料理をする酒井さんの写真

京都にあるミシュラン三つ星の料亭に育てられ、ニューヨークの寿司店で働いたり、国内でもイノベーティブレストラン、中国料理店で経験を積むなど「料理人の道」をのびやかに歩んできた酒井 研野さん、31歳。
2021年3月、京都・岡崎に自店「日本料理 研野」をオープンするにあたり、酒井さんがめざすものとは。酒井さんに影響を与えた料理、味、人、言葉を通して、次代を担う料理人の可能性に迫ります。

<酒井さんの前回記事はこちら>
飲食業界のまかない事情、京都・日本料理店の暦に基づく習わし【オンライン座談会Vol.25】

酒井さんが「ぜひ知ってほしい」という料理人仲間も新たにご紹介します。

<プロフィール>
■酒井 研野(さかい けんや)さん
1990年1月29日、青森県生まれ。2021年3月16日にオープンの「日本料理 研野」(京都)オーナーシェフ。2009年「菊乃井」入社。本店で8年勤務後、2017年「菊乃井 無碍山房」の立ち上げに伴い、料理長に就任。10年後に退職し、ニューヨークの「Shoji at 69 Leonard Street」、京都のレストラン「LURRA°」を経て、中国料理の「京、静華」へ。伝統的な中国料理から、日本料理の原点を模索。
2021年、自らがオーナーとなり京都・岡崎にて「日本料理 研野」を開業。J.S.A.ソムリエ、J.S.A.酒ディプロマ有資格者。「RED U-35」2019のBRONZE EGG受賞者。

いつかは「独立」が、コロナ禍を境に今「独立」へ

クックビズ世古:酒井さんは料亭で日本料理を10年、イノベーティブレストランで3年、中国料理店で1年、その間もニューヨークに渡ったりと、いろんな経験を積まれ、今ご自身のお店「日本料理 研野」を3月16日にオープンされます。(インタビューは2月24日実施)

特に料亭で長く料理人をされてきていますが、その頃から将来はお店を持ちたいという夢はあったんですか?

笑顔でインタビューに答える酒井さんのバストアップ写真

酒井さん:料亭での修業時代は、漠然といつか店を持てたらいいと思っていたくらいなんです。料亭で修業を終えた時も、35歳までにはお店が出せたらいいなあ、くらいに思っていて。

その後、ニューヨークに行ったり、他ジャンルの店で働かせてもらっているうちに、周りを見渡したら、若い料理人たちの多くが独立していました。

たとえば「LURRA°」の宮下 拓己くんは年齢は僕より1つ下なんですけれども、オーナーとしてすでにお店を作り上げていたし、「RED」(「RED U-35」)で賞を獲っている仲間の料理人も自分の店を経営されていたりして。

カワハギとクラゲ、ワケギの酢味噌和え 四川山椒と唐辛子の香りの写真

カワハギとクラゲ、ワケギの酢味噌和え 四川山椒と唐辛子の香り(Photo by Kunihiro Fukumori)

あとは外部の仕事で機内食の開発をさせていただいたり、外に出ていろいろな仕事をしていくなかで少しずつ自信がついてきたのです。「自分の店を持つ」という意識が芽生えて、より強く独立を考えるようになりました。

クックビズ世古:周りの独立している料理人たちから刺激を受けたと。

酒井さん:コロナのなかで自分を振り返った時間が、いちばん大きかったかもしれないです。
コロナで3ヶ月ほど、通常営業からテイクアウトだけの営業に切り替わったんです。その時に、いろいろ考える時間が持てたんですね。

クックビズ世古:思いがけずコロナをきっかけに振り返る時間が生まれたんですね。

酒井さん:とはいえ、それでもそこまで強く「独立したい!」という思いはなかったんですが、とりあえず物件を探してみようかなと。そんな風に動いていくなかで、「独立」が具体的な形として感じられるようになっていきました。

クックビズ世古:いろいろ調べていくうちに現実味がでてきたと。

酒井さん:そうですね。去年の6月、7月あたりでしょうか。それで夏には物件を契約しました。それから勤め先に、「店を出したいんです」ということをお伝えして、去年の暮れまで働かせてもらっていたんです。

一皿一皿盛付をしている様子の写真

盛り付けの様子(Photo by Kunihiro Fukumori)

クックビズ世古:決まってからは早いですね!自分が経営者になるにあたって、知識や必要なものなど、意識したものってありますか?

酒井さん:経営については正直、修業時代にはほとんど考えることはなかったので、独立を意識するようになってから考えるようになりました。筋トレと一緒というか、意識しないと身につかないんでしょうね。

クックビズ世古:具体的にはどのようなことを?

酒井さん:まず他の店に食べに行ったときに、料理以外の細かな部分を気にするようになりました。

たとえば、おしぼり台ひとつにしても、どういったおしぼり台を使っているのかとか、箸置きもそうですし、お店の内装も、壁は土壁なのかそれとも壁紙なのか?どのように作りこまれているか、そんな細かいところですね。

あと、この価格の店だったら調度品はどういうものを置いているのか、料理以外の部分にどれだけお金をかけているか、などもチェックするようになりました。

クックビズ世古:働いている店の中でも見ていく視点が変わった?

