「日本の飲食業界に疑問を持ち36歳で2度目のイタリアへ。店をたたんで渡った料理人の思考とは【リレーインタビューVol.7】」の小寺 教久さんからのご紹介です。
“現代でもっとも自由な料理人”がいるとすれば、それは奥田 明広(おくだ あきひろ)さんかもしれません。「本場のイタリア料理ってどんなだろう」そんな素朴な疑問から始まったイタリア修業。ところが、日本よりイタリアの方が性に合う!?
イタリア各地を縦横無尽に飛び回り、街々の異なる食文化に魅了され続け13年。奥田さんの何ものにも縛られない生き方とは。そして次にめざすは…?奥田さんのあくなき“自由な魂”の源はどこにあるのか?インタビューしました。
(取材:2021年6月22日)
<プロフィール>
奥田 明広(おくだ あきひろ)さん
1984年、横浜市生まれ。2003年、町田調理師専門学校を卒業後、創作イタリア料理店に就職。本場のイタリア料理を求めて2008年、イタリアへ渡る。フィレンツェ、ミラノはじめ、イタリア各地のリゾートホテルやレストランに勤務。2019年、ヴェネツィアでプライベートコックのオファーを受けた後、2020年夏より北部にあるリゾート地ヴィピテーノでテイクアウト中心のガストロノミアのシェフとして活躍。
目次
13年間、イタリア各地をアドベンチャー
クックビズ世古:奥田さんは現在、イタリアで、ガストロノミアの「L’Angolo(ランゴロ)」という店で働かれていると?
奥田さん:去年、ヴェネツィアのストラでプライベートコックをしていまして、その時にその「L’Angolo」のオーナーからテイクアウト専門の店を任せるから出してみないかと相談の電話がありました。
店の場所は、オーストリアとの国境の近くにある、アルト・アディジェ州の「ヴィピテーノ」という人口が6,000人くらいしかいない、すごく小さい町なんですけど。
クックビズ世古:では今のお店はテイクアウトだけなんですか?
奥田さん:一応テーブル席もあるんですが、基本はテイクアウトです。
クックビズ世古:じゃあ、コロナ禍の影響で始めた新しいスタイルの業態ということですね。
奥田さん:そうですねえ。イタリアのレストランも、この1年でだいぶ変わりました。つぶれた店も多いですよ。
クックビズ世古:テイクアウトのお店のコンセプトはどういうものですか?
奥田さん:ヴィピテーノはイタリアでは、ヨーグルトとか乳製品で有名なんですが、“イタリアの最も美しい村”とか、そういうのに選ばれているんです。ドイツ人やオーストリア人などの観光客も多くて、そういう人たちに向けてピザを売っています。
クックビズ世古:お弁当屋さんみたいな感じなんですね。奥田さんはイタリアに渡ったのが2008年ですよね。もう日本に13年、帰っていないということになりますが…。
奥田さん:13年経ちましたか?今自分でもびっくりしました(笑)。たぶん、楽しく暮らしていて、修業しているみたいな感覚があまりないからかなあ…。
クックビズ世古:なるほど(笑)。それで、イタリアでは先ほどお話にあったプライベートコックだったり、今はお惣菜のテイクアウトされていたり、いろいろされてますね。そういうオファーが入るんですか?
奥田さん:ええ、ありがたいことに、ちょうど次に何かをしたくなったりした時に、オファーをいただくことが多いです。プライベートコックをやっていたときも、自分の料理を気に入ってもらってオファーをもらいました。
クックビズ世古:他にはどんなお仕事を?
奥田さん:最初はフィレンツェに1年半くらいいました。次はカスティリオンチェロ・リヴォルノのレストラン。そしてミラノですね。ホテルやオステリアなどで働きました。ほかは、コルヴァーラ・イン・アルタ・バディーアのホテルとビストロバー、シチリア島モンデッロのレストラン…。プライベートコックをしていたのはヴェネツィアのストラです。
クックビズ世古:いろいろ渡り歩かれていますね!
