん:イタリアの本店からは「なぜイタリアと同じメニューにしないんだ」とも言われたんですが、でも結果的にミシュラン一つ星を取ることができましたので。

で目的も果たしたし、そろそろ大阪に帰ろうかと思ったんです。

編集部:なるほど。それで東京から大阪に戻ったと。

菱田さん:いえそれが、これはもう僕の思考のクセみたいなものだと思うんですが(笑)、「やっぱりもう一度だけ世界を見てみたい」と思って。それで今度は休暇の1ヶ月ほどを使ってペルーに行きました。

編集部:ペルー!なぜまた。

菱田さん:「世界のベストレストラン50」というのがあるんですけれども、その1位から50位のアジア以外の店に、1ヶ月間の研修をさせてほしいとメールを送ったんです。

編集部:またメールを(笑)。

菱田さん:そうなんです(笑)。そうしたら結構な数の返事が返ってきまして。その中で、「この先の人生で最も行かないだろうな」と考えたのがペルーだったんです。その当時はそのベスト50の5位だったペルーにある「セントラル」という店に行きました。

ペルーの公用語はスペイン語なんで、みっちり料理を学んだというわけにはいかなかったんですが、でも「世界5位のレストラン」を見ることができて、いい経験にはなりました。

編集部:菱田さんの行動力に驚きます。その後は京都のホテル「THE THOUSAND KYOTO(ザ・サウザンド キョウト)」のイタリア料理店でシェフをされたと。

菱田さん:地元の大阪で店を持ちたいという思いはずっとあったんですが、その前に関西の客層や市況感が分からなかったので、一度関西の他の店で働いてみようと思ったんです。

京都では激戦区ながらもミシュランの一つ星獲得という目標がありました。でも軌道に乗り始めたころに、今度はコロナの感染拡大が起きてしまって。

去年の5月は休業となり、料理人はみな自宅待機でした。6月に緊急事態宣言が解除されてお客様が戻ってきてくれて、特に常連のお客様は週に1回通っていただいて、嬉しかったですね。

編集部:ありがたいですね。

正解は分からない。でも、楽しいことをやりたい

菱田さん:コロナ禍の出来事は僕にとっても大きくて、大事なお客様に対して100%応えられない状況が、自分のお店を出そうと思った大きなきっかけにはなったと思います。

松坂牛のラグーを詰めたファゴテッリ、アボカドとルッコラのサラダ

松坂牛のラグーを詰めたファゴテッリ、アボカドとルッコラのサラダ

コロナ禍の大変な時に来ていただいたお客様の気持ちが、今の僕の支えになっていますね。今の店も、京都のホテルにいた当時のお客様に来ていただいています。

編集部:菱田さんが大阪・北摂の島本町に今年7月にオープンした「MyS(以下マイス)」にも来ていただいているんですね。

菱田さん:当時のお客様全員に来ていただいていますね。本当にありがたいです。

「MyS(マイス)」のオープンキッチン内で調理をする菱田さん

「MyS(マイス)」のオープンキッチン。

編集部:菱田さんは北摂で育ったということですが、出店の場所に島本町を選ばれた理由は?

菱田さん:自然がたくさんあることです。以前から、島本町には自然豊かな環境がたくさん残っていていいなあとは思っていたんです。同じ北摂でも、高槻の市街地などで店を出すとなると、スペースが限られてきますし、かけるコストの内容やメニューの値付けにも影響が出てきます。

この一軒家のように、のびのびとした空間があって、できる限り良い食材を使って料理の価格も上げずに、と考えたら、ここはうってつけでした。不便といっても、JR山崎駅からタクシーのワンメーターで行けますし。

編集部:庭作り、菜園もご自身で手がけられています。かなりこだわっていますよね?

