レンゲにのった中華料理店「楽閑記」の肉汁たっぷりの小籠包

リレーインタビュー「夢は80歳になっても店に立つこと。自分らしく輝き続け、女性がしなやかに生きる術とは【リレーインタビュー Vol.11】」の井丸 弥生さんからのご紹介です。

今回は中華料理店がひしめく神戸元町で行列ができるお店として話題の「楽関記(らっかんき)」の店主・城野 肇(はじめ)さんにインタビュー。
店を出すきっかけになったのは、貿易会社で中国と日本をとびまわっている時に上海で食べた小籠包だったそう。

そんな城野さんに、開業までの道のり、「楽関記」の看板メニューとなった小籠包誕生の秘話、そして目指す未来について、クックビズ総研 編集部の杉谷がお聞きしました。
(取材:2021年8月4日)

<プロフィール>
■城野 肇(しろの はじめ)さん
1980年、華僑3世として神戸市で生まれる(41歳)。大学卒業後、貿易会社に勤務。出張で訪れた上海で食べた小籠包が忘れられず、飲食店開業に向けて準備。2016年に貿易会社を退社し、2017年「楽関記」をオープン。小籠包がSNSなどで「美味しい」と評判になり、メディアからの取材も多数。

オンラインインタビュー風景

オンラインインタビュー風景(右下が城野 肇さん)。

祖父母は中国大陸から神戸へ。華僑3世として神戸元町で育つ

編集部:「楽関記」、大変繁盛されていますね。今日はお忙しい中、お時間いただきありがとうございます。

城野さん:こちらこそよろしくお願いします。

編集部:早速ですが、まずは飲食業界との最初の接点についてお聞かせください。おばあさまが食堂をされていたと聞いていますが。

城野さん:そうなんです。祖父母が神戸で中華料理店を出そうとこっちに来まして。

編集部:こっちというと?

城野さん:母方の祖父母が中国人です。当時、中国政府が日本への移民を募っていたそうで、それで日本にやってきて神戸の元町商店街に店を出しました。祖父は、私が生まれる前に亡くなって店は閉めたので、私は店のことはよく知らないんですよ。

インタビュー中のラフな雰囲気の城野さん

編集部:中国にルーツを持っていらっしゃるんですね。

城野さん:はい、その後、大学生の時に神戸・三宮で和食をメインにした居酒屋でアルバイトを始めたのが飲食店との最初の接点ですね。友人の親戚のお店で「人を募集しているからどう?」と言われて。ほかにも家庭教師をしていたんでアルバイトのうちの1つという感じですね。

編集部:家庭教師なら十分なアルバイト収入がありそうですね。“二足の草鞋(わらじ)”でいこうと思ったのは?

城野さん:どっちも頼まれたんです。私は神戸中華同文学校を卒業していまして、家庭教師を頼まれたお子様も同じ学校の生徒さんです。授業は中国語で行われるのですが、ご両親が中国語が話せないようで、先輩からそのお子様の家庭教師を引き継いだという感じです。

編集部:ということは、城野さんは中国語が話せるんですね。

城野さん:中華同文学校は華僑のための学校なんです。私も華僑です。そこの卒業生は全員話せますね。母も同校卒業ですよ。父は城野姓で日本人です。

編集部:そうだったんですね。中国語ができるのはいいですね。大学卒業後の進路は?

城野さん:飲食店でのアルバイトが楽しかったので、正直、卒業後は、飲食業界か中国語ができるというのを活かして貿易業界かで迷いました。飲食店で働いているといろんな方と知り合えますし、料理を作るのもの面白かったんです。

そんな時、アルバイト時代に知り合った大阪で貿易会社を営む社長さんから「中国語ができるなら、うちに入社しないか」と誘っていただいたんです。それで就職活動もせずにパッとそこに入社しました。

「楽関記」の『エビと豚肉と干し椎茸のちょっと贅沢な焼売』

「楽関記」のシェフは香港出身。『エビと豚肉と干し椎茸のちょっと贅沢な焼売』は食感を残すために全て手作業で具材をカット。プリプリ感がたまらない。

貿易会社に勤務。海外をとびまわり、“爆買い”など中国経済の変化を肌身で感じる毎日

編集部:貿易会社の仕事はいかがでしたか?

