導かれるまま進んだ料理への道

料理の道に進もうと思ったきっかけは何でしょうか?

宮澤氏:
もともと両親が寿司店を経営していたんです。その影響もあって、小学校の作文では「将来は料理人になりたい」と書いてました。中学校に入ってからは店の手伝いをしていましたし、逆にサラリーマンってどうやったらなれるんだろう?といった感じでしたから自然に高校3年生の進路決定でどこかのお店に入って修業するということで決まりました。

料理の専門学校に進もうとは思わず?

宮澤氏:
店の手伝いをずっとしていたので、料理の専門学校に行くという選択肢はありませんでした。親に負担をかけることに気兼ねもあったので、相談もしなかったと思います。高校を出てからの就職先も、父が市場の人から紹介してもらった店で働かせてもらうことになったので、いち早く現場で学びたいという気持ちのほうが強かったです。

お父様はやはり将来的には店を継いで欲しいと?

宮澤氏:
初めはそう思ってなかったみたいです。父に料理の道に進みたいと話をした時に、意外だったのですが「サラリーマンがいいんじゃないか」と言われました。でも、最終的には、「料理の道を目指すなら、まずは皿洗いを3年くらいする覚悟で行きなさい」とお店を探してきてくれたので、僕もその心つもりで入店させてもらいました。

最初に入られたのはどんな感じのお店だったのでしょうか?

宮澤氏:
地元神奈川にある寿司割烹店で、100人くらい入る大きな店でした。10人くらいの料理人が働いていて、中学校を卒業してそのまま入店している料理人が多かったので、僕の先輩には年下もたくさんいました。

入店した当初は父の言っていた「皿洗いを3年くらいはする覚悟」でいたのですが、実家を手伝っていたこともあり、 それなりに包丁が使えたようで色んな持ち場を任せてもらえるようになりました。それはそれでよかったのですが、このままで本当にいいのだろうか?という漠然とした思いがありました。

恋焦がれた京都で、思わぬ挫折

その漠然とした思いは解決されたんですか?

宮澤氏:
半年くらいたった頃、たまたま京都に行く機会がありました。その時、祇園の町を見た瞬間、「なんだここは!僕は京都に来なきゃいけない!」っと猛烈に思ったんです。そこからは京都のことで頭がいっぱいになって。もうすぐにでも京都で修業がしたくて、父に相談したんです。怒られるかなと思ってましたが「行ってみたらいい」と言ってもらえたので、お世話になっていた店を1年で退職させてもらい、京都に行く決意をしました。

京都には何か伝手があったんですか?

宮澤氏:
まったくなかったです(笑)。今思えば無謀以外の何物でもないのですが、京都のお料理屋さんにいきなり「僕を雇ってください。何でもします!」っと直談判したんです。やる気さえあれば大丈夫だろうと自信もって行ったのですが、対応してくれた女将さんに不審がられ、なんとか店の大将に会わせてもらうことはできましたが、「お前みたいな横着者、知らんわ!」「普通は誰かに紹介してもうとか、そういった信用が大事。出直せ」と言われ…。
一大決心をして気負っていただけに、ショックでした。それで結局、一旦神奈川に帰ることにしたのです。

戻られてからはどうされたんですか?

宮澤氏:
神奈川に戻ってからは、懐石料理のお店で働かせてもらいました。小さな店だったので大将と2人で料理を仕上げるお店でした。その大将が器に詳しい方で、色んなところに連れて行ってくださり、本歌(※1)と言われる物の素晴らしさを学ばせてもらいました。

京都で働くことは諦めてなかったので、行く先々で「僕は京都で働きたいんです」っと思いを語ったりして。ただひたすら京都の空気を感じたくて、深夜バスに乗って毎月京都には通っていました。それから2年ほどが経ち、ようやく京都ホテルオークラを紹介してくださる方が現れ、念願の京都での修業を始めることができました。

※1:本歌
器や茶器には、起源または基準となる作品があり、それを本歌という。

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