スロベニアでガストロノミーを追究すること

まずは、スロベニアとはどんな場所で、スロベニア料理とはどんな料理なのでしょうか?

ロス氏:スロベニアは、人口200万人ほどの小さな国です。イタリア、オーストリア、ハンガリー、クロアチアに囲まれています。
特に、オーストリア、北イタリア、スロベニアの料理は、山あいの地中海料理と呼ばれ、共通点が多いです。スロベニアには緑が多く、国の中でも細かい地域ごとに異なった気候があり、様々な食材が揃っています。

グローバリゼーションに染まっていないですし、もともとあまりプラスティック製品を使わず、環境にも配慮した生活を送っています。地元の食材は、全てにおいて、生産者がはっきりしています。例えば乳製品の場合は牛の名前、野菜ならどの農園から来たかは、常に明らかになっています。地元の食材を使いますから、フードマイルも少なく、サステイナブルと言えるでしょう。これが未来の世界のあるべき姿かもしれない、と思うことがあります。

そもそも、「ヒサ・フランコ(Hiša Franko)」のある場所はスロベニアの中でもとても田舎で、食材を送ってくれるサプライヤーはいません。その代わりに、豊かな自然があります。私たちは地元の食材を100%使っています。店から見える範囲だけの食材です。一番遠くから来た食材は、50キロ先の海、といった具合です。
私の料理も、季節の移り変わりなどで、手に入る食材が変わるたびに、一皿ずつ変えていく、柔軟性のある料理です。

 

野心を持てと教育された子ども時代。外交官への道を外れ、料理の世界を歩んだ娘に落胆した両親。

子どもの頃から料理には興味があったのですか?

ロス氏:いえ、全く!子どもの頃はスポーツが得意だったので、競技スキーとバレエをやっていました。スキーは、スロべニアの国技ですから、これで良い成績を取ると言うのは、まさに国を代表するスポーツ選手とみなされる訳です。
バレエは、本当はパリに行って本格的なレッスンを受ける予定だったのですが、練習のしすぎで足を痛めてしまい、バレエダンサーになることを断念しました。

どんなご家族の元で育ったのですか?家族のうちの誰かが、料理に関係のある仕事をしていたのでしょうか?

ロス氏:いいえ。父は医者で、母は新聞の地域の特派員として、政治、経済、スポーツなど幅広いジャンルについて書いているジャーナリストでした。家族には、一歳年下に妹がいて、まるで双子のように育ちました。

母は、忙しいので、伝統的な料理というより、栄養のバランスを考えた健康的でシンプルな野菜料理などをよく作ってくれました。海辺の出身だったので、魚もよく食卓に登場しましたが、私は競技スキーとバレエを習っていたために、忙しくて、料理をする時間はありませんでした。学生になってから、パーティーなどの後、みんなでパスタを作って朝5時に食べる、なんてこともやりましたが。そんな感じの料理が最初に作った料理だったと思います。

両親からは、常に野心を持つように、と言われて育ちました。スロベニアには美食の文化がなくて、レストランの仕事というのはあまり尊敬される仕事ではありませんでした。私の両親は、医者だとか、他の人に誇れる仕事に就くことを期待していたのだと思います。

では、何がきっかけで料理の道に進んだのですか?

ロス氏:外交官になるために勉強していた大学の最後の年に、現在の夫、ウォルターに会って恋に落ちてしまって、人生が大きく変わったのです。
今私がシェフを勤めている「ヒサ・フランコ」は、元は、1973年に夫の両親がオープンしたレストランでした。家族でそこに食事に行った際に、サービスを担当していた、ウォルターに出会ったのがきっかけです。

母は賢い人ですから、直接、恋愛が良くないと言うわけではなく、私が学位を取れなくなることへの懸念を間接的に表現して、「あなたが自分のやるべきことを成し遂げられない人間になることを心配している」と言いました。母のその言葉で、目が覚めた私は、無事に大学を卒業しました。

大学を卒業してしばらくして、夫の両親が歳を取ったので引退することになり、夫が継ぐことになりました。私も夫と一緒に「ヒサ・フランコ」で働くことを決めたのですが、私の両親は全くいいようには思ってはくれませんでした。
父は祖母が仲介してくれるまで、私と6ヶ月間口をききませんでしたし、母は言葉に出すことはありませんでしたが、とても落胆した様子でした。

母はプライドが高いところがあって、こんなエピソードがあります。つい最近、母と一緒に、スリランカのヨガリトリートに行った時のことです、私に気づいた人が、一緒に写真を撮りたいと言ったので一緒に撮ったのですが、その人に「有名になられた料理人を娘に持ってどうですか?」と聞かれたのです。
すると母は、「私の娘は料理人じゃなくてシェフ(料理長)よ」と言い返したのです。「お母さん、どっちも同じようなものじゃない」と私はたしなめたのですが。

 

料理に関しての考え方で、何か、家族から受けた影響はありますか?

ロス氏:私の好奇心が旺盛なところは、両親譲りかもしれません。15歳の頃には、タンザニアに3ヶ月住んだこともあります。近所に住んでいた同い年で仲のよかった友人の父が、タンザニアのダルエスサラームの工場の責任者になったので、その友人を訪ねて行ったのです。

当時のタンザニアはとても貧しい場所でした。アフリカの人たちと交流し、スラムにあるエチオピア料理の店に連れて行ってもらい、料理を手で食べたのは忘れられません。そんな経験を通して、白人がアフリカの人たちをどう扱うかを見てきました。人種に優劣はありません。それと同じように、ヨーロッパの料理とアジアの料理、どっちが優れているなんてことは比べることができない、と考えています。

例えば、アジアで仕事をしているイタリア料理のシェフが、地元で食べられている料理を食べずに、パスタばかり食べているというのは、一種の植民地主義であると私は思います。私は、色々な地元の食に興味があります。
そうした、子どもの頃の味の記憶は重要です。万が一、味そのものを忘れていたとしても、それは人格を形成するのに寄与しているのではないでしょうか。食というのは子どもが成長していく上で重要な要素ですし、その過程は、もっとも幸せな時間ではないでしょうか。人は、深く心に残っている食べ物を大切にすべきだと思うのです。

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