奥田さん:そもそもイタリアといっても、食文化もレストランも地方によって全然違うんですよ。北と南どころか、町によって全然違うんです。
だからどこに行っても、アドベンチャー感覚で面白いんですよ。町のなかのレストランひとつにも、その店のスペシャリテがあって楽しいんですね。
クックビズ世古:奥田さんを紹介してくださった小寺さんが「奥田さんは誰よりイタリア人」と言っていました(笑)。
奥田さん:実は日本にいた頃から、「イタリア人っぽい」とよく言われていたんです(笑)。
クックビズ世古:え、日本にいた時からすでに?
奥田さん:誰とでもすぐ話せる性格といいますか。それに日本のこう、ガチガチの先輩・後輩といった上下関係や、“暗黙の了解”みたいなものにも馴染めなかったんですね。
あと僕の場合は、有名な店で働いて箔を付けたいとか、この店の技術をつけたいというこだわりが、あまりなくて。イタリアで働くこと、暮らすこと自体が性に合っているんでしょうね。だから誘われたら、そこで働けばいいというか。
クックビズ世古:確かに、イタリア人っぽいのかも…。
“思ったことが言えない日本”と“思ったことを言うイタリア”
クックビズ世古:奥田さんにとってイタリアは居心地がいいんですね。
奥田さん:ぶっちゃけ日本にいるよりイタリアにいる方がラクですねえ(笑)。なんというか、仕事で悩むときって一番は人間関係というじゃないですか。
クックビズ世古:日本の飲食業界では、人間関係がネックになって退職する場合も少なくないと聞きます。
奥田さん:なんで人間関係で悩むかというと、“思ったことが言えない”からだと思うんですよ。日本じゃ同じ母国語を話しているのに、言いたいことが言えないことが多い。でもイタリアの人は、思ったことをなんでもサラサラっと話しちゃうんですよね。風通しがいいんです。
クックビズ世古:相手が思ったことを話すから、自分も話せるという。
奥田さん:まさにそうです。日本だと話すときに、忖度(そんたく)がありますよね。それが「思いやり」とか「気持ちを察する」という良い部分でもあります。
ただ僕としては問題の解決には、当事者同士で話し合った方が早いと思うんです。ということで、合わないといいますか…。自分でいうのもなんですが、僕自身があまり日本人に好かれるタイプじゃないんでしょうね(笑)。
クックビズ世古:そんなことはないとは思いますよ(笑)。確かに一理あります。
ヨーロッパではフレンチよりイタリアン
奥田さん:こちらにいたい、もう一つ大きな理由として、ヨーロッパのリゾートホテルや高級レストランって、だいたいイタリア料理なんです。
クックビズ世古:日本だったら、ホテルはだいたいフレンチレストランか日本の懐石料理だったりしますよね。
奥田さん:そうなんですよ!日本だとそうなんですが、ヨーロッパだとホテルはだいたいイタリア料理なんです。僕も逆に、フランスに行った時にイタリア料理店が多くてびっくりしたんですよ。
クックビズ世古:じゃあ、ヨーロッパはイタリア料理が基本という。
奥田さん:僕はそう思いますね。ヨーロッパにいると、イタリア料理がいかに浸透しているかを感じます。聞くところによると、16世紀にイタリア人がフランスの宮廷で確立したのがフランス料理ともいわれています。
だからどこに行ってもイタリア料理ができると重宝されます。それで(日本に帰らず)こちらにいたい、というのもありますね。
お前みたいなやつは、イタリアに行った方が早い
クックビズ世古:奥田さんは、そもそもはいつから料理を?イタリア料理をめざしたきっかけは。
奥田さん:料理自体は早くから作っていましたね。僕の母親は看護師、父親は建築士でして、両親は忙しくてあまり家にいませんでした。だから子供のときから食事を自分で作っていました。
イタリア料理と出会ったのは、学生のときに友達と行った近所のイタリア料理店です。ボンゴレビアンコを初めて食べて、すごい感動しまして。そこでアルバイトを始めました。
もともと西洋の文化や歴史に興味を持っていたのもあります。父親が建築士だったので家に西洋の建築物の本がたくさんあって、それを見るのが好きでした。
クックビズ世古:実際にイタリアに行こうと考えたきっかけは?
