村田さんと赴任先の料理人の方々
公邸スタッフと一緒に写る村田さん

公邸スタッフと一緒に

▼プロフィール
村田 晴児さん(1980年生まれ/大阪府出身)
2002年 23歳で料理の世界へ。地元のフランス料理店、関西のブライダル会社勤務
2013年 渡仏。グラン・テスト地方(当時アルザス)の『 La Table Du Gourmet 』(ミシュラン一つ星のフランス料理店)にて研修
2014年 帰国後『 La Maison de GRACIANI KOBE KITANO 』『ランベリーナオトキシモト京都』(ミシュラン一つ星フランス料理店) にて部門シェフとして従事
2017年 在ジブチ大使公邸料理人
2020年 在パキスタン大使公邸料理人 計4年間の公邸料理人期間を経て帰国
2022年 フランス料理レストラン開業準備のため富山県高岡市に移住。2023年春頃のオープンを予定

実体験から知る、その国の素晴らしさ

ー公邸料理人を志したきっかけを教えてください
20代後半から30代前半にかけて仕事や旅行での海外渡航が増えました。仕事で渡仏したことをきっかけに、さまざまな国で長期間働きたいという考えを持つようになりました。「専門料理(月刊誌)」で公邸料理人の募集をしていたことは、料理の世界に飛び込んだ頃より認識していたので、自身の気力が整ったタイミングで一念発起し、国際交流サービス協会とコンタクトをとったことがきっかけです。

ー赴任に際して不安はありましたか?また、不安はどのように払拭されましたか?
初任地はアフリカのジブチ共和国。アフリカ大陸に渡ったこともなければ、ジブチを赴任地として紹介された時に、国名すら知らなかったほどです。インターネットで調べても有力な情報は皆無に等しい状況でした。そんな中での赴任だったので、毎日の暮らしすら見えないのではないか?と思うほど全てにおいて不安でした。
しかし、大使夫妻や、執事である公邸職員との良好な関係性を築くことにより『案ずるよりも産むが易し』という言葉が正にこのことだと実感できるほど順応していきました。

ー赴任先の国について詳しく教えてください
ジブチ共和国とパキスタン・イスラーム共和国の計2カ国の赴任でした。
見知らぬ土地への不安や、事前に見聞きする情報をネガティブに捉えてしまっていました。ですが、現地に行って自身が感じる事がリアルであり、現地の方々と触れ合うことでその土地の素晴らしさを感じ取ることができます。
初任地のジブチ共和国では、日本人である私が習ったばかりのソマリ語で挨拶を交わすだけで、現地の方々はとても喜んで下さいました。言葉や文化を覚えることが楽しくなりました。
パキスタン赴任前は、紛争のニュースが多く、緊張を抱えていたことは事実です。そんな真只中の赴任でしたが、現地の方々と触れ合うことで私の心も豊かになっていきました。日本の日常における些細な豊かさを見出すきっかけとなりました。
他方でムスリム圏であることは2カ国に共通することです。私は信仰心こそありませんがイスラム教の方々の生活様式を知ることで、さまざまな側面を学びました。宗教観に相違があったとしても、リスペクトを持って現地の方々と接することができたのが良かったです。

村田さんマイクでお話しされている様子

日本料理講演の様子

「手に入らない」からこそ創造力が生まれた

ー私生活も充実していましたか?
現地スタッフである公邸職員と、ほぼ毎日のように生活をともにすることで、家族のような絆ができました。海外の方は仲間へのホスピタリティ精神が強く、旅行だけでは絶対に体験できないような異文化交流や、ガイドブックに載らないような絶景ポイントへの訪れなどさまざまな経験をさせてくれました。
また日本国籍・外国国籍問わず、公的機関で働く有能な方々と親密になれたことで、自分自身の教養や価値観に幅を持たせることができました。

