店は生活の一部。仕事をする父を見ながら育った幼少時代。

まずは比良山荘の開業の歴史からお聞かせください。

伊藤氏:この店は、昭和34年に祖父が開業したのがはじまりで、そのあとを父が継ぎ、僕は三代目になります。
祖父が開業した時は比良山へ登る、登山者向けのお宿としてオープンしたことが始まり。ですから、当時は料理を主体にした店ではありませんでした。
店の屋号が「山荘」なのはそのためですし、いまでも宿泊して頂くことができます。

そして僕が生まれ育ったのも、本当にこの店の中。店の調理場が家のキッチンを兼ねていましたし、お風呂もお客様が入るお風呂に入っていました。まさに店の中に住んでいるようなものです。
店が生活の一部として、仕事をしている父をとても身近な存在として感じながら育ちましたから、大きくなる過程で自然と「自分もこの店を継いで行きたい。」という気持ちになりました。

いまの比良山荘の料理に繋がるベースは、父の代になってからのことです。
京都で料理修業をした父が鮎料理を出すようになり、「鮎の比良山荘」として名前が売れ始めました。そして夏には京阪神から鮎を食べに来るお客様も増えはじめ、次第に比良山荘はお宿ではなく料理屋として少しずつ知られるようになりました。

しかし、料理屋として軌道に乗りかけより一層飛躍していこうというその時に、父が病気で急死してしまったのです…。

当時は父と母、お手伝いのスタッフがいる程度の家族経営をしていましたから、母は比良山荘を守るため、料理人を雇い、父の作った料理屋としての比良山荘を維持したのです。
その当時、僕はまだ小学6年生でした。ですので、僕は父から仕事を教わったり、料理を受け継ぐということはできなかったのです。

その後はどのように料理の道に入られたのですか?

伊藤氏:僕も長男で「店の跡取りに」という風に育てられた部分がありましたし、それが当然だと捉えてましたから、自然と進路選択は調理師学校へと進みました。
卒業後は、家の事も手伝ったり、多少他所様の店でも修業をしましたが、あまり経歴にあがるような修業時代というのはありません。

いくつかのお店で数年働いた後は、母や比良山荘が気がかりだったということもあり、比良山荘に戻りました。
比良山荘へ戻った時は、その当時のお店を切り盛りして頂いていた料理長がいましたので、しばらくはその方と一緒に働くという形です。
僕が調理場だけでなく、経営に関することもすべて任されたのは27歳の頃でした。

お客様に支えられ、指導されながら、新しい鮎料理の形を模索。

店を任されてからはいかがでしたか?

伊藤氏:店を継いだ当時は父の代で築いた鮎料理がありましたので、夏場はそれを求めて来られる食通のお客様が来てくださり、夏場だけ忙しい比良山荘という具合でした。
今振り返ってみても、30年も前からお客様によく可愛がっていただいたなと思います。
といいますのも、当時は今よりもアクセスしづらい場所で来難い場所でしたし、僕自身も料理人としてまだまだ未熟でした。
それでもご来店頂いていたというのは、都会にはない何かを求めてご来店いただいているお客様だったのだと思います。
お客様に励まされ、応援され、時には僕に対して助言をくださったことが、今に繋がっています。

あるお客様から、「ここには東京のお店には真似出来ないような素晴らしいものがあるじゃないか。」とおっしゃっていただいたことがあります。
例えば、鮎に関して「なぜ鮎の塩焼きを二匹しか出さないの?」と言われたことがありました。「鮎料理を楽しみに来ているんだから、もっと鮎を食べさせて欲しい。」と。
そこで次に鮎をたくさん使い、色んな料理にしてお出ししたところ、「せっかくの新鮮な鮎なんだから、鮎の本当の美味しさがわかる、素朴でシンプルな料理にしてほしい。」とダメ出しされたのです。

その時に、ああ、そうか!と思いました。
その当時の僕は、食材に手を加えれば加えるほどいい料理ができると勘違いしていたのだと思います。流行りの技法や調理方法を取り入れ、鮎をこねくり回すことが料理だと思っていたのです。
料理をやっていると、どうしても技術を見せたいという気持ちが出てしまいます。ですから僕も多分にもれず習得した調理技術を駆使した料理を提供していたんですね…。

しかし、お客様はわざわざこの山奥にまで来て、僕のこねくり回した鮎料理を食べたいと思って来てるわけではないですよね(笑)

誤解してほしくないのですが、そういった料理がダメだというわけではありません。
手の込んだ素晴らしい料理や、お店があることはもちろん分かっています。
ただ、比良山荘に、それは求められていないことを知った。ということです。

その当時鮎を少し洋風にアレンジした料理が流行ったことがありました。もちろんそのお料理がだめなわけでも、まずいわけでもありません。しかし、比良山荘でそういった趣向を凝らしたお料理を提供してもチグハグになるだけだったのです。

この比良山荘でしか食べれない料理があるんじゃないか。それをお客様に問われて気づかせてもらったのです。
鮎であれば、自然の中で育まれた”鮎そのまま”を美味しく食せるような…。
鮎本来の美味しさを提供するということを突き詰めると、無駄に手を加えるのは無粋であるというところにたどり着いたのです。

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