村田さんと赴任先の料理人の方々

大使や総領事の公邸が舞台となり、料理で日本の外交活動を側面的に支援するという重要な役割を担う公邸料理人。現在、世界各国で活躍している公邸料理人は200名以上です。先進国から発展途上国まで、その国の習慣や文化などを重んじながら、”日本食”の魅力を伝える重要な「食の外交官」。
当記事では、公邸料理人3名のインタビューを詳しく紹介します。

▼公邸料理人への登録については、こちらの記事をご覧ください
赴任先は150カ国(200ポスト)以上!「食の外交官」を募集中

天野さんお寿司イベントでの挨拶の様子

お寿司イベントでの挨拶の様子

▼プロフィール
天野 明幸さん(1981年生まれ/山梨県出身)
2000年 大阪あべの辻?調理師専門学校卒業、大阪市内数店舗で10年間の修業を積む
2010年 在カタール大使公邸料理人
2013年 ユネスコ日本政府代表部大使公邸料理人
2018年 在チリ大使公邸料理人
2020年 在エチオピア大使公邸料理人~現職

10年かけて叶えた公邸料理人という仕事

ー公邸料理人という仕事に就いたきっかけを教えてください
最初は、専門学校時代に仲良くしてくださった先生からの紹介でした。当時は修業6年目の時で、イタリア・ミラノの日本国総領事館で日本料理を作れる若い料理人を探していると聞きました。その時は、「格好良い!ぜひ引き受けさせて下さい!!」って思ったんですが、まだ修業途中ということもあり師匠や先輩、家族の反対もあって諦めてしまいました。
それから10年経ち、海外で挑戦したいという気持ちがさらに強くなっていたので、公邸料理人になることを決意しました!周りの反対で諦めたときは本当に残念でしたが、今になって思うのは、やはり日本でしっかり準備をするのが大切だということです。

ー赴任先が決まり、不安はありましたか?
少しありました。環境が分からず、言葉は?文化は?と。赴任先の中東はネガティブなニュースが多かったので、安全なのか?と。でも、考えていても仕方ないので、行ってから対応しようと切り替えました。実際は異国の地で仕事が出来る喜びの方が勝り、不安は自然と払拭されたように感じます。

ー赴任先でのエピソードがあれば教えてください
カタールは怖いというイメージが先行していましたが、実際はとても親日的な国でした。オイルマネーで豊かな国になった礎にあるのは、日本の協力があったからこそととても感謝されています。ムスリムの方々は穏やかで優しい方が多かったです。
フランス・パリは美食の街ですので、料理人として貴重な経験でした。2013年12月に和食がユネスコ世界遺産に登録されたことで注目を浴び、とても忙しかったですね。自分の力不足が露呈して辛かったこともありました。良い思い出もありますが辛かった記憶も残っています。
南米の国チリは、米国から日本産食材が流通していたので、比較的日本料理は作りやすかったです。ワインも安くて美味しい。揚物好きな方も多いので、細巻きのてんぷらといった発想が刺激的でした。
エチオピアでは、日本料理の料理人として仕事をするのはとても難しいと理解していましたが、せっかくの機会なので最後に挑戦してみようと決意を新たに赴任しました。首都のアディスアベバは標高が2600mの場所にあるため火力が弱いんです。そういうことは実際に行ってみないと分からないですね。手に入る食材が限られること、標高が高い環境、衛生面での課題など気をつけることが多い中での仕事です。
現在は赴任3年目を迎え、現状を理解しながら創意工夫の真っ最中です。欧米諸国の人々は和食に慣れ親しんでいるイメージがありますが、アフリカのお客さまも和食を楽しむ人が増えているように感じられて大変嬉しいです。

仕事の一つひとつが”やりがい”に繋がる

ー赴任して良かったこと、困ったことはありましたか?
日本で仕事をしていた時よりも時間が取れたのと、色々な国に行けるのが楽しいです。もちろん現地の料理を実際に食べて勉強できるのも公邸料理人冥利に尽きます。
困った事は多少ありました。ただ、日本と比べるから困るという感じですので、今ある環境の中でベストを尽くすのがプロフェッショナルだなと。どのように対応するのか、そこに料理人としての技量がでると思います。知識や経験を基に日本のように対応するのも大事ですし、そもそも環境が違うので無理という判断を割り切ってするのも大事ですね。
海外に出て本当に思い知らされるのは、日本がどれだけ素晴らしい国かということです。赴任先と日本で困った事を比べてみると、困りごとのレベルが全然違いました。

