2012年、韓国料理として世界初となるミシュランの星を獲得し、一躍脚光を浴びた「韓国料理 ほうば」。
クレソンといった西洋野菜も使うナムルなど、オーナーシェフの新井氏がつくる旬の野菜や魚介類を中心とした、身体に優しく食べて健康になる韓国料理が評判となり、ミシュラン掲載前より「予約の取れない店」としてグルメの間では評判のレストランだ。
2015年7月、天神橋より、建替えオープンした堂島の新ダイビル2階に移転。同じくミシュランガイド掲載店である江戸前寿司「寿し処黒杉」などの名店が軒を連ねる。大きくとった窓から緑が望める新店には、早くも神戸や京都など遠方からのお客さまが増えているという。
2015年10月にはミシュラン二つ星に輝くという快挙を達成。新店移転と併せて新たなステージに踏み出した新井氏。元々はイタリアン出身というから驚きだが、ご本人としては、韓国料理とイタリア料理には、非常に多くの共通点があるという。
そんな新井さんの異色ともいえる料理人としての軌跡や、お店づくりへの想いなどを伺った。

インタビューのポイント

point.1 韓国料理とイタリアンには、同じ半島の料理として、様々な共通点がある。そこから、新しい韓国料理が生まれた。
point.2 街場のレストランも、チェーン店も、「お客さまを喜ばせる」という点では同じであり、学ぶべきことはどちらも多い。
point.3 人とのつながりこそ、料理人の財産であり、そこから得られるヒントはたくさんある。

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料理の道へ導いた、家族の事情とテレビ番組「料理の鉄人」

現在は韓国料理店として初のミシュランの星獲得店として押しも押されもせぬポジションを確立されていますが、そもそも料理の世界に入られたきっかけは?

新井氏:
もともとは漠然と大学進学するつもりだったのですが、高校を卒業する頃になり、家庭の事情で急に働かなければいけなくなって。急だったので、親戚の紹介で、東大阪のプラスチックの金型を作る工場に就職しました。3年後に母の再婚が決まって晴れて自由の身になったんですが、黙々と精密機械と向き合ってきた反動か、人と接する仕事がしたいと思いました。

ちょうどそのころテレビ番組の「料理の鉄人」が人気でした。もともと母が韓国料理のお店を営んでいて、小さなころから買い物を手伝ったりと飲食店が身近な存在でしたし、当時はちょうどティラミスやパンナコッタといったデザートが話題になっていて、「イタリア料理=スパゲッティ」だったところから、「イタリア料理=おしゃれ」と変わっていく時代でした。私も親戚に連れて行ってもらったお店で生ハムメロンを食べて「イタリア料理ってこんなにおいしいんだ!」と憧れていたので、「よし、イタリア料理の道に進もう」と決めました。その時から、将来は独立して店を持とうと考えていましたね。

独立を視野に仲間と切磋琢磨し合った修業時代

最初はイタリア料理を学ばれたんですね。どんなお店で修業されたのでしょうか?

新井氏:
はい、まずは街場のイタリアンレストランに就職しました。開業や修行のための資金を貯めようと、朝食はパンのみ、夜食はそれにホッピーが加わるだけといった感じで、とにかく3年間は節約しながらがむしゃらに働きました。

目標資金が貯まったので、より高度な技術を身につけたいと、「ポンテベッキオ」と並ぶイタリア料理店だった「カラヴァッジオ」に移りました。

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