今回のインタビューは、イタリア在住の料理人・尾倉 智樹さんです。現在、地中海に面するリグーリア州ベンティミーリアのマリーナ内に昨年夏にOPENしたリストランテでスーシェフとして活躍中。
言葉もわからないまま飛び込んだイタリアで、郷土料理の面白さに目覚めた尾倉さん。イタリアの地域色豊かな料理の魅力についてお聞きしながら、今の暮らし、将来の夢をお聞きしました。(取材:2022年1月17日)
※リレーインタビュー「ナチュラルワインはその土地の個性を雄弁に語る。イタリアでワイン作りに挑む、新進気鋭の日本人醸造家【リレーインタビューVol.17】」の美濃和 駿さんからのご紹介です。
<プロフィール>
尾倉 智樹さん
1978年生まれ・奈良県出身。大学卒業後、企画営業職に携わるも27歳で飲食業界に転職。大阪のバルで勤務していた頃、イタリアン「punto e linea(ブント エ リーネア)」の常連になったことを機にイタリア料理へ傾倒。その後、イタリアン居酒屋のシェフなどを経て、本場で学びたいと渡伊。イタリアの北から南まで武者修行し、地域の伝統的な料理・食文化の面白さに目覚める。現在、リグーリア州ベンティミーリアに2021年夏にオープンしたリストランテ「Marixx(マリックス)」にてスーシェフを務める。
現在、南イタリアの港町でスーシェフとして活躍
編集部:本日はよろしくお願いします。現在、イタリアのリグーリア州にいらっしゃるんですよね。まずはご勤務しているお店についてお聞かせください。
尾倉さん:フランス国境に近いリグーリア州の西の端。ベンティミーリアという町にあるリストランテ「Marixx(マリックス)」に勤務しています。地中海に面したマリーナにある店で、2021年に開港したタイミングでオープンしました。そこでスーシェフを務めています。
編集部:お客様は地元の方が多いのですか?
尾倉さん:フランスやモナコから観光で来るお客様が多いですね。日本のように寒くならないので、真冬でもテラス席で食事を楽しむ方が多いですよ。
オーナーシェフ自身がこの町の出身なので、シェフの料理を愛する地元の常連さんも多いです。イタリア人らしい郷土愛にあふれた人物で、店ではこの地域の伝統料理にこだわってご提供しています。
編集部:どんな特徴があるんですか?
尾倉さん:リグーリア州は東西に長いので、地域によっても少し異なります。特にこの西のエリアは、南仏と似た料理が多く、モナコでストリートフードとしてもおなじみのラビオリを揚げた「バルバジュアン」は、こちらでは「バルバジュアイ」と呼ばれ、うちの店では突き出しやおつまみのポジションでご提供しています。ちょうど揚げ餃子みたいな感じです。
そのほかはやっぱり海が目の前なので魚介類を豊富に使います。郷土食としてはフォカッチャとピッツアの中間のような「サルデナイラ」というものがあります。アンチョビ、オリーブ、ニンニク、トマトソースが基本ですね。メニューも、肉よりも魚料理の方が人気があります。
編集部:高級路線のお店なんですよね。
尾倉さん:料理は1万円前後。それにワインを加えるともう少し客単価は上がります。最近は泡やパウダーなど飾りありきのメニューも見かけますが、うちの店ではオーソドックスな美味しさを追求しています。
編集部:尾倉さんのポジションは?
尾倉さん:シェフを入れて常時いる料理人は3人しかいないのですが、私はパスタ担当です。やっぱりパスタってイタリアにしかないものだし、もちろん他の国にいっても麺料理はありますが、ここまで品種が多くバリエーションも進化している食材も珍しいですしね。
私の知る限り、コース料理の中に麺料理が正式に組み込まれている食材ってそんなにないと思います。日本では、「そば」「うどん」などの麺類は一般的に一品料理として提供されていますしね。
イタリア料理に傾倒するきっかけは一軒のバルから
編集部:そもそも尾倉さんがイタリアに渡ったきっかけは何ですか?
