出張料理人・フレンチシェフ稲垣直也さん

■稲垣直也氏プロフィール■
1985年、愛知生まれのフレンチシェフ
辻調理師専門学校卒業後、「Clos des sens」(仏・二つ星レストラン)、東京西麻布の高級レストラン、東京六本木の高級ホテル、名古屋のビストロやカフェ、名古屋駅のバイキングレストランを経験後、出張料理人として独立。
メディア出演:名古屋テレビ『UP!』の出張サービス特集で取材され、注目を集める。

  • YouTuber
  • インスタグラマー
  • パラレルキャリア
  • 副業解禁

近年、これまでは考えられなかったような新しい言葉や働き方が生まれました。
こうした“働き方の変化”は、料理人の世界にも起きています。

まず、料理人の独立スタイルが「自分のお店を構える」という形だけではなくなりました。
今回は、東海地区を中心に、お店を構えず依頼主の指定した場所に出向いて料理をする「出張料理」をメインに活動している“出張フレンチシェフ”の稲垣直也さんに、「現代の料理人の働き方」についてお伺いしました。

これから料理の道を志そうと思っている方、料理人として今後どう展開していこうか考えている方にとっては、新しい働き方のヒントになるはずです。

料理をはじめたきっかけは叔父が作った“アメリケーヌソース”

アメリケーヌソース

「アメリケーヌソース」( 画像提供:稲垣直也)

───料理をはじめたきっかけを教えて頂けますか?

稲垣氏:小学校のときからモノを作るのが好きでした。当時は料理人ではなく映画製作のスタッフに憧れていたのを覚えています。

“モノを作るのが好き”という気持ちが料理に向いたのは高校入試の時でした。
フレンチシェフの叔父が「受験に合格したらコース料理をつくってやる」と約束して合格祝いで作ってくれた、伊勢海老のグラタンと一緒に食べたアメリケーヌソースの味が忘れられなくて、「自分も将来こんな料理が作りたい」と思うようになりました。

12年修業したフレンチシェフとしての腕を活かすには?挑戦の日々。

「修業時代に担当したケータリングが今に活きている」(画像提供:稲垣直也)

───どういったきっかけで出張料理をはじめたのですか?

稲垣氏:元々、出張料理をやろうと思って独立したわけではありませんでした。修業中はずっと自分のお店を持つことを目標にしていました。

そして、いざ独立しようと思ったときに、お店の開業資金にかかる膨大な諸経費を目の当たりにして「この時代にこの金額を返しながら生活していけるのだろうか」と思ったんです。

そこで「固定の店舗がなくてもフレンチシェフとして独立できる方法はないものか」と考え、レシピブログの執筆・イベント出店・料理教室・出張料理など、さまざまな挑戦をしました。
12年修業した“フレンチシェフとしての腕を活かす方法”を思いつく限りの全て試したんです。その中でうまくいったのが出張料理だった、ただそれだけです。

───”出張料理人”というスタイルで独立してみて、飲食店で働く・独立して店舗を持つという“一般的”な料理人とは違うと感じることはありますか?

稲垣氏:ぼくの場合、カフェや高級ホテルのケータリングなど色々な経験が活きたのが出張料理でした。

出張料理人という働き方はまだメジャーではないかもしれませんが、お店で働く料理人と本質は変わりません。
美味しいものを作って喜んで頂けるようにという他者貢献の気持ちと、イメージ通りに料理が仕上がったときの料理人としての充実した気持ちは出張料理も店舗で料理を作るのも違いはありません。

また、最近では料理配送サービスなどの登場により、お客様が家を出なければならない理由が減ってきました。
こういった現在の時代背景に合っているのが「出張料理人」なのではないかと思います。

お客様に「迎え入れられる」出張料理人だからこそ得られる喜び

「人気メニュー“15種類の季節野菜のガルグイユ仕立て”」(画像提供:稲垣直也)

───出張料理人としてやりがいを感じる瞬間というのはどういったときですか?

稲垣氏:お客様が自宅でリラックスされている時にお料理ができることが何より嬉しいです。
お店でお客様を“迎える”立場だった時は、かなりの常連さんになって頂いてもどこか少し気を張った“対談”に近いようなイメージでした。

ですが、料理人がお客様のご自宅に“迎えいただく”ことで、本当にリラックスして食事を楽しんでくださります。
ご自宅なので、かしこまることもありませんし、お客様のダイレクトな感想を伺うことができます。
これは出張料理人だからこそできる体験だと思っています。

───出張料理で大変に感じることはありますか?

稲垣氏:やはり移動は大変です。笑
パーティー料理になると食材の重さだけで10kgを越えることもありますし、最寄りの駅まで電車で移動してそこからお客様のご自宅までのさらに距離がある場合も。

また、混み合っている時間帯の電車移動や、大きなクーラーボックスの車内持ち込み、エレベーターのない駅での階段移動なども大変です。笑

移動のようなイメージしやすい大変さもありますが、やはり出張料理で1番大変なのは毎回料理するコンディションが違うことです。
お客様のキッチンをお借りするので、IHかガスコンロかの違いからはじまり、調理道具の位置、器の種類などが毎回違います。

お店で働いていた時は、勝手をよく知るキッチンと器を使っての料理だったので、調理環境への対応は出張料理の1番大変なところだと思います。もちろん、楽しいところでもあるんですけど。
例えて言うなら、今日はiPhone、明日はアンドロイド、明後日はタブレット、その次の日はらくらくフォンというように、日頃1番使うものが毎日変わるような状態です。

料理人は「器にならずに水になれ」

「出張料理では祝い席、家族行事などさまざまなシーンに柔軟に対応します」(画像提供:稲垣直也)

───料理人として大切にしている考えはありますか?

