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野球少年だった福岡時代。ふとしたきっかけで料理の道を目指す
ご出身は福岡だそうですね。幼い頃から料理人を目指されていたのですか?
大渡氏:福岡には高校卒業までいましたが、小中高野球ばっかりやってましたから、学生らしくプロ野球選手になりたいと、野球以外に特に何も考えてなかったですね。
高校3年の夏の終わりくらいに監督に「お前何がしたいんだ?」って言われて。
「あ、野球以外も考えとかなあかんな」って思って(笑)
昔、NHKのテレビドラマで「イキのいい奴」っていうのがあったんです。金山和彦さんが出てた板前さんの話なんですけどね。それが好きで見ていました。
特に飯食にこだわっていたわけではないですが、もともと物を作るのも人を喜んでもらうのも好きでしたし、会社員っていうのは性に合ってないし、いつか社長というか一国一城の主としてやっていきたいと思ってましたから、独立してお店を持つことができる料理人なんかいいんじゃないかなと思うようになりました。
そしたら学校の先生に「それじゃあ、料理人なりたいんだったら、料理学校行ったらどうだ?」と言われたんです。
当時は、中学を出たら板場へ修業に出るっていうのが当たり前の世界だったんで、そういう奴に負けないようにするんだったら、料理学校へ行ったほうがいいんじゃないのかと。それで、大阪・中の島にあるTEC日調に行くことになりました。
料理人を目指すということについてご両親の反応はいかがでしたか
大渡氏:父には大反対されました。というのも、うちは両親とも大手企業で働いたこともあり、やはり会社員になってほしかったみたいです。でも僕が卒業する時に突然料理人になるろ言ったもんだから、父にはさんざん反対されました。
安定した進路があったのに、思い切った決断をされましたね
大渡氏:自分の思いを大事にしたわけですから後悔はないですが、僕らの時代は今では考えられないくらい厳しい世界でした。朝8時から仕事が始まって、休憩30分くらいしたら、終わるのが1時か2時。そこから片付けをして。延々と動きっぱなし立ちっぱなしです。ですからやはり「つらいな」と思うこともありました。
しかし「だから言ったじゃないか」と親父に言われたくありませんでしたから。それで続けた部分は大きかったです。
ですから「やめたいな」と思ったことは一度もありませんでしたね。
フレンチや中華などいろいろありますが、なぜ和食を選択されたのでしょうか
大渡氏:僕が観てたテレビドラマが板前さんだったので板前さん以外考えていませんでした。周りも8割近くが和食を選んでました。和食以外を選ぶのは家がお菓子屋さんだからパティシエとか、家が中華だからとかでしたね。
調理学校に入学されてみて、いかがでしたか?
大渡氏:学校では、わりと優秀だったんですよ!?(笑)
学校で学生対抗の全国大会の選抜あるんですが、選ばれたこともありました。
しかし、就職活動に興味なくて卒業後の進路まで真剣に考えれず。最後に就活したらいいやと思っていました。
料理人の家に生まれたわけではないですし、なんとなく食い倒れの街大阪っていうだけで大阪を修業の舞台に選んだくらいでしたからね。
当時、学校に行きながら働かしてもらっていたお店があるんですが、住み込みで働かせてもらえる店だったんです。僕が行っていた調理師学校は全国から料理を学びに来る学生が多かったんで、同じような境遇の友人も数多くいました。
調理師学校を卒業した後はそのお店にそのまま就職しました。とにかく料理ができる現場で働きたかったんです。
そこはどのようなお店だったんですか?
大渡氏:気安く行ける和食屋さんみたいな感じです。お昼は800円の定食。夜は5000円か8000円の単品主体のお店で決して安くはないけど、高過ぎでもないといった具合のお店でした。
その最初の修業先のお店でどれほど勤められたのですか
大渡氏:5~6年いました。割と上がポンポンと辞めて、2年か3年で料理長を任せてもらえるようになりました。その当時から独立も意識していましたから、自分を高めようと思い、利き酒師やソムリエの資格をとったり、簿記をとったりもしました。
かなりアグレッシブだったんですね
大渡氏:空前のワインブームで和食の人でもソムリエの勉強をしていました。
吉兆さんの料理人さんと学校で知り合いになったりしました。その出会いがきっかけでそれまではしていなかった、話題の店や、老舗のお店などにソムリエ仲間と食べ歩きするようになったんです。
でもね、その頃、実は和食ってそれほどおいしくないと勝手に思っていたんです。まだ20代そこそこの若輩者だったというのもありますが、お浸しを食べても美味しいと思わないし。固定概念で和食ってそんなもんだと思ってたんです。
しかし、実際にいろんな店に食べ歩きしてたら目から鱗で「なんだこれは!」となったんです。行った店、行った店おいしいんですよね。自分の考えているような和食ではありませんでした。