
前回の「焼肉・韓国料理 味道園」の張 珉住さんからのご紹介。
今回は、阪神淡路大震災を機に、神戸におばんざいと鮮魚をメインにした創作和食のお店をオープンした井丸 弥生さん(左から3番目)にインタビューしました。
細やかな心遣いで、お客様と心和む素敵な関係を築いていく井丸さんとそのスタッフ。その一方で店の運営と子育ての両立、そして家族を養う責任感から原因不明の体調不良に…。多忙な毎日を駆け抜け、仕事、家庭のはざまで女性がしなやかに生きていく術とは。
(2021年6月28日取材)
<プロフィール>
■井丸 弥生(いまる やよい)さん
「食路いまる」
神戸出身。議員秘書を経て、阪神淡路大震災の翌年1996年、33歳で神戸市・三宮に「食路いまる」をオープン。叔母に子育てを支えてもらいながら店舗を運営。おばんざいなど体に優しい和の創作料理が評判に。2006年に同市内の中山手通に移転。
目次
阪神淡路大震災を機に店をオープン
クックビズ世古:今回ご登場いただくのは、神戸でおばんざいを中心とした創作和食のお店を営む井丸 弥生さんです。
井丸さん:今日はよろしくお願いします。
クックビズ世古:早速ですが、阪神淡路大震災を機にお店を開いたとのことですが、それまで飲食店でのご経験は?
井丸さん:ないんです。それまでは神戸で議員秘書のお仕事をしていたんです。
クックビズ世古:えっ?そうなんですか。なぜ飲食店を開こうと?
井丸さん:それまでかなり仕事はハードワークで、与えられる業務を猛スピードでこなす毎日でした。そんなときにあの震災がありました。当然、事務所は一時期閉まり働けない日々が続いたんです。
その間、事務所のツテで仕事はいただいたのですが、ある時は車の運転手、ある時は雑務を頼まれて別の場所へと。なんていうんでしょうか、震災時だからしょうがないとは思うのですが、“使われている”仕事の疲労感が積もっていき、「自分の意志で動ける仕事をしてみたい」という欲求が強くなったんです。
クックビズ世古:そうだったんですね。
井丸さん:すでに30歳を過ぎ、何ができるかを考えたときに一番好きなことが料理でした。秘書をしていたおかげで会食が多く外食が身近だったこともあります。仕事柄たくさんの知人がいましたので、みんなに食べに来てもらおうと。今から考えると甘い考えですね(苦笑)。
クックビズ世古:いえいえ(笑)。それでお店を出されたんですね。
井丸さん:何を準備していいのかもわからなかったんですが、知り合いのお店や秘書の先輩方にも相談し、おかげさまで震災後1年で出店。場所は復興に向けて動き始めた神戸・三宮の新築のビルの6Fでした。
オープン景気のあとは客足がパッタリ…。それでも良いものを提供し続けているうちに常連さんが
クックビズ世古:実際にオープンしてみていかがでしたか?