稲垣氏:「水を本として」
これは宮本武蔵の“五輪書”の水の巻に記してある名言です。現代の言葉にすると「水のように変幻自在を本意とする」という意味です。

ここに料理人としてのぼくの言葉を付け加えて「器にならずに水になれ」と、常にこころがけています。出張料理人は、毎回キッチンや器が異なるので柔軟な対応を迫られる場面が多いです。
そしてこれは出張料理だけでなく、料理という仕事全般に言えること。
料理には“正解”がありません。お客様に合わせて味付けや盛り付けを変えますし、「これでいい」が存在しないのです。

だからこそ、料理人はそれぞれの“器”に合わせる“水”にならなきゃいけない。水には「こうあるべきだ!」という意識がありません。常に形を変えます。流れるし、気化するし、凍るし、沸騰します。
時代やお客様、材料や調理道具が“器”だとすれば、料理人の腕も“水”のように柔軟でなければいけないと思っています。

───今、料理の道を志している方や、これから独立を目指す料理人に何か伝えたいことはありますか?

稲垣氏:飲食業は、決して楽な仕事ではありません。労働時間は長くなりますし、12月の年末シーズンには休みを充分に確保するのもなかなか難しいでしょう。
でも、情報を探すのは簡単な時代になってきました。魚のおろし方もYouTubeで見ればわかる時代なので、先輩に教わらなければいけなかったことも自分で情報を仕入れられるんです。
これまで「料理人修業は10年かかる」とされていましたが自ら学ぶ姿勢があれば、努力次第で3~5年で「手に職がある」という状態になれると思います。
つまり、20代で独立することも可能なんです。大切なのは、その5年を頑張れるかどうか。

その先は自分次第。大変なのは変わりませんが、楽しいですよ。笑

これまでいろいろな職場で働かせていただきましたが、ひとつの現場だけではわからないことがたくさんありました。
高級店で働きたいと思っていたとしても、実はカフェのほうが楽しいかもしれない。自分に合った飲食の業態を探すことも大切なので、ひとつの職場を辞めることは決して悪いことではありません。
色んな業態で働いて、自分のやりたいことと提供したい相手をマッチさせるのが大切なんだと思います。

現代の料理人に大切なのは、お客様に”食べてもらうまで“をデザインすること

稲垣氏近影(画像提供:稲垣直也)

───最後に、飲食業界について思うことがあればお伺いさせてください。

稲垣氏:技術も発達し、チェーン店でも高級店でも“不味い料理”はない世の中なので、味だけで勝負し続けてしまうとみんなが疲弊すると思っています。
料理が美味しいのはある意味“大前提”で、現代において料理人が大切なのは「料理人だからこそ料理じゃないことにも注力するべき」だと思います。作って満足ではなく、せっかく作ったその”美味しい料理”を食べてもらう努力、知ってもらう努力が必要です。

ぼくは、お客様に食べてもらうまでが料理人の仕事だと思っています。
美味しい料理を作ったのに「なんで客が来ないんだ」では勿体無い。せっかく作ったその“美味しい料理”を食べてもらわないと意味がないんです。
料理人も、時代に合わせて働き方を変化させていく必要があります。「手に職」をつけて、変化し続ける時代のニーズ・流行り・環境・経済・人口に対して今の自分の力を柔軟に対応させていく。
これができればちゃんと結果がついてくるのではないでしょうか。むしろ、そこまでしないとこの先は戦いづらくなってくるんじゃないかと思っています。
ぼく自身、“食べてもらうまでの導線”を工夫、挑戦し続ける日々です。パソコンやITも料理人だからやらなくていいわけじゃない。一緒に頑張りましょう!笑

ぼくにとって“出張料理”は活動を展開する中で考えられた手段でしたが、飲食の働き方はまだまだ新しいものが出てきてほしいなって思っています。
もっともっと斬新なアイディアが出てきてほしい。そのときは遠慮なくパクらせてください。笑
自分自身もまだまだ柔軟にスタイルは変えていきます。

───本日は、貴重なお話をありがとうございました。

稲垣氏:こちらこそ、ありがとうございました。

編集後記

ITやAIの発達によってこれまで当たり前に存在してきた仕事がひとつずつなくなっていく中で、「料理人だからこそ料理じゃないことに注力する」という稲垣さん。その言葉通り、料理人が“これまで通り”を貫くだけでは戦っていけない世の中になってきているのだと感じます。

“料理人”という働き方も、時代と共に形は変わっていく。

しかしそれは決して悲観することではなく、より自由に自分の思う料理人の形を実現しやすくなってきたということではないでしょうか。

出張料理をはじめとした“柔軟さ”をもった料理人の方が1人でも多く成功し、飲食業界全体が盛り上がることを願います。

取材協力/ 出張フレンチシェフ 稲垣直也