菱田さん:そういうとかっこいいんですが、お金をかけられないから庭は自分で整備しているというのもあります(笑)。

でも何より楽しいですね。今やっていることが正解なのかどうかは置いておいて、僕はやっぱり自分が楽しいと思えることをやりたいんです。

駅に近い良い場所に店を出すとなると、儲けを考えないといけなくなります。売上を出すためにとやりたいことにも制限が出てきます。その結果、これが本当にやりたかったことなのかと思うことになる。

「いいでしょ!ここ」と自分がお客様に言える場所を作らなければならないと思ったんです。その代わり、席数もぐっと減らして、妻と二人でお一人ずつを丁寧にもてなしてやっていこうと。

すべてに自分の目が届く範囲でやりたかったというのもありますね。極端な話、ごみ捨てにまでこだわりたかったというか(笑)。本当に細かいことですが、それ自体を僕は自由に楽しんでやりたかったんです。

木々が生い茂った改装・整備前の「MyS(マイス)」のエントランス

改装・整備前の「MyS(マイス)」のエントランス(Instagramより)

整備後の「MyS(マイス)」エントランス

菱田さん夫妻が整備後の「MyS(マイス)」エントランス。

レンガ造りの「MyS(マイス)」のエントランス横の小径

「MyS(マイス)」のエントランス横の小径も自分たちで整備。菱田さんはここでハーブを育てる予定だそう。

編集部:ごみ捨てですか?

菱田さん:飲食店はどこでもルーティンのルールがありますよね。たとえば布きんの置き場とか、ゴミも捨てる際の分別であったりとか、捨てるタイミングであったりとか、掃除の仕方にしても、本当に細かいことですが、僕は自由に楽しんでやりたい。

たとえば、僕は薪を使って火を入れたいという料理人としての夢がありまして、今回オーブンを一から設計したんです。

設計した薪を使ったオーブンを指さす菱田さん

菱田さんが設計した薪を使ったオーブン。温度別に3段に分け、燻製もできる。

高温と低温の両方で調理したくて、簡単にいうと、薪焼の直火と遠赤外線の機能を持たせつつ、オーブンの機能をつけました。

イタリアでは炭を使わないんですよ。だから薪を使って、どちらもできないかと。オーブンの機能を持たせるために箱型にして、でもオーブンだと常に300度以上の高温になってしまうので、箱の中に段を作って、火からどんどん離していくことで焼く温度を分けることにしたんです。

それで縦長の箱型の中身を3段に分けて、下から300度、250度、170度くらいになるように設計しました。これだと肉も魚も野菜も焼けます。

で、燻製もしたかったので、煙突の穴の位置と数も考えて、煙突の部分を閉めれるようにして、一瞬でいぶすことができるようにしました。

編集部:オーブンの設計までされたんですね。

菱田さん:YouTubeをみて薪ストーブを勉強しました(笑)。

評価よりも目の前のお客様を喜ばせたい

編集部:徹底してますね。菱田さんには、こういう店をやりたいというモデルのようなものがあるんでしょうか?

菱田さん:僕はこれまでいわゆる有名店といわれる店の多くで働いてきました。でもミシュランの星を獲ること、そして維持することの大変さを知りました。

どこからの評価も気にせずに、まずは目の前にいるお客様を喜ばせることってとても大切なことです。

ジャーナリストに注目されるためや、ミシュランで星を目指し頑張る。それに固執してしまい、目の前のお客様を見失わないであろうかと感じる部分が芽生えてきました。

レアチーズケーキ 抹茶風味のカントゥッチ、ラズベリーとホワイトバルサミコヴィネガーの雪

レアチーズケーキ 抹茶風味のカントゥッチ、ラズベリーとホワイトバルサミコヴィネガーの雪

お客様が求めているものは何か、喜ばせるということの本質を見失わずに料理を作りたい、それができる店をやりたいと思ってこの「マイス」をやっていこうと思ったんです。

編集部:菱田さんの考えるレストランの究極が「マイス」なんですね。価格も良心的ですよね。

菱田さん:食材を妥協せずにぎりぎりのラインです。その代わり、食材のロスを出さないように、昼と夜で食材を変えていません。

だから昼と夜と構成としては同じ。ただし1万3,000円のコースだけは、これまでの僕の経験を集結させた特別なコースにしています。

編集部:北摂の地元野菜もたくさんあると思います。

菱田さん:最近、島本の地元の方とも接する機会が生まれてきました。いちじくをくれる方を見つけたり。あと川魚を養殖されている方とも出会いました。そういう感じでだんだん地元のつながりが広がってきています。

同時に地元の方に向けては、島本にはない面白いものも提供していきたい。だから海外含めいろんな良い食材を使っていきたいと考えています。

編集部:お客様はどういった方が?