井丸さん:最初の3か月は知り合いがお祝いがてらたくさん来店してくれたのですが、そこからパッタリ…。やっぱりそんな甘い業界ではないと。バイトのスタッフと「どうしようか」と外を眺める毎日(苦笑)。
クックビズ世古:どのように打開したんですか。
井丸さん:お客様が来なくなると食材も古くなります。私自身、外食が大好きなんですが、お刺身ならプリプリッとした身の締まったものを食べたい。だから多少無理しても、食材はもっとも美味しい状態のものをご提供することにしました。
お客様が少なくて食材が余ったら、次の日に焼き物にしたり、煮つけにしたり工夫を凝らして…。そうしたら1年ぐらい経った頃から予約が入るようになり、いつのまにか忙しい日々に。メディアからの取材もくるようになっていきました。
クックビズ世古:やっぱり経営面で苦しくても、良いものを出し続けたことが良かったんですね。
井丸さん:あとは来店いただくお客様が少ない中で、コミュニケーションを大切にしたことで常連さんになってくれた方もいらっしゃるかもしれません。…って違ったら恥ずかしいですが(笑)。
一同:(笑)。
感性を働かせてお客様が望む接客スタイルを心がける
クックビズ世古:営業する側は毎日の繰り返しのようでも、特に初めて来店するお客様は、その一度でまた来たいかを判断しますからね。井丸さんをご紹介をいただいた「焼肉・韓国料理 味道園」の張 珉住(ちょう みんじゅ)さんからは「ぬくもりある接客がすばらしい」と伺っています。
井丸さん:ありがとうございます。いや実は珉住さんがご来店してくださったときもタイミング的にゆっくりお話できる時期だったんですよね(笑)。
クックビズ世古:いえいえ。「食路いまる」さんは、常連の方が多いお店ですよね。何か心がけていることはあるんですか。
井丸さん:どうでしょう。おいしい料理をご提供するのはもちろんですが、居心地の良い空間づくりを大事にしています。私は一人で食べに行くのも好きなんですが、居心地の良さでいえば放っておいてくれるのもありがたい。それでもタイミングよく会話をはさんでくれると、その店の印象はアップします。
クックビズ世古:そうですね。
井丸さん:だからお見かけしないお客様だなと思ったら「今日は初めてですか?」と話しかけ、一人でゆっくりしたいとお見受けしたらそっとそのままに。
コロナ禍で今は「黙食」なんて言葉もあって、今はしょうがないと思うけれど、相手を知るにはやはり会話は大事だと思っています。その場の感性を働かせて、お客様に合わせた距離感で居心地の良い雰囲気を作っていきたいなと思っています。
クックビズ世古:店側が決めた接客のスタンスではなく、一人ひとりのお客様に合わせた接客が大事ということですね。ほかには?
井丸さん:あとはお返しの心を忘れないようにしています。例えばお客様から「一杯どう?」とお酒を勧めてくださったら、そのあと「お返しです」とお好きな一品をさりげなくお出ししたり。お礼の言葉だけでも良いのですが、そこはカタチのあるものでお返ししたいなと。
クックビズ世古:それはうれしい。印象に残りますね。
井丸さん:気持ちを受け取ったからには、気持ちをカタチで伝えたいと思うんです。
突然襲った体の不調…。好転のきっかけは常連さんのアドバイス
クックビズ世古:井丸さんはお子様もいらっしゃるとお聞きしていますが、仕事との両立は大変だったのではないでしょうか。
井丸さん:店を出して5年ぐらいで結婚と出産を、息子が4歳の時に離婚を経験しました。子供は母の妹(叔母)が、朝の仕入れ時から、夜、店が終わるまでみてくれました。叔母はとても几帳面できちんとした人。安心して任せることができたんです。今も3人で暮らしています。
クックビズ世古:叔母様が手伝ってくれたんですね。
井丸さん:私は働いて稼ぎますという感じ。息子は叔母のことを親(母)と思ってて、私のことを親父に思っている感じ。
一同:(笑)。
クックビズ世古:三人四脚みたいに生活してきたんですね。それだと店の営業に集中できたのでは?
井丸さん:そうですね。でも店を運営する責任感と、一家を養う大黒柱としての責任感とでストレスが蓄積し、一時期体調を崩しました。朝夕かかわらず倒れこむことも頻繁にありました。
クックビズ世古:それは心配ですね。
井丸さん:最初は原因がわからなくて、メニエール病かな、更年期かなとか、いろんな病院にいって調べてもらうのですが異常はなく。ただただ不安でこのまま命にかかわるようになったら、まだ子供も幼いし私がしっかりしないといけないのにどうしようと。不調は1年以上続いきました。
クックビズ世古:どうやって回復したのですか?