酒井さん:変わりましたね。特に料理以外のサービス面ですね。僕が働いていたのはカウンターのお店なので、お客様へのお声がけの仕方だとか予約の取り方だとか、これは自分の店でも取り入れられるな、と考えるようになりました。本当に自分の意識が変わると、世界も変わりましたね。

「創業計画書」で見えてきた“コンセプトのないコンセプト”

クックビズ世古:独立にあたって誰かに相談したりとか調べたりというのはありましたか?

酒井さん:料亭で働いていた時の先輩に相談していました。その方はオーナーシェフとして日本料理店をされていまし て、すごく面倒見のいい方で修業時代からずっとお世話になっています。

あと雑誌の「専門料理」の独立開業のノウハウなどは読んでいました。年に1回くらい、新規開業の特集があったりするので。

マグロの手巻き寿司 黄身醤油がけを手に持っている写真

マグロの手巻き寿司 黄身醤油がけ (Photo by Kunihiro Fukumori)

クックビズ世古:経営者となるとコストやスタッフのコントロールが必要になってくるとは思うのですが、そのあたりはどのように勉強されたんでしょうか。

酒井さん:僕は「創業計画書」作りを通して、より鮮明にどういうお店にしていくのかを定めていったところがあります。

独立して出店するには、銀行の融資を受ける必要があったのです。その際に、銀行に提出する「創業計画書」を作ります。自分のやりたいお店、やりたい料理が、ちゃんと収益を生む仕組みになっているのかを形にしていかないといけないんですね。

これがめちゃめちゃ地道な作業なんです(笑)。「創業計画書」では何よりきちんと自分の思いを伝えなきゃいけない。その作業を通して自分の作りたい店が定まっていった感じです。

キッチンに手をつき話す酒井さんの写真

1月16日、「QUESTION京都信用金庫」にて行なわれたポップアップイベントにて。(Photo by Kunihiro Fukumori)

クックビズ世古:「日本料理 研野」をどういう風なお店にしていきたいと?

酒井さん:コンセプトはかっちりとは定めてはいなくて、お客様と一緒に作り上げる料理がいいのかなと思っています。カウンターだけの小さなお店なので、一人ひとりのお客様ときちんと向き合って、しっかりおもてなしをしたいんです。

そのために最初にコンセプトを定めて、それをお客様に押し付けるようなやり方は、あまり気持ちがよくないなと思って。お客様が「研野ってこういうお店なんだ」と自由に思ってくれたらいいなあと思っています。

かといって何も考えてないわけではありません。僕のベースはやっぱり日本料理です。

たとえば先付けは季節を感じるような、やわらかい料理。こんな季節が来てるんだなあと「今」を感じていただけるものを考えています。他にも中華のエッセンスを採り入れて、上品な和の味のチャーシューがあったりだとか。いろんな味の幅を持たせられるようにはしたいなと思ってはいます。

ありがたいことに早速ご予約も入れていただいています。

鰯のつみれ 薄氷仕立ての写真

鰯のつみれ 薄氷仕立て(Photo by Kunihiro Fukumori)

どれだけお金を積まれても作れない料理がある

クックビズ世古:酒井さんがこれまで最も影響を受けた料理は?

酒井さん:いろんなお店の、いろんなプロの方の料理を食べてきましたが、僕が一番影響を受けているのは、母の作った“煮しめ”です。お正月に実家の青森から、母親に煮しめを作って送ってもらったんですね。

器に盛られた煮しめの写真

酒井さんのお母さま手作りの“煮しめ”

煮しめはその地域のさまざまな食材を炊き合わせたもので、日本全国にあるハレの料理です。青森では、秋に獲ったキノコを瓶詰にして保存します。あと春に獲れた山菜を水煮にして保存したものなどを一緒にして煮しめにするんですけれども、母親が作った煮しめがあまりにも美味しすぎたんです。

自分のめざす美味しさって、母親から刷りこまれていたんだなあというのを、実感しました。

クックビズ世古:その味は酒井さんは出せないんですか?

