須藤銀雅さんの厨房に立っている写真

バー専用にチョコレートを卸し、他では決して食べられないという、ユニークな販売方法を行なっている「アトリエAirgead(アールガッド)」。代表でショコラティエの須藤銀雅さんは、チョコレートを探求するうちに、カカオの焙煎から手がけるクラフトチョコレート(Bean to Bar)に興味を持つようになり、地元である青森県弘前市に、工房とショップ「浪漫須貯古齢糖(ロマンスチョコレート)」をオープンさせました。
独自のアイデアを実践する須藤さんのこれまでの道のりとこれからについて、お話を伺いました。

木苺トンカ、ナツメグシナモン、メープル、苺ハーブ、柚子紅茶の5種類のチョコレートの画像

弘前のロマンスチョコレートで販売されているボンボンショコラ。左のハート型のものから時計回りで、木苺トンカ、ナツメグシナモン、メープル、苺ハーブ、柚子紅茶の5種類。

しばしうっとりと見入ってしまうような、須藤さんの見目麗しきチョコレート。初めて出会ったのは、京都のワインバーでした。「チョコレートを召し上がりますか?」とバーテンダーが持って来た、アンティーク調の木箱の蓋を開けると、そこにはキラキラとまばゆいばかりに輝くボンボンショコラがずらりと鎮座していました。まるで秘密の宝物を見つけてしまったかのように、ゾクゾクと興奮し、心が躍り、気分が華やいだ印象が残っています。

食を制限されたことが、お菓子作りの原動力に

須藤さんは子供の頃から甘いもの好きで、チョコレートというよりも、むしろ和菓子、特にあんこが大好きだったそうです。ですが、須藤さんのお菓子への憧れが特に大きく募ったのは高校時代。
ボクシング部に所属していたのですが、とにかく減量がキツかった。部活が終わって、ヘトヘトで家に帰る途中にケーキ屋さんがあって、ショーウインドーの前を通ると、ケーキたちがまるで宝石のように輝いて見えました。当時はケーキの知識なんて全くなかったですが、ナパージュで艶がけが施されて、鏡みたいにキラキラしたケーキにすっかり心を奪われていたんです。自分もいつかこんな宝石みたいなお菓子を作ってみたい、という強い思いが現在に繋がっています」。
物腰の柔らかい今の須藤さんからボクシングは想像できませんが、そのストイックな精神はお菓子作りに生きているようにも感じます。一筋縄ではいかない、繊細で複雑な味わいが、須藤さんの作るチョコレートの持ち味。徹底的に素材を吟味し、厳密に味を構成していきます。

現在「アトリエAirgead(アールガッド)」で展開するボンボンショコラは、定番が20種類。さらにオリジナルで開発した店舗限定品などを入れると50種類を超えるそう。フェヌグリークやリコリスなど、あまり見慣れない素材や、味噌、昆布、焙じ茶などの和素材も使っています。
エレガントなデザインのボンボンショコラはモールドで型抜きを行い、ビジュアルにも細心の心配りをしています。BARという非日常空間にマッチするよう、ちょっと凝ったデザインのモールドを常に探して仕入れているそうです。細い刷毛や筆で何回かに分けて色付けなどの装飾を行い、ひとつひとつ細やかな手作業が行われています。

アールガッドの工房のモールドの写真

東京・中野にあるアールガッドの工房にはさまざまな形のモールドがたくさん!モールドの方が艶を出しやすく、着色が綺麗に表現できるそう。

化粧が施されたモールドの写真

化粧が施されたモールド。チョコレート用のスプレーガンや刷毛などを使い、何回かに分けて色付けする。ホワイトチョコレートで一層ハイライトを入れるなど、技術的なコツもある。

他の誰もやっていなかった、バー専用に作るチョコレート

須藤さんは高校卒業後、アルバイトをしながら専門学校へ通い、お菓子作りの技術を身に付けました。神戸の洋菓子店で6年働き、その後恵比寿のフレンチレストランの名門へ。そこで一時は大きな挫折を味わったそうですが、やはりお菓子作りは続けたい、と次に挑んだのがチョコレートの名店「ピエール・マルコリーニ」での仕事でした。
チョコレートは今まできちんと向き合ったことのない分野だったので、興味を持ちました。入ってみたら、結構面白くて。自分達が作るのは主に生菓子などが多かったのですが、仕事が終わった後、自主練的にボンボンショコラを作っていました。

須藤さんはお酒も大好きで、昔からバーにはよく行っていたそうです。バーに憧れ、バーでバイトをしていたこともあり、一時期はバーテンダーになりたいと本気で思っていたこともあるとか。マルコリーニで働いていた頃、知り合いのバーテンダーから「チョコレートを作っているのなら、うちにも何か作ってよ」と依頼されたことが、今に至る最初のきっかけでした。
東京にはすでにたくさんのチョコレート店があります。自分がやるなら、他の誰もやってないことをしたいと思っていました。お酒とのペアリングを考えるのは昔から好きだったし、だったらいっそバー一本に絞ってみたらどうかと考えました。
格式あるオーセンティックバーでは、本当は上質なチョコレートを扱いたくても、バーテンダーが忙しくて探しに行けない状況だったんです。そこに着目した人は、それまで意外となかったんですよね。まずは知り合いのバーからやり取りを始め、最初の頃は営業にも行きました。普通にお客さんとして店に行って、話してみて興味を持ってくれそうだったら、次はチョコレートを持ってきて試食してもらう、という感じです。数ヶ月は大赤字で苦しいときもありましたが、少しずつ取引先が増えて、10ヶ月経ってようやく黒字になりました