奥田さん:日本で創作イタリア料理店に就職して2~3年くらい働いた時に、パスタ場や前菜場などセクションを任せてもらえるようになったんですが、シェフにしょっちゅう質問していたんですよ。
だいたいが「このメニューって本当にイタリアにあるんですか?」と(笑)。当時は創作居酒屋とか、創作イタリアン、和風フレンチなんかが流行っていた時期で。王道に飽きて、ひねった感じが多かったんです。
そのお店も創作イタリアンだったので、たとえば「カプレーゼ」っていっても、モッツァレラチーズとトマトとバジルに、マグロのたたきが入っていたりして。
クックビズ世古:そんな質問ばかりする奥田さんにシェフはなんと?
奥田さん:シェフからは「お前みたいなやつはイタリアに行った方がはやい」と言われました。
クックビズ世古:納得です(笑)。
奥田さん:しかもそのシェフが、かつてイタリアにあるサルデーニャ島という島で働いた経験を持っていた方で、シェフの口癖が「こんなんイタリアじゃねえよな」だったんです。
それを聞いていて「イタリアってどんなんだろうなあ」と…。テレビでサッカーを見てたら、実際に試合の観戦に行きたくなるような感じです。
クックビズ世古:軽い感じで…。イタリアに行くにあたって不安なことはなかったんですか?
奥田さん:あんまりなかったですね。僕は語学の勉強が好きなんですよ。日本にいた頃からイタリア語の勉強はしていました。英語も少し話すことができたし、それでまあ、なんとかなるかなと。今はドイツ語を勉強しています。
クックビズ世古:勉強家ですね。住むところはどうしたんですか?
奥田さん:語学学校が手配してくれたホームステイ先です。フィレンツェにある語学学校には日本人の事務員さんがいて、仕事もあっせんしてくれていました。
イタリアでは、給料でもなんでも交渉で決まりますから、あとは自分次第。
それと昔も今も、日本人というのは真面目でよく働くということで、イタリアではとても重宝されます。
日本とイタリアの“料理人”の決定的な違い
クックビズ世古:実際にイタリアに行ってから、日本との違いは感じましたか?
奥田さん:違いは感じました。ひとつには人生観の違いです。イタリアでは人生の中心は“自分の生活”です。日本では仕事が中心になりがちです。今の日本は分かりませんが、僕がいた頃は、まだまだ労働環境も悪かったですし。日本人は仕事に対して責任感を強くもって取り組むので、そこはいい面だとは思うんですが。
もうひとつには、イタリアでは料理人に対してのリスペクトがものすごくあると感じます。
イタリアには“週末は家族や恋人と外食する”という習慣があります。だから料理人って、みんなが休んで食事をしている時に仕事をしてくれている存在なんですね。日本でいうと医療従事者に近いというか、「大変な仕事をしてくれている人」というイメージが根付いているように感じますね。
50代で学び続けるシェフに、ガツンとなる
クックビズ世古:さまざまな経験をされている奥田さんですが、料理人として最も影響を与えられたと思う方はいますか?
奥田さん:ボルツァーノ県のドロミテ(国際的に有名な山岳地)にあるリゾートホテル「パノラマ」で働いていた時のエグゼクティブシェフ、Alexander Egger(アレクサンダー・エイガー)さんです。
このホテルは夏は山歩き、冬はスキーだったりで、それぞれ4か月ずつしか営業しないんですが、お客様は2~3週間をバカンスとして過ごします。
そんなホテルでシェフは、4か月間、つまり120日間、毎日違う料理を作るんです。宿泊客数およそ150人分の前菜、パスタ、メイン料理、デザートなどの5皿、つまり750皿を、2時間で作るんです。料理人としての引き出しが断トツに多く、仕事が早い方でした。
クックビズ世古:すごいですね。
奥田さん:彼は“プロなら、まず目の前の仕事を頼んだ人を満足させろ”という哲学を体現した、人間としても尊敬している人物です。
海外では、料理は「料理人の作品」「料理人の名前で食べに行く」という考えが日本以上に根強いんですが、自分の名前で食べに来てもらえる料理人は全体の1%もいないわけです。そんななかで、じゃあ料理人って何なのか。お客様の要望に応えるというのが、やっぱり大事なんですよ。
クックビズ世古:シェフと一緒に仕事されて自分も変わりましたか?
