村田さんと赴任先の料理人の方々
料理を持つ松田さん

会食ゲストと一緒に

▼プロフィール
松田 一草さん(1970年生まれ/兵庫県出身)
1994年 テレビ制作会社勤務
1996年 ミス小樽
2002年 プーケットリゾートホテル VIP応対コンシェルジュ
2005年 バンコクの日本食レストランでフロアーマネージャー兼調理担当
2008年 結婚を期に帰国。キャノン事業部委託 マクロビオティック調理提供
2010年 とうふやうかい亭調理補佐 
2014年 調理師免許所得を期にプライベートシェフとして著名な方々や会社経営者の普段の食事、パーティー料理の調理を経験
2016年 在シドニー総領事公邸料理人
2019年 在ボストン総領事公邸料理人
2022年 任期満了帰国

プレッシャーをはねのけた行動力

ー公邸料理人を志したきっかけを教えてください
ライフスタイルの変化にともない、新たな人生を考えていました。子育てをしながら料理の仕事を続けることは難しく、転職も視野に入れていた時に声をかけていただいたのがきっかけです。それまで公邸料理人という仕事は知りませんでした。当時は女性の公邸料理人も少なく、女性を指名してくださる大使はいるのか不安でしたが、国際交流サービス協会の担当の方が理解を示してくださり後押しもあって、思いのほか早く赴任先が決まりました。

ー赴任先が決まった際に、不安はありましたか?
最初の頃はメニュー考案から買い出し、料理の準備など全て一人で担なわなければいけないというプレッシャーがありました。それまでは料理を作っても味を見てくれる人がいる、器一つにしてもこの料理にこの器で良いのか相談できる人がいるという安心感がありましたので。
また、海外で日本食といえば寿司やラーメンという印象が根強いですが、最初の赴任先であるシドニーでは、どのような日本食が好まれるのか分からなかったんです。
総領事とも相談して、最初は同じメニューを何度もお出ししながら少し味を変えてみたり、盛り付けに変化をもたらしてみるなど試行錯誤を繰り返しました。
シドニー市内にはたくさん日本食店がありますので、休日はお店に行き、お客さまが何を注文してどのように召し上がるのかを観察していました。現地の料理人とも交流するようになり、少しずつ現地の方の嗜好が分かってきて、会食にお出しする料理が構築できたと思います。

松田さん柿を使用したお料理写真

ー赴任先のオーストラリア・シドニーはいかがでしたか?
海外で暮らしていたこともありますので、生活する上での不安はありませんでした。高校生の時にオーストラリアからの留学生を受け入れたこともあって、私もいつかオーストラリアに住んでみたいと思っていました。
すっかりそのことを忘れていましたが、たまたま最初の赴任地がシドニーになったんですね。赴任してすぐは慌ただしく、仕事にも慣れてきた頃に「あんなに行きたいと思っていたオーストラリアに今私いるんだ!」って実感が沸いてきたんです(笑)。
イメージしていたようにオーストラリアは気候も良く、人々ものんびりしています。私は浜育ちなので、忙しい時にも海を眺めているだけで気分が落ち着きますね。

ー2公館目のボストンでの仕事、暮らしは充実していましたか?
シドニーと同じくボストンも港が近いので、シーフード、特に牡蠣が美味しかったです!休日はテニスをしていました。私のテニスのパートナーは73歳のロシア人で元気なおじいちゃんです。一緒にダブルスの試合にも参加していました。公共のテニスコートや公園が至るところにありますので、休憩時間にお散歩に出かけることもありました。休日に小さなお子さんを連れて家族でテニスをしている光景などを見ていると、近くに家族で遊べる場所があるのは良いなと。公私の切り替えができました。

心に残る”一品”を生み出すこと

ー仕事面や生活面で困ったことはありましたか?
私が赴任したのは先進国でしたので、日本の食材店があり、日本の市場から鮮魚を取り寄せることも可能でした。ただコロナ禍以降はほぼ会食はキャンセルとなり、少人数での設宴ができるようになってからも日本食材店は閉まってました。日本からの仕入れもストップし、近くのスーパーで食材を購入しなければなりません。手に入る食材だけで献立を立てるということが、とても勉強になりましたね。
生活面では、公邸がある場所は大抵閑静な住宅街ということもあり、散歩をしながら素敵なお屋敷やお庭をいつも眺めていました。ただ、近くのスーパーまで歩いても片道1時間近くはかかりますので大変でした。日本は本当に便利ですね。

ーどのような”やりがい”を感じていましたか?
私が心掛けていることの一つが「お客さまの心に残る一品を作ること」です。再度お越しになったお客さまから「昨年食べた豚肉の?なんていったかな~すごくおいしかった!」と声をかけていただくことがあります。どなたにどのお料理をお出ししたか全て把握しておらず、後で確認するのですが、私の作った一品がお客さまの記憶に残っていることは大変嬉しいですね。
日常では、大使ご夫妻のお食事を用意します。大使の嗜好や体調面を考慮しながら、お食事を作ることが公邸料理人として大切な務めです。食事の後に「いつもおいしいお食事をありがとう」と仰っていただけると、この仕事を続けていて良かったと思います。

ビュッフェ風景

公邸でのビュッフェの様子

ー今後のキャリアに繋がると思いますか?
両親は飲食店を営んでいましたが、私が料理人の道を歩みはじめたのは40歳を過ぎてからでした。他の料理人のようにきちんと修業を積んできたわけでもありませんので、技術的にはまだまだ未熟ですが、それまでの経験は公邸料理人になってからも活かされました。公邸料理人は数名の会食から数百名のレセプションパーティーを1人でこなさなければなりません。職員の方に「そんな馬力どこからでるの?笑」と言われたことがありますが、公邸料理人として成し遂げてきたことは必ず自信となり、今後のステップアップに繋がっていくと思っています。

本当の意味でのミッションはここから始まる

ー今後のことを教えてください
任期終了後は海外の日本食店で仕事をします。公邸料理人の時は基本1人でしたので、チームで仕事をすると大変な事もありますが、それ以上に学びもあります。フレンチや中華など私の専門外の料理人と仕事をして、新しい知識や技術を吸収したいです。
公邸料理人としては機会があれば戻ってきたいですね!「食の外交官」という上で、日本料理を他国に紹介することにやりがいを感じています。まだ世界中には日本という地名しか知らない人々も沢山います。そういった国に行き、日本の文化や料理を伝えるとともに、知らない国の文化や料理を学び文化交流を図っていきたいです。

ー松田さんの目標は何ですか?
女性料理人の育成、女性が働きやすい環境に配慮したお店を日本でつくることです。
海外に比べると、女性のシェフの数は少ないという現状があります。料理研究家や講師になる方はいますが、日本料理を専門とする女性料理人はほとんどいないでしょう。原因はさまざまですが、料理人が料理をする上で大切なのは”真心”だと思っています。プロと家庭料理は違うと言われますが、お母さんが家族に作る料理は真心がこもった料理ですよね。大人になっても心に残るお袋の味、その真心がこもった料理をつくるにも女性は適していると思います。
今は海外の女性シェフともSNS繋がり、どのように仕事と家庭を両立させているか話をすることもあります。これから料理人をめざす方やシングルマザーにも働きやすいお店を作ることが私のミッションです。

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