もう一人のスタッフと製造を行っている様子

中野のアトリエではもう一人のスタッフと製造を行っている。吉塚浩介さんは25歳。大学を卒業し、製菓・調理の専門学校へ行きながら働いている。「テレビで須藤さんを見て、ビビッと来てすぐ連絡を取りました。チョコレートは多様な味わいと芸術性を表現できるのが魅力。今後もずっとチョコレートに携わっていきたいです」

須藤さんは契約という形を取らず、毎回注文を受ける度に製造・発送を行っています。定期配送を行なっている店はありません。ですが実際にはリピートする店が多いそうです。必要とされているから作る。実にシンプルで潔い方法ですが、毎回が真剣勝負。相当の覚悟が必要です。
契約にすると、店側は本当はいらないのに送ってもらっている、ってこともあるかもしれない。毎回注文をもらったほうが、ちゃんとお店の役に立っていることを実感できて、自分の自信にも繋がります。要らなくなったらいつでも切り捨てられる緊張感はありますが、お互いが対等。モチベーションも全然違います

バーのカウンターに置かれたグラスとチョコレートの画像と箱詰めされたチョコレートの画像

ライターが訪れた京都のバーでは「アトリエAirgead(アールガッド)」のボンボンショコラが木箱に入って登場。見目麗しい姿に、しばし見とれてしまい、なかなか一つに決められない。結局二つ選び、オレンジワインとのマリアージュを楽しんだ。

では、バー専用チョコレートとは、具体的にどんなものなのでしょうか?
そのポイントとなるのは香気成分だそうです。
実際、須藤さんはチョコレートの香りの成分を細かく分析し、お酒と重なり合う部分を見つけて行く作業をしています。チョコレートもお酒と同じ発酵食品なので、発酵の段階で生まれる香気成分には共通のものがあることも。

例えば、フェヌグリーク(カレーなどにも使われるマメ科のスパイス)には、ソトロンという香気成分があります。ソトロンはシェリー酒にも含まれているので、シェリー樽熟成のウイスキーとフェヌグリークは合うのでは?などと発想しながら、チョコレートの素材の組み立てを考えていくのです。
実際にフェヌグリークを嗅いでみると、濃度が濃いときはカレーっぽい匂いですが、薄まるとメープルシロップのような香りに。そのバランス比率でも味わいが多様に変化します。

香気成分に注目してチョコレート作りをしている須藤さんは、日本香料協会にも所属し、専門誌の学術文献を読んで、常に勉強を続けています。

日本香料学会が発行する専門誌の写真

日本香料学会が発行する専門誌。各食品ごとの香気成分表が掲載されている。

突き詰めていった結果、カカオ豆から自分の手で

店舗を持たずにバーだけに卸す、という特殊な形態でチョコレートを販売している須藤さんが、2018年10月に自分の故郷である青森県弘前に初めて実店舗をオープンさせました。
店名は「浪漫須貯古齢糖(ロマンスチョコレート)」。
弘前の街には明治大正期の洋館が多く、そんな街の雰囲気とリンクさせ、古き良き時代を想起させるようなネーミングです。
チョコレートのパッケージには、弘前市内のさまざまな洋館の写真をモノトーンでデザインしています。これは須藤さんが自ら観光協会に話をし、各建物に許可を取って自分で撮影したものだそうです。おかげで特別な宣伝をしていないにも関わらず、観光関係者に気にかけてもらい、良い形で広めてもらえたといいます。

ボンボンショコラのパッケージの写真

ボンボンショコラのパッケージ。全て弘前市内の洋館や教会で撮影したもの。セピアカラーでコラージュし、大正ロマンの風情を漂わせている。

しかしなぜ、店舗を持つことにしたのでしょうか?
店舗というよりも、実は工房ありきなんです。Bean to Bar(ビーントゥバー)を本格的に始めたかったのですが、そのためには今の東京の工房は手狭で、もう少し広い場所が必要でした。バーに来るお客様は感度が高く、探究心の深い方が多い。そういう方々のためにチョコレートを作り続けていると、自然とクオリティが上がって妥協できなくなり、どんどん手の込んだものを作るようになっていきました。そこでカカオ豆に着目したところ、ますます面白くなって。豆から作る方が、より複雑な味わいを出せるし、自分ができることの幅も広がります