菱田さん:遠くは福井県から来ていただきましたね。島本のご近所の方は散歩の途中でうちの店を見つけてくれて、来ていただいています。そういう感じで徐々に来ていただいているんですが、面白いのは島本って、ワイン好きの方が多いんです。オープン当初からワインがよく出ていますね。

編集部:島本はサントリーの山崎の工場があるからウィスキーというわけではないんですね。

菱田さん:そうなんですよ(笑)。うちはグラスワインが5種類以上あって、ボトルを1本開けなくても楽しめるようにしているんです。それもあるんでしょうね。店にはウォークインセラーも設置していまして、ワインは充実させていくつもりです。だから今から楽しみですね。

「MyS(マイス)」のウォークインワインセラー

グラスワインが5種類楽しめる「MyS(マイス)」のウォークインワインセラー。

編集部:オープンにあたって大変だったことは?

菱田さん:「自由にやりたい」というのと逆のことを言っちゃうことになるんですが(笑)、本当に自分がやりたいお店を出したいなら、経営的な数字の面では先のことを考えないといけないとも思います。

そういった意味では、僕は銀行に融資をお願いするときに、京都のホテルで企画書を書いていたのが、とても役に立ちました。事業計画書も、銀行の方に「とてもよく出来ています」と言われたんです。

自分がお店を出すときは銀行などから融資を受ける必要があるとは思うんですが、自分が思うような店を出したいなら、できるだけ満額の融資を受けることが大事です。お金の計算は出来た方が絶対いいとは思いますね。とはいえ僕は本来は苦手なんですが(笑)。

島本町がイタリア料理で盛り上がり中!?高山シェフという仲間

編集部:菱田さんが次にご紹介したい方、いらっしゃいますか。

菱田さん:僕が調べたところ現在、島本町にはイタリアンレストランが4つあるんです。

「マイス」は7月15日にオープンしたんですが、その直前の7月1日に「フォルニスタ」というピザのお店がオープンしていまして、そこの高山さんというシェフを紹介させていただきます。

島本という土地でナポリからピッツァの焼き窯を取り寄せて本格的にされているんです。僕もめざしているところは一緒というか、共感しました。島本に良い飲食店が増えて“食の町”になっても面白いですよね。

編集部:分かりました。「フォルニスタ」の高山さんとお話できることを楽しみにしています!

まとめ

とにかく明るくて気取りのない気さくな人。マルケージ氏やハインツ・ベック氏という名だたる巨匠のもとで働いてきた経歴を見ると、正直少し厳しそうな方かも…と予想していましたが、それが菱田さんという料理人の印象です。

「この記事って若い料理人の方も読みますよね?じゃあ、何か役立つ情報を伝えたいです」とあれこれご自身から提案していただいたのも初めてです(三つ星店への入り方や事業計画書のあたり)。

そんな菱田さんの人生はまさに体当たり。「今その時に何をしたいか」を常に優先して考え、でも「今その時に何をしたいか」を貫くために準備は決して怠らないというのも菱田流哲学です。

現在、数名の後輩たちから「マイスで働かせてほしい」と立候補があるそう。「人を育てるのが苦手」という言葉とは裏腹に、愛される“師匠”の顔ものぞかせます。

<インタビュー:峯林 晶子・杉谷 淳子・方城 友子、記事作成:峯林 晶子>

<取材協力>

店名 MyS(マイス)
住所 〒618-0002
大阪府三島郡島本町東大寺1丁目10-26
TEL 075-285-4170
URL HP
URL Instagram

<写真提供>

菱田 雅己

※インタビュー風景を除く

▼続いてのリレーインタビュー記事はこちら

いつでも人生は再スタートできる!ナポリピッツァに魅せられ、レーサーからピッツァイオーロへ【リレーインタビューVol.18】