井丸さん:常連さんに精神科医の方がいらっしゃって、その方から「仕事に関わりのないところ、連絡もとれないところに旅に出てみては」とのアドバイスがありました。
振り返ってみると、店をオープンしてから全く休みらしい休みをとっていませんでした。それにスタッフに仕込みを手伝ってもらう以外、私が仕入れも調理もほとんど行っていたので任せる勇気もなくて。でもスタッフが「行ってきてください。なんとか私たちでやってみます」と言ってくれたんです。
それで大好きなハワイに息子と1週間の旅へ。国内だと店に何かあったら帰ってこれるけど海外ならそれもできないので。
クックビズ世古:物理的な距離をとってみたと?
井丸さん:そうなんです。それでゆったりバカンスをとって帰国したら不調がなくなったんです。蓄積したストレスが原因だったんだなと思いました。アドバイスをくれた先生やスタッフのおかげだと感謝しています。
クックビズ世古:スタッフとの人間関係もよさそうですね。
井丸さん:もちろん人間ですから、いろんな行き違いもあります。その時にいたスタッフの1人は結婚して今は旦那様と二人で店をやってます。今いるスタッフはアルバイトの頃から15年以上頑張ってくれています。
今は心と身体を労われる自分に。夢は80歳になっても店に立ち続けること
クックビズ世古:これからどのような未来を描いていらっしゃいますか?
井丸さん:80歳になってもお店を続けていきたいなと思うんです。それには体力も必要。体調を崩してから自分の体をケアし自己管理することの大切さを知りました。
実は不調だった頃は運動どころか歩くこともしてなくて、すぐ近くに行くにもタクシーを使うような生活だったんですよ。
クックビズ世古:そうだったんですね。
井丸さん:今はどこまで歩いても大丈夫だし、山登りの会を作ったり、毎日ヨガも行っています。体調が整ってくると、ってどっちが先かわかりませんが精神的にも整ってきて、自分に自信がもてるようになってきました。これからも「栄養・運動・仕事」の3つのバランスをとりながら年齢を重ねていきたいです。
あとは常連の方も年齢が高くなっていくので、食材やメニューもニーズに合わせていきたいですね。コロナ禍でお弁当も始めましたが、これを機に仕出しやテイクアウトを受注できる店としてやっていければと思っています。
クックビズ世古:体調管理って大事ですよね。
井丸さん:そうなんですよ。体調を崩すと未来のことも決められなくなりますから。無理してがむしゃらに行動し続けることだけが良い方法ではないと知りました。今はオンとオフのメリハリをつけて過ごしています。
中華料理「楽関記」の城野 肇さんを紹介します
クックビズ世古:では井丸さんがご紹介したい方を教えていただけるでしょうか。
井丸さん:JR元町駅にほど近い中華料理店「楽関記」の店主・城野 肇(しろの はじめ)さんです。貿易会社を退職してお店をオープン。ご友人も多い方です。
クックビズ世古:この方をご紹介しようと思ったのは?
井丸さん:私みたいに常連さんに頼らず(笑)、新規の一般のお客様層が厚いお店です。SNSを使って情報を発信し、どんどん話題作りをしているので「すごいな」と思います。小籠包が人気で行列もできるお店ですよ。
クックビズ世古:お会いするのが楽しみです。今日はありがとうございました。
まとめ
阪神淡路大震災を機に、素人から飲食業界の道にいきなり飛び込んだ井丸さん。気遣いが細やかで、井丸さんの人柄が接客や料理にも表れています。口コミサイトでは「また来たい」「常連になりたくなる店」という書き込みも。
お子さんは、“親父”のように外で働くお母さんをどう思っていたのかお聞きすると、「『さみしいと思ったことは一度もない』と言ってたよ。だからあなた自信をもっていいわよ」と叔母様から教えてもらったと井丸さん。そんな息子さんも成長してからは店を手伝ってくれたり、今は大学生となり飲食店でアルバイトに励んでいるそうです。
子育てしながら働くって本当に大変です。80歳になっても、看板女将としてしなやかにお店を切り盛りしてくださいね。私も見習いたいです。
<インタビュー:世古 健太・方城 友子、記事作成:杉谷 淳子>
<取材協力>
店名 | 「食路いまる」 |
URL | 食べログ |
SNS |
<写真提供>
「食路いまる」
※インタビュー風景を除く