城野さん:新卒で就職した大阪の会社は、通勤時間が長すぎて残念ながら2年で退職し、神戸の貿易会社に転職しました。海外出張も多くて面白かったですね。商材は畳や家具、靴など。日本で売れるものを中国で作ってもらい、それを輸入していました。

編集部:貿易会社では、具体的にどんなことを学んだと感じていますか。

城野さん:基本的なビジネスマナーや、それこそパソコンの使い方もそうですね。ちょうど中国経済がどんどん成長した時期でもあり、その変化を目の当たりにしました。日本でも中国人の“爆買い”などがニュースで出始めたころです。

それまでは日本で使うものを輸入していましたが、逆に日本の商品を輸出するというビジネスが始まり、約3年担当しました。そのメインが食品だったんです。

上海の街並み

城野さんが仕事で何度も訪れた上海の街並み。

編集部:どんな食品だったんですか。

城野さん:私が担当したのは主にスイーツですね。日本の大手洋菓子メーカーが取引先です。中国に店舗を作って販売するにあたり、私は通訳やアテンドとして商談の場に携わりました。実際の店舗立ち上げにも多く参加しましたね。とても勉強になりました。

編集部:海外店舗の立ち上げに携わるなんて大きな経験ですね。日本の大手なら品質も高いですし、中国の方にも喜ばれそうです。

城野さん:そうですね。品質保持のために現地で作れないものがあったり、輸出入に関わる食品規制も多くて、頭を悩ませることも多かったです。

上海で食べた小籠包に衝撃!次第に堅いビジネスの世界から飲食業界に引き寄せられる

編集部:なるほど法律面など大変なこともありつつ、貴重な経験をたくさん積むことができたんですね。

城野さん:そうですね。でもだんだん「なんか違うな。面白くないな」って思うようになったんですよ。

編集部:刺激的で面白そうな仕事に思いますが。

城野さん:ビジネスでの付き合いは建前もありますし、本音で付き合ったりできない分、楽しいとはどうしても思えなかったといいますか。会社関係でのお付き合いは堅いイメージがあって、自分には合っていないんじゃないかと。

「楽関記」の1階カウンター席

「楽関記」の1階カウンター席。

編集部:ビジネスでのお付き合いなのでしようがない部分もありますね。

城野さん:それに比べて飲食店って、仕事を終わった人がリラックスしにくる場所ですよね。いろんな人が集まってきて、どんな人にも分け隔てなく、美味しいものと居心地のいい空間を提供しくれる…。学生の頃、飲食業界か貿易業界かで進路に迷いましたが、やっぱり私にはそっちの方が合っていると感じるようになったんです。

それと貿易会社で勤務していた頃に上海で食べた小籠包がめっちゃ旨かったんですよ。「佳家湯包」(ジアジアタンバオ)というお店です。それで漠然と「いずれは日本で小籠包の店を開きたいな」と思うようになっていきました。

編集部:高級店ではなく、町場のレストランなんですよね。

城野さん:そうそう。小籠包を看板にしているレストランですね。それからは独立への思いを胸に、海外出張のたびに食べ歩きをして研究しました。もともと食べることは大好きだったんで。

編集部:城野さんをご紹介いただいた井丸さんからは、城野さんは貿易会社に勤めながらバーも経営されていたとお聞きしました。

城野さん:小籠包の店を開くつもりでしたが、まずは試しに友人とバーをやりたいねと。私が出資して店は友人に任せました。いきなりレストランを出すより省スペースで出せますし、それに私もバーをよく利用していたんですが、いろんな人に知り合えて人脈も広がります。将来役立つんじゃないかと思いました。それこそ、そこで井丸さんとも出会いましたし(笑)。始めたのは29~30歳のときです。

我楽多バーの店内にたくさんのお客様がいる様子

城野さんが30歳を前に友人と開いた「我楽多バー」。

編集部:勤務していた貿易会社には結局、何年いらっしゃったんですか?退職するきっかけは?