尾倉さん:大阪の飲食店で働いていた頃、靭公園界隈(大阪市西区)に住んでいたのですが、そこはイタリアの名店が集まるエリアだったんです。特に「Punto e Linea (プント エ リーネア)」の店には夜な夜なイタリア好きが集まっていて、そのバルに通うようになって料理人の輪も広がり、イタリアの魅力にハマっていきました。
編集部:居心地が良かったんですね。
尾倉さん:そうですね。その時の気分次第で、だらだらと長居することもあれば、エスプレッソをサクッと飲むだけのときもあって。これが“バール”っていうもんなんだなという…。その空気感が良かったんです。オーナーシェフとは今もお付き合いがあり、イタリアに遊びに来てくれたこともあります。
その後、知人の紹介でイタリアン居酒屋に転職し料理長を任されたのですが、やればやるほど「イタリア料理を知らないといけないな」と感じて本場で学びたいと思うようになりました。34歳と年齢的に遅いけど、所帯持ちでもないし、なんとでもなるかとイタリアに渡ったんです。
イタリアでのスタート!そう甘くはなかった
編集部:最初はどこの都市に?語学学校からのスタートですか?
尾倉さん:私の場合、滞在許可申請のために一応、語学学校に所属はしましたが、事前にFacebookなどで知り合いをつたって、エミリアロマーニャ州ピアツェンツアの1つ星「ca’ Matilde(マチルデ)」に研修生として紹介してもらうことができたんです。ロカンダと呼ばれる宿泊もできる店です。
エミリアロマーニャ州は、前回、取材された美濃和さんがいる州ですよ。
編集部:スタートしてみていかがでしたか?
尾倉さん:イタリア到着後すぐに語学学校から移ったので、言葉はほぼ分からない状態でした。1つ星の技術レベルにも到底ついていけず、シェフにこっぴどく叱られてばかり。「僕はここでは何にもできない」ということが身に染みて分かりました。それで知り合いの紹介でジェノバの古いオステリアに移ったんです。ちょうどリグーリア州の真ん中あたりですね。
編集部:人のつながりって大事ですね。
尾倉さん:紹介されたジェノバの店は、100年以上歴史がある郷土料理を提供する大衆食堂でした。
編集部:ジェノバといえば、ナポリ、シチリアと並ぶパスタが有名な地域ですね。
尾倉さん:私もイタリアの郷土料理に興味を持っていたので好都合だったんです。お父さんと兄弟で家族経営している店でした。お兄さんが店長で弟がシェフ。“イタリアあるある”なんですけど、しょっちゅう派手な兄弟喧嘩が始まります。ある日、弟が怒って電子レンジを叩き、こぶしを血まみれにしながら出ていったんですよ。
でもいつものことで、すぐに戻ってくるだろうと思っていたら、その時以降、本当に店には戻らなくて。旅の口コミサイト・トリップアドバイザーでは、「ジェノヴァの郷土料理の店なのにキッチンが日本人しかない」とコメントされましたよ。
一同:(大笑い)。
郷土料理の面白さにふれてイタリア全土を放浪
編集部:100年続くお店といえば、日本でいえば料亭や老舗としての風格があるところが多いと思うのですが、日本人だけでイタリアの郷土料理を提供するのは大変ではなかったんですか?
尾倉さん:基本のグランドメニューは固定化していましたし、お兄さんの方も元料理人なので、新しいメニューに挑戦するときは相談もできました。さすがにイタリアにきて1年目ですしね。その店も、格式とかそんな雰囲気ではなく、あくまでも大衆食堂として人気のお店でしたから。イタリアでは長く経営する飲食店は多くて、20〜30年続く店はざら。100年以上続く店もそう珍しいことではないんですよ。
編集部:なるほど。
尾倉さん:もう一人の日本人研修生と店を切り盛りしてはいましたが、ここにいてもシェフが不在なのでこれ以上学べないなと。住む部屋と食事は提供してくれていましたが月給400ユーロ(約5万円)ほど。雨の時期には窓にカタツムリがびっしり張り付いているようなジメジメした部屋で(苦笑)。働く環境が良いとはいえず、次のステップに踏み出そうと思いました。
編集部:次も紹介で決めたのですか?