酒井さん:出せないです。それは母の煮しめの味に僕のいろんな気持ちも入っているからなんでしょうね。唯一無二の味かなあと。

僕がめざすのも「そこ」というか。結局、いちばんおいしい料理って何かと考えたら、お金のために作らない料理なんじゃないかと。

誰かが誰かのために、思いを込めて作った料理が、いちばん美味しいと思うんです。それはどれだけお金を積まれても、買えないし作れない。

クックビズ世古:酒井さんのご実家は青森のどちらですか。

酒井さん:津軽ですね。冬は雪に閉ざされるところなので、漬物文化がすごい発達しているんです。山奥なので冬の間は食糧が乏しく、みんな自家製の漬物を漬けるんです。祖母も漬物を漬けていて、祖母の漬物もめちゃくちゃ美味しくて、それも僕の味のルーツになっていますね。

クックビズ世古:美味しそう。。

ポップアップイベントにて料理を作る酒井さんの写真

1月16日、「QUESTION京都信用金庫」にて行なわれたポップアップイベントにて。(Photo by Kunihiro Fukumori)

酒井さん:「菊乃井」に入って1年目にまかないを作ったときに、先輩に「お前のお母さんって料理をちゃんとする人でしょ。まかない食べたら分かるわ」と褒められたことがありました。

料理人になろうという人の原点のひとつなのかもしれないですね。

「菊乃井」を起点に、自分らしい日本料理をしなやかに

ほし柿なますの写真

ほし柿なます(Photo by Kunihiro Fukumori)

クックビズ世古:料理人のなかでは影響を受けた人はいますか。

酒井さん:「菊乃井」の村田 吉弘大将ですね。「菊乃井」の料理は、華やかな都(みやこ)の料理なんです。お軸やお花が飾ってある、きれいなしつらえのなか、きれいな器で、きれいに飾られた料理を楽しんでいただく。僕はやっぱり村田大将の影響を受けています。

他には、京都の銀閣寺にある「草喰(そうじき) なかひがし」(ミシュラン二つ星・グリーンスター)さんの野趣味あふれる料理にも影響を受けています。店主の中東 久雄さんは毎朝、大原に出向いて農家さんの畑をまわって、農家さんとコミュニケーションをとるんです。

日本料理では、季節を映すのによく葉っぱを添えて使うんです。「菊乃井」では、とてもキレイな葉っぱを使うんですが、「なかひがし」さんは虫食いのある葉っぱを使っていたんです。それを体験したときに、「うわー!なるほどー」と感じました。

日本料理にも、いろんな料理があっていいんだなというのを学びました。それまでは「キレイに仕上げること」が一番だと思っていたんですね。「なかひがし」さんでは、ありのままの自然を感じたというか、肩の力が抜けたというか。

蜜汁叉焼 柚子風味 菜種辛子和えの写真

蜜汁叉焼 柚子風味 菜種辛子和え(Photo by Kunihiro Fukumori)

クックビズ世古:「菊乃井」で学んだことに酒井さんの視点が加わったんですね。

酒井さん:先輩の言葉にも影響を受けました。日本料理は、本当に細かな作業が多いんですが、ある日、銀杏(ぎんなん)の皮を剥いていたんですね。大量にある銀杏を剥き続けていると、「永遠に終わんないなあ」という気持ちになってくるんですよ(笑)。

その時に先輩が「止まない雨はないし、明けない夜はないし、終わらない銀杏はないんだよ」と(笑)。文句を言ってもしょうがない、とにかくやるんだと励まされました。それがすごく心に残っていますね。

クックビズ世古:「終わらない銀杏はない!」いいですね(笑)。

山とジビエを教えてくれた神田さんは、尊敬する料理人仲間

クックビズ世古:酒井さんが「ぜひ紹介したい」という人はいますか?

酒井さん:祇園でジビエに特化したレストラン「Gibier MIYAMA」を経営されている神田 風太さんです。神田さんは僕と同い年でプライベートでも仲良くさせてもらっているんですが、すごく尊敬できる方です。

知り合ったのは1年くらい前です。お互い「RED U-35」に出てまして顔を知っている程度だったんですが、京都で料理の勉強会があったときに初めてお話させていただいて、意気投合したんです。

神田さんは初対面は怖かったんですが(笑)、話してみると、すごく物腰が柔らかくて、優しくて一緒にいると心地よい人です。彼は京都の美山出身で、京都の山のほとんどを心得ているといっていいくらい山のことに精通した人です。一緒に山菜を取りに行かせていただいたし、ジビエについても影響を受けましたね。

クックビズ世古:神田さんにお会いできるの楽しみにしています。

酒井さんとパートナーの愛さんがともに料理をしている写真

パートナーの愛さんと

まとめ

「日本料理 研野」をパートナーの愛さんと一緒に立ち上げた酒井さん。料理人が自店を持つという「今まさに産声を上げる」瞬間に、お話を聞かせていただけたことは、本当に幸運なことです。
酒井さんは、お母さまから「誰かのために料理する」ことを学び、料亭で日本料理の美を学び、それらを原点に、さらにさまざまな発見や気づきを融通無碍に求めていきます。

「煮しめ」「葉っぱ」「銀杏」「山菜」…。酒井さんから零れ落ちる言葉には、自然への慈しみ、郷里や人への想いを「研野」を通して紡いでいく、穏やかな喜びにあふれていたように思います。

<インタビュー:世古 健太・方城 友子、記事作成:峯林 晶子>

取材協力

店名 日本料理 研野

▼続いてのリレーインタビュー記事はこちら

僕ら料理人に「サステナブル」がなぜ必要か。未来の自分たちのために、飲食店が“今”できること【リレーインタビューVol.6】