城野さん:12年ほどですね。その頃、会社の方針と、現場の最前線にいた私で意見が合わず「こうした方がいいのにな」と思いながらも、自分の考えを抱え込みがちになっていました。もちろん会社の立場もわかるんです。

体調も崩しがちになり、それだったら、自分のやってみたいことを自由に形にしてみようと、それを機に思いきって独立することにしました。退職後早々に、中国の調理専門学校に小籠包を習いに行ったんですよ。

一番むずかしい点心といわれる小籠包。生地作りを学ぶために中国の調理学校に入学

編集部:小籠包だけ学ぶなんてできるんですね。貿易会社で中国との行き来があったからこそ、ご存じだったんでしょうね。

城野さん:そうですね。本当は先ほどお伝えした上海の「佳家湯包」(ジアジアタンバオ)というお店で働きながら学ぼうと思って、その店に相談しに行ったんです。
そしたら「働きながらだと長い時間は教えられないから、小籠包を習いたいならよく知る先生を紹介するから」と言われて蘇州にある調理専門学校に入りました。

編集部:どのぐらいの期間、通っていらしたんですか。

劉先生も納得の包みの小籠包

蘇州の調理学校・劉先生に小籠包を学ぶ毎日。包み方の基本は18ヒダで渦巻く花のような形が最も美しいとのこと。

城野さん:1カ月ぐらいです。小籠包だけ、しかも生地の作り方だけ学びたかったんです。中国の調理学校は日本とは違って、何時から何時までと決まった時間に授業があるのではなく、9時~17時まで先生がいて自分が好きなタイミングで行って学ぶんですよ。一日中いても途中で帰ってもOK。やる気次第です。中華粥も学びましたよ。

編集部:城野さんが「生地の作り方だけは学ばないと」と感じたということは、それだけ小籠包は皮が重要ということなんですね。

城野さん:そうですね。小籠包のポイントは生地ですね。生地と包み方、具材の汁(スープ)の加減。小籠包は一番むずかしい点心といわれているんです。だからその正解は何だろうと、それを学びたかったんです。

蘇州の街並み

城野さんが通った調理学校のある蘇州の街並み。

試行錯誤を繰り返し誕生した「楽関記」の小籠包。皮はむっちり、具材は徹底して日本人好みに

編集部:「楽関記」といえば小籠包と言われる所以(ゆえん)ですね。2017年のオープン以来、SNSなどで瞬く間に「美味しい!」と評判のお店になりました。自家製発酵調味料を使っているとのことですが、どんな調味料なんでしょうか。

城野さん:ありがとうございます。そんな大層なものではなく麹(こうじ)です。簡単にいえば水と塩、麹を合わせた「塩麹」をベースにそこに醤油と、あともう1つ加えるんですがこれは企業秘密です。

化学調味料を使いたくなかったんで、それに代わる旨味がほしいなと。丁寧に調理すれば旨味は出るんですけど、一口目で「あぁ旨いな」と思える“何か”がほしかったんです。

いろいろ合うものを探してたいら、麹が旨味に関わっていると知り、まずは市販の塩麹で試しました。でも「これじゃないなぁ」と。市販のものは添加物が入っているんで期待したものとは違う仕上がりになるんですよ。自分で作ったものの方が雑味がない味になります。

「楽関記」名物の小籠包。蒸籠から湯気がたっている。

「楽関記」名物の小籠包。皮からすべて手作り。注文を受けてから包み、蒸したてを提供。

編集部:「塩麹」も自家製なんですね。発酵具合によって粒状からドロドロの液体状まであるので、レシピ研究も奥深いものになったでしょうね。

城野さん:具材は日本人の口に合うものにしようと決めてたので、オープン直前まで時間をかけて、徹底して何度もレシピをやり直しました。当店ではドロドロになるまで時間をかけて発酵。ドンとまとめて作っています。

編集部:中国の調理専門学校に行って本場の小籠包をイチから学んだり、オリジナルの味をとことん追求したり、開店まで綿密に準備されていますね。

小籠包といえば「楽関記」といわれるようなお店に育てることが目標です

編集部:「楽関記」は、今や行列もできるほどの人気店です。メディアからの取材も多いですね。店舗の運営で心がけていることはありますか。

城野さん:「お客様に喜んでもらえる店づくり」。これに尽きます。シンプルですが、来店してくださった方が「めっちゃ良かったよ」って言ってくれるお店。料理の旨さとサービス(接客)の追求です。