尾倉さん:いいえ、次は自分で探しました。地域の食材と料理の関係が面白いと感じていたので、スローフード協会のガイドブックをみて自分が気になったお店に片っ端からメールを送りました。
ジェノバの次に行ったトラットリア「Armanda(アルマンダ)」はそうやって自分でアタックして決めたお店です。同じリグーリア州でも東の端にあるカステルヌオーヴォ・マグラという町です。郷土料理についても学べる環境で、居心地も良くて2年ぐらいいました。
このあたりはルニジャーナ地方と呼ばれ、隣のトスカーナ州とリグーリア州の境界付近で一部エミリアロマーニャ州も含まれます。
ルニジャーナの代表的な料理といえば、“記録に残る最古のパスタ”ともいわれる「テスタロリ」や「パニガッチ」といった泥臭い料理が有名です。
その後はピエモンテ州、ベネト州のベローナの北の方、南の果てのカラブリア州の1つ星でも働きました。イタリア料理の面白さは地域の特色が強いところにありますね。イタリアに来れば、誰でもそれを実感すると思います。
編集部:日本ではイタリア料理を一括りにして「イタリア料理」と呼んでいますが、実際は色々違うんですね。
尾倉さん:そうなんです。料理や食材も異なるし、ちょっと町が変われば見たこともない地場の食材に出会うことも多いんです。パスタの種類も必要以上にいっぱいありますしね。
それに「うちの料理はこうなんだ」「いや、こっちはこんなんだ」って、地域ごとの意地の張り合いというか、すぐに自慢大会みたいなことが始まるんですよ。そこが面白いですね。その土地の食の豊かさや、人々の郷土への想いを強く感じます。
イタリア語は日本人にとって学びやすい言語!?
編集部:これまでイタリア在住の方にインタビューしてきて、海外で学ぶことや働くことについて、なじむ人となじまない人がいると聞くのですが、実際どうですか?
尾倉さん:それはありますね。ぼくは思いがけず長居しています(笑)。最初は1年で帰るつもりだったんです。海外では安定して仕事に就けないとも思っていましたし。でも運よく常に安定して仕事があったので、気づけばもう8年。それにイタリアにいる方が気楽だったんですよ。
編集部:と言うと?
尾倉さん:このリレーインタビューについて過去の記事(※1)も読ませていただきました。イタリアで料理人として働く日本人の方のコメントで
「日本の方が料理に対する対価が低いと感じる」
「日本で働いていたらイタリアになかなか行けないけど、イタリアで働いてたら日本に帰省する余裕がある」
っていうのはぼくも同感ですね。
(※1)リレーインタビューVol.7/日本の飲食業界に疑問を持ち36歳で2度目のイタリアへ。店をたたんで渡った料理人の思考とは
編集部:時間的にも金銭的にもということですよね。
尾倉さん:そうですね。料理人が作る一皿の評価は、イタリアにいる方が高いと感じます。
編集部:そうなんですね。確かに海外ではバケーションもしっかり取りながら働き、暮らしを楽しむことを大切にするとお聞きすることが多いです。あと言葉の壁はいかがですか?どれぐらいでイタリア語を習得しましたか?
尾倉さん:最初の半年はかなり難しかったですね。文法は日本語と異なるので分かりにくいけれど、発音はいわゆるローマ字読みで基本的に母音で終わるんです。英語やフランス語に比べると圧倒的に読みやすいし聞き取りやすい。
わからない言葉がでてきても、どういう綴りで話しているのかはわかるので、後で調べられます。イタリア語は日本人にとっては耳馴染みが良くて、学びやすい言語なんじゃないかと思います。
自分のやりたい料理ができる環境が一番
編集部:今後、やってみたいことは?
尾倉さん:地域性の強い料理=その土地でとれた食材を使って料理を創ることを大前提として、高級食材よりも身近な素材を大事にした庶民派の『cucina povera(クッチーナポーヴェラ) 』を追求していきたいですね。(※2)。
年々ワインへの興味も増しています。美濃和さんの醸造の様子を見ていると「ワインって本当に生き物だな」と感じるし、新鮮な驚きがあります。
(※2)『クッチーナ ポーヴェラ(Cucina Povera)』=ポーヴェラには“貧しい”という意味があり、対義語に『クチーナ リッカ(Cucina Ricca)』=「貴族の料理」があります。
興味がある方はこちらの記事も→リレーインタビューVol.14 イタリアでトスカーナ料理に魅せられた日本人シェフがめざすのは自然と生きる循環型レストラン
編集部:やはりイタリアでは、ワインは食事に欠かせないものなんですね。
尾倉さん:「ワインのない食事は朝食と呼ぶ」という言葉があるぐらいですから(笑)。
あと飲食業界に入った時は「将来は自分の店を持ちたい」と思ってたんですけど、いろんな経営者を見てきて、経営者側になったからといって自分のやりたいことができるわけではないとわかりました。
大事なことは自分のやりたい料理ができること。そのために独立が必要であればするし、私がめざす料理を求めてくれる店が見つかれば、それはそれでいいなと考えるようになりました。
編集部:それはやはりイタリアですか?
