レストラン「le cementine(レ チェメンティーネ)」のメンバー5名の写真

リストランテ「le cementine(レ チェメンティーネ)」のメンバー。後列右から2番目がスーシェフとして活躍する小寺 教久さん 。

前回のイタリア・ベネツィアで創作和食とビオワインの店「osteria goirgione da masa」を開いた料理人、本間 真弘さんのご紹介

今回、ご登場いただくのはイタリアで活躍する小寺 教久さん。トレヴィーゾ県ロンカーデで高評価を受けているリストランテ「le cementine(レ チェメンティーネ)」で、スーシェフとして勤務しています。店はベネツィアから車で30分ほどの距離。緑豊かな郊外にあります。

小寺さんは、現在2度目のイタリア暮らし。1度目は20代の時。本物のイタリア料理に触れたくて。そして2度目は…。

料理人として飲食業界における日本、イタリアの異なる文化の中で、疑問を抱いたり葛藤しながら精進し、現在にたどり着きました。
来年40歳、人生折り返し地点に立った小寺さんにインタビュー!(取材:2021年4月20日)

<プロフィール>
小寺 教久(こでら のりひさ)さん
1982年、大阪府生まれ。辻調理師専門学校卒業後、大阪市内のホテルに就職。その後、イタリアンレストランでの経験を経て、イタリアへ渡る。4年後帰国し、2013年31歳で独立して「トラットリアピノ」(大阪市)をオープン。2017年に店を閉めて再び渡伊。現在、イタリア・ベネツィアに近いトレヴィーゾ県ロンカーデにあるリストランテ「le cementine(レ チェメンティーネ)」にてスーシェフを務める。

10代の頃の夢は自分が経営者として独立すること。その手段として料理の道へ

クックビズ世古:はじめまして。今日はイタリアでご活躍されている小寺さんにインタビューです。

小寺さん:よろしくお願いします。

クックビズ世古:では早速、飲食業界に入るきっかけからお教えください。

座談会全体の様子

小寺 教久さん(下段)。

小寺さん:進路を飲食業界に決めたのは高校の時です。もともと独立・経営に興味があったんです。子どもの頃から料理をすることが好きで、独立する手段として飲食業の道を選びました。

クックビズ世古:経営者になりたかったんですね。

小寺さん:はい、絵を描くのも好きだけど、そっちでは生計をたてるのが難しそうなので現実的な道を選ぼうと(笑)。

辻調理師専門学校に進学し、卒業後はホテルに就職。バンケットやブッフェ料理を担当していました。規模が小さなホテルだったので、いろんな業務を経験できたのは良かったですね。

クックビズ世古:その当時から「イタリアンでいきたい」といった業態の希望などはあったんですか?

小寺さん:ホテル自体で担当していたのはイタリアン、フレンチをメインとした洋食でした。でももっと専門的に学びたくて街場のイタリアンに転職したんです。

一度目の海外。目的は本場のイタリアンの技を習得すること

クックビズ世古:海外を意識されたのはその頃ですか?

小寺さん:25~26歳の頃ですね。ある程度のメニューを任せてもらえるようになっていたんですけれど、
「これが本当のイタリアンなのか?」
「自分では美味しいと思って作っているけれど、これがイタリアンといえるのか?」
と自問自答していました。

よくメニューに、“ミラノ風”、“ベネチア風”など見かけますが、何を根拠に、そう書いてあるのかわからないのが嫌で。本物を知りたくなったんです。

色鮮やかな料理が盛り付けられている写真

クックビズ世古:自分で本物を見て理解したかったんですね。

小寺さん:この先、10年、20年、この疑問を抱いたまま仕事したくないと思ったんですよ。それで27歳でイタリアへ行きました。

クックビズ世古:海外生活への不安はありませんでしたか?