ー赴任先で困ったことはありましたか?エピソードがあれば教えてください
食材購入するにあたり、選べる市場やスーパーなどが少なく、自分が表現したい料理があっても手に入れられない食材があることも実情です。そこで、自身が現地のスーパーの店員さん方と深く親密になれるよう、コミュニケーションを積極的にとりました。すると、普段と違うものを輸入してもらえたり、食材調達を助けてもらうことができました。
ジブチ共和国ではインフラが整っておらず、少量の雨でも洪水になることがしばしば。洪水が起きた際に、公邸が床下浸水に見舞われました。重要な調度品などを守ろうと、真夜中に大使と二人で重労働しながら、洪水対策をしたのは今となっては笑い話です。

ー村田さんにとって、公邸料理人とは?
私のように開業をめざす料理人にとって、この経験がのちに活かされる仕事だと思います。恵まれた環境でも辺境の地でも、公邸料理人は自分自身が責務を負わなければなりません。重要な任務ですが、お仕えする大使より『貴方の料理があるからこそ外交が円滑に進められた。外交活動の大きな一助であった。』と、お褒めの言葉を頂戴した時、責務を全うできたと満足感を得ることができました。料理人としての職業的価値を高めてもらえる場所だと思います。

ー仕事において、工夫したことを教えてください
食材・調理環境など、満足に揃っているわけではありません。私が赴任した2カ国は特に食材調達に関して難しさを感じていました。お招きするゲストの方々は各国の要人がほとんどで、多様な食文化への理解度も高いですが、自国の食文化との違いに困惑される方も少なくありません。そういった中で事前にヒアリングをお願いし、食の好みや宗教観なども考慮したメニュー作りを意識しました。そうすることで、その国の文化に寄り添いながら、日本人のエッセンスを加えたフランス料理の提供へと繋げることができ、自分自身の引き出しも増やすことができました。

村田さん赴任先の方々との講演後の記念撮影

講演後の記念撮影

公邸料理人のキャリアは信頼に繋がっている

ー料理人としてのキャリアにどのような影響がありますか?
公邸料理人という仕事は公私会食をはじめ、大使夫妻のサポート、公邸内の厨房管理、公邸スタッフとの連携など多岐に渡ります。
この職を通じて学んだホスピタリティや経験は模倣困難性の高い部分であり、今後のキャリアにおける強みとなると確信しています。また、多種多様な食文化や宗教観に触れることで先入観や固定概念を取り払い、料理への向き合い方がより柔軟なものへと変貌を遂げました。
また、自身の開業を進めていく中でいろいろな方々と知り合い、公邸料理人のキャリアを知っていただくことで私自身の信頼度も上がり、より協力的にご支援いただけるようにもなりました。

ー村田さんの【今】を教えてください
現在は、フランス料理レストランを開業するため、去年家族とともに富山県高岡市に移住してきました。2023年春頃のオープン予定です。
公邸料理人という仕事は、機会があれば再度チャレンジしたいですね。見知らぬ土地で自分がどれほどの力を発揮できるのか見てみたいからです。公邸料理人に必要なことですが、基本的なスキルはもちろんのことコミュニケーション能力と柔軟な対応力だと経験則より学びました。こういった部分は私の強みでもあり、力を存分に発揮できる仕事だと思います。

ー最後に、目標を教えてください
自分のレストランのオープンを迎え、地道に努力し全国的に有名なレストランへと成長することです。そこから公邸料理人とはまた違った道で世界に羽ばたきたいと思います。そしてこのレストランでともに働いてくださるスタッフが、公邸料理人をめざしたいと思えるようなシェフに成長したいと考えています。

まとめ

公邸料理人として、さまざまな国で経験を積まれた料理人3名。料理の世界に入ったタイミングや経歴も異なりますが、「公邸料理人として得た経験は何ものにも代え難い」と話してくださいました。「食の外交官」と呼ばれ、食を通じて日本の文化や習慣を紹介している公邸料理人。環境や食材に困難があっても創意工夫を繰り返し、解決の糸口を見つける姿は、「料理人ってかっこいい!」の一言に尽きます。
公邸料理人に興味がある方だけでなく、飲食業界で頑張る全ての方に当記事を読んでいただきたいと思います。

そして、公邸料理人に登録したい、話を聞いてみたいと思われた方は、ぜひお問い合わせください。
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