尾倉さん:イタリアか日本か。将来については迷っています。
編集部:なぜ?
尾倉さん:例えば故郷の奈良でイタリアンを出すとなったら、お客様から「カルボナーラはありますか」と聞かれ、その要望に応えていくようになっていくのかなと。だからイタリアにいる方が自分のめざす料理を追求しやすいのかなと感じます。
編集部:お客様に食べてほしい本場の美味しいイタリアンと、お客様が思い描く日本流「イタリアン」とのギャップということですね。尾倉さんのめざす料理とは?
尾倉さん:そうですね。その土地でとれた食材を使って料理を創ることをベースに、リグーリアの料理を掘り下げたいと思っています。中央のジェノバに始まり、東のルニジャーナ、今は西のベンティミーリアに伝わる料理を作っているので、これでほぼリグーリア州の全エリアの郷土料理を学べたかなと。
もちろん故郷の奈良で店を出すなら、大和野菜を使うし、その土地のものを使うということは大事にしていきたい。
実家は兼業農家なので欲しい野菜も作れるし、最近は奈良でワインを作っている人がいるので、そういう人と組んでやっていけたら面白いなとも思います。親は「はよ、帰ってきたらいいのに」って言ってます(笑)。
紹介したい方はミラノ在住のパン職人・西方 健氏
編集部:では最後に尾倉さんが紹介したい方はどなたでしょうか。
尾倉さん:パン職人の西方 健さんです。まだ20歳すぎですが、ミラノで最も勢いのあるパン工房「ダヴィデ・ロンゴーニ」で働いた後、今はミラノで唯一ミシュランの星を持つ日本人シェフ・徳吉 洋二さんのもとで働いています。
今はコロナの影響でリストランテ「TOKUYOSHI(トクヨシ)」から、テイクアウトとデリバリーに特化した「Bentoteca(ベントウテカ) 」に業態を替えており、彼はそこでパンをつくっています。
編集部:出会ったきっかけは?
尾倉さん:私が「ダヴィデ・ロンゴーニ」に、3日間ほど研修に行かせてもらった時からの知り合いです。物価の高いミラノで、日々のやりくりをしながらも、真摯にパンを極めようとしている姿勢に刺激を受けます。ミラノで独立したいと物件探しもしているそうですよ。
編集部:ミラノで“弁当”というネーミングが面白いですね。西方さんに、どんなお店かお聞きするのも楽しみになってきました。今日はお忙しい中、ありがとうございました。
尾倉さん:そうそう、今、私が働いているリストランテ「Marixx(マリックス)」では料理人を募集しています。イタリアでは、仕事にまじめな日本人は料理人として信用が高く、どこの店でも人気です。コロナ禍で日本人の多くが帰国して人手不足なので、イタリアで研修を受けたい、「Marixx(マリックス)」で料理人として働きたい方はぜひご連絡ください。
編集部:それは、海外でチャレンジしたい方にとっては、ビッグチャンスとなりそうです。興味を持った方はぜひ。
まとめ
イタリアで働く料理人の方に取材すると、郷土料理、スローフードというワードに出会うことが多いです。
尾倉さんのコメントにもあったように、異なる地域同士で「すぐに“意地の張り合い”になる」というのも印象的でした(笑)。
イタリアは、アルプス山脈を有する北部から、ギリシアやアフリカに近い南部の暖かい島々まであって地域色の豊かさは日本と同様ですが、地続きのヨーロッパにあり、統一されるまでさまざまな国を征服したり、されたりと小さな都市国家の集まりだったそう。料理もその地方がたどった歴史と密接に結びついているんだそうです。
郷土料理、素朴で生命力あふれる地場の食材、有機農業や健康に良いものを大切にすることを理念に掲げた「スローフード」の活動がイタリア発祥というのもうなずけます。
次回は、リレーインタビュー初のミラノで働く方へのインタビュー!イタリアきっての都会の食文化をお聞きするのが今から楽しみです。
<インタビュー:峯林 晶子・杉谷 淳子、記事作成:杉谷 淳子>
<取材協力>
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<写真提供>
尾倉 智樹
※インタビュー風景を除く