小寺さん:言葉ぐらいでしょうか。最初に入った語学学校が1ヶ月間の住まいを用意してくれていたので、その間に働く場所を見つければいいいかと。まぁ若かったんで「お金はいらないから働かせてほしい」と言えばなんとか道は開けるか?なんて考えていました。

一同:(笑)。

クックビズ世古:小寺さんをご紹介してくださった本間さんも同じことを言ってましたね。海外に行くには思い切りの良さが必要ですね(笑)。Facebookを拝見しているといくつかのレストランで勤務されたようですが。

小寺さん:北から南まで転々と。覚えたものは全部自分の武器になります。自分が独立した時に活かせるようにできるだけ貪欲に学ぼうと心がけていました。修業期間は3~4年と決めていて、その間に行きたい地域はまわれたのでその当時は納得して帰国しました。

帰国後、念願の店をオープン。経営者になって見えてきたもの、迷う日々…

クックビズ世古:帰国後は、どこかのレストランに所属されたんでしょうか?それともすぐに自身でお店を出そうと動かれたんですか?

小寺さん:独立資金は貯めていたので、帰国後は調理の派遣スタッフとして勤務しながら物件探しをしていました。そんな時に大阪・新町エリアで良い物件が見つかりました。2013年、31歳のときです。

クックビズ世古:タワーマンションやお洒落な店が集まる大阪市内でも人気の高いエリアですね。

小寺さん:はい。独立するために働いてきて、念願の出店を果たしました。でも実際は自分が思い描いたように上手くはいかなかったんです。

エプロンを付けた男性が一列に並び、魚の下処理をしている写真

オープンから4年弱の間、経営者としていろいろ悩みました。朝から仕込みをして晩まで店を開けても手元には現金があまり残らなくて。「本当に自分が美味しいと思える料理を出したい」。そう心がけてきましたが、イタリアと違い、良いレストランでも価格を抑えないとお客様は入らないということも分かりました。

クックビズ世古:経営者になって初めて見えるものがあるんでしょうね。

小寺さん:そうですね。やっぱりやらないとわかんないです(笑)。トラットリアとして営業していたので、決してフォーマルというわけではなかったけれど、日本では「イタリアン」といえば、ピザ、カルボナーラがメニューにあって当たり前という感覚の方が多く…。

自分が実際にイタリアで学び、日本でお客様に出したいイタリアンと、実際にお店に足を運んでくれるお客様が食べたい「イタリアン」とのギャップに悩みましたね。

そのギャップを埋めるには、帰国後、有名店などで修業してネームバリューをつけてから独立すべきだったのでは…など、それはいろいろ思い巡らしましたね。イタリアの名店に勤めていても、日本では知られていないですし。

彩のきれいなサーモンぽい料理の写真

クックビズ世古:日本でなら、“本場・イタリアで星付きレストランで勤務”などの経歴があれば、お客様には分かりやすいのかもしれませんね。
人材・雇用面では苦労しませんでしたか?

小寺さん:そうですね、スタッフを雇っても長続きしないときも。売上との兼ね合いもありますし、途中から自分一人でやろうと思いました。

モヤモヤしたまま35歳になったとき、この先、5年後、10年後について考えました。店が続かなかった場合、40歳を超えた自分に何が残るんだろうって。だったら、

店を閉めて、30代のうちに料理人として再就職するか、
飲食業界以外に転職するか、
思い切ってイタリアに行って、最新の料理を学ぶべきか。

クックビズ世古:ここにイタリア行きという選択肢があることがすごいです。これまでいろんな料理人の方とお話してきましたが、2回イタリアに行った方にはお会いしたことがないです。

小寺さん:40歳になったら気力がなくなりそうで。年をとってから「行けば良かった」と思うのは嫌だったんです。

あとは、自分が好きな漫画「新宿スワン」の中のセリフで「その時感じたことに全力で動かないで他に何が生きるっつーことなんだ?」というセリフがあり、すごく気に入っている言葉なんですよね。

今でも迷った時にこの言葉を思い浮かべて行動するようにしているんですが、この時も行くなら今しかないと思って行動に移しましたね。

二度目のイタリア。来てよかったといえるのは、将来の選択肢が増えたこと

クックビズ世古:再度のイタリア行きを告げたら、周囲の人はどんな反応でしたか?