編集部:店舗運営の基本に忠実にということですね。

城野さん:はい、でもそれを日々持続していくことがむずかしいですね。日常で心掛けているのは、小籠包が常に美味しい状態でいつも出せるようにしておくこと。

編集部:でも注文が入ってから包んで蒸してと手間をかけておられますし大変そうです。

城野さん:そうですね。あとは最近、料理写真を撮影するお客様が多いので、私がテストして綺麗に包めるスタッフに任せています。誰でも上手く包めるものではないので。

編集部:なるほど。今の言葉で「小籠包はやっぱり生地が重要なんだな」と再認識したんですけど、包み方の一番のポイントはなんでしょう。

楽関記の忘年会の様子

「楽関記」スタッフが集まった忘年会での1コマ。

城野さん:綺麗にヒダができること。これだけで見た目も、口に入れたときの食感も変わります。薄皮でないと食感が悪いので、引っ張りながらヒダを作るんですが、位置が上すぎると生地が集まって硬くなるし、引っ張りすぎると蒸した時に生地が破けますし…。う~ん、口で説明するのはむずかしいですね。

今は女性スタッフの方が私より上手く包みます。指が細く繊細なので物理的に女性のほうが綺麗に包める傾向がありますね。

編集部:今後やってみたいことはなんですか。

城野さん:私は店舗展開は考えていないんです。でも移転は考えています。テーブル席が20席ほど地下にあるんですが、動線がよくないので1フロアで営業できるようにしたいとは思っています。

神戸は中華街もあり飲食店の多い街です。将来的には、南京町の老祥記さんが「豚まんといえば老祥記」と言われるように「小籠包といえば楽関記」といわれるようなお店をめざしたい。そこが大きな目標ですね。

地下にある「楽関記」のテーブル席

「楽関記」地下にあるテーブル席。

編集部:華僑というと、世界的にみてビジネスに優れたコミュニティというイメージがありますが、城野さんご自身はそういう部分を感じることはありますか?

城野さん:皆さんが思い描く華僑のイメージは私もわかるのですが、そういった強いコミュニティって私たちの世代は意識したことはないですね。オリンピックも日本を応援してますし(笑)。でも同文学校に通い、神戸華僑のネットワークの中で育ってきたという環境はあります。

飲食業界の楽しさを教えてくれた居酒屋「たのしや」の元お笑い芸人・小田 哲也さんを紹介します

編集部:では最後に城野さんがご紹介したい方を教えていただけるでしょうか。

城野さん:三宮で学生アルバイトをしていた和食居酒屋「唐辛子」のマスター・小田 哲也さんです。今は芦屋に移って「たのしや」を経営されています。マスターは元お笑い芸人という異色な経歴の持ち主です。むちゃくちゃ面白い人ですよ。

編集部:えっ?ではご友人の親戚の方が、元お笑い芸人さんだったということですか?芸名は?

城野さん:なんやったかな。「おだきた」やったかな。とにかく飲食業界に初めて入って、その楽しさを教えてくれた人。ぼくが「師匠」って呼んでる人です。

編集部:それは楽しみになってきました。今日は長い時間ありがとうございました。

まとめ

神戸港が開港したのは1868年。近代国際貿易港として古くから栄えた神戸はいろんな国籍を持つ方が住むインターナショナルな街。城野さんが中国大陸にルーツを持ち、貿易業界で活躍していたというのも納得です。

脱サラして自分の店を持ち成功する人は全体の10%ほどと言われる中、その準備に余念がなく、好きな事にとことん打ち込める城野さんの話をお聞きして、「楽関記」が評判になった理由がわかるような気がしました。

地元神戸をはじめ、学生時代のアルバイト先からサラリーマン時代の人脈、上海・蘇州との人とのつながりなど、今も縁を大事にしているそうで、それも城野さんの強みだと感じました。神戸にきたら、ぜひ「楽関記」の小籠包を食べてみてくださいね。予約必須です!

<インタビュー:杉谷 淳子・峯林 晶子・方城 友子、記事作成:杉谷 淳子>

<取材協力>

「楽関記」の外観

店名 楽関記
URL 食べログ
SNS Instagram

<写真提供>

「楽関記」※インタビュー風景除く