「浪漫須貯古齢糖(ロマンスチョコレート)」店内の写真

「浪漫須貯古齢糖(ロマンスチョコレート)」店内の様子。

新しい工房として考えたのが、自分の故郷である弘前。広い工房を手頃な家賃で持てるメリットもありましたが、東北にはまだチョコレート専門店は少なく、Bean to Barを手がける店は1軒もありませんでした。
昨年、久しぶりに地元に帰ったら、やっぱり弘前は自分にとって大切な場所で、何か地元の力になりたいという気持ちが強まりました。店を出せば雇用も生まれるし、地域の活性化に繋がるんじゃないかと。最近は若い人がやっているおしゃれな店も増えていて、街が面白くなってきていることを感じました。弘前って美意識の高い人が多いのか、美容院の数がとても多いんです。洋食や洋菓子店、コーヒーの店も多い。そういう街の雰囲気に、チョコレートはマッチするんじゃないかと思いました
地元に貢献したいという気持ちの強まりから、弘前に路面店を持つことはごく自然な流れだったようです。

須藤さん作のチョコレートオブジェの写真

須藤さん作のチョコレートオブジェが店のあちこちに飾られている。

東京と弘前で展開する2つのチョコレートブランド

「Airgead(アールガッド)」のチョコレートは、引き続きバー専用の卸しのみで、弘前でも販売はしません。一方で「浪漫須貯古齢糖(ロマンスチョコレート)」は、タブレットもボンボンショコラも全て弘前の店だけのオリジナルとして、カカオ豆の焙煎から自分たちで手掛けたものを販売します。

二つのブランドは完全に特徴を分けて考えられています。
お酒とのマリアージュにフォーカスしている「Airgead(アールガッド)」に対して、「浪漫須貯古齢糖(ロマンスチョコレート)」の方は、Bean to Barの特性を生かし、須藤さん自身が真に作りたくて、美味しいと思うものであることにベクトルを向けているそうです。

「浪漫須貯古齢糖(ロマンスチョコレート)」での細やかなこだわりの例を挙げてみましょう。
例えば、ボンボンショコラの味は、豆の特徴を捉えて構成されています。ベネズエラのチュアオ産のカカオは柑橘系の酸を感じるので<柚子と紅茶のガナッシュ>に。マダガスカル産のカカオはベリー系の風味があるため<イチゴとハーブを合わせたガナッシュ>に、といったように。
カカオの産地ごとに食べ比べができると人気のタブレットでも、ヴェネズエラ産カカオにはてんさい糖、ハイチ産カカオにはメープルシュガーなど、カカオ豆に合わせて砂糖の選択を変えるほどのこだわりです。

大正時代の東奥日報や弘前新聞をデザインしたレトロな印象のパッケージの写真

タブレットは、大正時代の東奥日報や弘前新聞をデザインした、こちらもレトロな印象のパッケージ。弘前らしさはあくまでさり気なく。

誰かの役に立つこと、喜んでくれることがやりがいだと須藤さんは語ります。
弘前の人は、クラフトチョコレート(bean to Bar)にまだそれほど慣れていません。だからまず本当に美味しいものを作ることが大事。カカオのことをもっと知ってもらいたいので、店内にチョコレート製造について説明したミニパネルを置いたり、カカオについての豆知識を載せた『カカオ新聞』というリーフレットを作ったりもしています。ここから発信して、弘前にチョコレート文化がもっと根付いていったらいいなと思っています

弘前の新しい店舗は工房としての機能強化を目的に作られ、当初は店の一角で少しでも販売ができれば……くらいのつもりだったそうですが、オープンと同時に地元の人が多く訪れ、連日品薄になってしまいました。ネットショップもオープンし、新作も少しずつ出してはいますが、やはりここしばらくは製造が間に合わない状態。落ち着いてきたら、イベントやワークショップもやってみたいそうです。

毎月一度は須藤さん自身が弘前の工房を訪れていますが、今のところ実家に帰る余裕はなく、店の近くに泊まって連夜作業を続けているとのこと。これからバレンタインに向けてチョコレート業界は忙しくなるばかりですが、須藤さんの作るチョコレート人気にも今後ますます拍車がかかるのではないでしょうか。

須藤さんと吉塚さんの写真

中野のアトリエにて、須藤さんと吉塚さんを記念にパチリ。

まとめ

お酒とのマリアージュに特化したチョコレートを作り、バー専用に卸して、他では食べることができない、というユニークな販売方法が特徴的で注目を集めていた「Airgead(アールガッド)」。
その次なる試みは、シェフ須藤さんの故郷である青森県弘前に、カカオ豆の焙煎から手がけるクラフトチョコレート(bean to Bar)店をオープンし、チョコレート文化の発信、地域活性への貢献を目指すことでした。東北では初のクラフトチョコレート(bean to Bar)店ですが、暑さで溶けやすいチョコレートはそもそも北の国に馴染みます。すでに洋菓子文化の土壌もあるため、今後はチョコレートをきっかけに、青森を旅する人が増えたりするかもしれません。

■取材協力

店舗名 アトリエAirgead(アールガッド)
店舗名 浪漫須貯古齢糖(ロマンスチョコレート)