小寺さん:「いいんじゃない(笑)」ってけっこう肯定的でしたね。「元気だね」とはいわれたけれど。さっき話したように当初は「再度イタリアに行って、最新の料理を学んだら帰ろう」と考えていたんです。

しかし今はめざす方向性が少し変わってきています。

リストランテ「le cementine(レ チェメンティーネ)」の外観の写真

小寺さんが勤務するリストランテ「le cementine(レ チェメンティーネ)」。園内には畑もあり、収穫したての野菜を使うことも。

イタリアの飲食業界は、日本に比べると労働環境がまだいいんですよ。こっちなら仕事以外の時間にやりたいことができるんです。

今は、イタリア・ベネツィアから程近いロンカーデにあるリストランテ「le cementine(レ チェメンティーネ)」でスーシェフを任せていただいています。ガーデンでウェディングパーティーなどもできるレストランです。

このままここに残って働いてもいいし。masaさん(本間さん)みたいにイタリアで居酒屋をしても面白そう。

クックビズ世古:いいですね。

小寺さん:日本が好きなイタリア人も多いんです。料理人仲間とは「居酒屋をしてその隣にアジアンマーケットを開くのも楽しそうだ」と話がはずんでいます。

日本で暮らしてみたい人もいるので、日本の食材や商品をこっちに送ってもらい、こちらからは日本にないチーズやワインを送るというような商売もいっしょにできたらいいねとも。

クックビズ世古:すっかりイタリアの生活になじんでいらっしゃいますね。

小寺さん:そうですね、でも、もし日本に帰ることになったら、ここでの長い経験を活かしてマニアックなトラットリアを開くのもいいと思っています。

思い切って店を手放しイタリアに来て良かった。なぜならこんなに選択肢があるから。あのまま5年、悩みながら日本にいたらどうなっていたか…。

クックビズ世古:2回目のイタリアは、前回とは見える景色も違うようですね。

料理をしている小寺さんのバストアップ写真

小寺さん:前は第一に料理を学ぶために来ていたので、行動の基準は「仕事」でした。「どういう仕事ができるのか」「そこでいい料理が学べるのか」。

今は「仕事」は生活の一部だと思っています。「ここは自然が豊かでいいな」とかね、日々の仕事以外に心が向くようになりました。

クックビズ世古:確かにリストランテ「le cementine(レ チェメンティーネ)」は、緑豊かな場所にありますね。

小寺さん:すでに日本には、イタリアンの良い店がいっぱいあります。そこにトライするよりもイタリアで自分にしかできない店をするのもいいなと。masaさんがベネツィアで日本食メインの居酒屋をやる意味もそこにあるんじゃないかと思います。

イタリアと日本の飲食業界を比べて感じること

クックビズ世古:イタリアは4月いっぱいまでロックダウン(都市封鎖)でしたね。

小寺さん:4月26日からは一部地域を除いて解除です(※インタビュー時点)。夜の営業では店内の飲食は禁止。テラス席ならいいようです。ただ「昼はいいのに夜が禁止なのはおかしい」と問題になっています。

クックビズ世古:日本でもコロナ禍で飲食店への規制が多く、疑問の声も挙がっています。

小寺さんは、料理人としてイタリアと日本、両方の飲食業界を経験されましたが比較していかがですか。

小寺さん:人それぞれ違うので一概にはいえないです。ただ日本の飲食業界に対して思うのは、料理のクオリティに対して対価が安いと思います。正直なところ、日本で1つ星のレベルなら、こっちの2つ星に値すると思う。

クックビズ世古:レストラン側が、料理やサービスに対してもっと価値を上げてもいいのではと?