奥田さん:変わりました。それまでの僕は、自分がやっていることが正しいと信じていたし、自分がやりたいことはだいたいが通ると思ってきました。それがシェフと一緒だと通らなかったし、もう全部が変わりました。
クックビズ世古:すごさを目の当たりにして。
奥田さん:そうなんです。シェフは50代なんですが、若いスタッフの誰よりも勉強していました。どう見ても機械に弱そうなんですが(笑)、老眼鏡をかけて誰より真っ先にパソコンでレシピを作ってるんですね。
自分が絶対に正しいと思っている人は勉強しなくなるし、ガンコになっていきます。それは年齢に関係ないと思いました。シェフは本当になんでも取り入れて、学ぶ姿勢のある方でした。
次は…週休3日制の店もあるというスイス?
クックビズ世古:奥田さんが今後やってみたいことは?
奥田さん:料理人として毎日、引き出しを増やしていく勉強はしていますが、この先がどうなるかは分からないですねえ。コロナで世界がこんな風になるとも全く思っていなかったですし。
ただ、いまドイツ語を勉強していまして、オーストリアとスイスに行ってみようかなあと思っています。
クックビズ世古:そうなんですか?なぜまた。
奥田さん:今いるヴィピテーノがオーストリアとの国境に近くて、文化圏的に似ている部分もあり、興味がわきました。
でももうひとつ理由があって、あちらはイタリアより雇用条件がいいんですよ。スイスでは飲食店も他の仕事と同じように週休2日、場所によっては週休3日の店もあるんです。
クックビズ世古:それはすごいですね。
奥田さん:こっちでは有名な話なんですが、スイスの三つ星レストランで週休3.5日の店もあります。週末しか営業してないんです。
で、なぜそれが可能かというと、飲食店やホテルの単価が高いというのがあります。単価が高いと給料も上がりますよね。
クックビズ世古:週休3.5日でも、じゅうぶん稼げるということですね。
好きなことができて、生活できるくらいのお金があればいい
クックビズ世古:自分でお店を出されることは考えてないんですか?
奥田さん:僕はオーナーには向いていないですねえ(笑)。オーナーになると人を雇わなきゃならなくなるし、自分がやりたいことだけをやれる環境じゃなくなります。
ありがたいことに、これまで自分の料理を気に入ってもらってオファーをもらって仕事には事欠きませんでした。お金がたくさん欲しいとか、認められたいとかも、あんまり思わない方なのかもしれません。
クックビズ世古:料理すること自体が楽しいんですね。
奥田さん:いや、そうですよ。楽しいことができて、生活できるくらいのお金がもらえればいいなあと。だから同業者に好かれる料理人になりたいですね。仕事に困らないから(笑)。
クックビズ世古:確かに(笑)。
トスカーナのホテルシェフ、森山シンペイさん
クックビズ世古:奥田さんがぜひ紹介したいという方はいますか?
奥田さん:森山シンペイさんです。現在はトスカーナのホテルでシェフをされています。僕がイタリアで2番目に働いたリボルノのお店で知り合い、それから長い付き合いをさせていただいています。
彼も長くイタリアにいて、イタリアが性に合っているという方です。ただ森山さんは、僕とは違ってその土地でシェフとして働きたいという考えがあって、もともと日本でも有名な専門店グループにいたすごい方です。
クックビズ世古:分かりました。お話できるのを楽しみにしています。
まとめ
会社や世間体に縛られず、敷かれたレールから降りて、ストレスなく自由に生きていきたいー。コロナ禍の閉塞感漂う今、そんな風に考える人が増えています。
イタリア各地を料理人として渡り歩く奥田さんのノマドワーカー的な働き方も、いってみればそんな“縛られない”生き方のひとつ。自分が息をしやすい居場所を求め、見つけたのがイタリアでした。お国柄はあれど「料理」という技術は世界共通。料理人ほど、“自由”な職業はないかもしれません。奥田さんの軽やかさがまぶしいインタビューでした。
<インタビュー:世古 健太・方城 友子、記事作成:峯林 晶子>
<取材協力>
店名 | L’Angolo(ランゴロ) |
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<写真提供>
奥田 明広さん
※インタビュー風景を除く
▼続いてのリレーインタビュー記事はこちら
イタリアでトスカーナ料理に魅せられた日本人シェフがめざすのは自然と生きる循環型レストラン【リレーインタビューVol.14】