ー天野さんが感じた公邸料理人としての”やりがい”を教えてください
公邸では普段の大使夫妻のお食事にはもちろんのこと、会食で招かれた赴任先の要人の方々に対する「おもてなし」を心がけていました。レセプションでは、日本料理の素晴らしさや日本の文化を紹介しています。さまざまな国で料理をつくりましたが、個性溢れる食材に触れることが、学びに繋がりますのでやりがいがありますね。
寿司やてんぷらを料理して見せたり、一緒に巻き寿司などを作るのも楽しいです。カタール・チリ・エチオピアでは、小学生を対象に食育の授業をさせていただいたのも、一料理人としてやりがいを感じています。

天野さん巻き寿司デモンストレーションの様子

巻き寿司デモンストレーションの様子

ー料理にはどんな工夫をしましたか?
大前提として、それぞれの食材と真剣に向き合うことが大切です。真剣に向き合うからこそ、その食材のキャラクターを感じられて、どうしたら美味しく出来るのかと工夫が生まれます。
同じトマトの形をしていても、国の気候や土壌の違いなどで性質が変わります。魚や野菜など、素材の声を聞くことによって、美味しく料理してあげられるのが料理人。普段の心掛け一つでさまざまな状況に対応できるようにしています。
料理の盛り付けを通して、日本の四季を感じてもらうことも重要です。タイミング良く日本で食材が手に入った時は、春なら桜の葉や花の塩付けを使用したり、夏なら紫陽花の葉っぱ、秋なら紅葉、冬なら朴葉を使用するなど前菜・八寸を先に用意して会食をスタートします。最初からお客さまの心を掴める様に工夫を重ねています。

大使、公邸職員への感謝を忘れず、次のステージへ!

ー公邸料理人の経験は天野さんのキャリアにどのような影響がありましたか?
日本料理専門の料理人としてさまざまな見方があると思っています。日本料理の本場はもちろん日本であって、世界一食事が美味しい国だと実感しています。それは、実際に海外でキャリアを踏んだからこそ見えてくるもので素晴らしい経験でした。大阪で一生懸命修業したからこそ、世界中の何処の国に行っても日本料理創りに真剣に向き合えています。今現在、公邸料理人として仕事をしているので今後どのように影響してくるかは未定ですが、最大限活かせるように努力していきたいです。

ー任期終了後の予定を教えてください
帰国後は故郷の山梨県でお店をします。公邸料理人として本当に貴重な経験をさせていただきましたので、この経験を自分の中だけで終わらせてしまうのは勿体ないと思っています。
料理を通して、今まで足を運んだ国々の映像や民族衣装といったツールを生かしながら、独自の料理店を開業できるようにしていきます。
さまざまな場所で沢山の人達の協力があったからこそ、どんな困難にも向き合えたと感謝しています。それは大使館の方々だけでは無くて現地の公邸職員さんもそうですし、ワガママな自分と一緒に頑張ってくれた皆さんへの感謝です。
「恩師に送るおもてなし」の精神で目の前のお客さまを笑顔にするために、努力し続ける料理人でありたいです。

天野さん巻き寿司デモンストレーションの様子

巻き寿司デモンストレーションの様子

ー天野さんの夢は何ですか?
不器用でノロマだった自分が料理人になれるとは思っていませんでした。でも沢山の経験をさせていただき、逃げずに向き合ってきたからこそ、素晴らしい道が広がったんだと思います。若い料理人達が、道の後ろをついてきてくれるのならこれ以上の幸せはありません。そういう人達に自分の知識や経験を通してお話ししていくこと。後進の育成。それが今の夢です。
日本の伝統文化の考えの一つに守・破・離の精神があります。大事な日本の文化を守っていけるような料理人でありたいです。
高校時代の恩師・大阪修業時代の師匠への感謝の気持ちを忘れず、自分の全力を伝えていきたいです。

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