緑色の鮮やかなリゾットのような料理の写真

小寺さん:価格を高くすると客数が減るかもしれないというデメリットはあるものの、良いものを安く提供しすぎることに疑問を感じたんです。

クックビズ世古:日本は飲食店が多いけれど、外食が身近にありすぎて価値が下がっているんでしょうか。

小寺さん:日本は娯楽が多いですね。例えばある程度の規模の街なら映画館も身近にあります。イタリアでは、レストランで美味しいものを食べること、そのものがイベントです。だからゆっくり食事を愉しみます。

日本では「ご飯を食べてから何する?」という会話も普通だし、「次の予定があるので、早く料理を提供してほしい」など注文があることも。こちらではまずそれは言われないですね。

美味しいものが安く食べられることは良いことなんですけどね。

クックビズ世古:イタリアだとレストランに行くためにおしゃれしたりするんでしょうね。ずばり日本とイタリアどっちが好きですか?

小寺さん:仕事するならイタリアです。私、日本は大好きなんですよ、毎年帰りたいと思う。でも日本の飲食業界で働いてると、仕事9割みたいな人生になっちゃう。

リストランテ「le cementine」の店内で仲間たちと肩を並べて集合している写真。

信頼のおける料理人たちとともに、シェフをサポートしながらスーシェフとして今の地位を築く小寺さん(右)。

日本で働いていて、イタリアに毎年行くというのはできない。
でもイタリアで働いていて、毎年、日本に帰ることはできるんですよ。

クックビズ世古:あぁ…。

小寺さん:イタリアはバカンスがあるんで。こっちなら仕事以外の時間にいろいろやりたいことができるんです。

イタリアのガストロノミーのお店で働くokuda akihiroさんを紹介します

小寺さん:将来については、もう少し時間をかけて考えます。

こっちでは日本食がすごい流行っているので「いい条件を出すから来ないか」という話もあるんですけど、私自身が決めかねています。

日本人の料理人は人気ですよ。とにかく勤勉でまじめに働いてくれるので(笑)。

クックビズ世古:有名レストランで働きたい人はいるでしょうからね。
では最後に小寺さんが紹介したい方を教えてください。

小寺さん:ミラノで働いていたときの同僚、okuda akihiroさんを紹介します。イタリアに13年在住している人で、もはや一般的な日本人像からかけ離れたすごい自由な人(笑)。

リストランテ「le cementine(レ チェメンティーネ)」の内観の写真

いま、北イタリアのAlto Adige(アルト・アディジェ)という街で働いています。ここはドイツ語圏。オーストリアやスイス、ドイツとの国境に近いところにあり、
「イタリアに10年以上いるけど、別の国に行きたくなってきた」と最近言ってましたよ(笑)。

距離があるので会ったりはできないけれど、時々電話で話します。今の職場の前はプライベートコックとして働いていた経験もあるそうですよ。

クックビズ世古:また面白い話がきけそうで、楽しみです。今日はお忙しいところ、イタリアからありがとうございました。

まとめ

イタリアに2度渡った小寺さん。ストイックに修業を積んだ1度目のイタリア、日本での挫折後に自分らしい再起をめざして海を渡った2度目のイタリア。

日本とイタリアの飲食業界の違いを感じながら、これから40歳までに次の方向性を見つけたいと話して頂きました。イタリアに行く機会があれば、ぜひリストランテ「le cementine(レ チェメンティーネ)」で食事をしてみたいです。

次回は北イタリアで料理人として働くokuda akihiroさんをご紹介します。お楽しみに。

<インタビュー:世古 健太・方城 友子、記事作成:杉谷 淳子>

<リストランテ「le cementine(レ チェメンティーネ)」>

リストランテ「le cementine(レ チェメンティーネ)」の日が差し込み明るい華やかな雰囲気の内観の写真

リストランテ「le cementine(レ チェメンティーネ)」は、ベネツィアからも程近いロンカーデという街にあります。自家菜園も併設する自然派レストランで、三つ星シェフが感性を生かして作り上げるイタリアンが楽しめます。ウェディングも好評です。

<取材協力>

店名 リストランテ「le cementine(レ チェメンティーネ)」
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<写真提供>

リストランテ「le cementine(レ チェメンティーネ)」
※インタビュー風景を除く

▼続いてのリレーインタビュー記事はこちら

イタリア各地を旅する料理人。好きなことを続けていくために心がけていること【リレーインタビューVol.10】